■炎のゴブレット

06:バッジを巡って


 日曜の朝、談話室で遭遇したハリーは、まるで今にも死にそうな顔をしていた。早々に大広間で朝食をとっていたハリエットとハーマイオニーは、騒ぎになることを予想して、彼のためにナプキンに包んだトーストを持ってきていた。三人は散歩しながら話をすることにした。

 ハリーの沈んだ様子から、昨夜のロンは、そのままの態度でハリーとぶつかったのだろうことが容易に分かった。

「ロンを見かけた?」
「ええ、朝食に来てた」
「僕が自分の名前を入れたと、まだそう思ってる?」
「…………」

 ハリエットとハーマイオニーは顔を見合わせた。ハーマイオニーはため息をついて話し出した。

「彼、嫉妬してるのよ。注目を浴びるのはいつだってあなただわ。あなたの責任じゃないってことは分かってるけど、でも、ロンは家でもお兄さんと比較されてばかりだし、ロンはあなたの一番の親友だけど、とても有名だし……。ロンはいつでも添え物扱いなの」
「そりゃ傑作だ。好きでこんな立場なわけじゃないのに。お望みなら好きなときにいつでも変わってやるさ」

 ハリー側からの説得は難しそうだと、ハーマイオニーは諦めた。

 ハリエットは、思い詰めたように歩きながら、ようやくとずっと考えていたことを口に出した。

「ハリー、私、シリウスに手紙を書いた方が良いと思うわ」
「冗談!」

 ハリーは急に大きな声を上げた。

「シリウスは僕の傷跡が少しチクチクしたっていうだけで、こっちに戻ってきたんだ。誰かが『対抗試合』に僕の名前を入れただなんて言ったら、それこそ城に乗り込んで来ちゃう」
「それでも言わないと。私だって、シリウスが心配だし、来て欲しくないわ。安全なところにいて欲しい。でも、シリウスは知りたいと思う」
「そうよ。どうせシリウスにはいずれバレるわ。この試合は有名だし、絶対に日刊予言者新聞にあなたのことが載るもの。どうせ耳に入るのなら、シリウスは直接あなたの口から聞きたいはずだわ」

 ハーマイオニーの後押しは効果的だった。何とかハリーを頷かせることに成功し、ハリーはシリウスに手紙を書いてくれた。そしてウィルビーに預け、彼女は飛び立っていった。

 とはいえ、代表選手に選ばれてからと言うもの、ハリーの毎日は厳しいものだった。学校中の生徒がハリーが自分で試合に名乗りを上げたと思っており、そしてグリフィンドールとは違い、それを快く思っていなかった。

 スリザリンがグリフィンドールを嫌うのはいつものことだ。だが、ハッフルパフやレイブンクローまでハリーに冷たく当たるのは慣れないし、気が滅入った。レイブンクローはハリーが目立ちたくてやったと思っていたし、ハッフルパフは、今までほとんど脚光を浴びることがない中、ようやく自寮から代表選手が選出されたというのに、ハリーが選ばれることで、またもその栄光がかっさらわれたと思っていたのだ。

 ハッフルパフと合同の薬草学では、今までうまくいっていたはずのアーニー・マクミランや、ジャスティン・フィンチーフレッチリーは、同じ台で作業をしていても、ハリーとは口も利かなかった。ブボチューバーの膿絞りをしているとき、危うくハリーの顔に膿が飛びそうになったときも、二人は不愉快な笑い声を上げていた。

 そしてハリーが代表選手に選ばれてから初めての魔法薬学の時間がやってきた。これほど憂鬱な授業は今までになかっただろう。スネイプに何か言われることは確実だったし、贔屓されているスリザリンがここぞとばかりにハリーをからかってくるのも目に見えていた。

 そして予想通り――ある意味予想以上だ――スリザリンの生徒は、ハリーを攻撃するために胸にバッジをつけていた。もちろん『S・P・E・W』バッジではない。表面には赤い文字で『セドリック・ディゴリーを応援しよう。ホグワーツの真のチャンピオンを!』と書かれている。ここまでならまだ良い。ドラコは更に嬉しそうに胸のバッジを押した。すると、緑色で『汚いぞポッター』と文字が浮かび上がってきた。

