■炎のゴブレット

18:聖夜の決闘


 外ではいくつかカップルの姿が見られた。くねくねとした散歩道の側にベンチが置かれ、そこで談笑しているのだ。

 ジャスティンはそこに座ろうとハリエットを誘ったが、ハリエットは湖まで歩きたいといって、ジャスティンを誘い出した。

 さすがにこの寒い中、湖まで遠出している生徒たちはいなかった。だが、ここまでちゃんとランプの光は設置されており、月光も相まって、暗いというわけではなかった。

「少し話があるんだけど」

 連れ出したのはジャスティンだが、ハリエットはそう切り出した。もともと、ハリエットは二人きりになる予定だった。

「何?」

 改まった様子のハリエットに、ジャスティンも警戒心を抱いたようだ。少し身構えた彼に対し、ハリエットは真っ直ぐ向き直った。

「ジャスティン。もうこれきりにして欲しいの」
「何が……?」
「もうこういうことは止めて欲しいの。あなたは私を助けていって言ってくれたけど、私はもう手助けはいらないわ。自分で何とかする。逃げ続けていたら駄目だわ。私がしたことなんだから、私が向き直らないと」

 手助け、なんて口にしていたものの、ジャスティンにその気がないのは分かっていた。彼は相も変わらずバッジをつけていたのだから。

「あなたのパートナーになってから、ずっと考えてた。後悔してたの。私が弱かったのよ。ついあなたの申し出を受けてしまったけど、やっちゃいけないことだった。ドラコにも嫌な思いをさせたし、私にとっても良くないことだった」

 言葉を切り、ハリエットは俯いた。

「もし……あなたが私にされたことでどうしても我慢がならないのなら、それをスキーターにぶつけれぱいいわ。私はそれに関してあなたを卑怯だとも思わない。して当然だと思うもの」

 ハリエットは真っ直ぐジャスティンを見つめた。もう彼のことに怯える気持ちはどこにもなかった。

「でも、それを盾にしてこういうことをするのはもう止めて。言いたいことがあるのなら、私やスキーターに言えば良いわ。でも、ハリー達のことを引き合いに出して脅すようなことは止めて欲しい」

 ハリエットは自分を落ち着かせるために、右手を太ももまで下ろした。そしてそこにあるものを上から押さえる。

「君は……僕に命令するつもりなのか?」
「命令じゃないわ。お願いよ」

 勘違いされたら困ると、ハリエットは声を大きくした。

「あなたとは仲の良い友達でいたかったけど、無理そうなら諦めるわ」

 言いながら、おそらく修復は無理だろうとハリエットは思っていた。ハリーにヘビをけしかけられたと勘違いしたことや、ハリエットに石にされたこと、その二つを踏まえても、薬草学の合同実習のときは、自分たちと穏やかに会話してくれた彼だが、今年に入ってうまくいかない。もうこれまでではないかと思った。

「何を偉そうに」

 ジャスティンは吐き捨てるようにして言った。

「お前がそんなこと言える立場か!? 僕をこけにしやがって!」
「そ、そんなつもりはないわ。私は、今まで通りあなたと接したいもの。でも、二年前のあのせいでそれが無理だって言うなら……もう話しかけたりしないし、あなたも普通にして欲しいと思って」
「僕を見下しやがって」
「……じゃあ、あなたは私にどうして欲しいの?」

 ハリエットには分からなかった。無理矢理パートナーにさせて、気持ちの良いものではないだろう。ハリーと仲直りしたいという訳でもないし、ハリエットに好意を持っている風でもない。脅迫まがいのことをして、彼が何をしたいのか分からなかった。

「大人しく僕に従ってればいいんだよ!」

 そう言って、ジャスティンは杖を取り出した。ハリエットはハッとしたが、彼女もまたドレスの太ももの部分から杖を取り出した。ジャスティンと二人きりで話そうと思ってから、わざわざしつらえたポケットだ。

