■秘密の部屋
07:空中の不幸
ハロウィーンの日、ハリーはほとんど首無しニックに絶命日パーティーに誘われた。彼には、以前フィルチから救ってもらった恩があり、また同時にあまりに謙虚だったので、ハリーは咄嗟に参加すると答えたのだ。
ハリーに誘われたため、ハリエットももちろん行くつもりだったが、しかし生憎とその日は気分が悪く、パーティーは辞退することになった。医務室で『元気爆発薬』を処方してもらうつもりだった。ハーマイオニー達は心底心配したが、行くと答えた以上、首無しニックはきっと楽しみにしているから、と医務室まで送るという申し出を断った。
「ハリエット、ハリエット」
「どうかした?」
とりあえずは広間でご飯を食べてから医務室に行く、というハリエットをハリーは呼び止めた。
「あのさ、少しでも暇があったら、大広間でハロウィーン・パーティーのお菓子を寮に持って帰ってきてくれると嬉しいな」
「分かった。もちろんよ」
「ありがとう!」
「私の方こそ、首無しニックに謝っておいてくれると助かるわ」
「分かった」
ハリーは実に名残惜しそうな顔で頷いた。
実を言うと、ハロウィーンに浮かれている生徒に影響され、内心ではハリーもハロウィーンの方のパーティーに参加したくて堪らなかったのだ。彼の気持ちを察したからこそ、ハリエットは快く承諾したのだ。
まず大広間で持てるだけのお菓子を持って、そしてその足取りのまま医務室に向かって……だが、そこでハリエットの記憶は途切れていた。次に目が覚めたとき、ちゃんと自分は医務室のベッドの上で寝ていた。しかし、途中からすっぽり記憶が抜け落ちているのだ。
「あの、マダム・ポンフリー、私、昨日のことあまり覚えてなくて……誰かが私をここまで運んでくれたんですか?」
「いいえ? あなたは昨夜自分の足でここまで来ましたよ」
「そ、そうですか……」
「でも、随分遅い時間でしたがね。確か九時過ぎだったかしら」
ハリエットは息をのんだ。医務室に向かおうとした正確な時間は分からないが、八時は過ぎていなかったはずだ。途中で気を失っていたにしても長い、長すぎる。仮に廊下で気絶していたとしても、誰かが気づくはずだ。
――では、その間、私は一体どこで何をしていた?
ハリエットは恐ろしくてならなかった。自分の知らない空白の時間があった。
その後、ハリエットは更に恐怖のどん底に突き落とされることとなる。ハリー達から昨夜あった出来事について聞かされたのだ。
『殺してやるって声が聞こえたから、その声が聞こえる方――三階まで行ったんだ。そこには石化したミセス・ノリスがいて、壁には赤いペンキで『秘密の部屋は開かれたり。継承者の敵よ、気をつけよ』って書かれてたんだ』
その話を聞いた後、ハリエットはますます蒼白となったので、医務室へ行くことを勧められた。だが、ハリエットは頑として聞き入れず……今やすっかり住み慣れた寮の寝室に戻った。医務室で寝るから、うまく寝られなくて、寝不足になるのだ。そう思ってのことだった。
だが、ハリエットを待ち受けていたのは、ローブにべっとりとついた赤いペンキだった。
――壁には赤いペンキでで『秘密の部屋は開かれたり。継承者の敵よ、気をつけよ』って書かれてたんだ。
ハリーの声が頭の中で響いていた。
*****
魔法史のビンズに、ハーマイオニーが果敢にも秘密の部屋のことについて訊ねた。
ホグワーツは、四人の創設者によって作られた。そして彼らの名前にちなみ、四つの寮を名付けた。次第にスリザリンと他三人との間に意見の相違が出てきた。スリザリンは、ホグワーツには選別された生徒のみが入学を許可されるべきだと考えたのである。しばらくしてスリザリンが学校を去った。
伝説によれば、スリザリンは『秘密の部屋』を造り、この学校に真の継承者が現れるときまで何人も開けられぬようにしたという。その継承者のみが秘密の部屋の封印を解き、その中の恐怖を解き放ち、それを用いてこの学校から魔法を学ぶにふさわしからざる者を追放するという。恐怖というのは、何らかの怪物だと信じられていたとビンズは締めくくった。