 スリザリンがドッと笑った。『汚いぞ、ポッター』のバッジがハリーをぐるりと囲っていた。

「あら、とっても面白いじゃない。本当にお洒落だわ」

 パンジーも笑っていた。久しぶりにハリエットは頭に血がのぼるのを感じた。歪んだ笑みを浮かべるくらいには、スリザリンの生徒が憎らしい。

「それがお洒落? 子供が玩具のバッジで喜んでいるようにしか見えないわ。子供ってピカピカした光り物大好きだもの」

 ひくっとドラコの頬が引きつる。これほど愉快なことはなかった。

「昨日はきっと徹夜でそれを作ったんでしょうね、あなた達は? 本当にハリーのことが大好きみたい。夜も眠れなかったんでしょう?」
「兄思いが泣かせてくれるな。妹に庇われる気分はどうだ、ポッター?」
「――っ」

 ハリーは無意識のうちに杖に手をやっていた。慌てて周りの生徒がその場から離れる。

「ハリー! ハリエットも、挑発に乗っちゃ駄目よ!」
「やれよ、ポッター。今度は庇ってくれるムーディもいないぞ」
「お前こそ、ハリエットは今度は君のこと庇わないし、マクゴナガルもいないけど?」

 二人の目に火花が散った。それから全く同時に二人は呪いを放った。

「ファーナンキュラス! 鼻呪い!」
「デンソージオ! 歯呪い!」

 二人の杖から飛び出した光は空中でぶつかり、折れ曲がって跳ね返った。ハリーの光線はゴイルに当たり、ドラコの光線はハーマイオニーに命中した。ゴイルは鼻に醜いできものができ、ハーマイオニーの前歯はみるみる伸びていった。

「この騒ぎはなんだ?」

 運悪くスネイプがやってきた。スリザリンはいち早く彼に状況を説明した。ドラコも前に進み出た。

「先生、ポッターがゴイルに呪いをかけたんです」
「マルフォイがハーマイオニーをやったんです! 見てください!」

 ロンは叫び、歯を見せるようにハーマイオニーを無理矢理スネイプの方に向かせた。ハーマイオニーは両手で歯を隠そうとしたが、喉元を過ぎる程まで伸びた歯は、隠し通すのは難しかった。

「いつもと変わりない」

 ハーマイオニーは嗚咽を漏らした。そして目に涙を浮かべ、きびすを返して走り出す。あっという間に彼女の姿は見えなくなった。

 ハリーとロン、そしてハリエットは、口々に罵詈雑言をスネイプに向かって投げつけた。『最低!』とか、『くそったれ!』とか、『人でなし!』とか、『畜生め!』とか、とにかくやたらめったら叫んだ。その多くは教室に反響してよく聞こえなかったことが唯一の幸いとも言える。だが、スネイプの方は、彼ら三人の表情から、何となく意味は理解したらしい。

「さよう。グリフィンドール五十点減点。三人はそれぞれ居残り罰だ。さあ、授業を始める」

 ハリエットとしては、もっと罰を受けてもいいから、いろんな悪口を言いたい気分だった。しかし頭に血がのぼりすぎて何の語彙も生まれてこなかった。こんなに荒ぶった気分になるのは生まれて初めてで、ハリエットはどうしていいか分からなかった。

 その後の魔法薬学も、荒々しい雰囲気で一杯だったが、途中でコリンがハリーを呼びに来た。代表選手の写真を撮るため、集まらないといけないという。

 ハリーは有頂天で魔法薬学を後にした。ハリエットを心配そうに見たが、ハリエットは大丈夫だという意味も込めてウインクを返した。慣れないウインクはただ両目を瞑っただけに見えたので、ハリーは少し笑って教室を出て行った。

 夕食は、戻ってきたハリーと一緒にとった。取材をしたスキーターという女性が散々だったらしく、ハリーは終始愚痴を零していた。

「泣いてもいないのに、あの羽根ペンが勝手に僕が泣き出したって書くんだ! 意味が分からないよ。僕が何も言ってない間も勝手にあることないこと書いていくし。本当に最悪だよあの記者!」
「大変だったのね……」

