■不死鳥の騎士団

16:聖マンゴ病院


 ハリエットは、朝一のホグワーツ特急でキングズ・クロス駅に到着した。両親に迎えに来てもらっていたハーマイオニーと別れ、ハリエットはプラットフォームでしばらくウロウロしていた。

「よっ、ハリエット!」

 大きく手を振るのは、中年の女性だ。髪の毛が目に眩しい銀色だったので、すぐに彼女がトンクスだと分かった。

「ごめんね、待たせちゃった?」
「ううん、大丈夫。迎えに来てくれてありがとう。おじさんはどう? お見舞いには行けたの?」
「うん、意識もはっきりしてたよ。しばらくは入院しないとだけど、後遺症もなく退院できるって」
「良かった……」

 ハリエットはホッとして笑みを見せた。

「じゃあ行こうか」
「ええ」

 トンクスはハリエットのトランクを持ってくれた。重いから断ろうとした所、悪戯っぽい笑みでポケットから杖を取り出したので、ハリエットは苦笑してしまった。

「あ、そういえば、ホグワーツの友達に、闇祓いになりたいって子がいるんだけど」
「そうなの?」
「ええ。しかもハッフルパフ」
「うわー、嬉しいな。同じ寮か。何年生? 女の子?」
「七年生よ。男の子。去年三大対抗試合にも出たセドリック・ディゴリー。トンクスとは二年間被ってたみたいなんだけど……」
「あ、知ってる、知ってる!」

 トンクスはパアッとを笑みを浮かべた。

「あのちっちゃい子だよね? 小さいのに言動はしっかりしてて、驚いたの覚えてるなあ」
「今はすごく大きいけどね」

 セドリックのがっしりした体格を思い出し、ハリエットは笑った。

「でね、セドリックがトンクスに手紙を書いても良いか聞いてくれって言われたの。闇祓いになるために、トンクスが参考にした本を知りたいんだって」
「あー、なるほどね」

 トンクスはうんうん頷いた。

「『変装・隠遁術』とか、『隠密追跡術』とか、ホグワーツではちょっと見られないような科目もあるもんね……。だったら、私がよく使ってた参考書とかを、リストにしてハリエットに送るよ。私、最近いろんな所に出払ってて、一カ所にいられないんだ。だから文通はできないと思うから……」
「そう伝えるわ。ありがとう! きっと喜んでくれると思う」
「でも嬉しいなあ。うまくいったらハッフルパフの後輩ができるのか。うん、楽しみ楽しみ」

 トンクスとは、それから闇祓いについて話しながら、グリモールド・プレイスに向かった。屋敷の戸を開けると、シリウスはすぐに出迎えてくれた。

「ハリエット!」

 シリウスが大きく手を広げたので、ハリエットは一瞬躊躇ったものの、腕の中に飛び込んだ。

「久しぶりだな」
「ええ……本当に。会えて嬉しい」
「疲れただろう。食事にするか?」
「ええ!」

 厨房に行くと、お昼時だったので、ウィーズリー家の皆が食事をしていた。

 皆に挨拶をしたが、ハリーがいないことにすぐに気づいた。

「ハリーはどうしたの? もうご飯食べたの?」
「あー、うん、まあ」

 ロンが口ごもった。ジニーは心配そうに表情を曇らせ、フレッドとジョージは肩をすくめる。モリーも力なく首を振った。

「帰ってきてから、ハリー、部屋に閉じこもってばかりなのよ」
「何かあったんですか?」
「分からないわ。この子達ったら、何も教えてくれないの」

 モリーは険しい顔でロン達を見た。ロンは気まずそうに立ち上がり、ハリエットを呼んで階段の所まで連れて行った。

「ハリーなんだけど、事情が事情だから、ママに話すわけにも行かなくて」
「何かあったの?」

 ロンはこっくり頷いた。

「ハリーが、額の傷を通してパパが蛇に襲われる所を見たっていうのは聞いた?」
「ええ」
「病院で、マッドーアイ達が秘密の会話を始めたから、僕たち、伸び耳を使って盗み聞きしたんだ。そこでは、みんな蛇のことを話して……マッドーアイが、ハリーは何かがおかしいって」
「そんな!」

 ロンは落ち着かせるようにゆっくり話した。

「それで、マッドーアイが言うんだ。もし例のあの人がハリーに取り憑いてたとしたら、ハリーが蛇の内側からパパが襲われるのを見てたっていうのも納得がいくって」
「――っ、ハリーに、例のあの人が!?」
「詳しいことは分からない。そこで話はうやむやになったし……」
「ハリーは何か言ってた?」
「何も。あれからずっとぼうっとしてるんだ。話しかけても上の空だし」
「そう……」

