■炎のゴブレット

14:紳士の誘い方


「こんなところで女遊びとは感心しないな」

 ドラコは入り口に立ったままポツリと言った。

「マルフォイ!」

 忌々しげにザビニは舌打ちする。

「おい、扉は見なかったのか? 今は俺が使ってる。早く出て行けよ。高尚なお坊ちゃんは覗き見なんかに興味ないだろ?」

 ドラコは床に転がっている杖とソファの二人とを順に見た。

「興味はない」
「ならさっさと出て行け――」
「だが、お前の顔を見てると吐き気がする」

 ドラコはポケットから手を出した。その手には杖が握られている。

「お、おい、何するつもりだ。お前――」
「ステューピファイ!」

 杖先から閃光が放たれ、ザビニは避ける暇も無く失神した。崩れ落ちるようにソファに倒れかかり、ハリエットは慌てて彼を避けた。

 ハリエットは信じられない思いでドラコを見つめた。どうして彼がここに――。

「見苦しい。早く前を隠せ」

 ドラコは素っ気なく言い放った。ハリエットは慌ててシャツの前をかき集め、ボタンを留める。

「無様だな。こんな奴にのこのこついていって情けない」

 ドラコは遠慮がなかった。扉は閉めてはいるものの、入り口からそれ以上中に入ってこようとはしない。

「そいつは談話室でもお前のこと散々に言ってたぞ。どんな奴かも見抜けないのか」
「…………」

 ハリエットはボロボロと涙をこぼした。恐怖がかき消えた今、全身を包み込む安堵が一斉に溢れ出した。しゃっくりが止まらなかった。

 一方で、ドラコは内心焦った。怒るとか開き直るとか、そういうことは予想していたが、まさか泣くとは思わなかったのだ。

「――とにかく、さっさとここを出ろ。そういう『目的』で使いたいのなら別だが」

 ハリエットはよろけながらソファから立ち上がった。フラフラとした足取りで杖を拾う。

 彼女が近づいてきたのを見て、ドラコは外に出た。続いてハリエットも部屋を出る。数歩後ろをハリエットがついてくるのを感じながら、ドラコは廊下を歩いた。彼女は未だに泣いているようで、時々嗚咽が漏れ聞こえる。時折すれ違う生徒の視線が痛かった。ドラコはついに立ち止まる。

「そこも空き教室だ」

 唐突にドラコはすぐ隣のドアを指さした。

「泣き止んでから寮へ帰れ」

 このまま二人きりで見世物のように歩くなど言語道断だ。それだけ言うと、ドラコはさっさと行こうとした。しかし慌てたようにハリエットは彼のローブを掴む。

「待って……」
「まだ何か用か」
「……お願い、一人にしないで」

 さっきの教室で、ザビニはまだ失神している。彼が目覚めたときのことを思うと、一人は嫌だった。

 ドラコは躊躇ったが、やがてため息をついて自分から空き教室に入った。

 ハリエットも、安心してドラコの後に続いた。そして糸が切れたようにすぐ側の椅子に座り込む。ドラコは立ったままだった。ふて腐れたようにも、機嫌が悪そうにも見える顔で腕を組んでドアにもたれかかっている。

