■炎のゴブレット

02:闇の印


 アイルランド・チーム対ブルガリア・チームの試合は前者の勝利で幕を閉じた。事前にバグマンと賭けをしたフレッドとジョージは特に大喜びだ。自分たちの全財産をかけて、アイルランド・チームに賭けていたからだ。

 ようやくテントに戻ってきても、その興奮は冷めやらず、ココアを飲みながら試合の話に花が咲いた。一番年下のジニーがうたた寝を始めたことで、アーサーもようやく舌戦を中止し、就寝時間となった。ハリーはウィーズリー家と共にそのテントで眠り、ハリエットとハーマイオニー、ジニーは隣のテントへ行ってベッドに潜り込んだ。キャンプ場の外れからはまだまだ歌声が聞こえ、時折バーンという音が響いてきた。

 疲れもあって、ハリエットはすぐに眠りに落ちた。だから誰かに揺り起こされても、深い眠りに入っていて、なかなか目を覚まさなかった。

「ハリエット、起きて!」

 耳元で叫ばれ、ハリエットは飛び起きた。その途端頭のてっぺんをテントにぶつけた。

「なっ、なに……?」
「分からないけど、様子がおかしいの。上着を着て外に出ろって!」

 ハーマイオニーは慌てたように上着を引っつかんでいた。ハリエットも何が何だか分からないまでも、ネグリジェの上にコートを引っかけ、テントを飛び出した。

 まだ残っている火の明かりから、皆が終われるように森へと駆け込んでいくのが見えた。歌声は止み、辺りは野次や騒音や混乱の声が響いていた。

 皆が逃げてくる方向からは、杖を真上に向け、行進してくる魔法使いの集団が見えた。彼らはフードを被り、一様に仮面をつけている。

 不気味な光景だった。彼らの遙か頭上に、宙に浮かんだ四つの影があった。仮面の一団が人形遣いのように杖から宙に伸びた見えない糸で人形を浮かせて、地上から操っているかのようだった。

 浮かんでいた人影は、キャンプ場管理人と、その妻、そして子供達だった。

「ひどいわ……」
「ホント、ムカつくよ」

 いつの間にか、ウィーズリー一家が集合していた。その中には当たり前だがハリーももちろんいて、ハリエットはホッと胸をなで下ろす。

「私達は魔法省を助太刀する。お前達は森へ入りなさい。バラバラになるんじゃないぞ。片がついたら迎えに行くから」

 アーサーとビル、チャーリー、パーシーは近づいてくる一団に向かって駆け出した。魔法省の役人が四方八方から飛び出し、騒ぎの現場に向かっている。

「さあ」

 フレッドがジニーの手を掴み、森の方に引っ張っていった。ハリー、ハリエット、ロン、ハーマイオニー、ジョージがそれに続いた。

 森は、フードの一団から逃げようとする人々で大混雑していた。木々の間を黒い影がこまごまと動き回り、不安げに叫ぶ声や、恐怖におののく声が周りに響いている。

 ハリエットは顔も見えない誰かにあっちこっちへと押されながら歩いた。ロンが木の根に躓いたのを合図に、ハーマイオニーがルーモスで灯りを点した。ハリエットも真似して杖先に灯りを出す。

