■死の秘宝
42:十九年後
その年の秋は、突然やってきた。九月一日の朝は、小さな新入生を持つ家族はてんてこ舞いだった。
そんな中、小さな家族の集団が、車の騒音の中を、煤けた大きな駅に向かって急いでいた。父親が荷物で一杯のカートを押し、母親は泣きべそをかいた赤毛の女の子を抱き上げて走り、その更に後ろを、一人の男の子がぐずぐずと歩いていた。
「もうすぐよ。アリエスもすぐに行くんだから」
ハリエットが女の子に向かって言った。
「二年先だわ」
アリエスが涙も拭わずに言った。
「今すぐに行きたいの……」
「あら、そんなこと言わないで」
ハリエットはアリエスの頭を優しく撫でる。
「レグもアリエスも一度にホグワーツに行っちゃったら、お母さんもお父さんも、シリウスだって寂しくて泣いちゃうわ」
人混みを縫って九番線と十番線の間の柵に向かう家族とふくろうを、通勤者達が物珍しげにジロジロ見ていた。
マルフォイ家の四人が、柵に近づいた。涙に塗れた目で何度も不安そうに父と兄を振り返りながら、アリエスは母と共に駆け足になった。次の瞬間には、二人の姿は消えていた。
「手紙をくれるよね?」
母親と共にアリエスがいなくなった一瞬を逃さず、レギュラスは期待を込めた目でドラコを見た。兄の威厳を保つためだ。
「毎日でも」
「毎日じゃないよ!」
レギュラスが慌てて言った。
「ジェームズが、家からの手紙は大体皆一ヶ月に一度しか来ないって言ってた」
「それは強がりじゃないか?」
ドラコは悪戯っぽく笑った。
「暇を見つけてハリーが一生懸命手紙をしたためているのを、週に何度目撃したか。それから」
ドラコはレギュラスと視線を合わせた。
「ジェームズがホグワーツについて言うことを、何もかも信じるんじゃないぞ。冗談が好きなんだから。――それに、ロンの話も真に受けるな。あいつはお前をからかってばかりだ」
ドラコはカートを押しながら、レギュラスと共に走った。柵に近づくとレギュラスは怯んだが、衝突することはなかった。そして家族は揃って九と四分の三番線に現れた。
紅色のホグワーツ特急がもくもくと吐き出す濃い白煙で、辺りはぼんやりしていた。
「皆はどこなの?」
レギュラスが心配そうに聞いた。
「きっとすぐに見つかるわ」
ハリエットが宥めるように返したが、しかし、濃い蒸気の中で、人の顔を見分けるのは難しかった。持ち主から切り離された声だけが、不自然に大きく響いている。
「レグ、きっとあの人達だわ」
霞の中から、最後部の車両の脇に立っている四人の姿が見えてきた。ハリエット、ドラコ、レギュラス、アリエスは、すぐ近くまで行ってやっとその四人の顔をはっきり見た。
「やあ」
「こんにちは、レギュラス」
レギュラスは心からホッとしたような声で言った。もう真新しいホグワーツのローブに着替えたローズが、レギュラスににっこり挨拶を返す。緊張しているだろうが、それ以上に期待に輝いているその瞳は、ハーマイオニーそっくりだった。
「ロンおじさん!」
つい先ほどまで涙でぐしょぐしょだった顔を綻ばせて、アリエスがロンに駆け寄った。ロンも嬉しそうにアリエスを抱き上げる。
「おやおや、私の可愛いアリエス嬢ちゃん」
「私の手品持ってきてくれた?」
「ウィーズリー・ウィザード・ウィーズ悪戯専門店の太鼓判商品『鼻どろぼうの虫の息』をご存じか?」
「ママ! パパったら、またへぼ手品やってる」
ローズがハーマイオニーのローブを引っ張った。
「あなたはへぼと言うし、パパは素晴らしいと言うし、私は……時と場合によるわ」
「私はヘボだと思う」
「子供に人気なら良いんじゃないかしら」
ドラコとハリエットにまで散々に言われる中、ロンは気にもとめず鼻に皺を寄せる。
「ちょっと待った、この空気を食って……。さあお立ち会いだ……ちょっとニンニク臭かったらごめんよ」
ロンはアリエスの顔に息を吹きかけた。アリエスがクスクス笑う。
「オートミールの匂いがする」
「さあ、お嬢さん。何の匂いもかげなくなるぞ……」
ロンが芝居がかった仕草でアリエスの鼻をもぎ取る仕草をした。
「私の鼻はどこ?」
「じゃーん!」
開いて見せたロンの手の中は空っぽだった。へぼ手品だ。ハリエットはその馬鹿馬鹿しさに噴き出した。
「おじさんたら!」
アリエスはきゃっきゃと笑いながら、ロンの腕から降りた。すっかり機嫌が直ったようで、レギュラスの下へと駆け寄る。
「そういえば、車は無事駐車できたの?」
ハリエットがロンに問いかけた。
「私はちゃんとやったよ。ハーマイオニーは、私がマグルの運転試験に受かるとは思っていなかったんだ。だろ? 私が試験官に錯乱の呪文をかける羽目になるんじゃないかって予想してたのさ」
「そんなことないわ」
ハーマイオニーは憤慨して抗議した。
「私、あなたを完全に信用していたもの」
「――錯乱させたに私は一票だな」
レギュラスのトランクとふくろうを汽車に積み込むのを手伝ってもらいながら、ドラコはロンに囁いた。
「どうだ、正解だろ?」
「うるさいな!」
ロンは顔を真っ赤にした。
「バックミラーを見るのを忘れただけなんだ! だって考えても見ろよ。その代わりに『超感覚呪文』が使えるんだ」
「そういう問題じゃないだろう……」
