■不死鳥の騎士団

17:別れのとき




 ホグワーツに戻る前日、ハリーとハリエットは、二人だけ厨房に呼ばれた。スネイプから話があるという。

 厨房には、シリウスとスネイプの二人がいた。二人とも長テーブルに座っていたが、その口はむっつりと真一文字に結ばれ、視線は反対方向を睨み付けている。互いへの嫌悪感で重苦しい沈黙が流れていた。

「あの……」

 ハリエットが勇気を出して声をかけると、ようやくスネイプが振り返った。

「座るんだ」
「いいか、スネイプ」

 シリウスは椅子ごとそっくり返り、腕を組んだ。

「ここで命令を出すのはご遠慮願いたいものだな。何しろ、わたしの家なのでね」

 スネイプは眉間の皺を更に深くした。ハリーはシリウスの隣に腰掛けた。どこに座ろうかとハリエットがおろおろしていたら、シリウスが急に笑顔になってハリーとは反対の、隣の椅子を叩いた。恐る恐るハリエットはそこに座った。三対一の、奇妙な絵面が生まれる。

「ポッター、我輩は君たち二人だけと会うはずだった。しかしブラックが――」
「わたしはこの子達の後見人だ」
「我輩はダンブルドアの命でここに来た、ポッター」

 スネイプはシリウスを無視することにしたらしい。頑なにシリウスの方を見もしない。

「校長は来学期に君たちに『閉心術』を学ぶことをお望みだ」
「何を?」

 ハリーがポカンとして聞き返した。

「閉心術だ、ポッター。外部からの侵入に対して心を防衛する魔法だ。世に知られていない分野の魔法だが、非常に役に立つ」
「どうして僕たちがそれを学ばないといけないんですか?」
「なぜなら、校長がそうするのが良いとお考えだからだ。一週間に一度、個人授業を受ける。しかし、何をしているかは誰にも言うな。特にドローレス・アンブリッジには」
「誰が教えてくださるのですか?」

 スネイプは不快そうに眉を上げた。

「我輩だ」

 ハリーは崖に突き落とされたような絶望を味わった。何が嬉しくてスネイプと課外授業なんて受けないといけないのだろうか。

「どうしてダンブルドアが教えないんだ?」

 ハリーの心情を察したシリウスが問いかけた。

「あまり喜ばしくない仕事を委譲するのは校長の特権なのだろう。言っておくが、我輩がこの仕事を懇願したわけではない。ポッター、月曜の夕方六時に来るのだ。ミス・ポッターは火曜の夕方六時。我輩の研究室。誰かに聞かれたら、魔法薬の補修だと言え。我輩の授業での君たちを見た者なら、補修の必要性を否定するまい」

 ハリーは怒って眉を吊り上げたし、ハリエットはしょんぼり肩を落とした。二人の心情は同じだった。何も、シリウスの前でそんなこと言わなくても!

 スネイプは旅行用の黒マントを翻し、立ち去りかけた。

「ちょっと待て」

 そんな彼をシリウスが呼び止めた。

「我輩はかなり急いでいるんだがね、ブラック。君と違って、際限なく暇なわけではない」
「では要点だけ言おう」

 シリウスも立ち上がった。スネイプよりかなり背が高く、威圧感があった。

「もし君が閉心術の授業を利用してこの子達を辛い目に遭わせていると聞いたら、わたしが黙っていないぞ」
「泣かせることよ。さすが後見人殿。この屋敷で君ができることと言えば、せいぜい引きこもるか吠え立てることくらいだものな?」

 シリウスは荒々しく椅子を押しのけ、テーブルを回り込み、杖を抜き放ちながらツカツカとスネイプの方に進んだ。スネイプも自分の杖をサッと取り出し向き直る。二人とも睨みながら互いの出方を窺っていた。

「シリウス!」

 双子は同時に叫んだが、彼の耳には入ってこないようだった。

「警告したはずだ、スニベルス。ダンブルドアが貴様が改心したと思っていても、知ったことじゃない。わたしのほうがよく分かっている――」
「おや、それならどうしてダンブルドアにそう言わんのかね? それとも、母親の家に六ヶ月も隠れている男の言うことは、真剣に取り合ってくれないとでも思っているのか?」

 シリウスはピクピク頬を引き攣らせた。

「ところで、この頃ルシウス・マルフォイはどうしてる? さぞかし喜んでいるだろうな? 自分のペット犬がホグワーツで教えていることに」
「犬と言えば、君がこの前遠足なぞに出掛ける危険を冒したとき、ルシウス・マルフォイが君に気づいたことを知っているかね? うまい考えだったな、ブラック。安全な駅のホームで君が姿を見られるようにするとは……これで鉄壁の口実ができたわけだ。隠れ家から今後一切出ないという口実がな?」

 シリウスが杖をあげた。

「止めて!」

 ハリーとハリエットは、両側からシリウスを押さえ込んだ。

「シリウス、止めて!」
「わたしを臆病者呼ばわりするのか?」
「まあそうだ。そういうことだな」
「スネイプ先生!」

 ハリエットは叫んだ。いくらなんでも、挑発しすぎだ。

「退け! そこを退け!」

 シリウスはもがいて双子を振り放した。

 その時、厨房のドアが開き、ウィーズリー一家全員と、ハーマイオニーが入ってきた。皆幸せ一杯という顔で、真ん中にアーサーが誇らしげに歩いていた。縞模様のパジャマの上に、レインコートを着ている。

「治った!」

 アーサーは鼻高々にそう宣言した。

「全快だ!」

 宣言が終わったとき、ようやく愉快な一行は厨房の光景に気がついた。見られた方も、そのままの体勢で動きを止める。シリウスとスネイプは互いの顔に杖を突きつけたままだったし、ハリーとハリエットは、二人を引き離そうと両手を広げていた。

