■賢者の石

06:来客達


 お昼を少し過ぎた頃、車内販売がやってきた。朝食を食べていなかったので、双子は勢いよく立ち上がったが、ロンはサンドイッチを持ってきているからいらないと答えた。

 通路に出て、ハリー達はカートをマジマジと見つめた。マグル界にあるようなチョコ・バーはなかったが、その代わり、百味ビーンズだの、ドルーブルの風船ガムだの、蛙チョコレートだの、見たこともないようなへんてこりんなお菓子が売ってあった。ダーズリー家ではお菓子を食べたことがほとんどなかったので、ハリーはためらいなく全てのお菓子を少しずつ買った。無駄遣いだわ、とハリエットは渋い顔をしたが、やがて座席に広げられた自分たちだけのお菓子に、すっかりお金のことは頭から抜け落ちた。

「お腹空いてるの?」

 二人で食べるにしても絶対に余るだろう量に、ロンは目を丸くした。

「ペコペコだよ」
「良かったら一緒に食べない?」
「いいの?」
「一緒に食べた方がおいしいもの」

 ロンは歓声を上げてお菓子を一つ手に取った。ハリーとハリエットも、もちろんそれぞれ気になったお菓子の包装を開けていく。

 ちょっとしたパーティー並みのお菓子に、ハリエットは上機嫌だった。少し甘い物を食べ過ぎたわと言えば、ロンが全く手をつけていなかった、母親手製のサンドイッチを渡してくれた。パサパサしていたが、愛情が籠もっていておいしかった。

「これは何?」

 たくさんある小さな箱を手に、ハリエットはロンに尋ねた。

「蛙チョコレートだよ」
「本物なの?」
「まさか、チョコの蛙だよ。中にカードも入ってるんだ。有名な魔法使いとか魔女とかの写真だよ。僕、五百枚ぐらい持ってるけど、アグリッパとプトレマイオスがまだないんだ。開けてみて」
「ええ」

 ハリエットはドキドキしながら蛙チョコレートを開いた。甘いチョコレートの香りが漂ってきた――と思ったら、顔に何か小さな衝撃が走る。チョコレートの香りが濃くなった。

 何が起こったのか、一瞬分からなかったハリエットだが、ゲコッと『それ』が鳴いた途端、けたたましい叫び声を上げた。

「きゃあああっ!」

 ハリエットの叫び声に驚き、『それ』は開いた窓から逃げ出した。後に残るのは、チョコレートをべっとり顔につけたまま、半泣きで放心するハリエットだ。

「かっ、カエルが……カエルが顔に!」
「鈍くさいなあ。すぐに捕まえないと、チョコが逃げちゃうんだよ」
「だって、動くって言わなかったもの!」
「分かってると思ったんだよ、当たり前のことだから……蛙が動かないわけないじゃないか」
「チョコレートの蛙は普通動かないわ!」

 前にも似たような口論をしたことがあったような、とハリーはぼんやり思った。そしてハリエットが驚いた拍子に放り投げたカードを拾う。そこには男性の顔が映っていた。半月形の眼鏡をかけ、流れるような銀色の髪、顎髭、口髭を蓄えている。写真の下には『アルバス・ダンブルドア』と書かれていた。

 カードの裏には、彼が現在のホグワーツ校校長であること、近代の魔法使いの中で最も偉大な魔法使いと言われていること、ニコラス・フラメルとの錬金術の共同研究が有名だと書かれていた。また表に返したときには、何故だかダンブルドアの顔は消えていた。

 この不思議なカラクリにハリーが見入っていると、唐突にコンパートメントの戸が開いた。そして少年が三人入ってくる。ハリーは真ん中の少年が誰か一目で分かった。洋装店にいた偉そうな少年だ。

 彼は、ハリーとロン、そしてハリエットをジロジロ見つめた。特にハリーを強く見ていたが、あまりにもハリエットの様相が気になりすぎて、声をかけずにはいられなかったようだ。

「あー、君? 一体どうしたんだ。すごい悲鳴が聞こえたけど」
「あ、あの、蛙チョコレートが顔に飛びついて、それで驚いて……」

 少年の後ろに立つ大柄な二人の男の子が、ゲラゲラと笑った。ハリエットのチョコレートまみれの顔もおかしいが、何より蛙チョコレートが顔に飛びつくなんて鈍くさい出来事がおかしかった。

