■死の秘宝

40:最期の戦い


「ハリー……おお……ハリー……」

 死喰い人の歓声の合間から、ハグリッドのすすり泣く声が漏れ聞こえた。永遠とも思える時間は、ヴォルデモートの制止によって終わった。

「止まれ」

 いつの間にか、既に学校の正面玄関前の広場に着いていた。開かれた玄関扉に面して、死喰い人達が一列に広がる物音が聞こえた。玄関ホールから、なだれるようにして不死鳥の騎士団が、ホグワーツの教授が、生徒が溢れてくる。

「ああああっ!」

 顔を上げずとも、マクゴナガルの叫び声だと分かった。悲嘆に暮れたその嘆きは、ベラトリックスの笑い声を助長しかしなかった。

「そんな!」
「ハリー! ハリー!」
「ハリー! ハリエット!」

 ロン、ハーマイオニー、ジニー、そしてシリウスの声は、マクゴナガルの声より悲痛だった。三人の叫び声が引き金になり、生存者達が義に奮い立ち、口々に死喰い人を罵倒する叫び声を上げた。しかし――。

「黙れ!」

 ヴォルデモートが叫び、バーンという音と眩しい閃光と共に、全員が沈黙させられた。

「終わったのだ! ハグリッド、そいつを俺様の足下に下ろせ。そこがそいつにふさわしい場所だ!」

 ハグリッドは嗚咽を堪え、ハリーを芝生に下ろした。

「分かったか? ハリー・ポッターは死んだ! 惑わされた者どもよ、今こそ分かっただろう? ハリー・ポッターは最初から何者でもなかった。他の者達の犠牲に頼った小僧に過ぎなかったのだ!」
「ハリーはお前を破った!」

 ロンの大声で呪文が破れ、ホグワーツを守る戦士達が再び叫びだした。しかしまた、更に強力な爆発音が響き、再び全員の声を消し去った。

「まだ分からぬのか? ハリー・ポッターは死んだのだ! 今こそ俺様に忠誠を捧げよ。我が下に下るが良い。さあ、前に進め。さもなければ死ね」

 動揺と沈黙がホグワーツ陣営側に広がる。ヴォルデモートは待った。口元を歪め、絶対に自分の元へ足を進める者がいると、そう確信してのことだった。

 そう間をおかず、誰か一人が歩き出した。ガラガラと足場の悪い瓦礫を踏みしめ、前へ進む。

「ドラコ!」

 父が彼の名を呼んだ。

「ドラコ、さあ、おいで。こちらに――」

 ドラコは、その声に応えなかった。中程まで歩みを進め、そして立ち止まる。

「――ハリエット」

 その呟きは、シンと静まりかえった広場に良く響いた。ヴォルデモートは高らかに笑う。

「そうだろう、そうだろう! お前はそうだったな! ハリエット・ポッターのために俺様を裏切った。今回もハリエットのために裏切るのだな?」

 ヴォルデモートはまだ余韻が残り、くつくつと笑い声を上げる。

「良い……良い。俺様は大歓迎だ。ハリエット・ポッターをここへ。よく見える場所に連れてきてやれ」

 ナルシッサに支えられるようにして、ハリエットは歩き出した。死喰い人の波をかき分け、列の一番前へ出る。

「ハリエット……」

 シリウスの、ロンの、ハーマイオニーの囁き声が風に乗ってハリエットの所まで届いた。ハリエットは顔を上げられずにいた。

「ドラコ、お前の高貴な純血の血は惜しい。俺様もマルフォイ家の血筋を絶やすのは忍びなかったのだ……。俺様の下に来てくれて嬉しいぞ。さあ、こちらへ――」
「ハリエット・ポッター!」

