■アズカバンの囚人

17:アニメーガス


「二人ともどうかしてる」

 ハリー達の気持ちを、ロンが口にした。

「ピーター・ペティグリューは死んだんだ! ブラックが十二年前に殺した!」
「殺そうと思っていた!」

 ブラックが吠えた。

「だが、小賢しいピーターめに出し抜かれた……今度はそうさせない!」

 シリウスは物言わぬスキャバーズに掴みかかった。ルーピンは慌ててシリウスを引き離そうとする。

「駄目だ、待ってくれ! そういうやり方をしては駄目だ……皆に分かってもらわねば。皆には全てを知る権利がある!」

 ルーピン先生は続けざまに叫んだ。

「ロンはあいつをペットにしていた。私にもまだ分かっていない部分がある。でもそれ以上に! ハリーやハリエット、二人には真実を知る権利がある。話を、聞いてくれ。皆だ」

 ルーピンはゆっくりと全員の顔を見渡した。

「シリウスがピーターを殺したと、誰もがそう思っていた。私自身も。――今夜地図を見るまではね。忍びの地図は決して嘘はつかない。ピーターは生きている。このネズミがピーターだ」
「でもルーピン先生」

 ハーマイオニーがおずおずと声を出した。

「もしピーター・ペティグリューがアニメーガスなら、魔法省の登録簿に載るはずです。私、登録簿を見ましたが、今世紀には七人しかアニメーガスがいないんです。ペティグリューの名前はリストに載っていませんでした――」
「未登録なんだ。魔法省は、未登録のアニメーガスが三匹、ホグワーツを徘徊していたことを知らなかったのだ」

 ルーピンは深々とため息をついた。長年の降り積もった思いがそこには詰まっていた。

「話は、私が人狼になったことから始まる」

 そしてルーピンは長々と語った。小さい頃、狼人間に咬まれたこと、その頃はまだ狼に変身しても理性を保つことのできる『脱狼薬』がなく、ルーピンがホグワーツに入学しても、叫びの屋敷で一人で過ごさなくてはならなかったこと、在学中、友人の三人――シリウス・ブラック、ピーター・ペティグリュー、そしてジェームズ・ポッターに、狼人間であることがバレてしまったこと、狼人間だと分かっても三人はルーピンを見捨てず、それどころか、一人で過ごすのは辛かろうと、未登録のアニメーガスになってまで、満月の夜一緒に過ごしてくれたこと――。

「私たちは、夜になると叫びの屋敷から抜けだし、校庭や村を歩き回るようになった。そして隅々まで調べ尽くし、忍びの地図を作り上げた。そこにそれぞれのニックネームでサインしたんだ。シリウスはパッドフット、ピーターはワームテール、ジェームズはプロングズ」

 懺悔するかのように、ルーピンは首を振った。

「狼人間である私をホグワーツに入学させてくれたダンブルドアには感謝していた。だからこそ、彼の信頼を裏切っている罪悪感は時折感じていた。私のために友人を非合法のアニメーガスにしてしまったことをダンブルドアは知らなかったし、夜な夜な歩き回っていることも知らなかった。そのつけが回ってきたんだ。……この一年、私は何度シリウスがアニメーガスだとダンブルドアに告げるべきかどうか迷った。けど、結局できなかった。私が臆病者だからだ」

 ルーピンは言葉を切り、長く息を吐き出した。

「もしシリウスがアニメーガスだと告げれば、学生時代にダンブルドアの信頼を裏切っていたと認めることになる。大人になっても、まともな仕事にも就けない私に、職場を与えてくださったのに……。だから、私はシリウスが学校に入り込むのに、ヴォルデモートから学んだ闇の魔術を使っているに違いないと思いたかったし、アニメーガスはそれとは何の関係もないと自分に言い聞かせた。……ある意味ではセブルスの言うことが正しかったわけだ」
「スネイプだと?」

 ブラックが鋭く尋ねた。

「スネイプに何の関係がある?」
「シリウス、セブルスはホグワーツで働いている。教授なんだ」

 ルーピンはハリー達四人を見た。

「スネイプ先生は私達と同期なんだ。彼は、信用できないからと、私が教職に就くことに反対した。ただ、それには彼なりの理由があった。……シリウスが仕掛けた悪戯で、セブルスが危うく死にかけたことがあったんだ。その悪戯には私も関わっていた……」
「奴はコソコソ嗅ぎ回っていたんだ。我々を退学に追い込むために」

 シリウスが付け足した。

「セブルスは、私が月に一度どこに行くのか非常に興味を持った。私達は――互いにあまり好きになれなくてね。特にセブルスはジェームズを嫌っていた。妬み――そういう類いのものだったと思う。セブルスは、満月の夜、私がマダム・ポンフリーと一緒に暴れ柳の方へ行く所を見かけた。シリウスは……その……からかってやろうと思って、セブルスに暴れ柳の通り抜け方を教えてしまったんだ。もちろん、セブルスは試してみた。すんでの所でジェームズがシリウスのしでかしたことに気づき、駆けつけてセブルスを引き戻していなければ、きっと人狼の私は彼を殺していただろう。セブルスは、その夜から私が何者なのかを知ってしまったんだ……」
「だからスネイプはあなたが嫌いだったんですね? あなたもその悪ふざけに関わっていたと思って」
「その通り」