「君達、ここに何の用なの?」

 機嫌が悪いのを隠そうともせず、ハリーはぶっきらぼうに訊ねた。ハリエットが笑われたことが気にくわなかったのだ。

「ああ、悪いね。僕のこと覚えてる? マダム・マルキンの店で会ったんだけど」
「覚えてる」
「良かった。あの時は挨拶できなかったから、改めて挨拶しておこうと思って。こいつはクラッブで、こっちがゴイルさ」

 少年の後ろに立つ男の子を指さし、紹介した。どちらも大柄で、あまり見分けはつかなかった。

「そして僕がマルフォイだ。ドラコ・マルフォイ」

 ロンは笑いを堪えるように軽く咳払いをした。ドラコは耳ざとくそれを見咎める。

「僕の名前が変だとでも言うのかい? 君が誰だか聞くまでもないね。父上が言ってたよ。ウィーズリー家は皆赤毛で、そばかすで、育てきれないほどたくさん子供がいるってね」

 ドラコは、ハリーとハリエットを、交互に見つめた。

「ポッター君達、そのうち家柄の良い魔法族とそうでないのとが分かってくるよ。間違った人達とは付き合わないことだね。その辺も僕が教えてあげよう」

 ドラコは、ハリエットのときと同じように、ハリーに握手を求めた。だが、ハリーは応じなかった。

「間違った人かどうかを見分けるのは自分でもできると思うよ。どうもご親切様」

 嫌味な言い方に、ドラコは口元をヒクつかせた。

「僕ならもう少し気をつけるけどね。礼儀を心得ないと、君達の両親と同じ道をたどることになるよ。ウィーズリー家やハグリッドみたいな下等な連中と一緒にいると、君達も同類になるだろうさ」

 ハリーとロンはいきり立って立ち上がった。

「もう一回言ってみろ」
「僕たちとやるつもりかい?」

 ドラコは笑ったが、ハリーはキッパリ言った。

「今すぐ出て行かないならね」
「は、ハリー」

 心配そうにハリエットはハリーの裾を掴んだ。ドラコはともかく、クラッブもゴイルもハリー達より二回り以上大きかったので、心底不安だった。

 クラッブやゴイルは、あまりあるお菓子の山に興味があったようだ。ゴイルがロンの側にあるチョコレートに手を伸ばし、あわや取っ組み合いが勃発するかという所で、ゴイルは独りでに叫び声を上げた。見ると、彼の太い指に、ロンのペット、スキャバーズが食らいついていた。ゴイルは何とかネズミを振り切ると、クラッブと共に慌てて去って行った。ドラコもその後を追おうとしたようだが、言い残したとばかり、少し足を止めた。

「早くチョコレートを落とすことをおすすめするよ」

 ドラコは冷たい顔でハリエットを見た。

「いつまでも間抜け面を晒したいのなら余計なお世話だったかもしれないけど」

 せせら笑って、ドラコは出て行った。ハリエットは顔を真っ赤にして、ハンカチで顔を拭った。

「なんて奴だ」

 ハリーは憤慨し、扉を勢いよく閉めた。しょんぼりしながらハンカチを仕舞うと、ハリエットはすぐ隣の座席に、ネズミがくたばっているのを見つけた。ゴイルが振り払ったときに、窓に叩き付けられてしまったのだ。

「なんてこと……」

 ハリエットはネズミを両手で掬い、膝の上に載せて介抱した。ネズミは両手でも零れそうなくらい大きかった。

「ノックアウトされちゃった? 違う……驚いたなあ、また眠っちゃってるよ」

 ロンはネズミを覗き込んだ。

「勇敢なのね。ご主人様を守ったんだわ」

 ハリエットがネズミの腹を撫でれば、嫉妬するようにウィルビーが一鳴きした。

「分かっただろ」

 苛立たしげに座席に座り直し、ハリーは唐突に言った。

「あいつ、すごくやな奴だ」
「それは言うまでもないけど……どうしたの?」

 確認するようにハリーが言ったので、ロンが聞き返した。

「僕たち、ダイアゴン横丁でもあいつに会ったんだ。僕は嫌な奴だってすぐに分かったけど、ハリエットは、僕たちが知らないことをあいつに教えてもらったからって、いい人扱いしてたんだ」
「うわあ」

