■秘密の部屋
14:五人の見舞客
ハリエットは、真っ白な部屋の中で目を覚ました。この一年、おそらく自分のベッドよりもお世話になった場所だ。
「ハリエット!」
ベッドのすぐ側の椅子には、涙で顔をグシャグシャにしたハーマイオニーがいた。
「ああ、よかった。ハリエット! 目を覚ましたのね?」
ハーマイオニーはギュッと力強くハリエットの手を握っていた。彼女の後ろには、ロン、そしてハリーもいる。
「ごめんなさい……本当に、ごめんなさい」
ハリエットはハッとしてハーマイオニーに手を振るほどいた。
「何を言うの! あなたは操られてたのよ! 何も悪くないわ!」
「ごめんなさい……」
うわごとのように謝罪を繰り返すハリエットに、ハリー達は顔を見合わせた。私を見ないで、とでも言うようにハリエットはただ身を縮こまらせていた。
「少し、ハリエットと話をさせてくれんかの」
「ダンブルドア先生!」
思ってもみない見舞客に、三人は立ち上がった。
「ハリーや、三人で積もる話もあるじゃろう。少し外を歩いてきてはどうかね? その後で、校長室に来てくれると嬉しい」
「は、はい。分かりました……」
有無を言わせぬ口調にハリーは渋々頷いた。そして、また後で来るからと三人はハリエットに告げ、医務室を後にした。
マダム・ポンフリーが、しばらくして熱々のココアを二人分持ってきてくれた。
「おお、おお、ありがとう。疲れておるときにはこれが一番じゃな」
「すみませんでした」
マグカップを受け取りもせず、ハリエットは暗い顔で口火を切った。
「私が……私が、全部やったんです。私が皆を石にしてしまったんです。私が継承者です。私が秘密の部屋を開けたんです」
「分かっておる。全部分かっておるよ」
ダンブルドアが優しく円らな瞳を向けた。
「全部君の兄が解決してくれた。石になったものは一人残らず無事蘇生したし、後遺症もない。秘密の部屋は閉じられ、万事解決じゃ」
「でも……でも」
「あの日記はな、トム・リドルの記憶が封印されておった。これは知っておるな?」
「はい」
ハリエットは静かに頷いた。
「トム・リドルはヴォルデモートの過去じゃ。ヴォルデモートが学生の頃、秘密の部屋を開け、そして一人の女生徒を殺めた」
ダンブルドアは、ハリーから語られた真実を、そっくりそのままハリエットにも伝えた。
「ある者が、わしとハリー・ポッターの権威を落し、そして同時にヴォルデモートの権威を取り戻そうとした。そのために君は利用されたんじゃ。手荷物の中に日記を入れられ、君が日記に操られるようにした」
そして思い出したように付け足した。
「ハーマイオニーも言っておったな。まさしく、君はあの日記に操られておったんじゃ。処罰はなし。もっと年上の、もっと賢い魔法使いでさえ、ヴォルデモート卿にたぶらかされてきたのじゃ」
「私……」
ハリエットは唇を震わせた。
「ホグワーツに来るべきでは、なかったのかもしれません」
「組み分け帽子がグリフィンドールを選んだのじゃよ」
「私がお願いしたんです」
ハリエットはすぐに訂正した。
「ハリーがいるから、一緒の所が良いから、お願いしたんです……。絶対頑張るって言ったのに、私は、リドルの思うままに秘密の扉を開けてしまった。私に、勇気なんてなかった……」
日記を手放すことができず、誰かに相談することもできず、ただ一人で抱え込んでしまった。誰かに打ち明けるといういう勇気さえ持っていれば、こんなことにはならなかった。
「組み分け帽子は、本人に適性のないところは入れんよ。組み分け帽子が言っていた言葉を思い出すと良い。君には勇気がないと言っておったかね?」
「…………」
『それも一つの勇気かもしれんな』
組み分け帽子の声がぼんやりと頭に浮かんだが、その言葉が何に対するものかは思い出せなかった。
「最後に一つだけ聞いてもいいじゃろうか。ドラコ・マルフォイについてじゃ。先日、彼は廊下でぼんやりしていた所を発見された。スネイプ先生が言うには、忘却呪文をかけられた跡があると。何か心当たりはあるかの?」
「あ……」
ハリエットは小さく呟いた。喉が詰まって、一瞬声が出なかった。
「……ドラコは、私を助けようとしてくれたんです。ずっと前から、日記がおかしいってことに気づいていて、私から取り上げようとしていたんです」
「そうじゃったのか」
「それなのに、私は聞き入れようともせず、ずっと、日記を……」
