■アズカバンの囚人

06:ルーピンの授業


 ドラコの一件で、学校の理事にも知らせが入った。ハグリッドはひどく消沈していた。今はもう理事ではないが、ドラコの父ルシウスは、息子が怪我をさせられたと聞くと、カンカンに怒っていたという。

「俺はもう退職だ……授業を止めさせられるばかりか、森番だってきっと止めさせられる。ああ、ダンブルドアになんて言えば良い? 顔向けなんざできねえ」

 ハグリッドがあまりに落ち込んでいるので、ハリー達も何とかしたいという思いはあれど、現状励ますという手段しかなかった。

 怪我をしたドラコは、木曜日の昼近くまで現れず、スリザリンとグリフィンドール合同の魔法薬学の授業の途中でようやく姿を見せた。包帯を巻いた右腕を釣り、ふんぞり返って地下牢教室に入ってきたのである。

「ドラコ、どう?」

 パンジーがいち早く怪我の様子を聞く。

「ひどく痛むの?」
「ああ」

 ドラコは勇敢にも痛みに耐えているようなしかめっ面をした。

「座りたまえ、さあ」

 スネイプの言葉にドラコは迷いなく席に座った。ハリーとロンのすぐ隣に。二人はゲッと顔を盛大に顰めた。

 ドラコの行動を特に気にする様子もなく、スネイプは授業を開始した。今日は新しい薬で『縮み薬』を作っていた。

「先生」

 ドラコがわざとらしく悲しそうな顔になった。

「僕、ヒナギクの根を刻むのを手伝ってもらわないと、こんな腕なので――」
「ウィーズリー、ドラコの根を切ってやりたまえ」
「ええ!」

 ロンは思いきり嫌そうな声を上げる。ハリエットは振り返った。

「私がやるわ」

 そしてドラコの根を奪い取るようにして取り上げた。

「ど、どうしてハリエットが」

 動揺したようなロンの声は無視した。黙って後ろのテーブルで根を丁寧に切り刻んだ。

 萎び無花果の皮を剥く行程でも、ドラコは嫌みったらしく声を上げた。またしてもハリエットが奪い取った。

 そして綺麗に剥いた後、無花果をドラコに渡しながら、顔を近づけた。

「ねえ、怪我はどう?」
「見れば分かるだろう?」

 自分の思惑が思った通りにいかなくて、ドラコは機嫌が悪そうだった。

「野蛮な獣に襲われたせいで、全治一ヶ月だと」
「理事に話がいったと聞いたわ。あの……あなたの口添えでなんとかならないかしら? ハグリッドも、ひどく落ち込んでいたの。あなたのことを心配していたわ」
「父上は、僕のことを心底大切に思ってくださっている」

 隣のロンがウゲッと顔を顰めて見せた。

「だからきっとヒッポグリフはこのままじゃいられない」
「君がハグリッドの忠告も聞かずに、バックビークを侮辱したのがいけないんだろ」
「授業に関係のない話はするな。グリフィンドール五点減点」

 ハリーが声を荒げれば、テーブルを通り抜けざまにスネイプが減点していった。まるで風のように滑らかで素早い動きだった。

 しばらくは皆無言で調合していた。しかし元気溢れる十三歳がジッと黙っていられるわけもなく。

「おい、ハリー。聞いたか? 今朝の日刊予言者新聞――シリウス・ブラックが目撃されたって書いてあったよ」

 シェーマス・フィネガンが、ハリーの真鍮の台秤を借りようとしたときに囁いた。

「どこで?」
「ここからあまり遠くない」

 シェーマスは興奮していた。

「マグルの女性が目撃したんだ。モチ、その人は本当のことは分かってない。ブラックが普通の犯罪者だと思ってて、捜査ホットラインに電話したんだ。魔法省が現場に着いたときにはもぬけの殻さ」
「ここからあまり遠くない、か……」
「ポッター、一人でブラックを捕まえようって思ってるのか?」

 ドラコが急に口を挟んだ。

「僕だったら、もう既に何かやってるだろうな。良い子ぶって学校にジッとしてたりしない。ブラックを探しに行くだろうな」
「マルフォイ、何を言い出すんだ?」
「ポッター、まさか知らないのか?」

