■アズカバンの囚人

07:双子のお留守番


 待ちに待った第一回目のホグズミード週末は、初めてホグズミードに行く三年生達の心を躍らせた。ロンやハーマイオニーもその類に漏れず、ずっとソワソワしていた。対するハリーとハリエットは、すっかり落ち込んでソファに座り込む。

「二人とも、きっとこの次には行けるわ。ブラックはすぐ捕まるに決まってる」
「ハリー、マクゴナガルに聞けよ。今度行って良いかって」

 ロンの忠告に従って、ハリーは無謀にもマクゴナガルに奇襲を仕掛けたが、無残にも敗れて帰ってきた。

 そしてハロウィーンの朝、普段通り取り繕いながらも、どこか気落ちした様子で玄関ホールで友達二人を見送ることになったのだ。

 お土産買ってくると言い残して、ロンとハーマイオニーは出掛けていった。

「ねえ、ハグリッドの所に行かない?」

 少しでも楽しい気分になりたくて、ハリエットはハリーを誘った。しかし彼は力なく首を振る。

「僕はいいや。それに、もう遊びに行っちゃいけないって言われたじゃないか」
「暗くなってからは駄目だって言われたのよ。今は充分明るいわ」
「でも、そんな気分になれない。僕は談話室に戻ってるよ」

 すっかりしょげかえってハリーは校内に入っていった。ハリエットはしばらく迷っていたが、兄の後は追わなかった。一人になりたい気分なのだろう。

 自分だけでもハグリッドの所に行こうと、ハリエットは玄関ホールからそのまま小屋に向かった。有り難いことに吸魂鬼の姿はなかった。ハグリッドの小屋に行くだけであの凍えるような心地を味わわないといけないと思うと、更に気が沈み込むのだ。

 小屋の扉を叩いたが、ハグリッドは不在だった。しばらくファングと戯れた後、ハリエットは小屋の前に座り込んだ。何だか何もしたくない気分だった。

 ぼんやりしていると、視界の隅で、何か黒いものが森で蠢いた。それは禁じられた森の方向で、ハリエットは思わず立ち上がった。

 ハグリッドには、森は危険な生物で一杯だと言われていたので、ハリエットは少し恐くなる。逃げようと思えば、逃げられる。ハグリッドの小屋はすぐ側だし、閉じこもれば何人も入ってこられない――とは思う。

 だが、よくよく目を凝らしてみて、ハリエットは拍子抜けした。驚きと困惑と、そして歓喜だ。

「スナッフル?」

 そこにしたのは、黒い犬だった。毛並みは相変わらずボサボサで、しかし尻尾は嬉しそうに上下に揺れている。スナッフルは真っ直ぐハリエットを見つめていた。

「やっぱりスナッフルね! どうしてここに?」

 ハリエットが近づくと、スナッフルは戸惑ったようにその場をウロウロしたが、やがて少しずつ自分もハリエットに近づいてきた。

「おいで……ああ、本当に会えて嬉しいわ。ねえ、どうやってここまで来たの?」

 返事が返ってくるわけもないが、そう聞かずにはいられなかった。初めて見つけたのがダーズリー家の近くで、そしてここは魔法界のホグワーツだ! ハリエットは、ホグワーツ特急か、空飛ぶ車でしかホグワーツに来たことがない。どうやってただの犬がここまで来たというのだろう。

「あなた、やっぱり普通の犬じゃなかったのね」

 ハリエットがそう声をかけると、スナッフルは気まずそうに唸った。

 彼を見ていると、ハリエットにはやはりどうしてもグリムには思えなかった。死神犬と言われる犬が、こんなに激しく尻尾を振るわけないじゃないか!

