■炎のゴブレット

04:マッドーアイ


 また懐かしい授業が始まり、いよいよホグワーツに戻ってきたのだという実感が湧き始めた。

 ハグリッドの魔法生物学では『尻尾爆発スクリュート』なる危険な生物の世話をさせられ、占い学では不吉な予言を求められ、ハリー達は少々うんざりしていた。

 そんなとき、極めつけはドラコだった。大広間へ向かう途中、ドラコは喜々として呼び止めてきた。彼の機嫌が良いときは、大抵自分達に悪いことが降りかかってくる。ドラコは、手に日刊予言者新聞を持っていた。

 そこには、マグル製品不正使用取締局のアーサーが、非常に攻撃的なゴミバケツを巡ってマグルの警察と揉めたことが書かれていた。

「写真まで載ってるぞ。君の両親が家の前で写ってる。君の母親は少し減量した方が良くないか?」

 ロンは怒りで震えていた。

「止めて!」

 ハリエットはドラコを睨み付けた。ハリエット達にとって、モリーは第二の母のようなものだ。侮辱するなんて許されない。

「マルフォイ、君の母親はどうなんだ?」

 ハリーもぐっと前に出た。

「あの顔つきはなんだ? 鼻の下に糞でもぶら下げているみたいだ。いつもあんな顔をしてるのか? それとも単に――」
「ハリー!」

 ハリエットは叫んだが、明らかに遅かった。

「僕の母上を侮辱するな、ポッター」
「それならその減らず口を閉じておけ」

 ハリーがそう言って背を向けたとき、けたたましい衝撃音が鳴った。ハリーのすぐ側を白い閃光がかすめたのを目撃したハリエットは蒼白となった。ハリーも応戦しようとポケットに手を突っ込んだが、それよりも早くまた音が鳴り響く。

「若造、そんなことをするな!」

 階段の途中にムーディが立っていた。柄杖を構え、ツカツカと歩み寄ってくる。異変を感じ、ドラコの方を見ると、そこに彼の姿はなく――純白のケナガイタチがいるだけだった。

 イタチはキーキー鳴き、地下牢の方へ逃げだそうとした。

「そうはさせんぞ!」

 ムーディは叫び、杖を再びイタチに向けた。イタチは空中に数メートル浮かび上がり、床にバシッと落ち、その反動でまた跳ね上がった。

「敵が後ろを見せたときに襲う奴は気に食わん。鼻持ちならない、臆病で下劣な行為だ」

 ムーディは何度もケナガイタチを床に叩き付けた。周りの群衆は声もなくその光景を見つめる。痛々しい鳴き声が響き渡った。

「止めて!」

 ハリエットは思わず駆け出していた。パッと両手を出して、イタチを抱え込む。ムーディを見たとき、彼は驚いたような呆れたような顔をしていた。

「止めてください! こんなの体罰です! いくら何でもやり過ぎです!」
「やられてからでは遅すぎる。あれが取り返しのつかない呪いの呪文だったらどうする?」
「でも――」
「ムーディ先生!」

 金切り声がした。

「一体これは何事ですか!」

 振り返ると、マクゴナガルが階段を降りてくるところだった。

「体罰と、そう聞こえましたが」

 マクゴナガルは厳しい目をイタチに向けた。

「あれは……まさか、生徒なのですか?」
「さよう」
「そんな!」

 マクゴナガルは短く叫び、杖を取り出した。次の瞬間バシッと音を立ててドラコが姿を現した。顔は燃えるように硬直し、ブロンドの髪はバラバラとその顔にかかっていた。ハリエットの腕から落ちた衝撃で、床に崩れ落ちる。ドラコは引きつった顔で立ち上がった。