 怒鳴るようなドラコの叫び声に、ハリエットは反射的に顔を上げた。ドラコと真正面から視線がかち合う。

「そんな顔をして情けない! もう諦めたのか!? ほんの少しの勇気……それで未来は変わるんだろう!? ハリーは他の誰よりお前の側にいるはずだ!」

 バンッとけたたましい音が響き、ドラコの胸を閃光が打った。ドラコは杖を取り落とし、何メートルも後ろに吹っ飛ばされる。

「愚かなドラコよ。しばらく見ない間に、すっかり腑抜けになってしまったようだ。ハリー・ポッターはもういない。お前達の希望は潰えた」

 ナルシッサの震える手が、ハリエットの肩から外れる。ヒューヒューと喉から息の漏れる音が後ろから聞こえた。

「ドラコよ、二度目はない。俺様の下に戻れ。小娘はお前にくれてやる」
「ハリエットはものじゃない……」

 ドラコは挑戦的な目でヴォルデモートを見据えた。

「自分の意志がちゃんとある。でもそれは僕も一緒だ。僕はもうお前に従わない」

 静かな怒りが辺りを支配する。死喰い人が身震いした。

「――そうか、それがお前の意志か。ならば、俺様直々にあの世へ送ってやろう。俺様に楯突いた者がどうなるか、お前達はしかとその目に焼き付けるがいい」
「我が君――!」

 ヴォルデモートがゆっくり足を踏み出した。ルシウスとナルシッサが悲鳴のような声を上げた。

 しかし彼らは動けなかった。それよりも先に、自分ではない他の誰かがヴォルデモートの道を塞いだからだ。

「……なんのつもりだ?」

 ヴォルデモートはちっぽけな小娘を見下ろした。

「あなたは臆病者ね、トム・リドル」

 ハリエットは決然とした瞳で彼を見上げた。

「あなたの日記は賢かった。でも、臆病でもあったわ。私の杖を持っていても、自らハリーを殺そうとはせず、ずっとバジリスクに命令していた。――でもそれは、今でも変わらないみたい」
「何が言いたい?」
「ダンブルドア先生を恐れ、ハリーを恐れ……そんなあなたが偉大な魔法使い?」

 ハリエットは薄く笑った。

「ハリーの遺体にすら近寄れなかったくせに!」

 ピリピリとした緊張感がハリエットの気迫に破られた。

「仲間に命令してばかり、自らの手で仲間を痛めつけてばかりで、あなたは何をした? ハリーのように、仲間を少しでも信頼した? 自らの命をなげうってでも仲間を助けようとした? ――あなたは、ハリーの足下にも及ばないわ!」
「黙れ!」

 ヴォルデモートの叫びと共に、再び閃光が瞬き、ハリエットは沈黙させられた。だが、ハリエットには確信があった。もうその黙らせ呪文は効かない。

「ハリーを殺して、あなたはさぞ安心したでしょうね? でも残念ね。あなたは一生怯えたままよ。誰も信頼できず、一人でハリーとダンブルドア先生の亡霊に怯えるの!」
「死んだ!」

 ハリエットに対抗するようにヴォルデモートは叫び返した。

「ハリー・ポッターもダンブルドアも死んだ!」
「でも私達は生きてる! 不死鳥の騎士団も、ダンブルドア軍団もいる! ダンブルドア先生の意志は皆が受け継いでいく。そしてハリーは――」

 一瞬声を詰まらせ、しかしハリエットは燃えるような瞳でヴォルデモートを射すくめた。

「ハリーの意志は、私が受け継ぐ!」

 ヴォルデモートは、束の間ちっぽけな娘と睨み合った。ハシバミ色の瞳が、かつて己に三度抗った者を彷彿とさせた。

 ――ジェームズ・ポッター。忌まわしき不死鳥の騎士団の一員。憎たらしいほど優秀な魔法使いで、奴には幾人もの死喰い人がやられた。

 そして彼女の容姿。それは己を滅ぼしかけた守りの呪文をハリーに施した、リリー・ポッターそのものだった。彼女を見るたび、己の無様な最後が脳裏に蘇り、吐き気がする。

 知らず知らず、ヴォルデモートは不敵に口角を上げていた。

 初めて『ハリエット・ポッター』そのものを認識した。だが、同時にその命は我が手で散らさねばならないと思った。『生き残った男の子』が死ぬだけでは満足はいかない。親子共々己に抗い続けたポッター家、その全ての血を絶やさねば、『偉大な魔法使い』としての道は閉ざされると直感した。

