■炎のゴブレット

13:ザビニの誘い


 本格的に焦り出し、ハリーとロンは、次の日談話室で顔を突き合わせ、『今夜、談話室に戻るときまでに二人ともパートナーを見つけること』という誓いを立てた。それをこっそり聞いていたハリエットは、自分も同じ誓いを立てた。高みの見物なんてしていられない。ロンの言うとおり、パートナーもなくぽつんと一人立っているところを想像したら身体が震えた。――絶対に嫌だ。早く誰か見つけないと。

 だが、相変わらずハリエットのことに恐怖を抱いている者も多く、そんな中で男の子に声をかけるというのはなかなかに勇気のいることだった。元々ハリエットに男子の知り合いは少なく、あっと思ったときには、もう皆パートナーがいるらしいのだ。

 こんなことなら、せめてパートナーにならないかと誘ってくれた男子に早々に返事をしてしまえば良かったと今更ながらにハリエットは後悔した。とはいえ、声をかけてきた男子は、皆ハリーの方に興味があるようだったし、そうでなければ秘密の部屋について話を聞きたそうにする者も多かった。もしくは、継承者とパートナーになって、あわよくば自分も目立ちたいと、そんな考えが見え見えの時もある。そんな人とパートナーになった先のことなんか、容易に想像がついた。

 ――いや、でもやっぱりパーティーで一人でいるのは。

 考えが堂々巡りになり、ハリエットは落ち込んでいた。願わくば、ロンにパートナーができず、ハリーに渋々お許しをもらうしかないのではとさえ考えた。だってそうしないと、一体誰が元継承者のパートナーになってくれるというのか。

 パートナー探しのため、意味もなく廊下を徘徊していると、ハリエットは後ろからポンと肩を叩かれた。振り返ると、同学年のスリザリン生がいた。背の高い黒人の男子生徒だ。面識は全くなかった。

「やあ」
「こんにちは」

 ハリエットはおずおずと軽く頭を下げた。スリザリンにあまり良い思いはないが、第一印象ではそんなに嫌な感じは受けなかった。

「珍しいね、一人なんて。いつも誰かと一緒だったろ?」
「え、ええ。今日は……ちょっとそれぞれパートナー探ししてて」
「そうなんだ。俺のこと知ってる?」
「スリザリンの……ブレーズ・ザビニ?」

 記憶を頼りに答えると、ザビニはニッと口角を上げた。

「正解。知らないかと思ってた」
「入学して三年も経つんだから、さすがに分かるわ」

 内心ちょっと怪しかったが、それを隠してハリエットは微笑んだ。

「さっきパートナー探しって言ってたけど、まさか君ともあろう子がまだパートナーいないなんてことないよね?」
「どういう意味?」

 言い回しがよく分からなくて、ハリエットは純粋に訊ねた。

「君みたいな可愛い子がってことだよ」
「あ、ああ……ありがとう」

 歯の浮くような台詞が気恥ずかしくて、ハリエットは小さく礼を述べるだけに留めた。

「でも残念、いないわ。あなたも私のこと知ってるでしょ? 誘ってくるのはハリーか秘密の部屋について聞きたい人だけ。私に興味なんてないもの」

 こんなこと口にするつもりはなかったが、敵意もなく話しかけてくれる人が久しぶりで、いつも以上に口が滑った。

「そんなことってあるのか?」

 ザビニは大袈裟に驚いて見せた。

「たぶん、本当に君のことが好きな奴は声をかけづらいだけだよ。君たち、いつも一緒にいるだろ?」
「ええ……でも」
「俺だってさっき声かけるの随分勇気がいったんだぜ。もし素っ気なくされたらどうしようって」
「えっ」

 反射的にハリエットはザビニを見上げた。彼は笑みを浮かべてハリエットを見下ろしていた。

「実はさ、俺もパートナーがいないんだ。なぜかって言うと、ずっと君のこと誘いたいって思ってたから」

 真っ直ぐな言葉に、ハリエットはカーッと頬が熱くなっていくのを感じた。ハリエットは少し視線を上げて、ザビニの胸元を見る。そこにバッジはなかった。ますます頬が熱を持つ。

「俺のパートナーになってくれない?」
「――っ、お、お願いします」

 頭を下げると、ザビニは気軽な様子でハリエットの肩をポンポン叩いた。

「良かった。承諾してもらえて嬉しい。じゃあさ、一つ提案なんだけど、まだパーティーには二週間くらいあるだろ? 俺たち、お互いのこと全然知らないし、時々話したりしないか?」
「ええ、良いと思う」