プラットフォームに戻ると、アリエスとローズの弟のヒューゴが、晴れてホグワーツに行く日が来たらどの寮に組み分けされるかについて盛んに話し合っていた。
「グリフィンドールに入らなかったら、勘当するぞ」
ロンが言った。
「ロン!」
アリエスとヒューゴは笑ったが、ローズは真剣な顔になり、レギュラスは悲しそうな顔になった。
「本気じゃないのよ」
ハーマイオニーとハリエットが取りなしたが、ロンはそんなことはとっくに忘れ、パッと喜色を浮かべる。
「ハリー! こっちだ!」
ロンの大声に、周囲の視線は皆そこへ向けられた。生き残った男の子、ハリー・ポッター。ヴォルデモートを倒した英雄――彼が、白煙の中から姿を現した。
「ロン……そんな大声を出したら目立つだろう」
ハリーのすぐ後ろには、ジニーと二人の息子、娘がいた。それぞれジェームズ、アルバス、リリーという名で、今年はアルバスが新入生だった。
「何をそんなに気にしてるんだ? 私がこれ以上目立つのが嫌なのか?」
真面目くさった顔でロンが言うので、今年新入生で緊張の糸を張り詰めさせていたレギュラス、アルバス、ローズの三人も笑った。
「まもなく十一時だ。汽車に乗った方が良い」
ハリーが、シリウスからもらった腕時計を見ながら言った。彼の言葉に、またぐずぐず虫が再発したようで、アリエスが泣き出した。ハリーは苦笑を浮かべ、その小さな頭を撫でる。
「アリエスは、本当に小さい頃のハリエットそっくりだ」
「私、こんなに泣いてた?」
「泣いてた泣いてた」
ふて腐れるハリエットのスカートを、レギュラスが不安そうな顔で引っ張った。
「どうしたの?」
「シリウスお爺ちゃんによろしく言っておいてね」
レギュラスはハリエットを上目遣いで見ながら言った。ハリエットは苦笑する。
「別に良いけど……朝に挨拶したばかりじゃない」
「それでもなの! シリウスお爺ちゃん、見送りに来てくれるって言ってたのに」
「仕事が入ったのよ。シリウスも残念がってたわ」
ハリエットはレギュラスの頭を撫でた。『何が何でも見送りに行く! ハリーとハリエットの息子達の門出だぞ!』と鼻息荒くシリウスが宣言していたのは記憶に新しい。そのすぐ後に、『闇祓いに緊急招集がかかった』と消沈して伝言をくれた時は、思わず笑ってしまった。
「レグは本当にシリウスお爺ちゃんが大好きね」
「誰かさんそっくりだ」
またしてもハリーが茶々を入れた。ハリエットは聞かなかった振りをする。
「クリスマスには会えるわ」
ハリエットはレギュラスにお別れのキスをした。
「それじゃあ、レグ」
ドラコも息子を抱き締める。
「金曜日に、ハグリッドから夕食に招待されているのを忘れるなよ。ピーブズには関わり合いにならないこと。それから――」
「僕、どの寮に入れば良いんだろう?」
父親のお腹に抱きついたまま、レギュラスは不安でいっぱいの声を押し出した。ハリエットも思わず息子に近寄る。
「どういうこと?」
「シリウスお爺ちゃんは、僕がスリザリンに入ったら次の誕生日プレゼントはないって言うし、ルシウスお祖父様は、スリザリンに入れなかったらこれからずっとクリスマスプレゼントはないって言うし……僕、どうしたら……」
「シリウス……」
「父上……」
ハリエットとドラコは頭を抱えた。大人げない物言いにため息をつきたくなったし、変なところで考えが似ている二人に呆れを通り越していっそ清々しくも思った。
ハリエットは真剣な表情でレギュラスの背中を撫でた。
「シリウスには、私からよーく言い聞かせておくから」
「ルシウスお祖父様には、シシーお祖母様からお灸を据えてもらえるよう、僕が報告しておく」
「だからね、レギュラス・シリウス」
ハリエットは微笑んだ。
「あなたの名前は、シリウス達兄弟の名前から取ったわ。レギュラスさんはスリザリンだったし、シリウスはグリフィンドール。そしてお父様はスリザリンで、私はグリフィンドール。レグが行きたいと思った寮に行けば良いの。もちろん、ハッフルパフだって、レイブンクローだって大歓迎よ。ハーマイオニーは、グリフィンドールとどちらにしようか、随分組み分け帽子に悩まれたみたいだし、ハッフルパフは、私も適性があるって言われたもの」
「本当?」
ハリエットは大きく頷いた。
「もし組み分け帽子がどの寮に入れようか迷ったら、あなたが一番行きたい寮の名前を言えば良いわ。もしかしたら、組み分け帽子は、それを叶えてくれるかもしれない。ほんの少しの勇気を出して、あなたが行きたい寮をお願いしてみて」
ようやくと、レギュラスはここ一番の笑顔を見せた。しかし、その時紅色の列車のドアがあちこちで閉まり始め、最後のキスや忠告をするために子供達に近づく親たちの姿が見えた。
レギュラスは列車に飛び乗り、その後ろからドラコがドアを閉めた。汽車の車窓から、子供達は身を乗り出し、親に大きく手を振る。
まもなく汽車が動き出した。ハリエットは、既に興奮で輝いている息子の色白な顔をじっと見ながら、ドラコと共に汽車と一緒に歩いた。息子がだんだん離れていくのを見送るのは、心が張り裂けるような思いがしたが、ハリエットは微笑みながら手を振り続けた。
――ホグワーツが、あなたの輝かしい友情と冒険の場となりますように。