■アズカバンの囚人

09:透明マントにて


 二回目のホグズミード行きの土曜の朝、ロンとハーマイオニーに別れを告げて、双子は少しギクシャクしながらグリフィンドール塔に向かっていた。箒を買う買わないで口論してからというもの、未だにその話し合いに決着がついていないのだ。

 早く仲直りがしたいとは思うものの、そうなるときは、自分が譲歩したときだろうと思うと、なかなか言い出せない。

 四階の廊下で、二人はフレッドとジョージに呼び止められた。

「ホグズミードに行かないの?」
「行く前に、君たちに一足早いクリスマス・プレゼントをあげようと思って」

 フレッドがマントの中から取り出したのは、大きなくたびれた感じの羊皮紙だった。これのどこがクリスマス・プレゼントなのかと双子の視線は聞いていた。

「これはだね、俺たちの成功の秘訣さ。君たちにやるのは実に惜しいが、しかし今これが必要なのは俺らより君たちの方だって、昨日の夜そう決めたんだ」
「それに、俺たちはもう暗記してるしな」
「使い方を教えてやる」

 授業のメモ書きにしかならなさそうな羊皮紙に、ジョージは杖で軽く触れた。

「われ、ここに誓う。われ、よからぬことを企む者なり」

 するとたちまち杖の先が触れたところから細いインクの線が蜘蛛の巣のように広がった。そしてみるみる地図を浮かび上がらせていく。
『ムーニー、ワームテール、パッドフット、プロングズ。われら「魔法いたずら仕掛人」の御用達証人がお届けする自慢の品――忍びの地図』
 それはホグワーツ城と学校の敷地全体の詳しい地図だった。面白いことに、その地図には一人一人ホグワーツ城を歩いている人の名前が浮かび上がり、今どこを歩いているのかを詳細に教えてくれていた。

「全部で七つの道がある。だが、一番おすすめなのはこの道。ハニーデュークス店の地下室に直通だ。俺たち、この道は何回も使った」
「この地図を使った後は必ず消しておくんだ。じゃないと誰かに読まれちまう」
「もう一度地図を軽く叩いて、こう言えよ。『いたずら完了!』。すると地図は消される」
「じゃ、二人ともハニーデュークスで会おう」

 ウィーズリー家の双子はウインクして去って行った。

 ポッター家の双子は顔を見合わせ、にまにまと笑った。つい先ほどのぎこちない空気など、箒に乗ってどこか遠くへ吹き飛んでしまった。

 急いでグリフィンドール塔から透明マントを持ってきたあと、地図に従って、ハリー達は秘密の抜け穴を通った。赤毛の双子おすすめの道は、まるで滑り台のようだった。坂道を終えると、今度は狭い土のトンネルが長く続いていた。

 トンネルはかなり長い道のりで、本当にホグズミードに続いているのだろうかと不安がよぎったが、一時間ほど経った頃、石段の下に出た。二人は物音を立てないようにして階段を上った。そして天井にぶつかり、ゆっくり撥ね戸を押し開け、外を見る。

 どこか倉庫のようで、人の気配はなかった。忍びのように静かに素早く外に出ると、上階に続く階段を上った。てっぺんは、ハニーデュークス店のカウンター裏だった。双子は肩を並べ、そして透明マントを被った。

 ハニーデュークス店は、様々なお菓子で溢れていた。ロンやハーマイオニーから聞いていた以上の所で、興味を惹くものが山ほどあった。

 だが、それでもロンやハーマイオニーと一緒に見て回った方がどんなに楽しいだろう!

 双子の意見は一致した。先に二人を探そうと。

 ハニーデュークスにはいなかったので、マントを被りながら双子は外に出た。外にもホグワーツの生徒や、ホグズミードで暮らしている者たちで溢れていた。終始誰かにぶつかったり足を踏んだりしてしまったが、非日常の世界ホグズミードに視線を奪われ、白い雪の上に透明人間がポツポツと足跡を残していることに気づかなかった。

 ロンとハーマイオニーはなかなか見つからなかった。ホグズミードでは忍びの地図が使えないので、どこにいるのかさっぱりなのだ。

 この人混みの中で、やはり二人を見つけるのは不可能だろうかと諦めかけたとき、転機はやってきた。ホグズミードの大通りから外れた途端、人気のない場所に行き着き、道に迷いかけたところ、二人の姿を発見したのだ。