「どうしてあいつを選んだんだ?」
「…………」

 ハリエットは無言でハンカチをいじくっていた。ザビニにパートナーを申し込まれたときのことを思うと、自分が情けなくて、恥ずかしくて。顔から火が出そうだった。

「やさし、そうだったから」
「はっ」

 ドラコは盛大に鼻で笑った。ハリエットはビクリと身体を震わせる。

「脳内がお花畑だな。優しく声をかけられてコロッといったのか?」

 ムッとハリエットは眉間に皺を寄せた。そして対抗するように付け足す。

「だって、バッジもしてなかったから」
「バッジ?」

 ドラコはしばらく考えて、ようやくスリザリンの『汚いぞ、ポッター』バッジのことかと思い当たると、いきり立ってハリエットに近づいた。

「お前はバッジなんかで警戒心を解くのか!」

 地が震えるほどの大声に、ハリエットは怯えた。止まりかけていた涙がまた溢れ出す。

「〜〜っ、そんなに、怒らないでよ……」

 しゃっくりまでもが再発した。

「嬉し、かったの! バッジ、つけてないし、私のこと、誘ってくれて……! ずっと、ずっと誰にも、声、かけられなかったから!」

 ハリエットに声をかけてくるのは、大抵ハリーか秘密の部屋関連で。純粋にハリエットだけを見て声をかけてくれた人は皆無だった。だから――だからこそ、ザビニの存在が嬉しかったのに。

 どうして見抜けないんだ、とドラコは叫びかけて堪えた。ザビニほど、あからさまな下心を持って近づいてくる分かりやすい奴はいないのに、彼女はどうして。

「お前……ウィーズリーはどうした」
「えっ?」
「魔法薬学のとき、ウィーズリーと行くとか言ってただろ。ザビニと行くくらいなら、ウィーズリーの方がまだマシだ」
「ロンは……」

 ハリエットは視線を彷徨わせた。

「ハリーに反対されたの」
「は?」
「ロンの誘い方が……私のこと馬鹿にしてるからって」
「はあ?」

 またしてもドラコは聞き返した。

「何言われたんだ」
「……パーティーに女の子一人だと惨めだから、僕と行かないって」
「それに行くって返事したのか」
「ええ。ハリーに駄目って言われたから、パートナーはそれぞれ見つけることになったけど」

 ドラコはまたも鼻で笑い飛ばした。

「ウィーズリーめ、家が貧乏だと女性の扱い方も知らないような奴に育つのか」
「そんな言い方は止めて」

 ハリエットは赤い目を細めてドラコを見た。

「ロンは気恥ずかしかっただけよ。悪気がないのは分かってるもの」
「悪気がないなら何を言っても良いというわけではないだろう」
「だったら……あなただったらどういう風に誘うの?」
「――っ」

 目を見張り、ドラコは固まった。――僕が誘う?

 ドラコは今まで誘われる側だった。聖28一族の一つとして数えられる由緒正しい家柄に、嫡男という地位、そして彼自身の容姿も相まって、引く手は数多だった。スリザリン寮ということや、彼自身の性格も相まって、他寮の生徒に誘いをかけられることはほとんどないが、しかし同じスリザリン寮であれば、先輩でも後輩でも同輩でも、皆がドラコを誘った。

 ダンスパーティーで全生徒が浮かれる中、ドラコはパートナー探しなどというものには無縁だった。その気になれば誰でもイエスと返事をくれるはずだ。

 ――その僕が、誘う? どんな誘い方をするのかだって? そもそも、なぜ僕がそれを見せなければならない? やる義理がない。

 ただ、今更嫌だとは言い出しにくいほどの充分な時間が経ってしまっていた。今ここで断ったら、間違いなく自信がないのだと思われる。

 今のドラコにはもう選択肢がなかった。相変わらずハリエットは、憎たらしいほどに純粋にドラコを見つめていた。目を逸らせばいいのにと強く睨み付けるように見ても、彼女は目を逸らさない。

 ドラコは一歩、二歩とハリエットに近づいた。彼女のすぐ側まで行くのに、随分と長い時間がかかったような気がした。

 机にとんと手が当たって、この距離なら充分かとドラコは考えた。思いのほか彼女は近かったが、近すぎるということはない。

 その距離だと、大きなハシバミ色の瞳が瞬きする様がよく見えた。じっと見ているとその中に吸い込まれそうな気がした。ゴクリとドラコの喉が鳴る。

「……僕と、ダンスパーティーに行かないか」

 そう呟いた瞬間、ドラコは自分の横面を張り倒したくなった。

 もっとマシな誘い方があるだろう! と強く後悔した。容姿を褒めるとか、甘い言葉を吐くとか、もっといろいろやりようはあったはずだ。なのに自分の口から出てきた言葉が何の飾り気もない台詞だったということに、ドラコは愕然とした。

 羞恥に頬を染め、ドラコはバッと顔を逸らした。ひどく惨敗した気分だった。惨めだった。この僕が女子一人誘うことができないなんて!

