■死の秘宝
41:戦いの後
ゆっくりとホグワーツに太陽が昇った。そして大広間は、生命と光で輝いていた。歓喜と悲しみ、哀悼と祝賀の入り交じったうねりに、ハリーは欠かせない主役だった。
日が昇るにつれ、四方から知らせが入ってきた。国中で服従の呪文にかけられていた人々が我に返ったこと、死喰い人達が逃亡したり捕まったりしていること、アズカバンに収監されていた無実の人々が解放されていること、そして、キングズリー・シャックルボルトが魔法省の暫定大臣に指名されたことなどなど……。
ヴォルデモートの遺体は、大広間から運び出され、そして彼と戦って死んだ五十人以上に上る人々の亡骸とは離れた小部屋に置かれた。
マクゴナガルは寮の長テーブルを元通りに置いたが、もう誰も各寮に別れて座りはしなかった。先生も生徒も家族も、ゴーストもケンタウルスも屋敷しもべ妖精も一緒だった。
ハリエットとドラコは、大広間を抜けだしていた。座っていると、ひっきりなしに誰かが話しかけてきて落ち着かなかったのだ。ヴォルデモートに啖呵を切るハリエットが格好よかったと褒め称えたり、二人は付き合ってるのか聞いたり、グリフィンドールの剣やフォークスを熱狂的に見つめたり。
二人ともこれほどまでに好意的な注目を集めるのは初めてだったので、恥ずかしいやら居心地が悪いやらで、早々に逃げ出したのだ。
フォークスを肩に乗せ、ハリエットはドラコと肩を並べて、あてもなく廊下を歩いた。その途中で、色々な顔なじみとすれ違った。皆がハリエットとドラコに声をかけていく。マクゴナガル、スラグホーン、アバーフォース、トンクス、モリー、セドリック、フレッド、ジョージ、ジニー、ネビル、ルーナ……。
シリウスにも遭遇した。彼はハリエットとドラコとを複雑な表情で見比べていたが、何か言う前に、『騎士団員として今はまだやるべきことがあるだろう!』とルーピンに引きずられていった。
不意に、ドラコの足が止まった。不思議に思ってハリエットはドラコを見て、その後で彼の視線の先を追った。その先に、ルシウス・マルフォイとナルシッサがいた。杖を持たず、不安そうな表情であちらこちらを見回している。
「…………」
三人の視線が交わった。ルシウスとナルシッサは足を止め、その場に縫い止められたかのように一歩たりとも動こうとしなかった。
二人の視線は、下の方で止まっていた。ハリエットとドラコが固く繋いでいるその手をじっと見つめている。ハリエットは、ドラコの手を握りしめ、歩き出した。二人の前で足を止め、ナルシッサに微笑みかける。
「杖……ありがとうございました。お返しします」
とても使いやすい杖だった。このおかげで、ベラトリックスに殺される前にシリウスが助けに入ってくれた。
ナルシッサは、無言で杖を受け取った。その瞳には何か言いたげな光が宿っている。
ハリエットは、ドラコの手をそっと離した。瞬間、行かないでくれとドラコが迷子のような目をハリエットに向けた。ハリエットはそれにくすぐったそうな笑みを返すと、ドラコの両親に頭を下げ、踵を返した。
「失礼します」
ハリエットが、今一番話したい人がドラコではないように、ドラコもまた、今一番話したい人はハリエットではないはずだ。
ドラコと話す時間はこれから来るはずだ。何時間も、何日も、いや、おそらく何年も。
「僕だよ」
ハリエットの、今一番待ち望んでいた声が、すぐ耳元で聞こえた。隣を向けば、ロンとハーマイオニーが微笑を浮かべて立っている。二人の間にぽっかり空いた空間は、間違いなくハリーだ。
肩を並べて歩きながら、ハリーは語った。ハリエット達が去った後、息も絶え絶えなスネイプの下にハリー達が駆けつけ、彼に言われるがまま、記憶を抜き取ったこと、憂いの篩で、スネイプが二重スパイをしていたことを知ったこと、ヴォルデモートの死の呪いがリリーの呪文によって跳ね返ったとき、彼の魂の一部がハリーの魂に引っかかり、ハリーは最後の分霊箱となっていたこと、ヴォルデモートを倒すには、ハリーは死なねばならなかったこと――だが、禁じられた森でヴォルデモートに死の呪いをかけられたとき、ハリーは死ななかった。ハリーは、束の間、夢のような、現実のような所で、ダンブルドアと話をした。彼が言うには、ヴォルデモートがハリーの血を取り込んで復活したとき、リリーがハリーを守るために命を棄ててかけた魔法も、僅かながら彼の中に取り込まれたと。要するに、ヴォルデモートが生きている限り、ハリーの命は繋ぎ止められるのだ。検視に行った時、ナルシッサは偽りを口にした。ハリーが死んでいると、虚偽を述べたのだ――。
まだハリーは話し足りなさそうだったが、四人は校長室にたどり着いた。入り口を護衛するガーゴイルは横に傾き、少しフラフラしている。
「上に行っても良いですか?」
「ご自由に」
ハリーの問いに、ガーゴイルが呻いた。
四人はガーゴイルを乗り越えて、石の螺旋階段に乗り、上へと運ばれていった。階段の一番上で、扉を押し開ける。
