■アズカバンの囚人

01:マージ襲来


 ホグワーツに入学してから、二回目の誕生日を、ポッター家双子は二人で一つの小さな寝室で迎えようとしていた。

「ヘドウィグ、全然帰ってこないわね」
「うん」

 仄かな月明かりの中、肩を並べて一緒に宿題をやりながら、双子はボソボソ会話した。

「でも、大丈夫だとは思うけどね。前からこういうことよくあったし」
「そうね。ヘドウィグは賢いもの」

 放し飼いにしたウィルビーを撫でながら、ハリエットは微笑んだ。

「寂しいことは寂しいけどね。うまくやってるんだろうけど、やっぱりウィルビーみたいに側にいて欲しい」
「この子は甘えん坊だから」

 ハリエットはクスクス笑った。賢いヘドウィグとは違い、ウィルビーは滅多にハリエットから離れなかった。ハリエットが手紙を託すときですら、すごく嫌そうに、悲しそうにするのだ。だから主人思いが故に任務に忠実なヘドウィグが代わりにと立候補することがあるほどだ。目に入れても痛くないほどハリエットはウィルビーを可愛がっているが、さすがにこの時は苦笑いしか出なかった。

「そろそろ眠くなってきた」
「そうね。もう寝る?」
「うん……」

 『普通でないこと嫌い』のダーズリー家の目を避けるため、二人は夜にこっそり魔術学校の宿題をするしかなかった。おかげで毎日寝不足である。昼はダーズリー家のために働き、夜は宿題をこなし……。これのどこが夏休みなのだろうとつくづく思う。

 だが、この日は違った。もう寝ようと身支度をしていたとき、開け放った窓から、四羽のふくろうが飛び込んできたのだ。

 今にも死にそうなふくろうはウィーズリー家のエロールである。急いで水をあげ、足に結んであった紐を解いた。

 ヘドウィグもいた。ハリーは彼女にも水をやろうとしたが、水には目もくれず、ハリーの指を甘噛みした。僕も会いたかったよとハリーは呟く。

 ハリエットは森ふくろうの世話をした。彼はホグワーツの校章のついた手紙を運んでいた。軽く流し読みをすると、新学期のお知らせと、ホグズミード村に行くには許可証に保護者の署名をもらうようにと記載されていた。許可証は一緒に同封されている。

「あれ、もう一羽部屋に飛び込んでこなかった? 四羽部屋に来てたよね?」
「ええ……確かにそうね」

 いつの間にか、最後の一羽がどこかへ行ってしまっていた。荷物を届けたらすぐ帰るように言われていたのだろうか。

 キョロキョロ部屋を見回すと、ベッドの上に四角い包みが落ちていた。手紙も紐で縛られている。

 宛名はハリエットの名前で、しかし差出人の名前はなかった。包みを開くと、現れたのは一冊の本だ。『箒との寄り添い方〜私、実は高所恐怖症でした〜』というタイトルで、ハリエットは一目で誰からのプレゼントなのか察しがついた。嫌味なのか、親切心なのか一瞬疑ったが、やはり嫌味だとハリエットは判断を下した。

 ドラコからの短い手紙を読みながら、彼の誕生日には、この前本屋で見かけた『素直になれない人がやるべきこと五十選』を贈ってあげようと思った。

 エロールはロンからのエジプト土産と手紙、ヘドウィグはハーマイオニーからの手紙と誕生日プレゼントを携えていた。二人はしばし無言で手紙を読みふけった。

「ロン、エジプト旅行だって」
「すごいわね。このスニーコスコープっていうのもすごそう。怪しいものに反応するらしいわ。いつも持ち歩かないと。……ハーマイオニーはフランスですって」
「フランスかあ。想像もつかないや」

 ハリエットは、ハーマイオニーからハリーへのプレゼントである、大きな包みをチラリと見た。

「箒磨きセット、良かったわね。これでますますクィディッチに身が入るでしょう?」
「当たり前だよ。今年こそ優勝目指すよ」
「ハリーなら大丈夫よ」

 その他にも、ハグリッドから、『怪物の本』とやらが送られてきた。嫌がらせではないだろうに、まるでそうとしか思えないような、独りでに主人を噛みつこうとする本だった。二人は力を合わせて本を押さえつけようとしたが、その暴れようと言ったら癇癪を起こしたダドリーのようだった。困り切ったハリエットが、動物と遭遇したときの癖で、宥めるように背表紙を撫でたら、面白いくらいにピタリと本は静かになった。チャンスとばかり、本にベルトを締め、事なきを得た。


*****


 夜は最高だったのに、朝になると最悪になった。なんと、バーノンの妹のマージがやって来るというのだ。ブルドッグのブリーダーをしていて、頻繁にダーズリー家に来るわけではないが、その時々にぶち当たるといつも双子の神経はやられた。ハリーの向こうずねを杖で叩いたり、ハリエットに趣味の悪い服を着せて笑ったり、思い出すだけでもため息が出るようなことばかりだった。

 バーノンは、ハリー達がマージに対し粗相をしないよう口を酸っぱくして言った。あまりにうるさいので、二人は逆にそれを条件にお願い事をした。何事もなくマージが一週間滞在すれば、ホグズミード村に行くための許可証に署名をして欲しいということだ。快く、なんて表現とはかけ離れていたが、とりあえずはバーノンはこれを了承してくれた。

 ホグズミード村とは、魔法使い、魔女しか住まない村だ。おいしいお菓子がたんまり売られているハニーデュークスやフレッド、ジョージの御用達である悪戯専門店、バタービールが有名な三本の箒など、胸躍るお店がたくさんある。ホグワーツでは三年生になると、たびたびホグズミード村へ行ける日が指定されるのだが、保護者から許可証にサインをもらわなければ、そもそも行くことすらできない。

