■アズカバンの囚人

14:露呈


 またホグズミードの日がやってきた。ハリーとロンは、透明マントを着て、ホグズミードで落ち合う計画を立てた。ロンを見送った後、ハリーは談話室で本を読んでいたハリエットに恐る恐る話しかけた。

「今日はホグズミードだね」
「そうね」

 ハリエットの返事はどこか素っ気なかった。ハリーは努めて明るい声を出そうとした。

「マントを着て一緒に行かない? ロンとハニーデュークスで待ち合わせしてるんだ」
「行かないわ」

 ハリエットはすぐに答えた。

「外にブラックがいるかもしれないのよ。マントを着てたって危険だわ。行っちゃ駄目よ」
「でも……」
「ハリーだって、私が一人でスナッフルの所に行くの心配だったんでしょ? だからルーピン先生にスナッフルのこと言ったんでしょ? 私には駄目って言うのに、自分は行くの?」
「……前は自分だって一緒に行ったじゃないか」

 ハリーの口調には、非難する色が含まれていた。ハリエットは敏感に感じ取った。

「ええ、そうよ。八つ当たりしちゃ悪い? スナッフルにもう会えないから八つ当たりしてるのよ!」

 責めるような口調になってしまったことは否めない。

 現に、ハリーの顔は強ばった。唇を噛みしめ、何か言おうと口を開いたが、結局何も言うことはなく、そのまま踵を返して行ってしまった。

 途端にハリエットは自己嫌悪に苛まれた。今ここでスナッフルのことを持ち出すのは明らかにお門違いというのは自分でも分かっていた。もしもスナッフルのことがなければ、ハリエットは十中八九ハリーと一緒にホグズミードに行っていただろう。にもかかわらず、スナッフルを盾にしてハリーにも同じ気分を味わわせようなんて、ずるいし卑怯だ。

 もうとても本を読む気にはなれなかった。それに、談話室で下級生達の視線を集めてしまった。ハリエットは、むしゃくしゃしたので、外に出て少し頭を冷やそうと思った。

 とはいえ、誰かに会ったら外は危険だと口を酸っぱくして言われそうだったので、ホグワーツ城の周りをウロウロするだけに留めた。最終的には、温室のすぐ側に腰を落ち着かせた。生け垣が周りを囲んでいて、それほど人目につかないのだ。

 そこでぼうっと空を見ていると、クルックシャンクスがやってきた。本当に思わぬ所に出没する猫である。

「ごめんね、今は何も持ってないの」

 そう言って一撫ですると、クルックシャンクスはハリエットの膝の上に乗ってきた。途端にハリエットは彼を構う体制になり、喉を撫で始めた。

 ゴロゴロと鳴る喉が耳に小気味良く響く。ハリーとの一件で荒れていた心が滑らかになっていくのを感じた。

「ごめんね……もう会いに行けなくなったって、スナッフルに伝えておいてくれる?」

 不思議とクルックシャンクスは人の言葉を理解するような兆候を見せていたので、ハリエットは駄目元で話しかけた。

「私も会いたいのはやまやまだけど、周りが駄目って言うのよ」

 しばらく思う存分撫でていたら、もう癒やしタイムは終わりだとばかり、クルックシャンクスはとんと膝から飛び降りた。

「もう行っちゃうの?」

 ハリエットの言葉に彼はピシャリと尻尾を振り、それが答えだとハリエットも気づかずにはいられなかった。

 もうお昼を過ぎていたので、ハリエットは広間へ向かって一人で昼食を食べた。何となく味気なく感じてしまった。

 談話室へ戻ろうと広間を出ると、丁度玄関ホールの所で、階段を上ってきたドラコと目が合った。

「おい!」

 そのまま何事もなく通り過ぎようとしたが、思いがけなく呼び止められ、ハリエットは驚いて振り返った。

「お前、いい加減にホグズミードに行くのはやめろ」

 そう言うドラコの顔は、少し怒っているように見えた。ハリエットは困惑して頭を振る。

「私は行ってないわ」
「ポッターはホグズミードにいたぞ」
「でも私は行ってない」

 ハリエットも怒って言い返すと、ドラコは
「なんだ。じゃああんな考えなしなことをするのはポッターだけか」

 どことなく蔑んだような言い方だが、ハリエットは気にならなかった。むしろ、心配してくれたような言い方が胸に残った。ハリエットは少し溜飲を下げた。

「怪我……大丈夫だった? スナッフルに噛まれたでしょう?」
「あ、ああ……」

 見たところ、違和感なくドラコの腕は動いていた。バックビークといい、スナッフルといい、ドラコは動物と相性が良くないのだろうか。

 何となく気まずい雰囲気が流れたが、スネイプの登場でそれはうやむやになった。彼は、ドラコではなくハリエットに声をかけた。

「ミス・ポッター、少しいいかね? 一つ確認だが、君もまさか兄に流されてホグズミードに行ったなんてことはないだろうな?」

 どこかゆっくりとした口調でスネイプは尋ねた。ハリエットは口を開きかけ――また閉じた。

 先生は何か知っているのだろうか?