 ルーピンの背後の壁から、突然冷たい声がした。セブルス・スネイプが透明マントを脱ぎ捨て、杖をルーピンに向けて立っていた。

 皆が驚いて彼を見た。しかし当のスネイプは気にする様子もなく、マントを脇に投げ捨てた。

「暴れ柳の根元で見つけた。なかなか役に立ったぞ、ポッター」

 スネイプはニヤリと笑った。

「我輩がどうしてここを知ったのか、諸君は不思議に思っているだろうな? ルーピン、君の部屋に行ったよ。例の薬を飲むのを忘れたようだから、ゴブレットに入れて持って行った。君の机に、何やら地図があった。一目見ただけで我輩に必要なことは全て分かった。君がこの通路を走っていき、姿を消すのを見たのだ」
「セブルス、君は誤解している。君は話を全部聞いていないんだ。シリウスはハリーを殺しに来たのではない」
「ダンブルドアがどう思うか見物ですな。ダンブルドアは君が無害だと信じ切っていた」
「愚かな」

 ルーピンは静かに言った。

「学生時代の恨みで無実の者をまたアズカバンに送り返すというのかね?」

 スネイプの杖から細い紐が噴き出て、ルーピンの口や手首、足首に巻き付いた。ルーピンはそのまま床に倒れ、身動きができなくなる。彼の手から転がり落ちたネズミは、ロンが急いで拾い上げた。

 スネイプの杖は、今度はブラックを狙った。ハリエットは咄嗟にスネイプに縋り付く。

「スネイプ先生、待ってください。私たちはまだ話の途中でした。真相を全部聞いていません」
「真相?」

 スネイプが鼻で笑う。

「犯罪者と人狼の口から語られる話が真実だと君は思っているのかね?」
「でも、少なくとも嘘を言っているようには見えませんでした。シリウス・ブラックはアニメーガスで、ルーピン先生は人狼で……でも、私たちを殺す機会はたくさんあったのに、そうしませんでした。二人は、ネズミが――」
「黙れ!」

 気圧されたようにハリエットは黙った。

「分かりもしないことに口を出すな!」

 そしてスネイプは、順々になめるように生徒を見た。

「我輩に従ってもらおう。柳の木を出たらすぐにディメンターを呼ぶ。連中はブラック、君を見てお喜びになるだろう。喜びのあまりキスをする。そんなことだろう」

 ブラックの顔に僅かに残っていた色さえ消え失せた。

「聞け……。ネズミを見るんだ。ネズミが――」
「来い。全員だ」
「待って……待ってください」

 何かがおかしいとハリエットは感じていた。そしてそれは、彼女だけではなくハリー達も感じていたことだ。ここまで、ルーピンの話に矛盾はない。どうにもモヤモヤした。ルーピンは、何を伝えようとしていた――?

「我輩が人狼を引きずっていこう。ディメンターがこいつにもキスしてくれるかもしれん」

 ハリーは頭に血をのぼらせ、飛び出した。ドアの前に立ち塞がり、スネイプを睨み付ける。

「退け、ポッター。我輩がここに来てお前の命を救っていなかったら――」
「エクスペリアームス!」

 ハリーの杖から閃光が放たれた。それは真っ直ぐスネイプの胸にぶつかり、彼は昏倒した。

「ああ、ハリー、なんてことを……」

 ハーマイオニーが呟いた。しかしハリーは毅然として言う。

「まだ話は終わってなかった。スネイプは、話も聞かず問答無用で連れて行こうとしたんだ」
「――でも、あなたがしなかったら私がしてたわ」

 ハーマイオニーが笑うと、ハリーも微笑みを返した。そしてルーピン達にまた向き直る。

 ルーピンは縄を解こうともがいていた。ブラックが駆け寄り、彼を助け出す。ルーピンはハリーに向かって微笑んだ。

「ハリー、ありがとう」
「僕、まだあなたを信じるとは言ってません」
「それでは、君たちに証拠を見せるときが来たようだ」

 ルーピンは、ロンに向かって手を差し出した。ロンはスキャバーズを握りしめながら、助けを求めるように、ハリーやハリエットを見る。

「なんでスキャバーズなんだ? もしペティグリューがネズミに変身できたとしても、ネズミなんて何百万といるじゃないか。アズカバンに閉じ込められていたら、どのネズミが自分の探してるネズミかなんて、どうやって分かるんだい?」