途端に、耳をつんざくような騒音が聞こえた。拍手だった。周り中の壁で、ホグワーツの歴代校長達が総立ちになってハリーに拍手していた。
しかし四人の目は、その中の誰も映さず、ただ真っ直ぐに校長の椅子のすぐ後ろにかかっている、一番大きな肖像画の中に立つ、たった一人を見つめた。半月形の眼鏡の奥から、長い銀色のあごひげに涙が滴っている。
「スニッチに隠されていたものは」
ハリーが話し出すと、肖像画達は敬意を込めて静かになった。
「森で落としてしまいました。その場所ははっきりとは覚えていません。でも、もう探しに行くつもりもありません。それでいいでしょうか?」
「ハリーよ、それで良いとも」
ダンブルドアが答えた。
「でも、イグノタスの贈り物は持っているつもりです」
「もちろん、ハリー、君達が子孫に譲るまで、それは永久に君達のものじゃ」
「それから、これがあります」
ハリーがニワトコの杖を掲げると、ロンとハーマイオニーが恭しく杖を見上げた。
「僕は欲しくありません」
「何だって? 気は確かか?」
ロンが大声を上げた。
「強力な杖だということは知っています。でも、僕は自分の杖の方が気に入っていた。だから――」
ハリーは首にかけていた巾着を探り、かろうじて繋がっている柊の杖を取り出した。ハリーは折れた杖を校長の机に置き、ニワトコの杖の先端で触れながら唱えた。
「レパロ!」
ハリーの杖が再びくっつき、先端から赤い火花が飛び散った。ハリーは嬉しそうに己の杖をすくい上げる。
「僕はニワトコの杖を元の場所に戻します。杖はそこに留まれば良い。僕がイグノタスと同じように自然に死を迎えれば、杖の力は破られるのでしょう? 最後の持ち主は敗北しないままで終わる。それで杖はおしまいになる」
ダンブルドアは頷いた。二人は互いに微笑み合う。
「本気か?」
ロンの声に、微かに物欲しそうな響きがあった。
「ハリーが正しいと思うわ」
ハリエットが静かに言った。ハーマイオニーも頷いて同意する。
「この杖は役に立つどころか、厄介なことばかり引き起こしてきた」
「それに、正直言って、僕はもう一生分の厄介を充分味わった」
しかめっ面でハリーが言うので、ハリエットは思わず噴き出した。それに釣られて、ロンも、ハーマイオニーも笑い出す。肖像画達にも、さざ波のように笑いが伝染した。
しばらくして、笑いが収まると、ダンブルドアは目を細めてハリエットを見た。
「さて、ハリエットや、わしの見間違いでなければ、肩に止まっているのはフォークスかの?」
「は、はい」
ハリエットが頷くと、それに応えるかのように、フォークスが鳴いた。
「おお、嬉しそうじゃの。新たな主が見つかったようで、わしも嬉しいぞ」
「えっ?」
ロンが素っ頓狂な声を出した。ダンブルドアとフォークス、そしてハリエットを見比べる。
「それって……ハリエットが……?」
「そうじゃ。元主人から言わせてもらうと、フォークスはどうやら、次の主をハリエットに決めたようじゃ」
「え……ええっ!」
ハリエットの声が裏返った。慌てて両手をバタバタと振る。
「そ、そんな、駄目です! ダンブルドア先生の大切なフォークスを、私が、そんな、そんなこと――」
「杖が持ち主を選ぶように、不死鳥もまた、己が主を選ぶのじゃよ」
「でも……でも……」
「ハリエット」
ハリーは振り返り、目を細めた。
「スネイプは生きてる」
「――えっ」
「フォークスが助けてくれたんだ。叫びの屋敷で、僕たちはスネイプが倒れているのを見つけた。もう虫の息だったけど、その時フォークスがやってきたんだ。フォークスの癒やしの涙で、スネイプは危機を脱した」
「――っ!」
手で口を押さえ、ハリエットはようやくフォークスを見た。フォークスもまた、円らな瞳で真っ直ぐハリエットを見つめ返す。
「ダンブルドアの遺言を覚えてる?」
ハリーが問うた。
「あれは、フォークスのことだったんですよね?」
ハリーがダンブルドアを窺うように見れば、ダンブルドアは瞳に優しい光を湛え、頷いた。
「ダンブルドアは、きっと全部分かってたんだ。ハリエットが、他の誰よりも偏見なくスネイプのことを見るって。スネイプを信じようとするって。そしてスネイプもまた、ハリエットのことを絶対に助けようとするって」
「それだけではない」
ダンブルドアも続いた。
「君は、一人の少年の心をも救った。その深く人を想う心と、なすべき時に発揮される勇気は、フォークスの琴線に触れたのじゃ」
フォークスが寄り添うようにハリエットに羽をこすりつけた。ハリエットは、泣き笑いの表情で、その綺麗な羽を撫でた。
「さて、君たちの行方を捜している声がどこからか聞こえてきておるのう」
ダンブルドアは茶目っ気たっぷりに言った。
「わしら年寄りは、そろそろ眠る時間じゃ。今日は徹夜じゃったからな。君たちは、まだ若いからそんなこともあるまい? ゆっくり語り尽くすのじゃ。今日という日は、まだ長い――」