■秘密の部屋

16:時期遅れの


 ハリエットは、身体的には何の問題もなかったが、無理を言って翌日も医務室に留まった。ハーマイオニーや他の皆に合わせる顔がないと思ったのだ。にもかかわらず、ハーマイオニー達は暇を見つけて見舞いにやってきた。ハリエットは、ずっと毛布を頭から被って寝たふりをしていた。

 そんなことはハリー達にはお見通しのようで、元気づけるかのように三人は代わる代わるベッドの上の盛り上がりに話しかけた。

「もう皆問題ないよな? ハーマイオニーだってこんなにピンピンしてるし」
「ええ。むしろ、前よりも元気になったくらい」
「ジャスティンなんか、石にされたときのことを武勇伝みたく吹聴してるぜ」

 ハーマイオニーがしかめっ面でロンを叩いた。ロンは何がいけないのか分からないといった顔をした。

「ハリエット、気にしちゃ駄目だって」

 ロンは腕を組んで、大袈裟に頷いた。

「ほら、ポジティブに考えようぜ。事件があったおかげで、試験がなくなった! 皆大喜びだぜ?」

 今度はハリーがロンを叩いた。ロンは素っ頓狂な顔をする。

「さっきから何だよ! 痛いな!」
「ハリエット、今日はこのくらいにしておくわね。また明日も来るから」

 ハーマイオニーは、ロンの首根っこを掴んで、ズルズル医務室の外まで引っ張っていった。談話室へ向かいながら、ロンをギロリと睨み付ける。

「ロン……あなたデリカシーがなさすぎよ」
「明日はロン抜きで行こう」
「そうね、それがいいわ」
「どういう意味だよ、それ!」

 ロンは真っ赤になって怒った。

「そういう意味よ。もう秘密の部屋のことでハリエットに何か言おうとしないでね」
「えっ、どうしてだよ!」
「まだ分からないの!?」

 口論して去って行く三人を、一つの影がすぐ側で見ていた。医務室の入り口まで近寄り、どうしたものかとその場でウロウロする。

「あら、あなたもお見舞いですか?」

 マダム・ポンフリーは、彼の緑色のローブを見て目を見張った。彼はしばらく戸惑ったように立ち尽くしていたが、やがて頷いた。

「さっきも他の生徒が来てましたから、早めにお願いしますね。疲れてるでしょうから」

 ドラコは、静かに医務室の中に入った。そして、一つだけカーテンの閉じられたベッドを見て、そこに近づく。

「……開けるぞ」

 返事はなかったが、ドラコは細くカーテンを開け、中に身を滑り込ませた。

 ベッドの上には、こんもりとした盛り上がりがあった。毛布を頭から被っているので、その顔は見えない。寝ているのかとも思ったが、張り詰めたような緊張が漂う雰囲気で、おそらく起きているとドラコは悟った。

 ドラコは、傍らに置かれた椅子に腰掛けた。ギシッという音が静かな医務室に響く。

 しばらく、ドラコは身動きもしなかった。どう話したものか、何から話すべきか、考えあぐねていた。彼の戸惑いを余所に、先に口火を切ったのはハリエットの方だった。

「……ごめんなさい」

 毛布の中から、くぐもった声がした。

「どうしてお前が謝るんだ?」

 ドラコは純粋に尋ねた。

「謝るのは……」

 ドラコの声が掠れる。ドラコは拳を握りしめた。

「謝るのは、僕の方だろう……」
「――どうして?」

 全く分からないといった声色で、ハリエットが聞き返した。それに驚くのはドラコの方だ。

「僕の父上がやったことだ。父上が、お前の荷物の中に日記を滑り込ませたんだ。僕の、父上が……」
「…………」

 ハリエットはしばらく押し黙った。考えるように目を瞑る。だが、考えても考えても――ドラコの言っている意味が分からなかった。

「あなたはあなたでしょう?」

 ドラコはひしと固まった。つい最近、誰かに同じようなことを言われて気がした。しかしドラコは思い出せなかった。

「ドラコは、私を助けようとしてくれたじゃない。何度も日記を捨てようとしてくれた……それなのに、私は……」
「悪いと思っているのなら」

 ドラコは、何も考えずに早口で言った。

「何をすべきか、お前は分かっているだろう」

 しかし、すぐにはたと気づく。己が何か口走ったかに。

 柄にもないことを言ってしまったと、ドラコは顔を顰めて立ち上がった。そのまま暇も告げずに荒々しく医務室から出て行けば、『医務室ではお静かに!』というマダム・ポンフリーの声が追いかけてきた。

 ドラコは、がむしゃらにあてもなく歩きながら、ふつふつと沸き起こる何かに苛立っていた。

 思い起こされるのは、かつて城の外で箒から落ちたハリエットとハーマイオニー、ロックハートと遭遇したときのこと。そこでハーマイオニーに謝られた。シーカーの件で、失礼なことを言ってしまったと。

 正直なところ、ハーマイオニーに謝罪の言葉を口にされたとき、ドラコは負けたと思った。何に対しての敗北感かは分からない。とにかく、悔しく思った。そして今回も、先にハリエットに謝られて、ドラコはやり場のない思いに囚われた。


*****


 ドラコが出て行った後、ハリエットはすぐにマダム・ポンフリーに退院の許可をねだりに行った。もともと、既にハリエットの体調は万全だったのだ。急な心変わりに訝しげな顔をされたものの、ハリエットはすぐに医務室から出ることを許された。