 ロンはまるでドン引きしたようにハリエットを見た。ハリエットはまごまごと下を向く。

「だ、だって、本当にいい人に見えたのよ……」
「おっどろきー。どこをどう見たらあいつがいい人に見えるのさ。ハリー、ちゃんとハリエットのこと見ておいた方が良いよ?」
「そうする」

 隣で繰り広げられる会話に、ハリエットは拗ねたような、申し訳ないような面持ちで押し黙った。

「あー、それで、スキャバーズはどう? まだ寝てる?」
「ええ、ぐっすり。怪我がないと良いんだけど」

 そうっとネズミを持ち上げて、ハリエットはロンに返した。

「こいつ、本当に寝てばかりなんだ。役立たずだし」
「そんな。可愛いじゃない。毛並みも良いし、それに大人しいわ」
「そんなこと初めて言われたよ」

 ロンは驚いたように笑った。ハリーは小さく茶々を入れた。

「ハリエットは、動くものなら何でも好きなんだ。虫以外ね」
「蛙も嫌いになった? 虫じゃないけど」

 ロンがそれに便乗する。ハリエットは頬を膨らせまた。

「蛙も嫌いよ」

 これでいいでしょ、と言わんばかりハリエットはため息をついた。蛙は好きでも嫌いでも何でもなかったが、ゲコゲコ鳴きながら突然顔に飛びついてきたら誰だって嫌いになる。それがたとえ、チョコレートだったとしても。

 散らばったお菓子の整理をしていると、コンパートメントをノックして、丸顔の少年が入ってきた。泣きべそをかいていて、三人は顔を見合わせた。

「急にごめんね。僕のヒキガエル見なかった? いなくなっちゃったんだ」
「かっ――」

 敏感になっていたハリエットは言葉を失った。ハリーはそれにクスクス笑いながら、少年に向き直る。

「見なかったよ。君のペット?」
「うん。僕から逃げてばかりいるんだ」
「きっと見つかるよ。見かけたら教える」
「ありがとう……」

 肩を下げながら少年は去って行った。

「蛙を見つけたら、あの子に教えてあげないとね」

 からかうようにハリーはハリエットを見た。ハリエットは恨みがましくにらみ返す。

「もちろんよ。見つけたらハリーに言うから、ちゃんと捕まえてね」
「はいはい」

 しばらくして、またコンパートメントの戸が開いた。今日はやけにお客さんが来る日だ。

「誰かヒキガエルを見なかった? ネビルのがいなくなったの」

 フサフサの栗色の髪を伸ばした、前歯の少し大きい女の子だった。身長はハリエットと同じくらいで、新入生のようにも見えるが、しかしキッチリと制服と着込んだ様からは、入学して三年程経ったかのような風格も見られる。

「見なかったって、さっきの子にもそう言ったよ」
「あら、そう。私、ハーマイオニー・グレンジャー。あなた達は?」
「僕、ロン・ウィーズリー」
「ハリー・ポッター」
「ハリエット――」
「本当に?」

 ハリエットの自己紹介は、ハーマイオニーの驚いた声でかき消された。

「私、もちろんあなたのこと全部知ってるわ。参考書を二、三冊読んだの。あなたのこと、いろんな本に出てるわ」
「僕が?」

 ハリーは驚いて聞き返した。

「知らなかったの? 私があなただったら、できるだけ全部調べるけど」

 そう前置きして、ハーマイオニーは怒濤のごとく話し始めた。自分がマグル出身であること、教科書を全部暗記したこと、入りたい寮のこと……。話し終えると、満足したのか笑顔を浮かべた。

「あなた達も早く着替えないと。もうすぐ着くはずだから」
「そうしてくれると助かるよ。僕たちも着替えないといけないから」

 つっけんどんな物言いに、ハーマイオニーは肩をすくめた。そのまま出て行くかと思いきや、彼女は振り返る。

「ねえ、魔法界では鼻に泥をつけるのが流行ってるの?」

 ハーマイオニーは小馬鹿にしたような声を出した。

「あなたとあなたよ。気がついてた?」

 ロンとハリエットは、揃って顔を赤くした。ハリエットは慌てて袖口で鼻を拭う。さっき顔を拭いたハンカチは、もはやチョコレートでドロドロで、使い物にならなかったからだ。