 誠に残念ながら、ハリー達にとっての保護者はバーノンとペチュニアだった。夏に雪が降る程のことが起こらない限り、二人が快く許可証にサインをくれることはまずないので、こうした機会を逃す手はないのだ。

 許可証のサインのため、『普通の人』らしくすることを目指す双子は、学校の宿題を床板に隠し、ふくろうは籠から出して、ロンの所に避難してもらうことにした。

 ウィルビーはひどく悲しんだし、ヘドウィグだって、恨みがましい目つきだ――それはそうだろう、ウィルビーはともかく、ヘドウィグは仕事を終えてようやくハリーに会えたばかりなのに――だが、ホグズミードのためにはこうするしかなく、泣く泣くふくろう達を空へと解き放った。

 バーノンの迎えで、マージはすぐにやってきた。双子は嫌々ながら彼女を出迎え、ハリエットがドアを開け、ハリーが荷物を預かった。まるでここだけホテルのようだった。

 ハリーが荷物を二階に上げている間に、ハリエットはフルーツケーキと紅茶を出した。ブルドッグのリッパーにも皿に茶を入れて出した。いくらペットとはいえ、リッパーの食べ方はお世辞にも綺麗とは言いがたかった。彼の後始末のももちろんハリエットの仕事だ。

 ハリーが席に着くと、マージは早速彼に的を絞った。

 ハリーがどこの学校に行ってるのかだの、そこではしっかり鞭に叩かれているのかだの、マージはハリーがどれだけ痛めつけらているかという話を聞くのが趣味のようだった。

「カップが空いてんだろう。早くおかわり持って来な。ったく、気が利かない子だねえ」

 マージがテーブルを叩くので、ハリエットは慌てて茶を入れた。

「あんた、その服どうしたんだい」

 マージの注意はハリエットに移った。

「やけに小綺麗な格好をして、え? そんなことに無駄遣いしてるんじゃないよ。誰のおかげでバーノンん所で何不自由なく生活できてると思ってんだ。私がやった服も着ずに、色気ばっか出しちゃって。一体誰に似たんだろうねえ?」

 マージはハリエットの服を引っ張った。魔法界でマグルらしい服を購入したり、ハーマイオニーと一緒にお買い物したりと、ハリエットもなかなか見た目にはマージのお気には召さないらしい。

 だが、マージの小言はそれだけに留まらない。滞在中、彼女は散々双子をこき下ろした。一日、二日と経つうちに、ハリーはカレンダーに大きく×をつけた。マージがいなくなるのが心から待ち遠しかった。

 ようやくマージの滞在最終日がやってきた。願ってもない日だった。とはいえ、油断はできない。夕食まではなんとかこぎつけたのに、話題はハリー達の両親に移ったのだ。

「母親はとんだ出来損ないだったんだね。どこの馬の骨とも知らない奴と駆け落ちして、結果はどうだい。目の前に二人もいるよ」

 マージは顎でしゃくり、ハリーとハリエットを示した。

「父親は何をしてたんだ」
「ポッターは――働いてなかった」

 バーノンはチラチラハリーを見ながら言った。

「失業者だった」
「そりゃそうだろうね!」

 マージはテーブルを叩いた。

「文無しの、役立たずの、穀潰しの――」
「違う!」

 咄嗟にハリーは叫んだ。一瞬テーブルが静まりかえるが、バーノンがそれを誤魔化すように声を張り上げた。

「ブランデー、もっとどうだね!」
「言うじゃないか」

 しかしマージは騙されない。真っ直ぐ鷹のような目でハリーを見ていた。

「続けてごらん。親が自慢なのかい? ろくでなしの親が? 親が親なら、子も子さね。生意気に育ったな? だが残念。その親は勝手に車をぶつけて死んじまった。呆気なくね。どうせ酔っ払い運転の――」
「自動車事故じゃない!」
「嘘つき小僧め! 厄介者のお前を引き取ったバーノンに感謝するんだね! お前達は礼儀知らずで、恩知らずで――」

 マージは突然黙った。と思ったら、彼女はみるみる膨れた。目を疑った。顔も、手も足も腹も、どこかしこも全てぷっくり膨らんでいるのだ。服のボタンが弾け、上着のベルトがギリギリ音を立てる。

「マージ!」

 誰かが叫んだ。

 マージは、もはや宙に浮いていた。天井にぶつかり、苦しそうなうめき声を漏らす。ハリーは鼻息荒くして、キッチンを出て行った。

「は、ハリー……」

 ハリエットは慌てて声をかけたが、ハリーは悲しそうに一瞬目をやるだけで、すぐに寝室に続く階段を上がっていく。

「待て! 待つんだ!」

 バーノンはハリエットを押しのけ、階段を登った。ハリエットも慌てて後を追う。

 ハリーは、いつでもここを出られるようにまとめていたトランク二つを手に立っていた。言わずもがなハリーとハリエットの分である。

「なんてことをしてくれたんだ」

 地響きのような声が鳴る。

「当然の報いだ」

 ハリーはカンカンに怒っていた。振り返れば、同じくらい怒れるバーノンが入り口に立っていた。

「自業自得だ。こっちに来るな」
「お前!」

 顔を真っ赤にしたバーノンが、すぐ近くにいたハリエットの髪を掴んだ。

「痛っ!」
「小娘! じゃあお前がどうにかしろ! マージを元に戻すんだ!」
「ハリエットを放せ!」

 ハリーはカッとなってバーノンに杖を突きつける。

「放せ!」

 蒼白となって、バーノンは手を離した。数歩後ずさると、ハリーに道を空ける。

 トランクを二つ持って、ハリーは部屋を出た。ハリエットも逃げるようにして彼の後をついていく。誰かの嘆きの声が部屋中に響いていた。