■アズカバンの囚人

22:またいつか


 ハリー達五人は、翌日の昼に退院した。ドラコはまだ足を固定していたが、一週間もすれば治る予定だという。

 城にはほとんど誰もいなかった。皆試験が終わった上、ホグズミード行きを楽しんでいるのだ。ハリー達四人は、のびのびしながらホグワーツを練り歩いた。昨夜の大冒険については、寝不足になりながら医務室でも話したのだが、まだまだ話し足りないことが山ほどあったのだ。特に逆転時計の所はロンに人気だった。どうして僕その時気絶してたんだろうとひどく残念そうだった。

 途中でハグリッドに出会った。彼はバックビークが逃げおおせたことをひどく喜んでおり、全貌を知っている四人は、互いに小突きあいながら、勢い余ってハグリッドに真実を伝えないようにした。

 途中でハグリッドは気になることを言った。なんと、スネイプが今朝スリザリンの生徒に、ルーピンの正体が狼人間だと明かしたというのだ。おまけに、昨晩はルーピンは野放し状態で、生徒を襲ったとも。

 ルーピンが城を去るために荷物をまとめているところだと聞いて、ハリー達はじっとしていることができなくなった。特にハリーは、己に守護霊の呪文を教えてくれたことに非常に感謝していた。ハリエットも色々と話したいことがあったので、双子はルーピンの部屋に向かった。

 彼の部屋は開いていた。もうほとんど荷造りはすんでいるようで、使い古されたスーツケースが蓋を開けたまま一杯になって置いてあった。ルーピンは机に座って何かを見ていた。

「君たちがやってくるのが見えたよ」

 ハリー達が声をかける前に、ルーピンはにっこり笑って顔を上げた。

「ハグリッドに会ったんです。先生がお辞めになったって……嘘でしょう?」
「いや、本当だ」
「どうしてなんですか? 魔法省は、まさか先生がシリウスの手引きをしたなんて思っているわけじゃありませんよね?」
「いいや、私が君たちの命を救おうとしていたのだとダンブルドア先生がファッジ納得させてくださった」

 それならどうして、と言いつのるハリーを、ルーピンは苦笑いで止めた。

「セブルスはそれでキレたんだ。マーリン勲章をもらい損ねたのが痛手だったのだろう。そこで彼は……ついうっかり、今日の朝食の席で私が狼人間だと漏らしてしまった」
「それだけでお辞めになるなんて!」

 ルーピンは自嘲の笑みを浮かべた。

「明日の今頃は親たちからのふくろう便が山ほど届くだろう。ハリー、誰も自分の子どもが狼人間に教え受けることなんて望まないんだよ」
「そんなの……間違ってます。先生は今までで最高の闇の魔術に対する防衛術の先生です。行かないでください」
「そう言ってもらえるだけで充分だよ、ハリエット」
「でも……でも、昨晩、ハリーは守護霊の呪文を……完璧な守護霊の呪文で皆の命を救ったんです。先生のおかげなんです」
「素晴らしいことだ」

 ルーピンは目を細めてハリーを見た。

「君のパトローナスは何になった?」
「牡鹿です」
「牡鹿か。不思議な縁だね。君のお父さんはいつも牡鹿に変身した。だから私たちはプロングズと呼んでいたんだよ」

 ルーピンは引き出しを開け、中から銀色の布をとりだした。

「昨夜叫びの屋敷からマントを持ってきた。それとこれも」
「あっ」

 ルーピンが差しだしたのは透明マントと、忍びの地図だった。すっかり忘れていたので、双子は顔を見合わせて笑ってしまった。

「私はもう君たちの先生ではない。だからこれを君に返しても別に後ろめたい気持ちはない。私には何の役にも立たないものだからね。君たちなら、使い道を見つけることだろう」

 ルーピンは最後の本をスーツケースに投げ入れた。そして勝手にトランクは閉まる。

「さあ、私はもう行かないと。……さよなら、ハリー、ハリエット」

 ルーピンはスーツケースを手に微笑んだ。

「君たちの先生になれて嬉しかったよ。またいつかきっと会える」
「先生、本当に、本当にありがとうございました」
「またお会いできる日を楽しみにしています、ルーピン先生」

 ハリー達は玄関ホールまでお見送りに行った。ルーピンを乗せ、小さくなっていく馬車を、二人はいつまでも見つめていた。


*****


 シリウス、バックビーク、ペティグリューが姿を消した夜に何が起こったのか、ハリー、ハリエット、ロン、ハーマイオニー、ドラコ、ダンブルドア以外には、ホグワーツの中で真相を知るものは誰もいなかった。ロンは、『マルフォイの奴、すぐにシリウスのことバラすぞ』と言っていたが、いつまで経っても真実が漏れ出た様子はない。あの夜のことは、ドラコは口を固く閉ざしてくれているのだ。

 夏休みが近づくにつれ、ハリー達双子は沈んでいった。またダーズリー一家の元に帰ることを思うと、楽しくなるわけがない。ほんの僅かな時間だった。ハリー達がシリウスと暮らせるのだと信じ切っていたのは。父親の親友と暮らせるなんて、どんなにか幸せな毎日が待っていたことだろう。

 シリウスからの便りがないことも双子を落ち込ませていた。逃亡中で、そんな暇も余裕もないとは思うが、あの夜シリウスに出会えたことは、ひょっとしたら自分たちの都合の良い夢だったのではないかと思うと、一層気が沈むのだ。