「何をするつもり? 魔法を使ったら罰則よ?」
「うるさい! お前だってやるつもりだろうが!」
「私だってただやられっぱなしじゃいられないわ!」

 ハリエットが叫ぶと、ジャスティンは驚いたように肩を揺らした。

「ねえ、もうこんなこと止めましょう? 私のことが嫌いなら、もう関わるのは止めましょうよ」
「――っ!」

 ジャスティンは、憎しみの籠もった目つきでハリエットを見た。やられると思ったときには、ハリエットはもう動いていた。

「ステュ――」
「エクスペリアームス!」

 ハリーの得意な呪文だ。ハリエットはハリーにこの呪文を練習してもらっていた。

 ジャスティンの杖は弾き飛ばされ、数メートル先に転がった。

「…………」

 ジャスティンは茫然としたようにその場に立ち尽くしていた。信じられないものを見る目で自分の杖を見つめている。

「……私、もう行くわね」

 ハリエットは堪らずそう言った。そして彼の横を通り際、最後にと付け加えた。

「二年前のこと、本当にごめんなさい」

 ジャスティンは動かなかった。ハリエットはそのまま灯りの漏れる城に向かって歩き出した。背後で足音がした。ジャスティンかと振り返れば、確かに彼だった。自分の杖を拾い上げていた。そしてまたハリエットに向かって――。

「ステューピファイ!」

 閃光は、彼の杖からは放たれなかった。すぐ側の茂みから赤い閃光が飛び出したのだ。それは真っ直ぐジャスティンの胸に当たった。ジャスティンは失神してその場に倒れた。

「馬鹿かお前は!」

 茂みから現れたドラコに、ハリエットは上下に揺すぶられた。

「お前は! まだ完全に武装解除してない奴に背を向けたんだ!」
「…………」
「やるなら完璧にやれ! 敵に同情するな!」

 パーティーのためか、いつも以上にセットされていたドラコの髪が、今は崩れ、パラパラと顔にかかっていた。ハリエットはあんぐりと口を開け、彼をマジマジと見つめた。

「……助けに来てくれたの?」
「――っ、自意識過剰だな! たまたま通りかかっただけだ――」

 ピカッと辺りに眩しい光が差し込んだ。杖の先に灯りを点し、そこにはスネイプが立っていた。

「……こんな所で何をしている?」

 スネイプは、失神しているジャスティンと、杖を持ったままのハリエット、ドラコを順々に見た。

「生徒同士での決闘は処罰対象だ」
「向こうから先に杖を出してきたんです!」

 ドラコはいち早く声を上げたが、ハリエットは彼を押さえた。

「私がやりました……」
「グリフィンドール十点減点」

 スネイプは無碍なく減点を言い渡した。そして続けざまに。

「ハッフルパフは二十点減点」

 ハリエットとドラコは顔を見合わせた。ハリエットはふっと笑みを零したが、すぐにスネイプに睨まれる。

「こやつは我輩が面倒を見よう。お前達は早く寮に戻れ。もうすぐ就寝時間だ。こんな所で油を売っていると更に減点されることになるぞ」
「はい」
「おやすみなさい」

 それぞれ頭を下げ、二人は早々にスネイプの前から立ち去った。少しだけ胸がスカッとしていた。

 城の方へ続く道を歩いたが、来るときはたくさんいたカップルの姿が、今は欠片も見当たらなかった。もしかしたらスネイプが蹴散らしたのかと思うと、少しおかしかった。

「随分と男の趣味が悪いんだな」

 歩きながら、ドラコは嫌味交じりに言った。

「大人しく兄の後ろをついて回った方が安全なんじゃないか?」
「……そうかも」

 ため息をつきたくなるのを堪え、ハリエットは落ち込んで言った。

「ハリーはよく頑張ってるのに、私は……どうしてうまくいかないのかしら」

 ハリーは、周りからの中傷にも耐え、見事第一の課題を一位でクリアした。それに比べて自分は、過去に乗り越えたかに思えた秘密の部屋事件を暴かれ、憔悴しきるばかりで、何もできなかった。ザビニにホイホイとついていき、ジャスティンに言われるがままドラコにひどい仕打ちをしてしまった。

「……パートナーのこと、本当にごめんなさい」

 ひどいことをしたというのに、ドラコはわざわざ今夜助けに来てくれた。それがたまたまであっても、助けてくれたことに変わりはない。そのことが嬉しくて申し訳なくて不甲斐なくて、ハリエットは再度頭を下げた。