「ハリエット、気に病むではない。闇の魔術に関する品には、そういう類いのものもある。宿主に、何としてでも手放させないように、あれこれと手を尽くすのじゃよ」
ハリエットは小さく頷いた。そうすることしかできなかった。
「話を聞かせてくれてありがとう。さて、わしは君を辛い目に遭わせた張本人にちとやらねばやらんことがあるのでな。この辺りでお暇させてもらおうかの」
ダンブルドアはマグカップをテーブルに置き、椅子から立ち上がった。
「ハリエット、君を心配している者はたくさんいる」
そう言い残すと、ダンブルドアは静かに去って行った。
*****
ダンブルドアが医務室を出ると、誰かが入り口に立っているのが見えた。スリザリンのローブを着た少年――ドラコ・マルフォイである。
「ドラコや」
ダンブルドアが声をかけると、ドラコは驚いたようにダンブルドアを見た。彼がここにいるとは思わなかったようだ。単に、医務室に――ハリエットの見舞いに行こうか悩んでいただけのようだ。
「ハリエットのお見舞いかの?」
ドラコが戸惑い気味に視線を逸らしたので、ダンブルドアはそれで答えを確信した。
「少し、わしに時間をくれるか?」
えっとドラコはまたもダンブルドアを見た。ドラコの目には、疑いと戸惑いがあった。だが、やがて彼は頷き、ダンブルドアの後に続いた。
校長室の前に来ると、ダンブルドアは躊躇いもなく大きな声で合い言葉を口にした。ドアが開き、二人は中へ入った。ダンブルドアは入って早々ドラコに椅子を示し、ドラコも腰を下ろした。
「さて、君はこれに見覚えがあるかの?」
ダンブルドアが手にしていたのは、一冊の黒い日記帳だった。サーッとドラコの顔色が悪くなる。
「これは闇の魔術に関するものじゃ。ルシウス・マルフォイ――君の父上のものじゃ」
ドラコは睨み付けるようにダンブルドアを見た。――二人きりの密室に呼び出して、何のつもりだろうか。僕を人質にして、父上を脅迫するつもりか?
「わしは、君をどうこうするつもりはないぞ」
ドラコの気持ちを察し、ダンブルドアはすぐに笑った。
「親は親、子は子じゃ。親がしでかしたことは親が責任を取るもの。親が英雄でも、子は英雄ではない。親が悪者でも、子は悪者ではない」
ドラコはすぐにダンブルドアが何を言いたいのか理解した。腹立たしい気持ちがふつふつとこみ上げてきた。ダンブルドアは、暗にドラコの父を貶しているのだと分かった。気分が悪かった。
「それで、何をおっしゃりたいのですか」
「君にも、事の真相を知っておくべきだと思っての」
ダンブルドアは柔らかい表情で両手を組んだ。
「ハリエットは君の友人じゃ。そうじゃろ?」
違う、と言いたかったが、その声は喉元で引っかかった。
「この日記帳はな、ヴォルデモートが学生時代作ったもので、その時の自分の記憶をこの中に封じ込めたのじゃ。そして、来たるべきときが来ると、秘密の部屋を開けようと画策しておった。ヴォルデモート本人からこの日記を譲り受けたルシウス・マルフォイは、ハリエットの手に日記が渡るようにした。ハリエットはリドルの記憶に操られ――秘密の部屋を開き、そして生徒を石にしていった」
「…………」
「そこにハリエットの意志はない。ハリエットは利用されたのじゃ。校長であるわしをホグワーツから永遠に追放し、そして生き残った男の子ハリー・ポッターの権威を落とすためにな。もしハリーがロンと共にこの日記を見つけておらなかったら、ハリエットが全ての責めを負うことになったかもしれん。ハリエットが自分の意志で行動したのではないと証明もできず、アズカバン送りになったかもしれん」
そこまで話したとき、校長室のドアがドンドンと乱暴に叩かれた。ダンブルドアは一度そちらを見、そしてドラコを見た。
「君の父上が来たらしい」
ドラコはヒュッと息をのんだ。ダンブルドアは手招きをして、ドラコを中央の大きな机まで導いた。そしてその下に潜り込むよう指示する。
「君がここにいるのを見たらルシウスは気を悪くするかもしれん」
ドラコが潜り込んだのを見て、ダンブルドアは屈んで彼ともう一度目を合わせた。
「君は幾度も、この日記をハリエットの手から取り上げようとしたらしいのう?」
ドラコは頷かなかった。ダンブルドアは目を細める。
「その時の勇気を、どうかそのままに」
そう言って笑うと、ダンブルドアは校長室の扉を開けた。