ハリー達は、この話を聞いて、継承者がドラコではないかと疑った。ドラコの家系は皆が皆スリザリンだし、ドラコ自身もマグル生まれを馬鹿にしている。ここまで怪しい要素が揃っているというのに、彼がそうだという証拠がない。
ハーマイオニーが提案したのは、ポリジュース薬である。自分以外の誰かに変身できる薬で、それでスリザリンに忍び込み、ドラコから直接聞き出そうというのだ。しかしポリジュース薬は作成するのに一月ほどかかり、しかも、その作成方法が書かれた本は閲覧禁止の禁書の棚にあるのだ。それを借りるには、先生の中から誰かにサインをもらう必要があった。
「ほら、行くよ、ハリエット」
「――えっ?」
闇の魔術に対する防衛術の授業の後、ハリエットは突然ハリーに腕を引かれた。
「聞いてなかったの? ロックハートにサインをもらうって決めてたじゃないか」
「サイン? ハリーもロックハート先生のファンになったの?」
「何言ってるのさ!」
一向にかみ合わない会話に、ハリーは目を白黒とさせた。自分がロックハートのファンだなんて、スネイプのことが大好きだと思われることの次に嫌な勘違いだった。
「ポリジュース薬だよ。昨日その話ししたでしょ?」
「そうだったかしら?」
「ハリエット、最近おかしいよ。何だかぼうっとしてるし。大丈夫?」
「ええ……」
正直、ポリジュース薬がなんなのかも分からなかったが、ハリエットはひとまず頷いておいた。その方が事を荒立てずに済むと思ったのだ。
ハリー達四人は、いそいそとロックハートの下へ近づいた。彼は意味もなく教壇に残り、何かを熱心に読み続けていた。ハリーが覗き込むと、その羊皮紙の塊はファンレターの数々だと分かり、げんなりとなった。
ハーマイオニーは、緊張と興奮半々ほどの心情で、ロックハートに貸し出し用のサインをねだった。次々に彼女の口から飛び出してくるのは、ハリー達からすれば、蜂蜜でも吐き出したくなるような甘いお世辞の数々だった。だが、ハーマイオニーは誰よりも真剣にその言葉を口にしているのだということは、顔を見ずとも分かった。彼女の声には、ロックハートへの愛と尊敬が溢れていたからだ。
ロックハートをうまく欺し――ハーマイオニー曰く、先生は私を信用してサインをくれたのよ――禁書から本を借りるための準備が整った。ハーマイオニーはしばらくそのサインを惚れ惚れと眺めていた。
「で、ハリー」
サインを終えると、ロックハートは爽やかにハリーを見た。
「土曜日にシーズン最初のクィディッチ試合だね? グリフィンドール対スリザリン。君はなかなか役に立つ選手だって聞いてるよ。私もシーカーだった。もし軽い個人訓練を必要とすることがあったら、ご遠慮なくね。もちろん、君たちもだよ」
コホンと咳払いをし、ロックハートはハリエットやロン、ハーマイオニーを見た。
「ハリエット、君は……あー、そんなに箒が上手じゃないと聞いた。もし良かったら、私が教えようか?」
止めておけ、とハリーが言う間もなく、ハリエットはパアッと目を輝かせた。
「いいんですか!?」
「もちろんだとも。ハーマイオニーも、良かったらどうだい?」
「ほ、本当ですか?」
「ああ」
女の子達はもうメロメロである。ハリーとロンは顔を見合わせ、その後ろでゲーッと吐く真似をした。
女の子二人組は、金曜の午後の空き時間に練習することを約束して、ロックハートと別れた。二人はもう有頂天である。
「ロン、僕はもしかして悪夢を見ているのかな?」
「現実逃避するなよ、ハリー。気の毒だけど」
「ハリー、ロン、いい加減にして」
ハーマイオニーは小声で怒った。三人の先には、心なしか足取りの軽いハリエットがいた。
「ハリエット、このところずっと元気なかったでしょ? 少しくらい楽しみがあってもいいじゃない。水を差さないで」
「…………」
