■炎のゴブレット

20:帰ってきた黒犬


 シリウスから手紙が送られてきた。そこには、ハリー達のホグズミード行きの日にあわせた日時と場所が指定され、ありったけの食べ物を持ってくるようにと書かれてあった。

 どう考えても、シリウスがホグズミードにいるとしか思えない手紙だった。

 捕まったらどうしようという不安と、ようやくシリウスに会えるという期待。その二つがない交ぜになって、双子はかなり複雑な感情だった。だが、やがて日が近づくにつれ後者の方が爆発的に膨れ上がり、上機嫌で日々の授業を受けることになった。

 だが、あるとき、魔法薬学が始まる前、からかうようにパンジーが『週刊魔女』という雑誌を投げ渡した。

「あなたの関心がありそうな記事が載ってるわよ、グレンジャー」

 板書するためにスネイプが後ろを向いた途端、ハーマイオニーは雑誌をめくり、そしてハリー達三人は隣から覗き込んだ。丁度真ん中のページに、パンジーの言う記事が見つかった。

 『ハリー・ポッターの密やかな胸の痛み』というタイトルで、そこにはハーマイオニーが悪女で、ハリーとクラムの二人を弄んでいるのだという批判がスキーターによって書かれていた。三本の箒での出来事を彼女が根に持っていることは明らかだった。

「だから言ったじゃないか、あいつに構うなって!」
「せいぜいこの程度なら、リータも衰えたもの――」
「我輩の授業で雑誌を読むなど、随分な余裕を見せてくれるな、ミス・グレンジャー。グリフィンドール、十点減点」

 氷のような声が四人のすぐ後ろから聞こえた。スネイプは雑誌を取り上げ、スキーターの記事に目をとめた。

「なるほど、ポッターは自分の記事を読むのに忙しいようだな」

 スリザリン生から笑いが漏れる。

「ハリー・ポッターの密やかな胸の痛み……ポッター、今度は何の病気かね? 他の少年とは違う、いやはや、そうかもしれない……」

 ハリーは普段通りを装おうとしていたが、屈辱に唇の端がピクピク動いているのをハリエットは目撃した。

「さて、四人は別々に座らせた方が良さそうだ。もつれた恋愛関係より、魔法薬学の方に集中できるようにな。ウィーズリー、ここに残れ。ミス・グレンジャー、こっちへ。ミス・パーキンソンの横に。ポッターは我輩の机の前のテーブルへ移動だ。ミス・ポッターは……マルフォイの隣へ。さあ」

 三人はそれぞれ不満そうに席を移動した。ハリエットはというと……なぜよりにも寄ってドラコの隣なのだと少々気まずく思った。パーティーの日から、ドラコとは話をしていない。あの日は助けてくれたが、彼がまだハリエットに大して友好的かどうかは正直分かりかねていた。『汚いぞ、ポッター』も再発していたので、ハリエットはドラコが何を考えているのか全く分からなかった。

 ドラコの隣に腰を落ち着けても、彼はハリエットの方を見もしなかった。少し残念に思いながら、『頭冴え薬』の材料を広げ、途中になっていた作業を開始した。周りは全てスリザリン生で、少し落ち着かなかったが、グリフィンドールとは違い、静かだった。ドラコも集中してタマオシコガネを潰している。彼が真剣な表情をしている所なんて珍しいので、ハリエットはチラチラと彼に視線を向けていた。

 すると、意外なことに、ドラコはなかなか魔法薬学が得意なのだと気づいた。驚くべきは、その手際の良さだろう。料理なんか絶対にしたことはないだろうが、レシピ本片手にやらせたら案外うまくやるんじゃないかとすら思った。

「ドラコって、魔法薬学が得意なのね」

 思わず飛び出した言葉は、結果的に二人の会話の糸口になった。

「その調子だったら、O判定取れるかも」
「当たり前だろう。スネイプ先生が僕たちにE判定なんかするわけがない」

 何故だかドラコは自慢げだった。贔屓されてることを得意げにしていて悲しくならないのだろうかとハリエットは少し思った。

「私、そんなことが言いたいんじゃないわ」

 一番伝えたいことが、ドラコに伝わっていなかった。

「私、いつだったかしら……ドラコが一番薬を作るのがうまいから、お手本にするようにってスネイプ先生が言ってたことがあって。でも、その時私、ハーマイオニーの方がもっとうまくできてると思ったの。そのとき初めて、スリザリン生ってスネイプ先生に贔屓されてるんだなって思ったわ」