「ドラコ?」

 ぼんやりとした灯りの先に、ドラコがたった一人で立っていた。木に寄りかかり、この騒ぎを見つめている。

「どうしてこんな所に一人で? 早く逃げないと」

 ハリエットは思わず彼に近寄った。周りを見回してみても、ドラコの両親の姿はない。

「僕はここで父上を待ってる」
「でも危ないわ。もっと奥に逃げないと」
「お前こそ、どうしてこんな所に一人なんだ?」
「えっ?」

 言われて、ハリエットははたと気づいた。

「は、ハリー? ロン! ハーマイオニー?」

 ハリエットは慌てて視線をあちこちに向けた。小道は不安げにキャンプ場の騒ぎを振り返る人でびっしり埋まっているのに、ハリー達の姿はどこにも見当たらなかった。

 その時、森の反対側で、これまでよりずっと大きな爆発音がした。ハリエットは泣きそうになる。

「ねえ、一緒に行きましょう? ここにいたら危ないし、私も一人は嫌だわ」
「はぐれたのか? 鈍くさい奴め……」

 グチグチ言いながらも、ドラコはハリエットについてきてくれた。そのまま人の波に沿って、奥へ奥へと向かう。

 人の気配が少なくなってきた頃、すぐ近くからガサガサッと音がして二人は飛び上がった。屋敷しもべ妖精のウィンキーが近くの灌木の茂みから抜けだそうともがいていた。

「悪い魔法使い方がいる!」

 前のめりになって懸命に走り続けようとしながら、ウィンキーはキーキー声で口走った。

「人が高く――空に高く! ウィンキーは退くのです!」

 そしてウィンキーは、自分を引き留めている力に抵抗しながら、息を切らし、キーキー声を上げて小道の向こう側の木立へと歩き出す。

「ウィンキー? 大丈夫?」

 ハリエットは思わず声をかけた。脳裏にドビーの顔が浮かんだ。主人の命令に反するとき、ドビーはいつも自分を嫌というほど殴っていた。

「一緒に逃げましょう」
「ハリエット・ポッター様」

 ウィンキーは目をぱちくりさせた。その間にも、ウィンキーの身体はズルズルと後ろへ引きずられていく。それに気づいたウィンキーは、慌ててまた前へ走り始めた。

「しもべ妖精なんて放っておけば良いだろう」
「そんなわけにいかないわ」

 ドラコの言葉に、ハリエットは頭を振った。もしこの場にハーマイオニーがいたなら、『見て見ぬ振りをする人がいるから、しもべ妖精の立場は向上しないんだわ!』と拳を握って活を入れただろう。ハリエットも同じだ。こんな危ない状況下でも逃げ出せないなんて、ウィンキーが可哀想だ。

「あなたのご主人様はきっと分かってくれるわ。私が説明する。だから一緒に逃げましょう」

 ハリエットはウィンキーの腕を引っ張った。厄介なことに、彼女の身体は魔法の拘束でも受けているのか、後ろへと引っ張る力が強かった。ハリエットも負けじと引っ張る。

「ああ、ありがとうございます、ハリエット・ポッター様! でも、あたしは一人で大丈夫でいらっしゃいます。早くお逃げになってください!」
「でも――」
「モースモードル!」

 誰か、男の声が闇を切り裂いた。すると巨大な緑色に輝く何かが暗闇から立ち上がった。ウィンキーの後ろの方からだ。それは木々の梢を突き抜け、空へと舞い上がる。

「何……?」

 ぐっと空を見上げると、そこに不気味な印がギラギラと刻印されているのが見えた。エメラルド色の星のようなものが集まり、髑髏をかたどっていた。髑髏の口からは舌のように長い蛇が這い出している。

 隣でドラコが息を呑むのが聞こえた。その後すぐにグイッと腕を掴まれる。

「行くぞ」

 短い言葉と共に、ドラコは歩き出した。チラリと見えた横顔は血の気を失っていた。ハリエットはよろめきながら歩幅を合わせる。

「あれは何なの?」
「…………」

 確実に知っているだろうに、ドラコは答えなかった。足早に小道を横切り、道とも言えない森の奥へと向かった。

「どうしてこんな所――」

 だが、それほど遠くへ行かないうちに、ポン、ポンと立て続けに音がして、どこからともなく二十人の魔法使いが現れ、三人を包囲した。木々から見え隠れしている彼らは、手に手に杖を持ち、その杖先をハリエットとドラコに向けていた。