ハリーとロンは顔を見合わせ、同時にため息をついた。
*****
金曜の午後、ハリエットとハーマイオニーは張り切って湖の近くまで来ていた。ロックハートとの箒訓練の時間である。ハリーやロンも誘ったが、彼らが来るわけもなかった。女の子達の事は心配していたが、ついていけば、もれなくロックハートがついてくる。心配そうにしながらも、男の子達は決して頷かなかった。
「やあ、二人とも。早い到着で感心だ」
ロックハートは、いつもとは違って爽やかなブルーの裏地のローブを着ていた。いつもと雰囲気が違うので、ハリエットとハーマイオニーは顔を見合わせて笑った。得をしたと思ったのだ。
「早速始めようか。二人とも、さあ、箒に乗って」
ハリエットは、ドキドキしながら箒に乗った。もちろんハーマイオニーの方もだ。憧れの人に指導してもらうというだけでなく、ハーマイオニー自身、それほど箒が得意というわけではないからだ。
「うん、うん。二人とも上手だよ。もう少し上に行ってみようか」
一年次の練習の成果か、ハリエットもなかなかうまく飛んだ。ロックハートの指示に従って、湖の上をスイスイ飛んだ。ロックハートは、何かアドバイスをするというよりは、保護者のように後ろから見守るような形だった。しかし二人はそれで構わなかった。一緒に空を飛んでいるだけで素敵じゃないか!
ハーマイオニーと追いかけっこをしていたとき、ハリエットの箒が急にクイッと動いた。ハリエットは何もしていないのに。
最初は気のせいだと思った。自分のコントロールが悪かったのだろうと。だが、そう間をおかずにまた箒が勝手に動いた。今度はグンと上昇し始めたのだ。
「ハリエット? どうしたんだい? 私の授業に夢中になるのは良いが、少しはしゃぎすぎじゃ――」
ハリエットは、ロックハートの声を聞いていなかった。否、聞けるような状況ではなかった。暴れる箒に振り回され、今にも地上へ落下しそうになったのだ。
「ああっ」
両手で箒にぶら下がりながら、ハリエットは恐怖の声を上げた。ハーマイオニーが急いで近寄る。
「ハリエット、捕まって!」
ハリエットは必死に手を伸ばしたが、あと少しの所で、また箒がグンと上へ飛んだ。左右に揺れ、まるでハリエットを振り落としたいと箒が意志を持っているようだった。そしてそれは、見たことのある動きでもある。
そう、まるで、一年の時クィレルに箒を呪われたハリーのように――。
「きゃ――」
ハリエットの悲鳴が途中で途切れた。力尽きた腕が、箒から外れたのだ。
「きゃああああ!」
こだまする悲鳴と共に、ハリエットは急降下で地面に落下していった。せめて湖の上に着水できればと思ったのに、事はそううまくはいかない。だが、神様も少しは同情してくれたようで、途中で木にぶつかった。全身のあちこちを枝に傷つけられながら、ハリエットは地面に落下した。咄嗟に伸ばした右腕が地面に激突し、嫌な音を立てる。ハリエットは痛みに顔を歪めた。
「ハリエット!」
真っ青になってハーマイオニーが駆けつけた。
「ハリエット……ああ、どうしましょう!」
「うっ――」
身体を動かそうとすると激痛が走った。ハリエットは目に涙を浮かべて腕を押さえた。
「ロックハート先生! ハリエットを……」
「ああ、任せて」
ロックハートは腕まくりをした。
「下がって!」
ロックハートは杖を振り上げた。杖から閃光が放たれ、ハリエットの腕に真っ直ぐ突き当たった。
「ああああっ!」
ハリエットは一層痛みに身体をよじらせた。頭が真っ白になって何も考えられなくなる。
ハリエットの右腕は、見た目には何も変わらない。だが、何かが起こったことは明白だ。ハーマイオニーは信じられない思いでロックハートを見た。ロックハートは蒼白となっていた。
「あ……いや、これで治ったはずだが、どうかな、ハリエット?」
引きつる笑みを浮かべて、ロックハートはハリエットの腕を持ち上げた。再び激痛が走り、ハリエットは呻く。そして、眠るようにして気を失った。