 ――この小娘は、放っておけば第二のハリー・ポッターになる。それは確実だった。

「いいだろう」

 ようやくとヴォルデモートは口を開いた。

「お前は、ハリー・ポッターの二の舞になりたいと言うのだな? それがお前の選択なら、ハリエット・ポッターよ、我々は元々の計画に戻ろう。どういう結果になろうと――お前が決めたことだ」

 ヴォルデモートは厳かに杖を振るった。たちまち、敗れた城の窓の一つから不格好な鳥のようなものが薄明かりの中に飛び出し、ヴォルデモートの手に落ちた。ボロボロでだらりと垂れ下がった組み分け帽子だった。

「ホグワーツ校に組み分けはいらなくなる。四つの寮もなくなる。我が高貴なる祖先であるサラザール・スリザリンの紋章、盾、そして旗があれば充分だ。そうだろう、ハリエット・ポッター?」

 ヴォルデモートが杖をハリエットに向けると、ハリエットの身体が硬直した。そしてその頭に、目の下まですっぽり覆うように、無理矢理帽子が被せられる。城の前で見ていた仲間の一団が動いた。しかし死喰い人が一斉に杖を上げ、ホグワーツの戦士達を遠ざける。

「小娘が今ここで、愚かにも俺様に逆らい続けるとどうなるかを、見せてくれるわ」

 ヴォルデモートがそう言うと、杖を軽く振るった。組み分け帽子がメラメラと燃え上がる。

 誰かの悲鳴が夜明けの空気を引き裂いた。ハリエットは動くこともできず、その場に立ち尽くしたまま炎に包まれた。

 ――不思議と、熱くはなかった。それよりも、ハリエットの注意は遠くにあった。どこからか、鳥の鳴き声がする――。

 すぐ頭上からだった。その場の誰もが上を見上げる。狼狽と困惑の声が上がった。

「不死鳥……!」

 ヴォルデモートが吐き捨てるようにして言った。

 炎が燃え上がり、遙か頭上に姿を現したのは、真紅の鳥だった。まばゆい美しい金色の尾羽根を輝かせながら、死喰い人達の上を大きく旋回している。

「ダンブルドアはもういないのに、どうしてあれがここに!」

 その時、『今だ』誰かが耳元で囁いた気がした。一瞬ハリーの声かと思った。だが、それよりも僅かに低く、慈しむような愛を含んだこの声は――。

 フォークスがヴォルデモートめがけて急降下した。ヴォルデモートは顔を顰めてフォークスに向かって死の呪いを放つ。だが、真紅の鳥はそれを華麗に躱し、ヴォルデモートに向かって金色の爪を伸ばす――。

 ヴォルデモートの注意力が散漫になった今、自分にかけられていた『金縛りの術』を解くのは容易いことだった。ハリエットが動き出すと、炎上していた帽子が頭から落ちた。
『ほんの少しの、勇気を』
 ハリエットは本能に付き従い、帽子に手を差し入れた。――手応えはあった。固い何かをするりと取り出す。輝くルビーの柄――。

 ナギニを見つけるのは容易だった。ヴォルデモートは何とかしてフォークスを仕留めようと躍起になっていた。こちらには気づきもしないヴォルデモートの肩でとぐろを巻く大蛇――その首に、ハリエットは渾身の力で銀の剣を振り下ろした。その音は、不死鳥の鳴き声と閃光の音に呑まれて聞こえなかったが、剣の動きは全ての人の目を惹きつけた。一太刀でハリエットは大蛇の首を切り落とした。首は玄関ホールから溢れ出る灯りに光り、回りながら空中高く舞った。ヴォルデモートは怒りの叫びを上げる。そして大蛇の胴体はドサリとヴォルデモートの足下に落ちた。

 ヴォルデモート以外、水を打ったように静かになったが、次の瞬間、一時に色々なことが起こった。

 突如、ハリエットとヴォルデモートとの間に、大きな盾が現れた。ほとんど同時に、ヴォルデモートの杖先から飛び出た閃光が、盾に阻まれる。ハリエットは誰かに強く後ろに引っ張られるのを感じた。