 ようやくハリエットもタマオシコガネを全て潰し終え、一息ついた。

「今の今まで変わらずずっとそう思ってたけど、でもやっぱり違うみたいね。いつもO判定なのは頷けるわ。すっかり忘れてたけど、ドラコは意外と努力家だものね」
「……言ってろ」
「ね、ドラコって褒められて伸びるタイプ?」
「うるさい!」

 本心から言ったのに、ドラコの返事は素っ気ないもので。なので意趣返しのつもりでからかえば、今度は耳を赤くして怒られた。

 その後は、ポツポツと会話しながら作業を続けた。時々ドラコが注意を促してくれたので、『頭冴え薬』が『頭冴えな薬』に変わることなく、ギリギリの所でE判定をもらうことができた。


*****


 翌日、四人は正午に城を出た。穏やかな天気で、ホグズミードに行くにはもってこいの天気だっだ。シリウスが持ってこいと言った食料は、ハリエットの鞄にこれでもかというくらい詰め込んであった。ハリーが持つと言ったが、ハリエットは頑として自分が持つと言って聞かなかった。

 待ち合わせの時間まで、四人はグラドラグス・魔法ファッション店に入り、ドビーにお土産を買った。ハリーは、第二の課題を乗り切るための鰓昆布をくれたドビーに恩返しがしたかったし、ハリエットもクリスマスプレゼントとしてドビーが自分で編んだというヤドリギの葉がデザインされた靴下をもらっていたので、そのお返しだ。

 その後、少し早かったが、シリウスとの待ち合わせ場所に向かった。ダービシュ・アンド・バングズ店を通り過ぎ、村の外れに向かって歩いた。やがて角を曲がると、道の外れに柵があった。一番高い柵には二本の前足を乗せ、新聞らしいものを口にくわえて四人を待っている大きな黒い犬がいた。ハリエットはパアッと顔を輝かせる。

「スナッフル!」

 そして開口一番、口にする言葉を間違えてしまったと、ハリエットは気まずそうな恥ずかしそうな顔になった。ハリーも苦笑いを浮かべながら、犬の側まで寄る。

「やあ、シリウス」

 黒犬は、ハリーやハリエットの周りを嬉しそうに周り、尻尾を一度だけ振ると、向きを変えてとことこ走り出した。行く先に待っているのは岩だらけの山の麓だった。息を切らしながら何とか山登りをすると、スナッフルは岩の裂け目に姿を消した。四人はぎゅうぎゅう詰めになりながら何とかその裂け目に身体を押し込む。

 洞窟内は、ひんやりして涼しかった。奥にはヒッポグリフのバックビークが繋がれていた。四人がお辞儀をすると、バックビークもお辞儀を返してくれた。その隙に、スナッフルはシリウスの姿に戻った。

 シリウスは、ボロボロの灰色のローブを着ていた。暖炉で見かけたときよりも更に髭も髪も伸びている。

「チキン!」

 くわえていた日刊予言者新聞の古記事を口から離し、洞窟の床に落とした後、シリウスは掠れた声で言った。

 ハリエットは、ドキドキしながら鞄を開け、鳥の足とパン、そしてカボチャジュースを渡した。

「ありがとう」

 シリウスは待ちきれない様子で、座りながら包みを開けた。まずチキンに食らいついた。

「生き返ったような気分だ」

 一つ目のチキンを食べ終え、シリウスはまたも鳥の足に手を伸ばした。

「シリウス、どうしてこんな所にいるの?」
「後見人としての役目を果たしている。わたしのことは心配しなくていい。愛すべき野良犬の振りをしているから」

 ロンとハーマイオニーは笑ったが、双子は心配そうな表情を崩さなかった。

「でも、捕まったらどうするの? 姿を見られたら?」
「わたしがアニメーガスだと知っているのはここでは君たち三人とダンブルドアだけだ」
「マルフォイも知ってるよ」

 ロンが口を挟んだ。

「ドラコ・マルフォイ。父親が死喰い人なんだ」
「ああ……服従の呪文にかかっていたと言い訳してアズカバン行きを免れた奴か。その息子が……あのブロンドの?」
「ドラコは誰かに言ったりしないわ」

 ハリエットは憤慨して言い切った。

「現に、スナッフルのことは誰にも知られてないじゃない」
「分からないよ。こっそり父親に話して、そこから死喰い人同士情報を共有してるかも」
「ダンブルドア先生だってドラコは信頼してるっておっしゃってたわ」
「だが、警戒はすべきだ」