「二人とも、元気を出して」

 ホグワーツ特急にて、双子が揃って窓の外を見ているので、見かねたハーマイオニーが声をかけた。

「うん、大丈夫だよ」
「休暇のことを考えてただけよ」
「僕もそのことを考えてた」

 双子の返答に、ロンは合いの手を入れた。

「みんな、絶対僕たちの所に来て、泊まっていってよ。僕、パパとママに話して、それから話電する。使い方はもう分かったから」
「ロン、電話よ」

 ハーマイオニーの突っ込みをロンは無視した。

「今年の夏はクィディッチのワールドカップだぜ! どうだい、気になるだろ? 一緒に見に行こう! パパ、大抵魔法省からチケットが手に入るんだ」

 この提案はハリーを大いに元気づけた。それからは心機一転、車内販売でたくさん購入したり、『爆発スナップ』で遊んだりした。

 そして午後には、双子にとって本当に嬉しい出来事が待っていた。

 ホグワーツ特急の窓から、灰色の小さなふくろうが、シリウスからの手紙を届けてくれたのだ。

「読んで!」

 ハリエットはすぐにハリーの隣を陣取り、そしてロンもハーマイオニーも上から覗き込んだ。
『ハリー、ハリエット、元気かね?

 君がおじさんやおばさんのところにつく前に手紙が届きますよう。おじさん達がふくろう便になれているかどうか分からないからね。

 バックビークもわたしも無事隠れている。この手紙が別の人の手に渡ることも考え、どこにいるかは教えないでおこう。

 吸魂鬼がまだわたしを探していることと思うが、ここにいればわたしを見つけることは到底望めまい。もうすぐ何人かのマグルにわたしの姿を目撃させるつもりだ。ホグワーツから遠く離れたところでね。そうすれば城の警備は解かれるだろう。

 短い間しか君たちと会っていないのでついぞ話す機会はなかったが、ファイアボルトやネックレスを贈ったのはわたしだ――』
「やっぱりね!」

 ハーマイオニーは得意満面だった。

「ブラックからだって私言ったでしょ?」
「ああ、でも呪いなんかかけてなかったじゃないか」

 親友二人のやりとりは一切無視して、双子は先を読み進めた。
『クルックシャンクスがわたしに代わって注文をふくろう事務所に届けてくれた。君たちの後見人から十三回分の誕生日をまとめてのプレゼントだと思って欲しい。

 去年、君たちがおじさんの家を出たあの夜、二人が野良犬のわたしを受け入れてくれたことはとても嬉しく思っていたよ。十二年間もアズカバンに放り込まれ、わたしは随分やつれていたし、気が猛っていた……。だが、成長した君たちが、心優しく、立派に育っているのをその目で見ることができ、どれだけ嬉しく思ったことか。そして心が穏やかになった……。自分の状況も忘れて君たちのペットになろうとしていたことはどうか忘れて欲しい。あの時のわたしはどうかしていた』
「ペット?」

 ロンが声が手紙を中断させた。

「ペットってどういうこと? 君たち、まさかあのグリムにしか見えないシリウスをペットにしようとしてたの?」
「ハリエットがね」
「ハリーも賛成してくれたじゃない」
「マーリンの髭!」
『来年の君たちのホグワーツでの生活がより楽しくなるよう、あるものを同封した。わたしが必要になったら、手紙をくれたまえ。君たちのふくろうがわたしを見つけるだろう。また近いうちに手紙を書くよ。――シリウス』
 ハリーは慌てて封筒を良く確認した。すると中に入っていたのはなんと。
『わたくし、シリウス・ブラックは、ハリー・ポッター、ハリエット・ポッターの後見人として、ここに週末のホグズミード行きの許可を与えるものである』
「――っ!」

 双子は喜び勇んで抱き合った。手紙にはまだ追伸があった。グイッと覗き込んでハーマイオニーが読む。

「『良かったら、君の友人のロンがこのふくろうを飼ってくれたまえ。ネズミがいなくなったのはわたしのせいだし――』ですって!」

 ロンはポッカリ口を開けた。チビふくろうはまだコンパートメントにおり、ホーホーと鳴いている。

「本当に飼っても良いって?」

 ロンは躊躇っているようだった。少しの間ふくろうを眺め、そしてクルックシャンクスの方にふくろうを突き出す。

「どう思う? 間違いなくふくろうなの?」

 クルックシャンクスは問題なさそうに喉をゴロゴロ鳴らした。

「僕には充分な答えだ。こいつは僕のものだ」

 ロンは嬉しそうにチビふくろうを指で撫でた。

 キングズ・クロス駅までずっと、双子は交互にシリウスからの手紙を読んだ。それは九と四分の三番線から出てきても変わらず、ハリーの手にしっかりと握られた手紙にバーノンは目をとめた。

「なんだそれは。またわしがサインせにゃならん書類なら、お前はまた――」
「違うよ」
「私たちの名付け親からの手紙なの」

 双子は顔を見合わせた。

「名付け親だと? お前らに名付け親なんぞいないわい!」
「いるよ!」

 ハリーの目は生き生きしていた。

「父さん、母さんの親友だった人なんだ。殺人犯なんだけど、魔法使いの牢を脱獄して、逃亡中なんだよ。ただ、僕達といつも連絡を取りたいらしい。僕たちがどうしているか、知りたいんだって。幸せかどうか確かめたいんだって」
「私たち、幸せ者よね」

 最高の笑顔で、ハリエットはハリーを見た。ハリーもそっくりな笑顔を浮かべる。

 双子がバーノンに視線を戻したとき、彼の顔には恐怖の色がありありと浮かんでいた。双子は思った。どうやら、去年よりはずっとマシな夏休みになりそうだ、と。


アズカバンの囚人 完結