 遠い校庭の境界からどよめきが聞こえた。遠くの塀を乗り越えて、何百とも思われる人々が押し寄せ、雄叫びを上げて城に突進してくる音だ。

 同時に、グロウプが叫びながら、城の側面からドスンドスンと現れた。その叫びに応えて、ヴォルデモート側の巨人達が吠え、大地を揺るがしながらグロウプめがけて突っ込んでいった。

 更に蹄の音が聞こえ、弓弦が鳴り、死喰い人の上に突然矢が降ってきた。不意を突かれた死喰い人は叫び声を上げて隊列を崩す。

「ハリー!」

 ハグリッドの声が響いた。

「ハリー――ハリーはどこだ!?」

 何もかもが混沌としていた。誰もが巨人達に踏み潰されまいと逃げ惑った。空から新たな援軍もやってきた。セストラル達やバックビークが、巨人達の目玉をひっかく一方、グロウプは相手をめちゃくちゃに殴りつけている。

 そして今や、ホグワーツの防衛隊とヴォルデモートの死喰い人軍団の区別なく、魔法使い達は城の中に退却せざるを得ない状態となった。

「ベラ!」

 ヴォルデモートは、地が震えるほどの叫び声を上げた。

「必ず――必ずやハリエット・ポッターを殺すのだ! 我がナギニを殺めた小娘を逃がすな! 殺せ! 殺すのだ!」

 ハリエットの腕を掴む力が強くなった。ドラコは行く手を阻む死喰い人に向かって呪いを撃ち、ハリエットは追いかけてくる死喰い人に失神呪文を放った。

「ハリエット!」

 誰かが名を呼ぶ声が、あちこちから聞こえた。しかし、それに応えている暇は無かった。二人の前を、フォークスが飛んでいた。フォークスに導かれるようにして、ドラコとハリエットはひた走った。

 二人は一騎打ちする人々の中を駆け抜け、逃れようともがく捕虜達の前を通り過ぎて、大広間に入った。

 大広間も混戦の最中だった。歩ける者は誰もが大広間に押し入ってきて、中はますます混雑していた。

「ハリエット・ポッター!」

 女の金切り声が、追いつかれたのだということを嫌でも理解させた。二人は揃って振り返り、ベラトリックスと対峙した。

「もうここまでだよ。お前は私の手にかかって死ぬんだ。覚悟しな!」

 容赦ない緑の閃光が放たれる。ハリエットは避けるだけで精一杯だった。ドラコが妨害の呪文を打つも、ベラトリックスの動きを僅かに鈍らせるにしか過ぎない。

「お望みなら、二人まとめてあの世に送ってやる!」

 フォークスが急降下し、ベラトリックスの杖めがけて飛び込んだ。ベラトリックスは目にもとまらない素早さで杖を振るい、フォークスに金縛り呪文をかけた。フォークスは声もなく地面にドサリと落ち、続いてベラトリックスの放った死の呪いがハリエットの頬をかすめた――。

「わたしの娘に何をする! この女狐め!」

 シリウスはハリエットの前に庇うように出た。マントをかなぐり捨てて、両腕を自由にする。ベラトリックスは新しい挑戦者を見て大声を上げて笑った。

「退け!」

 シリウスはドラコを怒鳴りつけ、杖を鋭くしならせて決闘に臨んだ。シリウスの杖が空を切り裂き、素早く弧を描くのをハリエットは恐怖と昂揚感の入り交じった気持ちで見守った。ベラトリックスの顔から笑いが消え、歯をむき出しにして唸り始めた。双方の杖から閃光が噴き出した。二人とも本気で相手を殺すつもりの戦いだ。

「止めろ!」

 応援しようと駆け寄った数人の生徒に、シリウスが叫んだ。

「下がっていろ! 下がれ! この女はわたしがやる!」

 何百人という人々が今や壁際に並び、二組の戦いを見守っていた。ヴォルデモート対三人の相手、ベラトリックス対シリウスだ。ヴォルデモートは、ベラトリックスから四、五十メートル離れた場所で、マクゴナガル、スラグホーン、キングズリーの三人を一度に相手取っていた。三人は呪文を右へ左へと躱したり、掻い潜ったりしながら包囲していたが、ヴォルデモートを仕留めることはできないでいた――。