 ハリエット自身、よく知らない男の子とパーティーに行くというのも抵抗があった。ザビニの提案は魅力的だった。

「じゃあ早速、この後時間ある?」
「あ……ごめんなさい。この後はハーマイオニーと勉強する約束があって」
「そっか」

 気を悪くした様子もなく、ザビニは歯を見せて笑った。

「じゃあ明日は? 休みだろ? 昼食食べた後にここに集合。どう?」
「ここに?」

 ハリエットは意外そうに訊ねた。ここは三階の廊下で、普段あまり使わない空き教室ばかりが並んでいる。待ち合わせにしてもあまり面白くない場所だろう。

「外は? 湖とか。あそこの方が散歩に丁度いいわ」
「いや、それは俺も思ったんだけど、スリザリンとグリフィンドールって目立つだろ? 君がまた何か言われても嫌だし、人目につかないところの方が良いかと思って」
「……ありがとう」

 まさかそこまで気を遣ってくれるとは思わず、ハリエットは微笑んだ。

「じゃあ決まりだな。気をつけて帰れよ」
「ええ、ありがとう。また明日」

 少しぎこちなく手を振って、ハリエットはザビニと別れた。すっかり身体が軽くなった気分だった。ようやくここ最近の悩みのタネだったパートナーが見つかったし、ザビニもいい人そうで安心していた。

 談話室に帰ると、ハリーとロンがソファに撃沈していた。二人の会話を聞くに、ハリーはチョウに申し込んだが、セドリックがパートナーだと断られ、ロンの方は、何を思ったか勢い余ってフラー・デラクールにアタックし、そして返事を聞く前に逃げ帰ってしまったという。

 二人を慰めていると、ぐったりしたロンと目が合った。彼が言いたいことはすぐに分かり、ハリエットは苦笑した。

「ロン、昨日はごめんなさい。でも、おかげでパートナーが見つかったわ」
「ええっ!」

 ロンは途端に裏切られたような顔になった。

「だ、誰だよ! 誰と行くんだ?」
「えーっと……秘密?」

 ハリエットは曖昧に笑った。

 ハーマイオニーが男子達には秘密で押し通すなら、自分も秘密にしておこうと思った。もちろん、ハーマイオニーに聞かれたら正直に答えるつもりだ。ただ、この男の子達二人には……何だか言いたくない気分だった。からかわれるというよりは、相手がスリザリンだから何か言われそうだと思った。

「ハリエットも教えてくれないのか? 一体君たちは何なんだよ!」
「女の子だよ」

 ハリーは沈んだ調子で言った。

「君以外には、周りはちゃんと可愛い女の子に見えてるんだ」
「ふんっ!」

 ロンは拗ねたように寝室に行った。ハリーも後に続こうとして、妹を見る。

「変な人じゃないよね?」
「ええ、あんまり話したことないけど、良い人そうよ」
「ならいいけど」

 ハリーは心配そうにしていたが、やがておやすみの挨拶をして階段を上っていった。


*****


 翌日、昼食を食べ終えると、ハリエットは早々に昨日の廊下へ向かった。待たせたら悪いと、待ち合わせよりは早く到着する。五分も経たないうちに、ザビニが現れた。

「やあ、早いね。待たせたかな?」
「そんなことないわ」
「じゃあお先にどうぞ」

 ザビニは、すぐ隣の部屋を開けた。銀色の装飾が施されている扉だ。ハリエットは目を瞬かせた。

「教室に入るの? 勝手に入って良いの?」
「ここは普段使われてないから大丈夫。スリザリンにそういう情報が代々受け継がれてるのさ。中でお茶でもしよう。昼食食べたばかりだけど」

 ハリエットは躊躇ったが、ザビニはあくまで急かすことはせずに待つ。何だか申し訳なくなってきて、ハリエットは部屋の中に入った。

 ほとんど使われていない教室というのは本当らしかった。あちらこちらに埃が積もった部屋で、机や椅子が乱雑に並んでいる。ただ、一番に目を引いたのは教壇近くにあるソファだ。一応教室だというのに、その広々としたソファはひどく場違いに見えた。

「ここ、普段全く使われないから、スリザリン生が私物化してるんだ。休憩用にソファも置いて。たぶん先輩だろうな。授業サボるときは俺はよくここに来てるよ」

 お菓子もあるし、とザビニは手慣れた様子でハリエットにキャンディーを手渡した。

「お茶飲む?」
「え、ええ。ありがとう」
「そこに座ってて」

 ハリエットは示されたソファに腰掛けた。二人が座ってもまだ広々としていて、大人一人は余裕で寝られそうだった。目の前の小さなテーブルにティーセットを置き、ザビニもハリエットの隣に腰を下ろす。彼の体重でずんとソファが沈んだ。

「可愛い服だね。似合ってる」
「あ、ありがとう」

 ハリエットは緊張の糸を張り詰めていたが、ザビニは余裕綽々としていた。

「昨日スリザリンの奴らに自慢したよ。君がパートナーになってくれたって。皆羨ましがってた。知ってる? 君、結構人気あるんだぜ。普段スリザリンとグリフィンドールっていがみあってるから、なかなかそういうこと言えないけど」