 ただでさえ他寮の生徒からいわれのない中傷を受けているというのに、どうして次から次へとハリーに新たな悩みが降りかかってくるのか。

 ハリエットは、躊躇いがちにスネイプの罰則についても伝えた。ハリーは大きくため息をつく。

「五十点減点なんて」

 ハリーは糖蜜パイを食べながらグチグチ言った。

「それならその分もっと言ってやれば良かった」
「私も。まだまだ全然言い足りないわ」

 それから、ハリーとは別れて、ハリエットはハーマイオニーのお見舞いに行った。ハリーもお見舞いに行くと言ったが、疲れているだろうからと無理矢理先に談話室に帰らせた。

 それが功を奏した。医務室に向かう途中、スリザリンの生徒とジャスティン、アーニーと遭遇したのだから。

 二人は、スリザリンの生徒から何かを受け取っていた。側を通るときちらっと見えたが、紛れもなくあの『汚いぞ、ポッター』のバッジだった。信じられない思いでハリエットは足を止めた。顔を上げたジャスティン達と目が合う。

「やあ」

 悪びれもせずジャスティンは手を挙げた。バッジは隠そうともしない。

「あなた達……ハリーの友達だったんじゃないの?」
「止めてくれよ。目立ちたがり屋と誰が友達になるもんか」
「ハリーは好きで代表選手になったんじゃない。それが分からないの?」
「ごちゃごちゃうるさいな」

 ジャスティンは苛立ったような声を上げた。

「折角セドリックがホグワーツの代表だったのに、それに水を差したのはどこのどいつだよ」

 吐き捨てるように言いながら、ジャスティンとアーニーは胸元にバッジをつけた。忌々しいバッジだ。

「ゴブレットに名前を入れたのはハリーじゃない! ハリーはそんなこと――」
「ああ、もう本当にうるさいな!」

 ジャスティンは怒鳴った。ハリエットは驚いて言葉を切った。

「じゃあ何か? 二年前の君みたいに、ハリーが操られてたとか、勝手にゴブレットに名前が入れられてたとか、そういう風に言いたいのか?」

 ハリエットはその場に凍り付いた。彼が何を指しているのか、すぐに分かった。

「もう僕に近づかないでくれ、継承者さん」

 冷たい笑みを浮かべて、ジャスティンはその場を去った。ハリエットは縫い止められたようにその場を動けなかった。

 ようやく動き出したのは、空いていた窓から冷たい風が吹き抜け、身体がぶるっと震えてからだ。何も考えないようにして、ハリエットは医務室に向かった。これから、ハーマイオニーに会うのだ。暗い顔はできない。

 ハーマイオニーは医務室のベッドに横になっていたが、元気そうだった。少し目は赤かったが、ハリエットを見るとにっこり笑ってくれた。

「ハアイ」
「調子はどう? 痛む?」
「ううん。歯を縮めるだけだったから、特に。それよりも、あれから大丈夫だった?」
「うーん、大丈夫ではないけど、少しスッキリはした」

 ハリエットは、スネイプにハリー達三人で罵詈雑言の嵐をぶつけたこと、そして仲良く罰則になったことを伝えた。

「五十点減点だなんて……」
「でも後悔はしてないわ。もっと言ってやれば良かったくらい」
「ハリエットまで止めてよ……」

 そう言って苦笑するハーマイオニーを見て、ハリエットはふと違和感に気づいた。

「……ちょっと……いつもと違う?」

 ハリエットが首を傾げると、ハーマイオニーはすぐに何のことか気づいた。

「歯を縮めてもらったとき、元の長さになったらストップって言いなさいって言われたの。その時に少しだけ余分にやらせてあげたの」
「悪い子ね。でも可愛い。似合ってる」
「ありがとう。怪我の功名って奴ね。マルフォイに感謝しないと」

 クスクス笑っていたらお見舞いのための五分が経ってしまったとマダム・ポンフリーがハリエットを追い出した。