「私がお前を殺してしまったら、ハリエットはどうなるだろうね?」

 シリウスの呪いが右に左に飛んでくる中を跳ね回りながら、ベラトリックスは凶器の形相でシリウスをからかった。

「お兄ちゃんも名付け親もいなくなって、可愛いハリエットちゃんは独りぼっち。また正気を失うかもねえ?」
「お前なんかに――二度と――ハリエットを傷つけさせてなるものか!」

 シリウスが叫んだ。ベラトリックスは声を上げて笑った。

 シリウスの呪いが、ベラトリックスの伸ばした片腕の下を掻い潜って躍り上がり、胸を直撃した。心臓の真上だ。

 ベラトリックスの悦に入った笑いが凍り付き、両目が飛び出したように見えた。ほんの一瞬だけ、ベラトリックスは何が起こったのかを認識し、次の瞬間ばったり倒れた。周囲から歓声が上がり、ヴォルデモートは甲高い叫び声を上げた。

 思わずそちらに目を向ければ、視界に飛び込んできたのは、マクゴナガル、キングズリー、スラグホーンの三人が仰向けに吹き飛ばされ、手足をばたつかせながら宙を飛んでいる姿だった。最後の、そして最強の副官が倒され、ヴォルデモートの怒りが炸裂したのだ。ヴォルデモートは杖を上げ、シリウスを狙う。

「プロテゴ!」

 誰かが大きく叫んだ。すると盾の呪文が大広間の真ん中に広がった。ヴォルデモートは呪文の出所を目を凝らして探した。ハリエットも、一抹の希望と共にぽっかり空いた空間を見つめる。何もなかったそこから突如姿を現したのは、ハリー・ポッターだった。

 衝撃の叫びや歓声があちこちから沸き起こった。だが、たちまちそれも止む。ヴォルデモートとハリーが睨み合い、同時に、互いに距離を保ったまま円を描いて動き出したのだ。

「誰も手を出さないでくれ。こうでなければならない。僕でなければならないんだ」

 ハリーが大声で言った。

「分霊箱はもうない。最後の一つをハリエットが壊した。お前も分かっているだろう? 残っているのはお前と僕だけだ。一方が生きる限り、他方は生きられぬ。二人のうちどちらかが、永遠に去ることになる……」
「どちらかがだと?」

 ヴォルデモートが嘲った。

「勝つのは自分だと考えているのだろうな? そうだろう? 偶然生き残った男の子。ダンブルドアに操られて生き残った男の子」
「偶然? 母が僕達を救うために死んだときのことが、偶然だと言うのか?」

 ハリーが問い返した。二人は互いに等距離を保ち、完全な円を描いて横へ横へと回り込んでいた。

「偶然か? 僕があの墓場で戦おうと決意したときのことが? 今夜、身を守ろうともしなかった僕がまだこうして生きていて、再び戦うために戻ったことが偶然だと言うのか?」
「偶然だ! お前は自分より偉大な者達の陰に、めそめそ蹲っていたというのが事実だ。そして俺様に、お前の身代わりにそいつらを殺させたのだ」
「今夜のお前は、他の誰も殺せない。お前はもう決して誰も殺すことはできない。分からないのか? 僕は、お前が皆を傷つけるのを阻止するために、死ぬ覚悟だった――。だからこそ、こうなったんだ。僕のしたことは、母の場合と同じだ。皆をお前から守ったんだ。お前が皆にかけた呪文はどれ一つとして完全には効かなかった。気がつかなかったのか? リドル、お前は過ちから学ぶことを知らないのか?」
「よくも――」
「ああ、言ってやる。トム・リドル、僕はお前の知らないことを知っている」