「でも……でも、私、ドラコがパートナーに誘ってくれたとき、本当に嬉しかったの。それは本当よ」

 一度断った後も、本当は、ずっとドラコと行きたかったと思っていた。でもそれを口にはできなかった。そこまで言ってしまうのは、ドラコの今のパートナーに失礼だ。

「だから……」

 これからも大切な友達でいて欲しい、と言おうとした所で、カシャカシャッと、この場にそぐわない機械的な音が響いた。ハリエットが思わずそちらに顔を向ければ、小柄なローブ姿の少年がこちらに背を向け、大広間の扉から顔を覗かせているのが見えた。

「コリン?」

 思いも寄らない人物に、ハリエットは声をかけずにはいられなかった。コリンは蒼白となって振り返った。

「そんなところで何してるの?」
「いっ、言わないでください! お願いします!」

 涙目でコリンはハリエットに縋り付いた。

 もう消灯時間はとっくに過ぎていた。パーティーに参加する者は、特別に今夜だけ消灯時間は延びているが、コリンの出で立ちからして、彼は参加者ではないだろう。

「言わないわよ。コリンにはいつもお世話になってるから」

 苦笑しながらハリエットは答えた。可愛い後輩を告げ口するなんて、誰がそんなことできるだろうか。

「あ、ありがとうございます……」

 コリンはおずおずと離れ、ハリエットとドラコとを見比べる。

「あの……お礼に写真撮りましょうか?」
「えっ?」

 ハリエットは目を瞬かせた。そしてすぐに頷く。

「じゃあ、お願いしようかしら。ね?」

 不意に窺うように言われて、ドラコは仰天した。

「ど、どうして僕も……。自分一人で撮れば良いだろう」
「一人じゃ寂しいじゃない」

 何を当たり前のことを、とハリエットは拗ねた。折角のクリスマス、しかもドレスアップしているのに、何が嬉しくて自分一人だけで写真を撮るというのか。そんなところ見られたら、恥ずかしくて廊下を歩けない。

「じゃあ、撮りますよー」

 まだ話し合いが収束しないうちに、気の早いコリンがカメラを構えた。慌ててハリエットは前に向き直り、ついで、逃げようとしたドラコの腕を捕まえた。

「はい、三、二、一……」

 カシャッと軽快な音が響いた。コリンは輝くような笑みを見せた。

「出来上がったら渡しますね!」
「ありがとう。楽しみにしてるわね」

 ハリエットはそのまま立ち去ろうとしたが、ふと思い直して振り返る。

「コリン。いっそのこと、会場に入った方が良いと思うわ。ここだと広間に出入りするときにすぐに見つかっちゃうし……。中は、案外暗いの。すぐに端に行けば見つからないと思うわ。……保証はできないけど」
「ありがとうございます!」

 パアッと喜色満面の笑みを見せて、コリンはさっそく大広間に忍び込んだ。少々罪悪感と、これでいいのだろうかという戸惑いが残ったが、気にしないことにした。いつもいつも意外な場面を写真に撮っているコリンなら、案外上手くやるだろう。

 ハリエットはグリフィンドール塔へと続く階段へ近づいたが、ドラコもついてきたのを見て驚いた。

「パーティーには戻らないの?」
「君は変な男にばかり捕まるみたいだからな。僕と別れた後で何かあって、後味が悪くなっても困る」

 意外に紳士なことを言うので、ハリエットは困ってしまった。彼の言葉は嬉しかったが、素直に送り届けられることはできない。

「でも、本当に気にしないで。ここまでで大丈夫だから。……パートナーも待たせてるんでしょう?」
「…………」

 ドラコはぶすっとしていた。断られたことが気に触ったのだろうか。

 ハリエットは控えめに笑みを浮かべた。

「今日はありがとう。……おやすみなさい」

 小さく頭を下げて、ハリエットは階段を上った。後ろ髪引かれる思いだったが、そのまま振り返らずに八階まで登る。

 太った婦人に合言葉を言って穴をくぐると、丁度誰かの口論するような声が聞こえてきた。聞き慣れたその二人の声に、ハリエットは嫌な予感がした。

 談話室に上がっていくと、ロンとハーマイオニーが火花を散らして口論中だった。双方真っ赤な顔で叫び合っている。

「ええ、ええ、お気に召さないんでしたらね。解決方法は分かってるでしょう?」
「ああ、そうかい? 言えよ。なんだい?」
「今度ダンスパーティーがあったら、他の誰かが私に申し込む前に申し込みなさいよ。最後の手段じゃなくて!」