 ロンとハーマイオニーは、大きな屋敷が遠目に見える場所で、柵にもたれながら、『叫びの屋敷』に行ってみないかと話していた。

 辺りに人気はない。チャンスだとばかり二人に駆け寄ろうとしたが、とある三人組に先を越される。クラッブ、ゴイル、そしてドラコだった。

「新居でも買うつもりかい?」

 三人はゲラゲラ笑っていた。

「何かご用?」

 ツンと顎をあげてハーマイオニーが問い返す。

「いいや。でも家を買うつもりだったらご忠告して差し上げようと思ってね。ウィーズリー、家計が破産する前に自分の身の程は弁えておいた方が良い」
「何だって!」

 ロン、ハーマイオニーだけでなく、双子もムッと顔を顰めた。何だってドラコはああいう嫌味しか言えないのか。

 ハリーとハリエットは顔を見合わせ、そして頷いた。自分たちは今、透明マントを被っていて、相手にはもちろん見えない、分からない、気づかれない。ふつふつと沸き起こる悪戯心を押さえられなかった。ここにもしもルーピンがいたならば、ジェームズ再来だと遠い目をしたことだろう。

 まず先に動いたのはハリーだ。地面から雪を拾い上げて雪玉を造り、ドラコ達に向かって投げつける。ハリエットもすぐその援護をした。

「な、何だ!?」

 ドラコ達はもちろん混乱した。一体どこから雪玉が飛んでくるのかとその方向を振り返ってみても、誰もいない。

 楽しくなってきて、ハリーはゴイルのマフラーを掴み、ぐわんぐわんと上下に振り回した。太っているクラッブは少し暑そうだったので、ズボンを下げて涼しくしてやった。

 ハリエットはというと、ドラコに狙いを定めた。いつもいつも意地悪や嫌味を言ってくるドラコに対して、ハリエットもなかなかの不満を募らせていたのだ。ドラコは嫌いではないが、ハリーと遭遇し、嫌な笑い方で馬鹿にしてくるドラコは嫌だった。

 バックビークのこともあって、もはやハリエットは止められなかった。

 日頃の鬱憤を込め、ハリエットはドラコのセットしてある髪をグシャグシャにしたり、頬を引っ張ったりした。意外なことに、ドラコの髪は指通りが良かったし、ほっぺたは柔らかかった。何だかおかしくなって、ハリエットは調子に乗る。間近で見た恐怖に目を見開くドラコの表情が面白かったせいもある。

 ドラコはジリジリと後ずさった。今にも逃げ出しそうに見える。そうはさせるかと追いかけようとしたが、その前にドラコは背後の石に躓いてすっころんだ。思わず助けようとハリエットは手を伸ばしたが、何かを掴もうと宙を舞ったドラコの手が、偶然ハリエットの腕を強く掴んだ。

「きゃあっ!」

 短く叫び声を上げ、ハリエットはドラコの上に倒れ込んだ。ゴツンとドラコの頭に頭をぶつけ、ハリエットは涙目になる。しばらくハリエットはそのままの状態から動けなかった。

「あ、あれ――ハリエット?」

 ハリエット以上に混乱したのはハリーの方だ。喜々としてクラッブ達に雪玉をぶつけていたのだが、急に透明マントがどこかへ行ったのだ。この現象は、ハリエットが転んだときに、マントごと引っ張ってしまったのが原因だったが、今のハリーはそんなこと知るよしもない。

「ハリー! どうしてこんな所にいるのよ!」

 ハーマイオニーが慌ててハリーに近寄った。辺りを憚るようにその瞳は油断なく動いている。クラッブやゴイルは、既にその場から逃走していた。

「あ、あの、透明マントで……でも、あれ、ハリエットを知らない? ハリエット!」
「そう言えば、いつの間にかマルフォイもどこかへ行ったわね」
「逃げたんだよ。あいつ、逃げ足だけは速いから」
「もしかして、ハリエットが追っかけたのかも」

