■アズカバンの囚人

16:現れた友


「エクスペリアームス!」

 ドラコの杖を三人に向け、ブラックがしわがれた声で唱えた。ハリー、ハリエット、ロン、ハーマイオニー――四人の杖を一気に奪い取った。

 ブラックは不気味に笑いながら、杖をまとめて左手に持った。

「君なら来ると思っていた。優しい子だ、こんな奴でも助けに来る」

 ドラコはピンと眉を跳ね上げた。

 二度会っただけなのに、犯罪者に『こんな奴』呼ばわりされる覚えはない。だが、同時に彼は大量殺人犯でもあるので、ドラコが文句を口に出せるわけがなかった。

「君たちも来るのは予想外だったが。できれば汚いところは見せたくなかった」

 ハリーは怒りに打ち震え、前に出ようとしたが、咄嗟にハーマイオニーが彼の腕を押さえる。

「ハリー、駄目!」
「二人を殺したいのなら、僕たちも殺すことになるぞ!」

 ロンは果敢に叫んだ。憤然とハリー達を庇うように前に出る。

「僕たち四人を殺さなきゃならないんだぞ!」

 ドラコはすっかり蚊帳の外だった。忘れ去られている。

「今夜はただ一人を殺す」

 ブラックは冷静に語りかけた。ハリーの目に一層の怒りが宿る。

「なぜなんだ? ペティグリューを殺すために、たくさんのマグルを無残に殺したんだろう? どうして――」
「ハリー! 黙って、お願い――」
「こいつが僕たちの父さんと母さんを殺したんだ!」

 ハーマイオニーの腕を押しのけ、いきり立ってハリーが飛びかかった。咄嗟の行動にブラックは杖を上げ遅れた。彼はあろうことかハリーの接近を許し、地面に仰向けに倒れるまでになった。ハーマイオニーが悲鳴を上げ、続いてロンもブラックに飛びかかった。無謀にも思える行動だった。しかし、長い間牢獄に入れられ、体力も衰えた痩せこけた男は、血気盛んな十三歳二人組とは良い勝負だった。

 ハリエットは意を決し、もみ合う男達に近づいた。そしてその隙間から手を伸ばし、杖を回収する。ハリーと、ドラコとハーマイオニーと……五本数え、全て見つけると、ブラックに自分の杖を突きつけた。

「止めて! もうそれ以上動かないで! ハリー達もよ、早く離れて!」

 ハリエットの声に、ハリーとロンは恐る恐る立ち上がって、ブラックから離れた。一人残されたブラックは、落ちくぼんだ目でハリエットを見る。

「ハリエット!」

 ハリーは僅かに笑みを浮かべて手を差し出した。

「ありがとう。僕にも――」

 しかし、ハリエットは動かなかった。四本の杖を左手に持ち、そして右手には自分の杖を掲げたまま。

「ハリエット、どうしたんの? 僕の杖返してよ」
「嫌よ」

 ハリエットはキッパリ首を振った。

「渡したら殺すでしょう」
「……っ」

 ハリーは助けを求めるようにハーマイオニーを見たが、彼女も同意するように小さく首を振っていた。

「ハリエット!」
「動かないで、ハリー。私どうしてもこの人に聞きたいことがあるの」

 ハリエットは杖を突きつけたまま、ブラックを見た。

「私……分からないわ。プリベット通りで私たちは初めて会ったわよね? どうして……その時殺さなかったの? その時じゃなくても、機会はたくさんあったわ。私はいつもあなたと一緒にいた。杖を取り上げるのなんて簡単だっただろうし、私を人質にハリーを呼び出すことだってできたはずだわ。なのにどうして?」

 ブラックは口を開いた。彼の口から何かが語られようとしたとき、階下でくぐもった足音がした。誰かが歩いているのだ。

「ここだ!」

 それまで黙りこくっていたドラコが叫んだ。

「僕たちは上にいる! シリウス・ブラックだ! 早く!」

 ブラックは驚き、動いた。皆の注意が離れたことを察知し、たった数歩でハリエットに近づくと、その手の杖を奪おうともみ合いになった。

「ハリエット!」

 慌ててハリー、ロンも助けに入る。だが、その時ドアが勢いよく開いた。皆が振り向くと、そこには青白い顔でルーピンが立っていた。彼の眼が、倒れているドラコを捉え、立ち尽くすハーマイオニーを見、そしてもみ合いになっている四人に移った。