 躊躇っていたのはほんの僅かな時間だった。ハリエットが階段に足をかけるのを見て、ロンは慌てて声をかけた。

「今は一人にしておいた方が良いんじゃない?」
「ハリーは、一人だとすぐに暗いことばっかり考えちゃうから」

 そう困った風に笑うと、ハリエットは階段を上った。

「ハリー?」

 とんとんとノックをすると、しばらく間をおいて、ハリーが返事をした。

「ハリエット? 帰ってきたの?」
「ええ。ホグワーツ特急で。……入ってもいい?」
「一人にして欲しい」

 ドアノブに手をかけたハリエットは、そのままの体勢で固まった。

「――って言っても、ハリエットは入ってくるんでしょう?」
「ええ、その通りよ」

 ハリエットは苦笑し、ドアを開けた。そして部屋の中程に立っているハリーを見た。

「ハリー、少し話しましょう」
「どうせ、ロンから話は聞いてるんだろ? 皆で僕のこと話してたんだ。まあ、僕はもう慣れっこだけど」
「そうじゃない。皆心配してたわ」
「僕のこと怖がってるんだ」
「……ハリーに、例のあの人が取り憑いてるのかもしれないって、マッドーアイが言ってたそうね」
「そうさ」

 イライラしたようにハリーが言った。

「だから僕――誰にも話しかけて欲しくなかった。だって僕は――」
「でも、まだそうと決まったわけじゃない、そうでしょ?」

 ハリエットはハリーを覗き込んだ。

「例のあの人に取り憑かれたことのある人って、私以外にいないはずよ。それがどういう感じなのか、私なら教えてあげられるわ」

 ハリエットの言葉に、ハリーはしばし目を瞬かせた。ようやく彼はハリエットに向き直った。

「僕……忘れてた」

 ハリーは口ごもり、上目遣いでハリエットを見た。

「それじゃ……君は僕が取り憑かれてると思う?」
「じゃあ、少し質問するけど」

 ハリーは目を合わせてくれなかったが、ハリエットはベッドに腰掛けた。

「ハリー、今まで自分のやったことを全部思い出せる? 何をしようとしていたのか思い出せない、大きな空白期間はある?」
「……ない」

 しばらく考えて、ハリーはそう答えた。

「それじゃ、例のあの人はあなたに取り憑いたことはないわ」

 ハリエットはきっぱり宣言した。

「私の場合、何時間も自分が何をしていたのか思い出せなかったの。どうやって行ったのか分からないのに、気がつくと違う場所にいるの」
「でも、僕の見たおじさんと蛇の夢は――」
「ハリー、先学期も同じようなことあったでしょう? ほら、例のあの人が何を考えているか、突然閃いたことがあったでしょう?」
「今度のは違う。僕は蛇の中にいた。僕自身が蛇みたいだった……もし、ヴォルデモートが僕をロンドンに運んだとしたら――」
「ハーマイオニーが教えてくれたけど」

 ハリエットは辛抱強く続けた。

「ホグワーツの歴史に、ホグワーツでは姿現しも姿くらましもできないって書いてあるそうよ。たとえ例のあの人だってハリーを寮から連れ出すなんてことはできないわ。ネビル達も言ってたけど、ハリーは眠りながらベッドでうなされていたそうよ。皆が起こすまで、少なくとも一分くらい」

 ハリーは考えながら部屋の中を行ったり来たりし始めた。

 ハリエットはしばらくそんな彼を見守っていたが、やがて聞こえてきた『歌声』に笑みを零した。

「ほら、聞こえる?」
「えっ?」

 耳をすますと、階下から聞こえてくるのは、シリウスの歌声だ。

「シリウスがクリスマスソングを歌ってるの。もうすぐクリスマスだから。シリウスったら、わざとあんなに大きな声で歌ってるのよ。ハリーにも聞こえるように」

 ハリエットはクスクス笑った。

「おばさんにうるさいって怒られてたけど、全然めげないの。そのうち替え歌まで披露しちゃって」

 ハリーもクスクス笑い出した。

「ねえ、シリウスの声が枯れる前に、下に行かない? ハリーと一緒に食事をしたら、シリウスも落ち着くと思うの」
「うん」

 驚くほど早くハリーは返事をしていた。トランクは隅にぽつんと置かれたままだった。


*****


 それから数日、シリウスを筆頭に、子供達は掃除をしたりクリスマスの飾り付けをしたりと忙しく働いた。

 シリウスは、館でまた賑やかになったことが――特にハリーとハリエットが戻ってきたことが嬉しくてたまらない様子だった。その気持ちに皆も感染していた。シリウスはもう、この夏の不機嫌な家主ではなく、皆がホグワーツでのクリスマスに負けないぐらい楽しく過ごせるようにしようと決意したかのようだった。