 ブラックは徐にローブからくしゃくしゃになった切れ端を取り出した。それは、一年前の日刊予言者新聞だった。写真には、ロンと家族と、そしてロンの肩にはスキャバーズがいる。

「去年、アズカバンの視察に来たときファッジがくれた新聞だ。ピーターがそこにいた。私はすぐに分かった。こいつが変身するのを何回見たと思う? 写真の説明には、子供達がホグワーツに戻ると書いてあった。ハリーやハリエットのいるホグワーツへ……」

 未だ疑り深い顔のするロンに、ブラックは静かに言った。

「前足を見てくれ。指が一本ない」
「まさに」

 ルーピンがため息をついた。

「何と小賢しい……。あいつは自分で切ったのか?」
「変身する直前にな。追い詰めたとき、あいつは道行く人全員に聞こえるように叫んだ。わたしがジェームズとリリーを裏切ったんだと。それから奴は隠し持った杖で道路を吹き飛ばし、自分の周りにいた人間を皆殺しにした。そして素早くネズミがたくさんいる下水道に逃げ込んだ……」
「ペティグリューの亡骸は、指一本だったって……」

 茫然としたようにハーマイオニーは呟いた。

「わたしは、アズカバンを脱獄した後、何とかしてピーターを見つけようとした。そんな中、この猫に出会ったんだ。君のペットだね?」

 ブラックの声に、ハーマイオニーはおずおずと頷いた。

「わたしの出会った猫の中で、ピーターを見るなりすぐに正体を見抜いた。そしてわたしの正体をもね。わたしを信用するまでにしばらくかかったが、目的をこの子に伝えたら、それ以来助けてくれた――」

 ブラックはクルックシャンクスを撫でた。

「ピーターをわたしの所に連れてこようとしたり、グリフィンドール塔への合い言葉を盗み出してくれたり。ハリエットの食料をわたしの所まで運んでくれたりもした」

 そして言葉を切り、ブラックはハリエットを見た。

「あの時はありがとう」

 初めてブラックと目が合った。始めは恐怖しか抱かなかったのに、不思議と今は、その深い瞳に吸い込まれそうになる。ハリエットはやがてこっくりと頷いた。

「ピーターはことの成り行きを察知して、逃げ出した。この子は、ピーターは自分の血の跡を残し、姿を消したと教えてくれた。たぶん、自分で自分を噛んだのだろう。死んだと見せかけるのは、前にも一度うまくやったことだしな」
「それじゃ、なぜピーターは自分が死んだと見せかけたんだ?」
「お前が僕達の両親を殺したのと同じように、自分も殺そうとしていると気づいたからじゃないか!」
「違う、ハリー」

 ルーピンが口を挟んだ。

「分からないのか? 私たちはずっとシリウスが君達のご両親を裏切ったと思っていた。ピーターがシリウスを追い詰めたと思っていた。しかしそれは逆だった。ピーターが君達のお父さん、お母さんを裏切ったんだ」
「嘘だ!」

 ハリーはぶんぶん首を振った。

「ブラックが秘密の守人だった!」
「ハリー……わたしが殺したも同然だ」

 ブラックが悲しみを帯びた声で言った。

「最後の最後になって、ジェームズとリリーにピーターを守人にするよう勧めたのはわたしだ。二人が死んだ夜、わたしはピーターが無事かどうか確かめに行くことにしていた。しかし、ピーターの隠れ家に行ってみるともぬけの殻だ。争った形跡もない。君たちの両親のところへ向かった。そして、家が壊され、二人が死んでいるのを見つけた。私は悟った。ピーターが何をしたのかを。わたしが何をしてしまったのかを」
「話はもう充分だ。証拠を見せよう。……ロン、ネズミを渡してくれ」
「こいつを渡したら、何をするつもりだ?」

 ロンの声は緊張していた。

「無理にでも正体を現させる。もし本当のネズミだったら、これで傷つくことはない。約束しよう」

 真っ直ぐな視線に、ロンは躊躇いがちにスキャバーズを差し出した。ルーピンが受け取り、そのネズミに杖を突きつける。

「シリウス、準備をしてくれ」

 ブラックはもう既にスネイプの杖を拾い上げていた。ルーピンとネズミに近づき、その杖先を向ける。

「一緒にするか?」
「そうしよう」
「三つ数えたらだ。一、二、三!」

 青白い光が二本の杖からほとばしった。一瞬だがスキャバーズがその場に浮き、制止した。ネズミはやがて石化状態から解き放たれ、そして地面にポトリと落ちた。床の上で激しく身をよじったネズミは、徐々に大きくなった。にょきにょきと手が生え、足が生え、ずんずんと頭が伸びていく。

 いつの間にか、地面の上には男が横たわっていた。クルックシャンクスが彼に対して威嚇をした。

 小柄な男だった。まばらな色あせた髪はくしゃくしゃで、てっぺんに大きなはげがあった。小さい潤んだ瞳は、なんとなくネズミ臭さが漂っていた。