 ザビニは微笑みながらハリエットの髪を耳にかけた。突然触られて、ハリエットは動揺した。

「あ、ありがとう……そういうこと言われるの初めてだから、えっと……」
「グリフィンドールの奴らは目が節穴なんだよ。俺だったら一番に君を誘いに行くのに」

 嬉しいというよりも、戸惑いの方が大きかった。ハリエットはしどろもどろになって俯く。

「どんなこと話す? 私……あの、ザビニは何の授業が好きなの? 私は――」
「ブレーズって呼んでよ、ハリエット」

 耳元で囁かれる。ハリエットはできるだけ意識しないようにして一層下を向いた。

「私は変身術が好きよ。……ブレーズは?」
「俺は数占いかな」
「っ! そうなの? ハーマイオニーも数占いが好きなのよ。皆がそんなに面白いって言うのなら、私も数占いにすれば良かったわ。私、占い学には向いてないみたいで――」
「ねえ」

 急にザビニは真剣な声を出した。

「俺はハリエット自身のことが知りたいんだけど」

 ハリエットの手に、ザビニの手が重なった。ハリエットは唐突に立ち上がる。

「わ、私、もう行かなくちゃ!」

 急に恐くなった。あまりに距離が近い彼に、ハリエットは混乱していた。

「本当にごめんなさい。あの、用事を思い出して」
「どうして? 昨日約束したじゃないか」

 ザビニはハリエットの腕を掴んだ。

「逃げないでよ」
「あ、あの、本当にごめんなさい。この埋め合わせは必ずするから――」
「必ずっていつ?」

 ザビニは冷笑を浮かべた。

「俺は今がいいんだけど」
「――っ」

 強く腕を引かれた、と思ったら、ハリエットの視界は回転していた。何か重いものが自分の身体にのしかかっている。ザビニだ。

 ハリエットはソファに押し倒されていた。その時になって初めてハシバミ色の瞳に恐怖が宿る。

 咄嗟にハリエットの手はローブのポケットに伸びた。もう少しで杖を掴めると思った矢先、ザビニはいとも簡単に杖をかっさらってみせた。ハリエットの杖が床に落ちて転がる。

「この部屋、どういう用途で使われてるか知ってる? どうして空き教室にソファがあると思う?」
「ど、退いて……」
「扉の装飾を緑にしたら『使ってます』、銀色だったら『空いてます』、そうやって分かりやすくしてるんだ。でないと、他の人が『使用中』に間違って入ったら気まずいだろ?」
「退いて!」

 ハリエットはもがいた。だが、上に乗っているザビニの身体は重く、ハリエットにどうこうできる問題ではなかった。

「ここまで言ったらさすがに分かるよな? 本当はもっとゆっくりやるつもりだったけど、スリザリンの奴らと賭けをしてさ。早ければ早いほど金くれるって言うし」

 ザビニはハリエットの頬を軽く撫でた。そこからその無骨な手は首へと移動し、慣れた手つきでネクタイを解く。いとも容易くネクタイが地面に落とされたのを見て、ハリエットは茫然とした。

「や、止めて……」
「大人しくしといてくれよ。優しくしてやるからさ」

 ザビニはそのまま一つ目のボタンを外した。ハリエットは一層激しく暴れた。

「誰か! 助けて! ハリー!!」
「うるさいな」

 ザビニは暴れるハリエットの腕を押さえながら、片手で杖を取り出した。そしてハリエットに突きつける。

「シレンシオ使っても良いけど、声がないのはつまらないしな……。なあ、痛い目に遭いたくなかったら大人しくしてろよ。顔に傷つけられたくないだろ?」

 杖でトントンと額を叩かれ、ハリエットは大人しくなった。自分の無力さに涙が溢れる。

「それでいいんだよ、それで」

 ザビニは自分の杖を後ろのポケットに入れた。そしてまた再びボタンを外しにかかった。二個、三個とボタンが外され、胸元が暴かれていくのを感じながら、ハリエットはぼうっと扉を見つめていた。

 あの扉が開いてくれたら、とハリエットは思った。あの扉が開いてくれたら、誰かが気づいてくれる。あの扉が開いたら、逃げ出す勇気も出てくる。

 そんなことあるわけないのにと視線を逸らしかけたとき、ゆっくり扉が動くのが見えた。遅れてガチャリ、と音が響く。

 ザビニも動きを止めた。あまりにも静かに、そして当然のように入り口が開いたので混乱していた。振り返って侵入者を睨み付けると、その顔は困惑へと変わる。侵入者が意外だったのだ。

「マルフォイ……」

 ドラコは無表情で入り口に立っていた。気だるげにローブのポケットに手を突っ込み、二人を見ていた。