 ハリエットは、迷いなくグリフィンドールの談話室に向かった。夕食後のこの時間は、間違いなく談話室にいるはずだ。

 太った婦人の肖像画を抜けると、思った通り、そこにはハリー達三人組の姿があった。周囲の目も気にせず、ハリエットはその中に飛び込み、ハーマイオニーに抱きついた。

「ハーマイオニー、ハーマイオニー!」
「ハリエット?」
「ごめんなさい、私のせいでごめんなさい……」

 子供のように嗚咽を漏らしながら、ハリエットは何度も謝罪した。ハリー達は始めは当惑していたが、ハリエットを宥めながら、ハリー達の寝室に連れて行った。

「恐い思いをさせてごめんなさい……。説得してくれたのに、私、何もできなくて――」
「そんなこと……」

 ハーマイオニーがポンポンと優しくハリエットの背中を叩く。それが余計にハリエットの涙腺を緩ませた。

「ロックハート先生のこともごめんね……。折角元気づけようとしてくれたのに……」
「あー……あれはいいのよ。私も少し頭が冷えたというか……冷静になれたというか……」

 自分の頭上で、ロンとハリーが曰くありげに視線を交わしたことにハリエットは気づかなかった。

「ハリー……」

 ハリエットは恐る恐るハリーを見上げた。

「私のせいで、継承者だって疑われて……本当にごめんなさい」

 ハリエットはポロポロ涙をこぼした。

 ハリーにはハーマイオニーというマグル生まれの友達がいて、そんな彼がマグル生まれを襲っていると疑われることすら辛いのに、周りから畏怖の目でずっと見られていたのだ。本来なら、それはハリエットが受けるべき立場だったのに。

「気にしてないよ」

 ハリーは笑った。いつもと変わらない笑顔だった。

「ハリエットが無事なら、それでいいんだ。本当に、何もなくて良かった」
「ごめんね……本当にごめんね……」

 その日、ハリエットは赤ん坊のようにずっと泣いていた。就寝時間になっても鼻をすすっていたので、ハーマイオニーは呆れて笑っていた。


*****


 翌日以降、ハリエットは、被害者一人一人に謝って回った。箝口令が敷かれ、継承者がハリエットだったというのは、知られていないことだった。だが、ハリエットが石にしてしまった人たちには、知る権利がある。

 ハリエットは、ミセス・ノリスにも、コリンにも、ジャスティンにも、ほとんど首無しニックにも、ペネロピーにも謝って回った。

 ペネロピーは、『勇気を出してくれてありがとう。代わりに私も秘密を教えるわ』と言って、パーシーと付き合っていることを教えてくれた。ほとんど首無しニックは、『あなたにもぜひ私の絶命日パーティーに参加して頂きたかった』とウインクしてくれた。ジャスティンは、むしろ石にされたときのことをもっと事細かく聞きたがって、熱心に操られていたときのことを聞いてきた。コリンは、『僕と一緒にツーショットを撮ってくれたら許します!』と宣言し、ツーショットを撮った後で、『やっぱりサインも……』とおずおずと写真を差しだしてきた。ミセス・ノリスはなかなか見つからなかった。警戒しているのか、ハリエットと遭遇するたび、彼女はすたこらと逃げてしまうのだ。ハリエットは足繁く彼女の元に通って、何度も謝罪をした。始めはうんざりだと言わんばかりにあしらっていたミセス・ノリスだが、最後には目を合わせて鳴いてくれた。許したと言ったように聞こえたのは、ハリエットの自惚れだろう。

 それからは、あっという間に時が過ぎていった。期末視線がキャンセルされたので、その分何の心配事もなく日々を過ごすことができた。

 あれよあれよという間に、ホグワーツ特急で家に帰るときが来た。

 プラットフォームで、ハリエットは終始ソワソワしていた。ハリーはそんな彼女を訝しんで、どうかしたのかと聞いたが、ハリエットは用事を思い出したと、ハリー達を先に行かせた。後で合流することを約束して、ハリエットは一人プラットフォームに佇んだ。

 もう乗ってしまったかもしれないともハリエットは思った。でも、待つだけ待ってみようと思った。汽車が動き出してしまったら、コンパートメントを一つ一つ探し歩く勇気はない。

 ハリエットは、最後にドラコと一言話したかった。とはいえ、ふくろう便で呼び出すほどのことでもなく、かといって手紙で終わらせるようなことはしたくなく――そんな矛盾した気持ちを抱えて、今の今まできていたのだ。

 待ち人は、思いのほか早くやってきた。いつものように、後ろにクラッブとゴイルを従えている。

「ドラコ」

 ハリエットは躊躇いがちに声をかけた。スリザリンの友達の前で声をかけることは、ひょっとしたらドラコはいい顔をしないかもしれない。

「先に行け」

 ドラコは、クラッブとゴイルにそう促した。二人は抵抗なく頷き、トランクと共に汽車に乗り込む。

「何の用だ?」
「――ありがとう」

 開口一番、ハリエットはそう口にした。

「本当に、一年間ありがとう」

 もっと言いたいことはあったが、胸が一杯になって、ハリエットはそれ以上何も言えなかった。黙ってドラコの腕を取り、彼の手にあるものを押しつける。

「これ――ふくろう便で渡そうかとも思ったんだけど、今の時期だと目立つかと思って、それで、その……」

 もごもごと尻すぼみにハリエットの声は小さくなっていく。

「じゃあね! また手紙送るね!」

 気恥ずかしそうに手を振って、ハリエットは汽車に飛び乗った。ハリー達のコンパートメントを探すことにわざと熱中して、自分の行動を早く忘れ去ろうとした。

 ハリエットが押しつけたのは、時期遅れのバレンタイン・カード。

『あなたが友達で良かった』

 ハーマイオニーからもらったカードに、ハリエットはそうしたためていた。ハリエットのひたむきな感謝の気持ちだった。


秘密の部屋 完結