「相変わらず細いわね……。後で食べ物を持ってくるわ」

 今日はハロウィーンだ。夕食にはたくさんご馳走が出るはず。そこからチキンを拝借しようと考えた。
スナッフルの頭を撫でていると、どこからかニャアと可愛らしい鳴き声が聞こえてきた。ハリエットが動く前に、足下にクルックシャンクスのオレンジ色の毛を見た。

「クルックシャンクス! どうしてここに?」

 クルックシャンクスは、賢そうな瞳でスナッフルの側に寄った。まるで相棒のように並び立つ二匹に、ハリエットは目を瞬かせた。

「もしかして、二人って友達なの?」

 言葉が分かるように、クルックシャンクスは甲高く鳴いた。思わずハリエットはむうっと唇を尖らせた。

「何だか妬けちゃうわね……」

 ハリエットは、スナッフルのことを友達だと思っていたし、クルックシャンクスもとても大切に思っていた。その二人が、ハリエットの知らないところで仲良くしていたなんて、驚いたし、少し寂しい。

「ハリエット?」

 その時、ハグリッドの声がした。ハリエットが返事をする間もなく、スナッフルは驚いたように飛び上がり、そして慌てて森へと戻っていった。

「ここで何しとんだ?」

 やがてハグリッドが姿を見せた。やはり校内に何か用事があったようで、城の方から戻ってきていた。

「あー、えっと……」

 ハリエットは何故だか気まずく思った。後ろめたいことは何もないはずなのに。

「犬が、いたから……」
「犬?」

 ハグリッドはコガネムシのような瞳を大きくした。

「森に犬なんておったかな……。まあ、とにかく昼間でもこんな所にいたら危険だ。早く帰るんだ」

 ハグリッドに促され、ハリエットは渋々その場を後にした。


*****


 ハリエットが談話室に戻ると、ハリーはもちろんのこと、ホグズミードから帰ってきて興奮しっぱなしのロンやハーマイオニーがいた。

「あっ、ハリエット、お帰りなさい!」

 ハーマイオニーがいち早くハリエットを出迎える。お帰りなさいというのは私の台詞じゃ……とハリエットは苦笑した。

「これ、お土産よ。味見したんだけど、結構おいしかったのよ」

 ハーマイオニーが差し出したのは黒胡椒キャンディだ。味が想像つかず、すぐにハリエットは食べてみた。

「あ……おいしい。意外な味ね」
「でしょう?」
「ねえ、ホグズミードってどんなところだったの? どこに行ったの?」

 ハリエットの短い質問は、長々とした答えとして返ってきた。

 魔法用具店や、悪戯専門店、三本の箒などなど――。三本の箒では、泡だった温かいバタービールが一番人気らしい。

「ハニーデュークスでは新商品のヌガーがあって、試食品をただで配ってたんだ。おいしかったから、たくさん買ってきたんだ。ほら、あげる――」
「そういえば、マダム・パディフットっていうお店があったんだけど、ロンと入ろうとしてすごく気まずかったわ。あそこ、カップル御用達の喫茶店だったのよ!」
「バタービール持ってきてあげたかったなあ。身体が芯から温まるんだ」
「あなた達は何してたの?」

 思い出したようにハーマイオニーが聞いた。

「宿題やった?」
「ううん。僕はルーピン先生が部屋で紅茶を入れてくれた。それからスネイプがきて……」

 ハリーは、スネイプが薬だと称してゴブレットをルーピンに飲ませたことを説明した。スネイプが自分のためにわざわざ調合してくれたものだとルーピンは説明したが、ハリーは怪しく思っていることも添えて。

「ルーピンがそれ飲んだ? マジで?」

 四人はいかにもなスネイプの怪しい行動を奇妙に思ったが、『スネイプが本当に毒を盛るつもりだったらハリーの目の前で流行らないでしょうよ』ともっともなことを言ったので、その話はそこで終わりになった。

「ハリエットは何してたの?」
「ハグリッドの所よ。でもハリー、聞いて。ダーズリーの所にいたスナッフルに会ったの」
「スナッフル? 本当?」
「ええ!」
「ちょっと待って。スナッフルって誰だい?」