「――はい」

 だが、小さく聞こえてきた言葉に、ドラコは息を止めた。まず自分の耳を疑った。だが、パッと振り返ると、聞き間違いではないのだと理解した。ハリエットは、未だドラコを見ていた。

 目が合うと、彼女はみるみる顔を真っ赤にした。ハッとしたように右手で口を押さえ、あわあわと視線をあちこちに向ける。

「あ――あっ」

 自分が何を口走ったのか気づいて、ハリエットは動揺と恥じらいで盛大にどもった。

「ご、ごめんなさい! あの、あまりにもドラコが真剣だったから、私、つ、つい、自分に言われたかと思ってっ……あの、えっと……」

 ドラコ以上に、ハリエットはこの場に穴があったら入りたいと強く思った。ドラコはお手本を見せただけなのに、それを真に受けて返事をするだなんて、間抜けにも程がある。

「あ、あはは……聞かなかったことにして。思わず言っちゃっただけなの。ありがとう、お手本を見せてくれて。そうね、私も早くパートナー見つけないと」

 恥ずかしさを押し殺してハリエットは早口になった。

「ドラコはもうパートナーいるんでしょ? やっぱりスリザリン生?」
「いない」

 ドラコの返事は早かった。だからこそ彼自身、自分が何を口走ったのか気づいていない顔だった。それを理解したときには、慌てたように弁解を口にしていた。

「僕ほどになると、パートナー一人選ぶのも大変なんだ。もちろん女子の方から誘われることは多い。ただ、マルフォイ家の嫡男として、誰が僕のパートナーになるかは周りから注目されるし、聖28一族の一つとして、勢力図も鑑みないといけない。そうなってくると、そう易々とパートナーを決めるわけにはいかないんだ」
「そ、そう。大変なのね」

 ハリエットはとりあえず頷いた。早口すぎて、ほとんど何を言っているのか分からなかった。

「そ、その点、よく考えてみると、君ならそういう面倒なことは考えなくても済みそうだし、周りからのやっかみも耐えられるだろう? 案外、パートナーは君でもいいのかもしれない」
「…………」
「ザビニ以外に大して誘われてないって言ってたな? クリスマスまであと二週間を切ったし、ここまでくればもう誘われる見込みもないんじゃないか? 一人で参加するよりは、僕と一緒にパーティーに行った方がよっぽど光栄だと思うが」

 流れるような早口で言いながら、ドラコは目の前が暗くなるのを感じた。

 ――つい先ほど、ウィーズリーの女心を分かっていない誘い方をこき下ろしたばかりだというのに、自分の口から出る言葉の数々は一体何だ。ドラコもそれを自覚していた。だからこそ余計に恥ずかしいし、気が動転するし、どんどん空回りする。

 いつそれをハリエットに指摘されるかドラコは冷や冷やしていた。だが、からかいの言葉は一向にやってこない。その代わり。

「私でいいの?」

 聞こえてきた声に、ドラコは顔を上げた。

「――っ、ああ」

 そして頷く。

 ドラコの中の、唯一冷静で紳士な部分は『君がいいんだ』の一言を言え! と叫んでいたが、すっかり動転したドラコの大部分はそれを受け入れず、喉元まででかかったその一言を心の奥底へと追いやった。

 そんな気障な言葉は言えるわけがなかったし、言ったとしても、その意味が示す先の感情さえも分からなかっただろう。

 それからのことは、あまり覚えていなかった。気がついたときには、ドラコはスリザリンの談話室でぼうっとしていたし、隣でザビニが何か言っているのが聞こえたが、耳に入ってこなかった。そのままフラッと寝室へ赴き、何も考えずに眠りについた。