「なんてこった。一体何事だ?」

 まずい場面を見られた二人はようやく杖を下ろした。二人の表情を念入りに確認した後、双子もようやく警戒を解く。互いに互いを抹殺したいという表情を浮かべていたが、突然の乱入者に、正気を取り戻したらしい。スネイプは杖をポケットにしまい、乱入者の横を通り過ぎて立ち去った。

「一体何があったんだ?」

 アーサーの問いに、シリウスは精一杯表情を和らげたが、まだスネイプを殴りたいくらいの視線の鋭さだった。

「何でもない。ただ、昔の学友とちょっとしたお喋りをしていただけさ。……それで治ったのかい? そりゃ良かった、本当に」

 その夜の晩餐は、アーサーを囲んで楽しいものになるはずだった。シリウスも努めてそうしようと努力しているのが伝わった。だが、それでも無理矢理笑ったり、皆に食事を勧めたりしているとき以外は、むっつりと考え込むような表情に戻っていた。

 何とかしてスネイプの挑発なんか気にするなと言いたかったが、その時間がなかった。ハリーとハリエットは、暗く落ち込んでいるシリウスを楽しませることもできなければ、かける言葉も見つけられなかった。

 その日の夜、ハリーとハリエットは、ロンとハーマイオニーを集めて、寝室で閉心術のことを話した。

「ダンブルドア先生は、あなたがヴォルデモートの夢を見なくなるようにしたいんだわ」

 ハーマイオニーが即座に言った。

「でも、ハリーは分かるけど、私はどうして?」

 ハリエットは不安そうに聞き返した。

「私は……確かに一度リドルに取り憑かれたけど、それ以降はなんともないわ」
「それは……そうね、分からないわ。でも、ヴォルデモートが狙ってるのはハリーだけじゃないのかも。ほら、ハリエットは、ヴォルデモートが復活したとき連れ去られたでしょう? ハリエットにも、夢を見させるような方法があって、ダンブルドア先生はそれに抵抗させたいのかも」

 結局、皆が真に納得できる理由にはたどり着かないまま、四人は就寝した。

 翌日は、夜の騎士バスに乗ってホグワーツに帰ることになっていた。朝、階下に降りると、護衛につくトンクスとルーピンが朝食を食べていた。シリウスはぼうっとした表情でトーストをかじっている。

 今はまだシリウスはマシな方だが、少し前はひどかった。ハリー達のホグワーツへ帰る日が近づくにつれ、シリウスはますます不機嫌になっていったのだ。モリーが『むっつり発作』と呼んでいるものが始まると、シリウスは無口で気難しくなり、しばしばバックビークの部屋に何時間も引きこもっていた。シリウスの憂鬱が、毒ガスのようにドアの下からしみ出し、館中に拡散して全員が感染した。

 お別れの時間が近づくにつれ、双子は息が苦しくなるのを感じた。シリウスの沈痛な表情を見るのが嫌だった。昨日、スネイプに屈辱的なことを言われていたのに、二人は何もできなかったのだ。

 いよいよ別れのときが来て、シリウスはハリーに書籍ほどの、不器用に包んだ何かを渡した。

「これ、何?」
「スネイプが君たちを困らせるようなことがあったら、わたしに知らせる手段だ。ホグワーツに戻ってから開けてくれ。わたしを必要とするときには君たちに使ってほしい。いいね?」

 順々にハリー、ハリエットを見てシリウスは微笑んだ。その口元は少し引きつっていた。

「分かった」
「それじゃ、行こうか」

 シリウスが双子の肩を叩き、前を見た。玄関ホールで皆が待っていた。それぞれアーサーやモリーと別れを告げている。

「し、シリウス……」

 ハリエットは小さく声をかけた。

「ちょっと屈んでくれる?」
「ん? なんだ?」

 シリウスは背を丸めた。シリウスの顔がずいと近づき、ハリエットは少し気後れしそうになったが――目を瞑り、えいっと彼の頬にキスをした。ハリエットの顔はその時点で既に真っ赤だったし、シリウスの口元も、みるみる綻んだ。

「ハリエット……」
「あ、あの、お別れの……次会うときまで、あの」

 どもり過ぎてさっぱり何を言っているのか分からなかったし、自分でも言いたいことが分からなかった。

 とてもとても恥ずかしかった。今までハグや頬にキスを送る、なんて習慣とはほど遠い人生だった。だが、今は違う。そういった親愛の情を示すことのできる相手がいることが嬉しい。

 ハリエットは、助けを求めるような、鼓舞するような視線をハリーに向けた。双子の妹の行動に、ハリーも少し動揺していた。そして、シリウスにまで見られていることに気づき、更に慌てた。

「えっ、ぼ、僕も!?」
「嫌か?」

 心なしか、シリウスの後ろに垂れた尻尾が見えた気がした。ハリーはうっと詰まる。彼の肩越しに、ニヤニヤとこちらを見ている一行を目撃してしまったのだ。

 意識すればするほど、皆に見られているこの状況下でキスをするのが恥ずかしくなってくる。でも、シリウスは寂しそうにこちらを見る。ハリエットは懇願するような顔になっていた。

「――っ」

 軽くだが、確かにハリーもキスを送った。両頬に愛情を送られたシリウスは、ここ一番の破顔を見せていた。

「ありがとう」

 そして双子の頭に手を乗せて撫でる。

「これで頑張れる気がする」
「……それなら良かった」
「い、行ってきます」

 大きく手を振って、シリウスと別れた。扉が三人を分かつまで、互いに手を振り続けた。