 ロンが慌てて口を挟んだ。

「黒い犬よ。ほら、占い学の時、大きい犬に会ったって話したでしょ?」
「ぐ、グリムだっていう、あの犬かい?」
「グリムじゃないって言ってるでしょ!」

 ハリエットは鼻息荒くした。

「ロンも一目見たら納得してくれるわ。あんなに大人しい子がグリムな訳ないもの」
「一目見る頃には僕死んでるよ!」
「ロン!」

 ハーマイオニーが身を乗り出してロンをしばいた。珍しくハリエットの機嫌が悪くなっていくのを見越しての行動だ。

「でも、マグル界にいた犬が、どうしてホグワーツにいるのかしら」

 空気の読めるハーマイオニーは、流れるように話題を変えた。

「分からないわ。魔法生物も魔法って使えるのかしら」
「不思議な力を使う生き物はいるけど……犬に似た生物が魔法を使うっていうのは聞いたことないわね」
「グリムだからあちこち移動できるんだよ」

 ロンは未だブツブツ言っていたが、女子二名はこれを無視した。

 その後は、四人一緒になって大広間へ移動した。ハロウィーンだったので、ご馳走をたらふく食べた。ホグズミードのお土産をすでにたくさんお腹に詰めていたはずだったが、それでもハロウィーンのご馳走は別物だ。四人とも全部のご馳走をおかわりした。

 ルーピンも教職員のテーブルでピンピンしていた。それを確認すると、ハリーは安心したようにまたご馳走に戻った。

 ハリエットは、一人素早く食事を終えると、しこたま料理をナプキンにつめて席を立った。じいっと何かもの言いたげな視線を隣から感じた。

「ハリエット……」

 ハリーだった。

「そんなに食べたら太るよ?」
「――っ、いいの!」
「よくないよ。夜更かしするつもり?」
「か、関係ないでしょ!」

 ハリエットは耳を赤くしてそのまま大広間を出て行った。『ハリエットが反抗期だ……』という兄の声が微かに聞こえた。

 ハリエットは玄関ホールまで出てきたが、そこでたたらを踏んだ。外はもう既に闇に包まれていた。鬱蒼と生い茂る禁じられた森はそれ以上にだ。スナッフルに会いたい気はあったし、大きいくせに、痩せ細っているスナッフルに思い切り食べさせたい気もあった。だが、この中を歩いて行くのは、なかなかに勇気がいった。

 ハリエットが迷っていると、オレンジ色の毛が目に飛び込んできた。クルックシャンクスだ。闇夜の中でも、その毛の色はよく目立った。

「あ……」

 ハリエットがしゃがむと、クルックシャンクスは、彼女が手に持つ包みにすぐに興味を示した。匂いが分かるのか、すんすんと鼻を動かす。

 そして、僕に任せろとでも言うように、包みに猫パンチを食らわせた。頑張ってパンチを食らわせ、自分の方に持ってこようとする。

「もしかして、スナッフルの所に持って行ってくれるの?」

 クルックシャンクスはすぐに鳴いた。本当に賢い猫だとハリエットは笑った。

 そして懐からハンカチを取り出して、ナプキンの包みをまるごと覆い、クルックシャンクスの首に優しく巻き付けた。ちょっときついかもしれないが、森まではすぐだ。

「ごめんね。苦しくない?」

 そう聞くと、返事の代わりに、クルックシャンクスは森まで歩き始めた。ハリエットはその後ろ姿に手を振り、また城の中へ戻った。

 寮へ戻る途中、ハリー達と合流した。どこへ行っていたのか聞かれたので、スナッフルの所よと答えた。ロンが微妙な顔をしたので、ハリエットは顰めっ面を返しておいた。

 一斉に寮に戻ろうとしたので、生徒たちはほとんど列のようになっていた。だが、グリフィンドール塔の『太った婦人』の肖像画に繋がる廊下まで来ると、生徒がすし詰め状態になっているのに出くわした。

 理由はすぐに判明した。

 『太った婦人』は肖像画から消え去り、絵は滅多斬りにされて、キャンバスの切れ端が床に散らばっていたのだ。絵のかなりの部分が完全に切り取られている。

 全てを見ていたピーブズは、ニヤニヤ笑いながら語った。この仕業の犯人が、シリウス・ブラックであると。