「伏せろ!」
「ステューピファイ!」

 何が何だか分からないうちに、ハリエットは強く腕を引っ張られ、つんのめった。ドラコはハリエットを抱えたまま地面に仰向けで倒れ込んだ。

 視界の端に、目の眩むような閃光が走って行くのが見えた。ハリエットは顔を上げようとしたが、すぐにドラコの腕に頭を押さえつけられる。

「ハリエット!」

 どこか遠くの方から、ハリーの声が聞こえた。ハリエットは手のひらの杖をぎゅっと握りしめた。

「止めろ!」

 次に聞こえたハリーの声はすぐ近くから響いた。ロンとハーマイオニーの呼ぶ声も聞こえる。

「僕の妹だ! 僕たちとはぐれたんだ!」

 ドラコの力が弱まったので、ハリエットはそっと頭を上げた。もう閃光は止まり、数人の魔法使いが杖を下ろしたのが見えた。ハリーは、二人の魔法使いに抑えられていた。

「ハリエット!」

 魔法使い達を押しのけて、アーサーが真っ青になってやってきた。

「大丈夫か? 怪我はないか?」

 ハリエットは頷くので精一杯だった。すぐにハッとしてドラコが起き上がるのを手伝う。

「大丈夫?」
「ああ……」
「退け、アーサー」

 無愛想な冷たい声がした。クラウチだった。魔法省の役人達と一緒に、じりじり包囲網を狭めている。

「誰がやった? どっちが『闇の印』を出したのだ?」
「な、何のことですか?」
「僕たちじゃありません」

 ハリエットとドラコが同時に言った。

「とぼけるな! お前達は犯罪の現場にいた!」

 クラウチが叫んだ。杖をまだハリエット達に突きつけたまま、目をぎょろつかせている。ハリーは拘束から逃れようともがいた。

「ハリエットは違う! そんなことしない!」
「そうだよ! マルフォイがやったんだ!」

 ハリーに続いて、ロンが叫んだ。

「闇の印って……?」

 ハリエットが泣きそうになってアーサーを見上げると、彼は躊躇いがちに空を指さした。ハリエットはようやく合点がいって口を押さえた。

「違います! あれは私達じゃありません! 誰か……ウィンキーのすぐ近くにいた男の人が叫んだんです。呪文みたいなのを――」
「ウィンキーだと?」

 クラウチが目を細めた。

「嘘をつくな! ウィンキーがこんな所にいるわけがない!」

 クラウチは、杖先をハリエットからドラコへと向けた。ドラコはビクリと肩を揺らす。

「そこにいるのはマルフォイの倅だな? お前がやったのか? 父親からやり方を聞いて――」
「ドラコじゃありません! 男の人の声でした! あっちの方です!」

 ハリエットの指さした方に向け、皆が一斉に杖を向けた。

「もう遅いわ」

 ウールのガウン姿の魔女が頭を振った。

「既に『姿くらまし』しているでしょう」
「そんなことはない」

 エイモス・ディゴリーが言った。

「失神光線があの辺りも突き抜けた……犯人に当たった可能性は大きい」
「エイモス、気をつけろ!」

 肩をそびやかし、杖を構え、エイモスは暗闇へと突き進んだ。姿が消えた数秒後、ディゴリーの叫ぶ声が聞こえた。

「……犯人だという男はいない。代わりに……気絶していたのが……」

 ディゴリーは歯切れが悪かった。ザックザックと言う足音共にディゴリーが木立の影から再び姿を現した。両腕に小さなぐったりしたものを抱えている。ウィンキーだ。

 ディゴリーがクラウチの足下にウィンキーを置いたとき、クラウチは身動きもせず無言のままだった。魔法省の役人が一斉にクラウチを見つめた。

「こんなはずは……ない。絶対に……」
「この屋敷しもべは杖を持っていた。まずは『杖の使用規則』第三条の違反だ。『ヒトにあらざる生物は、杖を携帯し、またはこれを使用することを禁ず』」

 ディゴリーはチラリとクラウチを見た。

「まずは屋敷しもべの言い分を聞いてみよう。何か目撃しているかもしれない」

 クラウチはウィンキーに向かって『リナベイト』を唱えた。ウィンキーは微かに動き、それから大きな茶色の目を開けた。

「しもべ! 闇の印が打ち上げられた現場でお前は杖と共に発見された。この杖はどうやって手に入れた?」
「あれっ――それ、僕のだ!」

 ハリーの声だった。この場の視線が全て彼に向けられる。

「僕の杖です! 落としたんです!」
「自白しているのか? 闇の印を創り出した後で投げ捨てたとでも?」
「エイモス、もう忘れたのか? 現場にいたのはこの子達であって、ハリーではない。ハリーは後からここへやってきたんだ!」

 アーサーの荒い口調に、エイモスは口ごもった。

「いや……そうだったな。すまない……」
「それに、僕、あそこに落としたんじゃありません。森に入ったすぐ後になくなっていることに気づいたんです!」
「すると、しもべよ、お前がこの杖を見つけ、そしてちょっと遊んでみようと、そう思ったのか?」
「あたしはそれで魔法をお使いになりませんです!」