 ハリーの声色に、ヴォルデモートはたじろいだ。ハリーが本当に究極の秘密を知っているのではないかという微かな可能性に、おののいているのだ――。

「また愛か? ダンブルドアお気に入りの解決法、愛。しかしその愛は、奴が塔から落下して古い蝋細工のように壊れるのを阻止しなかったではないか? お前達の『穢れた血』の母親が俺様に踏み潰されるのを防ぎはしなかったぞ――。それに、今度こそお前の前に出て俺様の呪いを受け止めるほどお前を愛している者はいないようだな。さあ、俺様が攻撃すれば、今度は何がお前の死を防ぐと言うのだ?」
「一つだけある」

 ハリーは静かに言った。

「今、お前を救うものが愛でないのなら、俺様にはできない魔法か、さもなくば俺様の武器より強力な武器を、お前が持っていると信じ込んでいるのか?」
「両方とも持っている」

 蛇のような顔に衝撃がサッと走るのを、ハリエットは見逃さなかった。しかしそれはたちまち消えた。悲鳴より、もっと恐ろしい声でヴォルデモートは高々と笑う。

「俺様を凌ぐ魔法を、お前が知っていると言うのか? ダンブルドアでさえ夢想だにしなかった魔法を行った、この俺様をか?」
「いいや、ダンブルドアは知っていた。お前よりも多くのことを知っていたから、お前のやったようなことはしなかった。ダンブルドアはお前よりも懸命だった。魔法使いとしても、人間としても、より優れていた」
「俺様がアルバス・ダンブルドアに死をもたらした!」
「お前がそう思い込んだだけだ。しかし、お前は間違っていた」
「ダンブルドアは死んだ!」

 ヴォルデモートはハリーに向かってその言葉を投げつけた。

「そうだ。ダンブルドアは死んだ。しかし、お前の命令で殺されたのではない。ダンブルドアは自分の死に方を選んだのだ。死ぬ何ヶ月も前に選んだのだ。お前が自分のしもべだと思っていたある男と、全てを示し合わせていた」
「なんたる子供だましの夢だ?」

 そう言いながらも、ヴォルデモートはまだ攻撃しようとはしない。赤い目でハリーの目を捕らえたまま放さなかった。

「ハリエットに言われたのにまだ理解ができないのか? セブルス・スネイプはお前のものではなかった。お前が僕たちの母を追い始めたときから、ダンブルドアのものだった。そしてそれ以来、ずっとお前に背いて仕事をしてきたんだ! ダンブルドアは、スネイプがとどめを刺す前に、もう死んでいたんだ!」
「どうでも良いことだ!」

 ヴォルデモートは甲高く叫んで狂ったように高笑いした。

「スネイプが俺様のものかダンブルドアのものかなど、どうでもよいことだ! しかし、ああ、これで全てが腑に落ちる。ポッター、お前には理解できぬ形でな! ダンブルドアは、ニワトコの杖を俺様から遠ざけようとした! あいつはスネイプが真の持ち主になるように図った! しかし、小僧、俺様の方が一足早かった――お前が杖に手を触れる前に俺様が杖にたどり着き、お前が真実に追いつく前に俺様が真実を理解したのだ。俺様は三時間前にセブルス・スネイプを殺した。そしてニワトコの杖は真に俺様のものになった! ダンブルドアの最後の謀は、失敗に終わったのだ!」
「ああ、そうだ。だが、いいか、リドル。ダンブルドアの最後の計画が失敗したことは、僕にとって裏目に出た訳じゃない。お前にとって裏目に出ただけだ」