 ハーマイオニーはきびすを返し、女子寮の階段を上っていった。ハリエットは慌てて彼女の後を追った。何のことか分からないといった調子で、ロンが『的外れもいいとこだ』とブツブツ言っているのが聞こえた。

 ハーマイオニーは、泣いてはいなかった。だが、着の身着のままでベッドに突っ伏している。ハリエットは彼女のベッドの脇に腰掛けた。

「ハーマイオニー……」
「ロンて、ホント馬鹿みたい。私に八つ当たりばかりして。ホント何なの、あの人!」

 ハーマイオニーは腹立ち紛れにボスッとベッドを叩いた。

「……私たち、全然うまくいかないわね」

 ハリエットはそんな彼女の肩を叩いた。

「私もね、今日は散々だったの」

 ハーマイオニーは動きを止めた。

「本当は別の人と行く予定だったんだけど、ジャスティンに……記事のこと言われて。自分と行ったらどうかって言われて、そうしちゃったの。……だから、今日は全然楽しくなかった」
「記事って……秘密の部屋のこと? そんなデリカシーのないこと言われたの?」

 ハーマイオニーは急に起き上がった。少し目が赤かった。

「もしかして、脅されたの?」
「別に、そういう訳じゃないんだけど……」
「ねえ、ハリエット。こんなこと言うのはあれだけど……でも、一度弱みを見せたら、相手は今後もずっと……」
「ええ、分かってる」

 ハーマイオニーの言いたいことが分かって、ハリエットは強く頷いた。

「だから、別れ際、決闘をしてやったの」
「け、決闘?」

 珍しくハーマイオニーの顔がポカンとなった。ハリエットは嬉しくなって何度も頷いた。

「ええ、形式に則った決闘じゃないけど。もうジャスティンとはこれきりにしたいって私が言ったら、彼、杖を取り出したから、私も応戦して」
「…………」
「こうなるんじゃないかってちょっと予想してたから、準備は怠ってなかったのよ? だから圧倒的勝利だったわ!」
「ハリエット……あなた、意外とお転婆なのね」
「ハーマイオニーに言われたくないわ」

 二人は顔を見合わせて笑った。聖なる夜の終幕にピッタリの笑顔だった。

「――いつか、ロンも分かってくれる日が来るわ」

 ハリエットが少し微笑んでそう言うと、ハーマイオニーも素直な顔になった。

「本当にあの人ったら、女心が分からないんだから」
「ハリーがそういう所教えてくれてるといいんだけど」
「それはどうかしら? ハリーもなかなかじゃない?」
「ええっ、そんなことないわ! ハリーは結構女性に紳士なのよ!」
「ロンよりはマシかもしれないけど……妹の欲目ね?」
「ひどい!」

 二人はまた笑った。同室のパーバティとラベンダーはまだ戻ってきていなかったので、遠慮なかった。

「ねえ、もしかしてなんだけど」

 不意にハーマイオニーが真面目な顔になった。

「元々のパートナーって、マルフォイ?」

 虚を突かれ、ハリエットは盛大に動揺した。

「どっ、どうして、そう思ったの……?」
「魔法薬学のとき、マルフォイ、あなたに変な怒り方してたから。裏切られたみたいな顔をして」
「…………」

 あのときのことを思い出して、ハリエットは苦い顔つきになった。

「その様子じゃ、正解みたいね。もう仲直りはしたの?」
「……分からないわ。気を悪くさせたことは間違いないから」

 ハーマイオニーはポンポンとハリエットの肩を叩いた。ハーマイオニーのことを慰めに来たのに、今ではどっちが慰められているのか分かったものじゃなかった。

「本当は、どういう経緯でマルフォイに誘われたのかとか、いろいろ聞きたいけど、今日の所は許してあげるわ」

 ハーマイオニーは言葉通りムズムズした顔で言った。

「今日はもう夜遅いもの」
「そうね。私もその方が有り難いわ」

 そして、ゆくゆくは忘れてくれれば。

 経緯を話すとなると、ザビニのことも話さなければならないので、ハーマイオニーに怒られそうな気がしたのだ。

 ハリエットは俊敏に危機感を感じ取り、すぐに着替えてベッドに飛び込んだ。

 なぜかは分からないが、その日、ドラコがパートナーに誘ってくれたあのときのことを夢に見た。