 とはいえ、シリウスがそんな決意をしなくても、ハリーとハリエットは、充分に楽しかった。シリウスが笑い、そんな彼と一緒に何かをするだけで嬉しかったのだ。

 そんな中、不思議だったのが、クリーチャーの姿を全く見かけないことだ。ハリーに聞くと、シリウスが厨房から出て行けと行ったきり、彼は姿を現していないのだという。

 少し気にはなったが、シリウスがまたいつものクリスマス・ソングを歌いながら現れたので、ハリエットもそれに合わせて鼻歌を歌っていたら、すっかり記憶から消えていた。

 クリスマス当日がやってくると、自分たちの元に届いたプレゼントを開封し、それぞれにお礼を言った。そうして昼食後には、皆で一緒にアーサーの見舞いに行くことになった。ムーディとルーピンの護衛付きである。

 アーサーは顔色も良く、元気そうだった。クリスマスのプレゼントを渡すと、相好を崩して開封を始める。ただ、それも束の間の出来事で、そのうち、アーサーがマグル療法の『縫合』に興味を持ち、実際にやってもらった結果、傷口が更にひどくなってしまったことが分かると、モリーにこっぴどく叱られてしまった。

 気まずくなって逃げ出した四人とジニーは、適当に病院内をうろつき、その途中でロックハートに出会った。彼の記憶喪失は未だ治っておらず、聖マンゴ病院に入院していたのだ。

 ロックハートは元気そうで、相変わらず嬉しそうにサインをしようとした。彼はまだ自分のことすら良く覚えてないようだった。癒者が言うには、ロックハートには見舞客は誰も来ないのだという。

 ハリーやロンの記憶を消そうとしたことは許せないが、彼のニコニコした邪気のない笑みを見ていると、そんな気持ちも萎れていった。

 その後、ネビルと、その祖母にも出会った。

 ロンは嬉しそうに呼びかけたが、ネビルは会いたくなさそうな顔をしていた。

「おう、おう、あなた方のことはよく存じ上げてますよ。ネビルがいつも話してくれます。ハリー・ポッターに、ハリエット・ポッター、ウィーズリー家の方々に、あなたはハーマイオニー・グレンジャー?」

 ハーマイオニーは驚いたように頷いた。

「ええ、ネビルがあなたのことは全部話してくれました。何度か窮地を救ってくださったのね? この子は良い子ですよ。でも、口惜しいことに、父親の才能を受け継ぎませんでした」

 そして彼女は、病室奥の二つのベッドに顔を向けた。

「えっ?」

 ロンが驚いた声を上げた。ハリエットは、ハリーがロンの足を踏んづけようとしたのを見た。

「奥にいるのは、ネビルのお父さん?」
「なんたることです?」

 ミセス・ロングボトムはネビルを鋭い目で見た。

「ネビル、お前はお友達に両親のことを話していなかったのですか? ……良いですか、何も恥じることはありません! お前は誇りにすべきです!」
「僕、恥に思ってない」

 ネビルの身体は可哀想なくらい小さく見えた。

「はて、それにしてはおかしな態度だこと! わたくしの息子と嫁は、例のあの人の配下に、正気を失うまで拷問されたのです」

 ハリエットとハーマイオニー、ジニーはあっと両手で口を押さえ、ロンはネビルの両親を覗こうと首を伸ばすのを止め、恥じ入った顔をした。

「二人とも闇祓いだったのですよ。夫婦揃って才能豊かでした。わたくしは二人を尊敬しています。誇りです!」

 ミセス・ロングボトムは背筋を伸ばし、そう言いきると、ネビルの背中を叩いた。

「さて、もう失礼しましょう。皆さんにお会いできて良かった」

 ミセス・ロングボトムはネビルと共に去って行った。ネビルは最後までハリー達と目を合わせなかった。

「僕、知ってた」

 二人の姿が見えなくなると、ハリーがポツリと呟いた。

「ダンブルドアが話してくれた。でも、誰にも言わないって、約束したんだ。……ベラトリックス・レストレンジがアズカバンに送られたのはそのためだったんだ。ネビルの両親が正気を失うまで『磔の呪い』を使ったからだ」

 ハリーが何も言わなくなると、その場は不気味なほどの静けさに包まれた。