 ウィンキーの頬を涙が伝った。ハリエットも声を上げた。

「ウィンキーじゃありません! 男の人の声でした! ね、そうよね?」

 ハリエットがぐいとドラコの裾を掴むと、彼もまた我に返ったように頷いた。

「まあ、すぐに分かることだ。杖が最後にどんな術を使ったのか、簡単に分かる方法がある」

 ディゴリーは杖を掲げ、自分の杖とハリーの杖の先を突き合わせた。

「プライオア・インカンタート! 直前呪文!」

 杖の合わせ目から、蛇を舌のようにくねらせた巨大な髑髏が飛び出した。ディゴリーはすぐに『デリトリウス』を唱えて髑髏を消した。

 ウィンキーは泣きじゃくって首を振る。

「あたしはなさっていません!」
「お前は現行犯なのだ、しもべ! 凶器の杖を手にしたまま捕まったのだ!」
「おそらくエイモスが言いたいのは、私が召使い達に常日頃から闇の印の創り出し方を教えていた、ということか?」

 クラウチが冷たい怒りを込めて言った。

「クラウチさん……いや、そんなつもりは」
「闇の魔術も、それを行う者も、私がどんなに侮蔑し、嫌悪してきたのか、君はまさか忘れたわけではあるまい? 私のしもべを咎めるのは、私を咎めることと同じことだ!」
「ウィンキー、正確に言うと、どこでハリーの杖を見つけたのかね?」

 アーサーは屈み、ウィンキーに優しく尋ねた。

「あ、あたしが発見なさったのは……そこでございます」

 ウィンキーは木立の中を指さした。

「ほら、エイモス、分かるだろう? 闇の印を創り出したのが誰であれ、そのすぐ後にハリーの杖を出して姿くらまししたのだろう。後で足がつかないようにと、狡猾にも自分の杖を使わなかった。ウィンキーは運の悪いことに、その直後にたまたま杖を見つけて拾った」

 そうなると、ウィンキーは真犯人のすぐ近くにいたことになるが、ウィンキーは誰も見ていないと答えた。

 アーサーの説が一番しっくりくる説明だと思えた。エイモスはまだウィンキーを尋問したそうだったが、自分のしもべ妖精だからとクラウチが押し切り、彼が処理することになった。

 クラウチは、己の命令に従わなかったとして、ウィンキーを解雇すると宣言した。ウィンキーは泣いてクラウチに縋り付いたが、取り消されることはなかった。

 その場は一旦落ち着きを見せ、ディゴリーもハリーに杖を返した。尋問は終わったようで、ハリエット達はテントに戻っても良いと許可を出された。

 ハリーはハリエットに駆け寄り、肩を抱いた。ハリエットはホッとして彼に身を預けた。

「さあ、ハリエットも疲れただろう。テントに戻ろう」

 クラウチ達はその場に残り、アーサー達はテントへ向けて歩き始めた。ドラコも少し離れて後に続く。

「それで、どうしてマルフォイがハリエットの側にいたんだ?」

 ハリーは怒ったような口調で尋ねた。

「すごく心配したんだぞ。振り返ったらいないし」
「ごめんなさい……。ドラコを見かけて、少し話していたの。気づいた時にはハリー達がいなくなってて……」
「マルフォイの近くにいるからあんなことに巻き込まれたんだぜ」

 ロンも同調して言う。ハリエットは言い返そうと口を開いたが、それよりも早く、ルシウスがアーサーを押しのけて歩いてくるのが見え、口を閉ざした。

「ドラコ!」

 ルシウスはドラコの肩を叩いた。

「何があったんだ? どうしてあの場所を離れた?」
「いえ……少し事情があって」

 二人の元に、アーサーがゆっくり歩み寄った。

「どうしてあんな出来事があったのに、あなたは息子さんと離れたのかね? あなたはその間どこに行っていたんだ?」
「私がどこに行こうと、アーサー、あなたには関係ない」

 ルシウスはドラコの肩に手を置き、踵を返した。

「あ、ありがとう!」

 二人がさっさと歩き始めたので、ハリエットはその後ろ姿に慌てて声をかけた。聞こえてはいるだろうが、ドラコは返事を返さなかった。

 それから、テントに行くまでの間、ハリーとハリエットは疑問に思っていたことを尋ねた。

 まず、『闇の印』とは、ヴォルデモートの印のことで、かつて、ヴォルデモートもその手下も、誰かを殺すときに決まって闇の印を空に打ち上げたという。

 キャンプ場の管理人一家を空に浮かばせたのは、『死喰い人』だという。彼らはヴォルデモートの支持者で、今夜ハリエット達が目撃したのは少なくともその残党だという。

 この十三年間一度も現れなかった闇の印が、自分のすぐ側で打ち上げられた。そのことに、ハリエットは底知れぬ恐怖を抱いた。