 三人は途方に暮れる。突然マントと共にどこかへ行ってしまったハリエット。

 当のハリエットは、ドラコと共に、透明マントの中にいた。ようやくハリエットが上体を起こせば、肩から落ちた赤毛が一房さらりとドラコの上に流れていく。

「…………」

 グレーの瞳と、ハシバミ色の瞳とがぶつかった。

「ど、どうしてここに……」

 ようやくドラコが我に返った。自分に不可解な出来事が起こったことよりも、目の前に急にハリエットが現れたことの方に驚いていた。

「そこで何をしてるんです!」

 ハリエットが答えようとした矢先、マクゴナガルの声が響いた。

「ハリー、早く逃げて!」

 ハーマイオニーが慌てて囁く。

「お前――」

 なおも何か言いかけたドラコの口を、ハリエットは咄嗟に押さえた。見つかりませんように、とハリエットはグッと身をかがめる。急にハリエットの顔が近くに来て、ドラコは赤くなった。

「ミスター・クラッブから聞きました。ここで突然雪玉が飛んできたと。魔法を使ったのですか?」

 現場に到着したマクゴナガルは、犯人を逃すまいと、辺りをキョロキョロ見た。

「そんな! 私たちは何もしてません!」
「あー、あの、ほら、ちょっとした遊び心ですよ。雪合戦。そうだろ? ハーマイオニー」
「え、ええ、そうね」

 ハーマイオニーも慌てて頷いた。

「ここでロンと二人で雪合戦していて……クラッブとゴイルに流れ弾が当たったみたいです」
「そう、流れ弾。悪気はなかったんです」

 気の抜けた会話を余所に、ドクドクとドラコの胸は波打っていた。彼女は近すぎた。熱い吐息が触れるほどに。全身もカッカと熱を帯びていた。地面の雪はみるみる溶けていく。

「ホグズミードに浮かれるのも良いですが、通行人に流れ弾が当たるようではいけません。グリフィンドール五点減点」

 ハリエットの身体は柔らかかった。嫌でも意識する。抜けだそうと身体を動かせば、そうはさせないとハリエットはますます身体を押しつける。

「お願い。じっとしてて」

 窒息しそうだった。『耳元で話すな!』と怒鳴りたくなるのをドラコは堪える。

 クラッブが『マルフォイは?』とゴイルに聞いている声が遠くから聞こえた。

 永遠とも思える時間は地獄だった。クラクラ目眩がして、どうにかなってしまいそうだった。

「では、私はもう行きますが、あまり人気のないところには近寄らないように」

 暗にブラックに注意するように、と釘を刺すと、マクゴナガルは去って行った。ホッとしたような吐息が漏れる。

「ハリーは?」
「あっちだよ。民家の後ろに隠れてる」
「ハリエットを探さないと」

 ザクザクと雪を踏みしめ、二人も姿を消した。ようやく人がいなくなったので、ハリエットはゆっくり身を起こした。だが、それ以上にドラコが待ちきれず、グイッとハリエットを押しのけた。

 今の今まで呼吸を止めていたような気分だった。肩で息をしながら、ハリエットを睨み付ける。さっきの反動だった。

「こんな所で何をしてる?」

 そして荒々しい目つきで銀色の布を見る。

「透明マントか? 僕たちに悪戯をしたのはお前達だな? 随分と卑怯な真似をしてくれる」
「あ……ええっと」

 言い返す言葉もなく、ハリエットは気まずくなって視線を逸らした。

 確かに今思えば少しやり過ぎたとは思ったが、まさかこんなに怒るとは思いも寄らなかったのだ。だって、普段ドラコが口にしているような嫌味に比べたら可愛いものだろう!

「ハリエット!」

 遠くでハリーの声がした。二人は揃って顔を見合わせた。

「――とにかく、僕はもう行く!」

 ふんと鼻息荒くドラコは立ち上がり、駆けていった。ハリエットは茫然とその後ろ姿を見送る。

「ハリエット! よかった、まだここにいたんだね」

 ハリー達三人が雪をザクザク踏みならしながら近寄ってきた。

「ずっとマント被ってたの?」
「え、ええ。転んじゃって、ずっと倒れてたの」
「なーんだ、心配して損した」

 ロンが軽い口調で言うと、皆が笑った。

「でもホント、君たち最高だったよ! マルフォイのやつ、髪もグチャグチャだったし、顔も間抜け面! 写真に撮っておきたいぐらいだったよ!」
「透明マント様々ね」

 ハーマイオニーも呆れ顔である。四人はまた笑い声を上げた。