 ドラコはグレーの瞳を細めて、囁くように言った。

「君は吸魂鬼に任せておきたいんだろうが、僕だったら復讐してやりたい。僕なら自分でブラックを追い詰める」
「一体何のことだ?」

 ハリーは怒った。しかし、スネイプの声がして、口を閉じるほかなかった。それ以降、ハリーはドラコの言葉の意味を問う機会はなかった。***** 午後は闇の魔術に対する防衛術の最初の授業だった。生徒たちが机の上に教科書や羽根ペン、羊皮紙を出して準備をしていると、やや遅れてルーピンが教室に入ってきた。

「やあ、みんな。教科書は鞄に戻してもらおうかな。今日は実地練習だ。杖だけあれば良いよ」

 それだけ言うと、ルーピンは教室を出た。ルーピンは誰もいない廊下を通り、角を曲がった。そこにはポルターガイストのピーブズがいたが、ルーピンは手慣れた様子で彼を追い払った。まさに『闇の魔術に対する防衛術の先生』らしい素晴らしい魔法だったので、生徒たちは皆彼を賞賛した。

 ルーピンが入ったのは職員室だった。そこにはまだスネイプが残っていて、ルーピンに対して捨て台詞を吐いた。

「ルーピン、多分誰も君に忠告してないと思うが、このクラスにはネビル・ロングボトムがいる。この子には難しい課題を与えないようご忠告申し上げておこう」

 ネビルは顔を真っ赤にさせた。ハリーはスネイプを睨み付けた。自分のクラスでさえネビルをいじめるのに、他の先生の前でも貶めるなんてとんでもない話だ。

 だが、ルーピンは飄々としていた。

「最初の授業ではネビルに僕のアシスタントを務めてもらいたいと思ってましてね。それに、ネビルはきっととてもうまくやってくれると思いますよ」

 スネイプは唇を捲れあげさせ、そのまま職員室を出て行った。

「さあ、それじゃあ」

 ルーピンは改まって生徒たちの前に向き直った。ルーピンの側には、教師が替えのローブを入れる古い洋箪笥が置かれていた。箪笥はわなわなと揺れていた。

「中にはまね妖怪――ボガートが入ってるんだ。ここにいるのは、昨日の午後に入り込んだ奴で、三年生の実習に使いたい方先生方にはそのまま放っておいていただきたいと校長先生にお願いしたんですよ」

 それから、ルーピンはまね妖怪は何かと問いかけた。ハーマイオニーが手を上げ、ルーピンが指名した。

「形態模写妖怪です。私たちが一番恐いと思うのはこれだと判断すると、それに姿を変えることができます」
「私もそんなにうまくは説明できなかっただろう」

 ルーピンはにっこり笑い、ハーマイオニーも頬を染めた。

「こっちは人数が多いから、ボガートは誰の恐いものに変身すればいいのか分からず、だからこそ初めから私たちの方が有利なんだ。ボガートを退治するときは誰かと一緒にいるのが一番良い。退散させる呪文は簡単だ。こいつを本当にやっつけるのは笑いなんだ。君たちはボガートに滑稽だと思える姿を取らせる必要がある」

 ルーピンの後に続いて、『リディクラス』という呪文を何度か練習した。その後は、ネビルがアシスタントとなってまずボガートを退治することになった。

 ネビルの一番恐いものはスネイプだった。皆が爆笑する中で、ルーピンは彼にボガートの退治方法を伝えた。

 そしてルーピンがボガートを箪笥から出したとき、予想通りボガートはスネイプになった。ネビルは青い顔をしていたが、大きな声で『リディクラス』を唱えた。すると、『普通の』スネイプだったのが、てっぺんに剥げたかの剥製がついた帽子に、緑色の長いドレス、赤いハンドバックを手にしたスネイプに変化した。――ネビルは、いつも祖母がしていた格好をスネイプにさせたのだ。

 ネビルがうまくいったので、ルーピンは次々に他の生徒にもボガート退治を経験させた。列になって並び、生徒たちがスムーズに対峙していく中、いよいよハリーの番が来ると、急にルーピンがボガートとの間に割って入った。ボガートは銀色の丸い水晶玉のようなものに変化をしたが、ルーピンが呪文を唱えるとそのままボガートは破裂し、細い煙の筋になって消え去った。

「よし、皆よくやった!」

 ルーピンは対峙した生徒を褒め称え、皆に十点ずつ与えた。

 ハリーただ一人は、どうして最後僕に対峙させてもらえなかったのだろうと落ち込んでいたが、ほとんどの生徒はそのことを気にしていなかった。

 こうして、ルーピンの『闇の魔術に対する防衛術』は、たちまちほとんど全生徒の一番人気の授業になった。