 それとも、鎌をかけてるだけ?

 ハリエットは冷や汗を流した。だが、ここは平静を装う場面だと思った。ハリーがホグズミードに行っていたなんて、自分の口から漏れるのは何としてでも避けたかった。

「おっしゃってる意味が分かりません。私達はホグズミードに行けないはずです。許可証もないのに」
「ポッターをホグズミードで見かけたという話を聞いたのだ。一応君にも確認を、と思ってね。君たちが一緒にいるのならまだしも、別々で行動していたようだから尚のこと怪しい」
「私達、いつも一緒にいるわけじゃありません。今は特に、ハリーとは喧嘩してますから!」

 ピシャリと言うと、ハリエットは頭を下げて早々に談話室に戻った。

 何となく状況は読めた。おそらく、透明マントのことを知っていたドラコが、ハリーを見かけ、スネイプに告げ口でもしたに違いない。罰則でも食らったのだろうかとドキドキしながら談話室に戻ったが、ハリーはロンと一緒に生き生きとゾンコの商品を広げていたので、杞憂に終わったかとハリエットはそのまま寝室に引っ込んだ。


*****


 夕食後は、いつものようにチキンを持ってホグワーツ城の入り口をウロウロした。しかしやがて、人の出入りが多くなってきたので、朝クルックシャンクスと出会った所に腰掛けた。何となくそこに彼が現れるんじゃないかと思った。

 だが、しばらくして姿を現したのは、スナッフルの方だった。久しぶりに見るスナッフルに、ハリエットは満面の笑みを見せた。

「久しぶりね!」

 スナッフルはハリエットに飛びついてきた。スナッフルは熊のように大きい身体をしているので、ハリエットはよろめいて尻餅をついた。

「重いわ、スナッフル」

 ハリエットは苦笑してスナッフルを撫でた。相変わらず身体は細いのに、なかなかに体重はあるのだ。たらふく食べさせたら、一体どれだけの大きさになるのだろうか。

「はい、どうぞ」

 チキンを差し出すと、スナッフルは目を輝かせて食べた。まるで人間のように器用に前足を使って食べるので、ハリエットは飽きることなくじっと彼を見た。

 スナッフルはチキン三本を綺麗に食べた。名残惜しいとでも言うようにしゃぶり尽くすので、もっと持ってくれば良かったとハリエットは後悔していた、その時。

「ステューピファイ!」

 鋭い声が響き、ついで赤い閃光が目の前を横切った。きゃんとスナッフルが高い声で鳴く。掠ったのだろうか――何が? ――失神呪文が。

「スナッフル!」

 ハリエットは立ち上がってスナッフルの前に立った。スナッフルの右足は小刻みに震えていた。呪文を避けきれなかったのだ。

 キッとして前を向くと、そこには杖先をスナッフルに向けたルーピンが立っていた。彼は恐いくらいに無表情で、そして落ち着いていた。

「止めて!」

 ハリエットは庇うようにルーピンの前に立ちはだかった。ルーピンはその行動に面食らい、行動が遅れた。その間に、スナッフルはすごい勢いで禁じられた森の方へ駆け出した。ルーピンはまた呪文を唱えようとしたが、ハリエットががっしりと彼の腕にしがみつくのでそれは適わない。

「先生……ルーピン先生……どうしてこんなことをするんですか? スナッフルは何も悪いことをしてないのに」
「ハリエット……」

 ルーピンは杖を下げる。スナッフルと呼ばれた犬の方を見たが、彼はもう姿を消していた。

「その……あの犬は、シリウス・ブラックの……飼い犬なんだ。巷では知られてないけど、あれは、まさしく――」
「でも、だからってスナッフルは良い子です。シリウス・ブラックが悪いのであって、スナッフルを傷つける理由はないはずです」
「ああ、そうだね……。私もついカッとなってしまって。でも、だからこそ気をつけて欲しいんだ。君は優しいから、次いつあの犬を使って、シリウス・ブラックが君をおびき出すか分からない」

 ルーピンは前屈みになり、ハリエットの肩に強く手を置いた。そして真正面からハリエットの瞳を見据える。

「ハリエット、約束してくれ。もうあの犬に近づいちゃ駄目だ。心配なんだよ、君のことが」

 ルーピンに肩を抱かれながら、ハリエットは城の中へ戻った。だが、その表情は浮かない。

 前足を庇うようにして走り去ったスナッフルの姿が、頭から離れなかった。