「ムーディ、本校では懲罰に変身術を使うことは絶対ありません!」
「しかし――」
「本校では居残り罰を与えるだけです!」
「では、次からはそうしよう」

 ムーディに決して悪びれた様子はなかった。ドラコはムーディを激しく睨み付け、父上と何やら呟くのが聞こえた。

「ふん、そうかね?」

 ムーディは不敵に笑った。

「わしがお前なら、後ろから攻撃しようとしたとか、女に助けられたとか不名誉なことは、口が裂けても言えんがな?」
「――っ」

 ドラコは屈辱に塗れた目でハリエットを睨み付け、去って行った。ハリエットはその視線に射すくめられ、しばらくその場を動けなかった。

「ハリエット、なんで奴を助けたんだよ。良いところだったのに」

 ロンは忌々しげに声をかけた。折角永久に記憶に焼き付けたい出来事が起こったというのに、途中で邪魔が入ったので残念でならないのだ。

「あれじゃ怪我してたかもしれないじゃない! やり過ぎよ!」
「背中からハリーに攻撃しようとしたんだぜ? あれくらい当然だろ」

 そう言われれば、ハリエットもそれ以上何も言えなかった。『まさか、イタチ姿のあいつにやられたんじゃないよな!?』というロンの声を聞き流し、ハリエットは無言で広間に入っていった。


*****


 ハリエットは、ムーディの初めての授業を戦々恐々と待っていた。フレッドやジョージが言うには、『あんな授業は受けたことがない』とか、『闇の魔術と戦うことが分かった』とか、悪い評価ではないだろうが、ドラコへの体罰を見てからと言うもの、恐怖がこみ上げていた。実践的なものであれば、誰か一人くらいは生徒が怪我しそうな、そんな雰囲気すら感じていたのだ。

 木曜日、昼食が終わると、ハリエットはハリーに引きずられ、嫌々ムーディが待つ教室へと向かった。ハリーだけではない、その他の生徒も新しい先生であるムーディには期待を寄せているようで、胸膨らませて教室の前で待っていた。

 ハリー達は、最前列の席を陣取った。ハリエットはこっそりハリーの後ろの席に着いた。

 授業が始まると、ムーディは教科書をしまうように言い、実践形式で行うと宣言した。彼はまず、禁じられた闇の呪文を三つ挙げよと口にした。

 ロンが服従の呪文を挙げると、ムーディは実際に一匹の蜘蛛で実践して見せた。

「インペリオ! 服従せよ!」

 蜘蛛はどうみてもタップダンスとしか思えない仕草をした。皆は面白がったが、ムーディは低く唸る。

「面白いと思うのか? わしがお前達に同じことをしたら、喜ぶか?」

 二番目の呪文は、ネビルが答えた。磔の呪文だ。

 ムーディは続いて先ほどの蜘蛛に呪文を飛ばした。

「クルーシオ! 苦しめ!」

 蜘蛛は、音もなく激しく痙攣し始めた。机の上にひっくり返り、七転八倒する。ネビルの顔色は悪かった。思わずと言ってあげたハーマイオニーの制止の声に、ムーディはようやく呪文を止めた。

 最後の呪文には、ハーマイオニーが答えた。死の呪文だ。

 ムーディは、あろうことか、この呪文さえ蜘蛛に投げかけた。

「アバダ ケダブラ!」

 目も眩むような緑の閃光が走り、次の瞬間、蜘蛛は仰向けにひっくり返った。何の傷もない。だが、もうピクリともしなかった。

「気持ちの良いものではない。しかも反対呪文は存在しない。防ぎようがない。これを受けて生き残った者はただ一人。わしの目の前に座っている」

 ムーディの声が遠くから聞こえてきた。

 ハリエットは、今の緑の閃光に見覚えがあった。何度も夢で見たものだ。ホグワーツに来てからは、吸魂鬼に遭遇すると必ず同じ閃光を目撃した。

「さて、この三つの呪文だが、これらは『許されざる呪文』と呼ばれる。同類であるヒトに対してこのうちどれか一つの呪いをかけるだけで、アズカバンで終身刑を受けるに値する。お前達が立ち向かうのはそういうものなのだ。そういうものに対しての戦い方をわしはお前達に教えなければならない」

 授業が終わった後、生徒たちは皆興奮気味に教室を後にした。ハリーとハリエット、そしてハーマイオニーは浮かない顔だった。

「ネビル」

 廊下にネビルがぽつんと立っていた。どこか遠くを見る目で目の前の石壁を見つめている。

「ネビル、大丈夫?」
「うん、大丈夫だよ」

 よほど目の前で蜘蛛が苦しむ様を見せつけられたのが辛かったのだろう。どこか様子がおかしい。

「大丈夫だぞ、坊主」

 気がつくと、ハリー達の背後にムーディが立っていた。

「わしの部屋に来るか? おいで、茶でも飲もう」

 ネビルは、誘われるがままついていった。ハリエットは心配そうに二人の後ろ姿を見送った。