 シリウスも言い切った。

「わたしはルシウス・マルフォイは警戒している。何より、君の手にリドルの日記が行き渡るようにした張本人なんだろう?」
「……でも、父親とドラコは違うわ。私が日記に魅入られてたとき、ドラコが日記を捨ててくれたもの。それを拾ったのがハリーよ」
「ちょっと待って、そんなこと聞いてないわ!」

 ハーマイオニーが声を上げた。

「本当にマルフォイが助けようとしたの? どうしてマルフォイはハリエットから日記を取り上げたの?」
「……分からないわ。たぶん、私が日記に操られてるって、何となく分かってたんじゃないかしら」
「マルフォイには聞かなかったの?」
「あのときの話は、あんまりしたくなかったから」

 ――あのときは、まだ自分がしでかしたことに目を向ける勇気はなかった。今は違うが、あのときのことを聞くには時間が経ちすぎている。

「それを聞いても、やはりわたしは怪しいと思うな」
「――っ」

 なおも反論しようとしたハリエットを、ハーマイオニーが押しとどめた。

「とにかく、シリウスが今まで以上に警戒すべきなのは変わらないわ。マルフォイがいい人でも悪い人でも、シリウスは警戒を解くべきじゃない。そうでしょ?」

 ハーマイオニーに見つめられると、まるで心の内を見透かされていそうな気持ちになった。一旦落ち着きなさいな、と言われているような気がして、ハリエットは引き下がった。今日は、ここにシリウスと喧嘩しに来たわけじゃないのだ。

 その後も、シリウスとはたくさんのことを話し合った。
クラウチが病気だと新聞が綴っていること、クィディッチのワールドカップで打ち上げられた闇の印のこと、そしてクラウチの息子が死喰い人として捕まり、父親によってアズカバン行きになったこと。息子は一年後にアズカバンで死に、その母親も衰弱して亡くなったという。

 情報共有しているうちに、持参していたチキンはほとんどシリウスのお腹の中に収められた。満足そうな顔を浮かべるシリウスには、ハリエットは一つの箱を差しだした。

「あ、あの……これ」
「わたしにかい?」

 こくこくっとハリエットは頷いた。早く開けてと視線で示せば、シリウスはきょとんとしながら箱を開けた。中にはチョコレートでコーティングされたケーキが鎮座していた。

「ハリエットが作ったのよ」

 ハーマイオニーがなぜか得意げに言った。

「朝早く厨房で、ね?」
「ありがとう……ありがとう」

 シリウスも顔を綻ばせた。

「ケーキなんて何十年ぶりだろう」

 その言葉にちょっと皆がうるっとなる中、ハリエットはケーキを切った。シリウスはあっという間に一切れ食べた。

「うん、おいしい。ハリエットは料理上手だな」

 優しく微笑まれ、ハリエットはくらくら目眩を起こしかけた。包丁を鞄に戻すことで何とか精神を保とうとする。

「ハリエットからの写真も大切にしているよ。ありがとう」

 シリウスはローブのポケットから写真を数枚撮りだした。

「あっ!」

 その中に見覚えのあるものを見つけ、ロンが手を伸ばした。

「これ、クリスマスパーティーのときのだ!」
「それに、これはクィディッチのときの……? 見た目からして、去年かしら?」
「わあ、見事に僕の写真ばっかり……」

 パーティードレスやドレスローブを着て、気恥ずかしそうに手を振る四人、スニッチを掲げて満面の笑みを浮かべるハリー、練習中に華麗な技を披露するハリー、ハリー……。

「もしかして、記事にあった……ハリエットがハリーの写真ばかりほしがるって、こういうこと?」

 ハリエットはこくこくっと頷いた。

「シリウスにハリーの写真を送りたくて、コリンにもらったの」

 皆は苦笑いを浮かべた。確かに、こんなに兄の写真ばかり集めていたら、変な誤解もするだろう。

 ――そうこうしているうちに、学校に戻らなければならない時間になった。

 万が一のことを考え、自分の話をするときは『スナッフル』と呼ぶように言い、シリウスは村境まで四人を送ってくれた。洞窟を出る前に黒犬に変身し、共に柵の所まで戻った。そこでスナッフルは代わる代わる四人に頭を撫でさせ――ハリエットは久しぶりにスナッフルを撫でられて満面の笑みだった――それから村はずれを走り去っていった。