「どうかあいつと同じ寮じゃありませんように」

 ハーマイオニーが出て行った後、ロンは扉を睨みつけるようにして言った。

「二人、先に着替えて。私、外に出てるから」

 ようやく顔を綺麗にしたハリエットは、ゆっくり立ち上がった。ハリーはすぐに頷く。女の子の着替えよりも、男の子の方が早いと判断したのだ。

「急いで着替えるよ」
「ええ」

 コンパートメントの外は、少し肌寒かった。キョロキョロしていると、通路の向こう側から少年が歩いてくるのが見えた。ヒキガエルがいなくなったというネビルだ。

「ヒキガエル見つかった?」

 ハリエットが声をかけると、ネビルはパッと顔を上げた。

「あ、まだなんだ……」
「そう。早く見つかると良いわね」
「うん、ありがとう」

 そのままネビルは自分のコンパートメントに入るかに思われたが、たたらを踏み、おどおどとハリエットを見た。

「もしかして、あの二人の着替えを待ってるの?」
「ええ」
「じゃあ、僕のコンパートメントで着替えたら? 僕はもう着替えてるし、ハーマイオニー――あっ、同じコンパートメントの子なんだけど、女の子だから入れてくれると思う」
「でも、良いのかしら」
「一緒にトレバーを探してくれた子なんだ。大丈夫。ねえ、ハーマイオニー、着替えがまだの女の子がいるんだけど、ここで着替えさせてもらって良いかな?」

 ハリエットが恐る恐る近づくと、戸の向かうからは了承の返事が返ってきた。

「ありがとう」
「ううん、いいよ。僕はもう少しトレバーを探して見るから……」
「あの……本当に見つかるといいわね」

 ハリエットは心からそう言った。もしもトレバーを見つけたら、人任せにはせず頑張って捕まえてみようと思った。

 ハリーにトランクを出してもらって、ハリエットはいそいそとネビル達のコンパートメントにやって来た。二人のコンパートメントは、当たり前だが、ついさっきまでハリエット達がいた所と何ら変わらなかった。大きく変わるとすれば、座席に大量のお菓子がなく、代わりに数冊の本が置かれていることくらいか。

 その本の所有者は、言うまでもなくハーマイオニーだろう。

「ごめんね、急に。私、ハリエット・ポッターよ」
「ハリー・ポッターの双子の妹……よね? 本で読んだわ、あなたのことも。よろしく。ハーマイオニーって呼んで」
「じゃあ、私のこともハリエットって呼んで」

 コンパートメントの外が騒がしくなってきたので、ハリエットは慌てて服を脱ぎ出した。そろそろ本当にホグワーツが近いのだろう。

「その服……あなたの趣味?」

 座席に散らばっていくハリエットの服を見て、ハーマイオニーは訊ねた。ぶかぶかの服が珍しかったようだ。

「ああ……えっと、お下がりなの」
「そう」

 暗くなった声で薄々事情を察したのか、彼女はそれ以上何も聞いてこなかった。

「そのリボン、可愛いわね」

 その代わり、ハリエットのリボンに目を止めた。ハリエットは、長い髪をまとめてポニーテールにしていた。アクセントには、ハリーからもらった色の変わるリボンだ。初めて褒められたので、ハリエットは顔を綻ばせた。

「ありがとう。ハリーから誕生日プレゼントにもらったの」
「素敵ね」
「ええ!」

 着替えが終わると、ネビルのために少しドアを開け、ハリエットとハーマイオニーはしばらく談笑した。ハリエットが、ハーマイオニーと同じマグル育ちだということを伝えると、ハーマイオニーは嬉しそうな顔をした。教科書を暗記したと宣言してはいたが、やはり初めて行く魔法界に、内心では不安だったのだ。

「でも私、ハーマイオニーみたいにあんまり勉強してないわ。ロンみたいな魔法界で育った子達にどんどん後れを取ったらどうしよう。落ちこぼれになっちゃうかも」
「大丈夫よ。言ったでしょ、私、教科書を暗記したもの。もし分からないところがあったら私に聞いて。私もあなたに聞くことがあるかも知れないけど、その時は助け合いましょ」
「ええ、もちろん!」

 ハリエットは感激して何度も頷いた。

「私、ハーマイオニーと友達になれて良かったわ。これからよろしくね」

 ハーマイオニーは驚いたように目を丸くした。そして小さく頷くと、初めて笑みを見せた。

「よろしく、ハリエット」

 窓から見える景色は、次第に暗く陰りを見せていた。もう少しでホグワーツに到着するというアナウンスの後、汽車は徐々に速度を落としていった。