 ニワトコの杖を握るヴォルデモートの手が震えていた。反対にハリーは、己の杖を一層強く握りしめた。

「その杖はまだ、お前にとっては本来の機能を果たしていない。なぜならお前が殺す相手を間違えたからだ。セブルス・スネイプが、ニワトコの杖の真の所有者だったことはない。スネイプがダンブルドアを打ち負かしたのではない」
「スネイプが殺した――」
「聞いていないのか? スネイプはダンブルドアを打ち負かしてはいない! ダンブルドアの死は、二人の間で計画されていたことなんだ! ダンブルドアは、杖の最後の真の所有者として敗北せずに死ぬつもりだった! 全てが計画通りに運んでいたら、杖の魔力はダンブルドアと共に死ぬはずだった。なぜなら、ダンブルドアから杖を勝ち取るものは、誰もいないからだ!」
「それならば、ポッター、俺様が真の所有者だ! 俺様は最後の所有者の墓から杖を盗み出した! 杖の力は俺様のものだ!」
「まだ分かっていないらしいな、リドル? 杖を所有するだけでは十分ではない! オリバンダーの話を聞かなかったのか? 杖は魔法使いを選ぶ……ニワトコの杖は、ダンブルドアが死ぬ前に新しい持ち主を認識した。その杖に一度も触れたことさえない者だ。新しい主人は、ダンブルドアの意志に反して杖を奪った。その実、自分が何をしたのかに一度も気づかずに。この世で最も危険な杖が、自分に忠誠を捧げたとも知らずに……」

 ハリエットの隣で、ドラコが身じろぎした。

「ニワトコの杖の真の主は、ドラコ・マルフォイだった」

 ヴォルデモートの顔が衝撃で一瞬茫然となった。ハリーの斜め後ろの、ハリエットの隣の、ドラコ・マルフォイの顔をなめるように見る。

「……それがどうだと言うのだ? お前が正しいとしても、お前にも俺様にも何ら変わりはない。お前にはもう不死鳥の杖はない。我々は技だけで決闘する……そして、お前を殺してから、俺様はドラコ・マルフォイを始末する……」
「遅すぎたな」

 ハリーは笑った。

「お前は機会を逸した。僕が先にやってしまった。ハリエットを救うために、単身ドラコがホグワーツにやってきたその時に、僕はドラコを打ち負かした。お前の行動は、何もかもが裏目に出たんだ」

 ハリーは囁くように言った。

「要するに、全てはこの一点にかかっている、違うか? お前の手にあるその杖が、最後の所有者が『武装解除』されたことを知っているかどうかだ。もし知っていれば……ニワトコの杖の真の所有者は、僕だ」

 ヴォルデモートの頬がピクリと引きつる。ハリーは構わず続けた。

「お前は、お前が知らない愛に負けたんだ。お前が馬鹿にする愛に負けたんだ。母は僕達を愛して守りの呪文を授けた。スネイプは母を愛して、お前を裏切った。ドラコはハリエットを愛して、お前に抗った。どんな気分だ? トム・リドル」

 二人の頭上の、魔法で空を模した天井に、突如茜色と金色の光が広がり、一番近い窓の向こうに眩しい太陽の先端が顔を出した。光は同時に二人の顔に当たった。ヴォルデモートが甲高く叫ぶと同時に、ハリーは杖で狙いを定め、天に向かって叫んだ。

「アバダ ケダブラ!」
「エクスペリアームス!」

 ドーンという大砲のような音と共に、二人が回り込んでいた円の真ん中に、黄金の炎が噴き出し、二つの呪文が衝突した。その瞬間、ニワトコの杖は高く舞い上がり、朝日を背にくるくると回りながら、ご主人様の下へと向かった。ついに杖を完全に所有することになった持ち主に向かって、自分が殺しはしないご主人様に向かって飛んできた。ハリーの片手が杖を捕らえたその時、ヴォルデモートは両腕を広げてのけぞり、床に倒れた。ありふれた、トム・リドルの最期だった。その身体は弱々しく萎び、労のような両手には何も持たず、蛇のような目は何も映していなかった。

 ヴォルデモートは、跳ね返った自らの呪文に撃たれて死んだのだ。

 身震いするような一瞬の沈黙が流れ、衝撃が漂った。次の瞬間、ハリーの周囲がドッと湧いた。見守っていた人々の悲鳴、歓声、叫びが空気をつんざいた。真っ先にハリエット、ロン、ハーマイオニーが近づき、ハリーの身体に抱きついた。訳も分からず彼の耳元で叫んだ。そしてシリウスが、ジニーが、ネビルが、ルーナが後に続いた。

 皆が皆、ハリーを掴み、抱き締め、引っ張り、讃えた。何百という人が、ハリーに近寄ろうとし、何とかして触れようとしていた。

 ついに終わったのだ。『生き残った男の子』のおかげで――。