「エクスペリアームス!」

 凜とした声は、五本の杖全てを余すことなくルーピンの手に呼び込んだ。ルーピンはブラックを見据えたまま部屋に入ってきた。

「シリウス、あいつはどこだ?」

 ブラック以外の全員が、ルーピンを見た。何を言っているのか理解ができなかった。ブラックはしばし動かなかった。しかしゆっくり手を上げ――ドラコを指さした。

「な、何だと!」

 大量殺人鬼の目的が、もしかしなくとも自分だと分かり、ドラコは一層蒼白となった。

「僕を殺すつもりか!? 僕に何の恨みがあってこんなこと――」
「黙れ!」

 シレンシオでも使われたかのように、ドラコは口を閉ざした。ルーピンはドラコをジッと見つめていた。

「しかし、それならなぜ今まで正体を現さなかったんだ? ――もしかしたら、あいつがそうだったのか……。君はあいつと入れ替わりになったのか……? 私に何も言わずに?」

 ルーピンとブラックが視線を交える。ハリーは堪らず割って入った。

「ルーピン先生、一体何が……」

 だが、その声は途中で途切れた。ルーピンが、構えた杖を下ろし、ブラックを抱き締めたからだ。

「なんてことなの!」

 ハーマイオニーが悲鳴を上げた。

「先生は――先生は、その人とグルなんだわ!」
「ハーマイオニー」

 誰の目にも明らかだった。信じられなかった。

「私、誰にも言わなかったのに!」
「落ち着きなさい、ハーマイオニー」
「僕は先生を信じてた」

 ハリーの声は失望を纏っていた。

「それなのに、先生はずっとブラックの友達だったんだ!」
「それは違う。この十二年間、私はシリウスの友ではなかった。しかし、今はそうだ……説明させてくれ」
「駄目よ!」

 ハーマイオニーは強く首を振った。

「ハリー、欺されないで! その人はブラックが城に入る手引きをしてたのよ。この人もあなたの死を願ってるんだわ。この人、狼人間なのよ!」

 その場が凍り付き、沈黙が流れた。ルーピンは青ざめていたが、至って冷静だった。

「ハーマイオニー、確かにそうだ。私は狼人間だ。だが、私はシリウスの手引きをしてないし、もちろんハリーの死を願ってなんかいない」

 猛る生徒たちを落ち着かせようと、ルーピンはゆっくり話した。

「私が狼人間だということは、ダンブルドアも知っている。他の先生方も」
「ダンブルドアは狼人間と知ってて雇ったって言うのか? 正気か?」

 ロンは恐れおののいて言った。

「先生の中にもそういう意見があった。でも、ダンブルドアは私が信用できるものだと説得してくださった」
「そしてダンブルドアは間違ってたんだ! 先生はずっとこいつの手引きをしてたんだ!」
「聞いてくれ。説明させてくれ」

 ルーピンは自分の杖をベルトに挟み込んだ。そして残りの杖を一本ずつ放り投げ、それぞれの持ち主に返した。

「これで丸腰だろう? 聞いてくれるかい?」
「……ブラックの手助けをしていなかったって言うなら、どうしてこいつがここにいるって分かったんだ?」
「地図だよ。忍びの地図だ」

 ハリーの問いに、ルーピンは即答した。

「使い方を知ってるの?」
「もちろん。私もこれを書いた一人だ。私はムーニーだよ」
「先生が、書いた……?」
「私は今日の夕方、地図をずっと見張ってたんだ。君たちが、ヒッポグリフの処刑の前にハグリッドを訪ねるのではないかと思ったからだ」

 皆がそれぞれ視線を合わせた。

「そしてそれは正解だった。始め、ハリエットとドラコがハグリッドの小屋へ向かった。小屋から出てきたときには、三人になっていた」
「えっ……? 私たちは、二人だけでした」
「いいや、君たちだけじゃない。地図がおかしくなったかと思った。どうしてあいつが君たちと一緒いる? やがて、もう一つの点が見えた。急速に二人に近づいていた。シリウス・ブラックと書いてあった。君たちの中から二人を暴れ柳に引きずり込むのを見た」
「ドラコだけが引きずり込まれたんです」

 茫然としてハリエットは口を挟んだ。しかしルーピンは頑として譲らない。

「違う。二人だ。ネズミを見せてくれないか」

 ルーピンがドラコに近づいた。スキャバーズは、未だドラコの手の中で石になっていた。ドラコは少し躊躇ったが、恐る恐るルーピンにネズミを渡した。

「スキャバーズが死んでる! 動かない! マルフォイが殺したんだ!」

 張り詰めた空気を破り、ロンが動転して叫んだ。

「私が石にしたの。ロンの所に連れて行こうとしたんだけど、どうしても逃げようとしたから」
「そうだろうね」

 ルーピンが後を引き受けた。

「こいつは逃げようとするだろう。シリウス・ブラックに会いたくないから。会ったら殺されるから」
「どうして! ただのネズミに何の恨みがあるんだ!」
「こいつはネズミじゃない。魔法使いだ」
「アニメーガスだ」

 ブラックがしわがれた声で言った。

「名前はピーター・ペティグリュー」