マルフォイ家の娘

11  ―暴かれる真実―








 ハロウィーンの夜、グリフィンドール塔にブラックが侵入した。幸いにも大多数の生徒が大広間で夕食をとっていたために、被害はなかったが、談話室への入り口となる太った婦人の肖像画がブラックによって切り裂かれていた。

 安全のため、生徒達はその夜大広間で寝泊まりすることになった。ハリーとブラックの関係を知らない生徒達は、ブラックの侵入経路や、彼が何を狙っているのか等、様々なことに思い巡らし、話し合っていたが、真実を知るハリエットとしては恐ろしくて堪らない出来事だった。

 ブラックは、本当にホグワーツまでやって来たのだ。そして、吸魂鬼に捕まるどころか、その包囲網を掻い潜ってホグワーツ内にまで侵入した。ハリーとブラックが鉢合わせしていたら一体どうなっていたことだろう。ハリーは一息に殺されていたに違いない。

 何の力にもなれないかもしれないが、今夜はハリーの隣で寝ようと寝袋を持ってウロウロしていれば、その寝袋を何者かに掴まれ、グイッと引っ張られた。

「今日は僕の隣で寝ろ」

 声の主はドラコだ。ハリエットは訝しげに彼を見る。

「でも、先生方はそれぞれの寮生同士で眠れって」
「この人数だ。誰も顔なんて詳しく見てない。こっちへ来い」
「私、グリフィンドールの所で寝るわ」

 自分がスリザリン生に良く思われていないことは分かっている。何が嬉しくて、そんな所で眠らなくてはならないのか。

 頑ななハリエットの態度に諦めたのか、ドラコの腕の力は少しだけ弱くなった。

「分かった……。でも、これだけは約束しろ。間違ってもポッターの近くで寝るなよ」
「どうして?」

 思わず聞き返せば、ドラコは一瞬言葉を失い、低い声でまくし立てた。

「何かあったらどうするんだ! ブラックはポッターを狙ってるんだぞ!」
「分かってるわ。でもハリーが心配なのよ。……ドラコ、痛いわ」

 キリキリと腕が締め付けられている。顔を顰めてハリエットは言ったが、ドラコは手を離さなかった。

「やっぱりこっちへ来い。僕がスネイプ先生に頼んでやるから」
「そんなことしなくてもいいわ。スネイプ先生が許してくれるとも思えないし」
「言うことを聞けって――」
「マルフォイ、ハリエットが痛がってる」

 ハリエットの後ろからぬっと腕が現れ、ドラコの腕を掴んだ。ドラコは途端に眉間に皺を寄せる。

「ポッター、何の用だ。お前には関係ない」
「ハリエットは友達だ。黙って見過ごせない」

 ちらほら就寝する生徒がいる中で、未だ突っ立ったままの三人の姿は目立った。ドラコはちらりと周りを見渡し、腕を離した。

「英雄気取りも程々にするんだな。ハリエットのことを気にかける暇があったら、自分の心配をしたらどうだ。ブラックに狙われてるんだろう」
「お前に言われなくても自分の状況は分かってる」
「ドラコ」

 咎めるようにハリエットが己の名を呼んだことで、余計ドラコの癇に触った。苛立たしさを押し殺すかのような歪んだ笑みを浮かべる。

「どうだろうな。本当に分かってるって言えるのか?」
「何が言いたい?」
「まさか、知らないのか? 僕だったら、もう既に何かやってるだろうな。良い子ぶって学校にじっとしてたりしない。ブラックを探しに行って、この手で復讐する」
「止めて」

 青白い顔で、今度はハリエットがドラコの腕を掴んだ。ようやく彼の注意がハリエットに向けられる。

「そうか、そうだろうな。君は優しい。ヒッポグリフにも、しもべ妖精にだって。君は、ポッターがブラックに殺されるんじゃないかってだけじゃなくて、ポッターが何か無謀な行動を起こさないかが心配なんだ。同情で側にいたいんだろう?」
「違うわ、友達だからよ。ねえ、もうスリザリンの所へ戻ったほうがいいわ。先生達もこっちを見てる」

 マグゴナガルの方を示して見せれば、グリフィンドール寮監は分が悪いととったのか、渋々ドラコはクラッブとゴイルの方へ戻っていった。ハリエットはほっと息をつく。

「ハリー、ありがとう。私達も行きましょう」

 このまま何も聞かれずに済んだら、とハリエットは願ったが、隣り合わせに寝袋に潜り込んだとき、ハリーは小さく聞いてきた。

「さっきの話だけど。どうしてマルフォイは僕がブラックを追うなんて言い出したの? ハリエットは、ブラックのこと何か知ってるの?」
「それは……」
「何の話?」

 ハリーの向こう側からロンの眠そうな声が上がる。

「マルフォイがもし僕の立場だったら、ブラックに復讐するって言うんだ」
「マルフォイが? 何のために?」
「いや、詳しくは分からなかった。ハリエットは何か知ってる?」
「私は……」

 それ以上言葉が続かない。真実を話すのはもっての外だ。だが、どう誤魔化せばいいのか。 
 焦る頭では、碌なごまかしも思い浮かばなかった。そのうち大広間の灯が消され、辺りは静まり返る。

 ハリーからの、答えを促すような声はない。眠ってしまったのだと思いこんでくれますように、とハリエットはぎゅっと目を瞑った。


*****


 しばらくして、グリフィンドール対ハッフルパフのクィディッチ対抗試合が始まった。天気は大荒れで、試合を楽しむどころではなかったが、最悪なことに、そこでハリーは大量の吸魂鬼に襲われ、箒から落ちてしまった。幸いにも、ハリーは一日入院するだけですぐに退院できたが、暴れ柳に真正面から突っ込んでいった箒となるとそうはいかない。

 ハリーの愛用の箒ニンバス2000は、暴れ柳に粉々にされ、見るも無惨な姿になってしまった。ハリーはひどくショックを受け、更には間の悪いことに二回目のホグズミード休暇がやってきた。今回も例によって二人仲良くお留守番することになったハリーとハリエットは、これといった会話もなく談話室までの道のりを歩いていた。だからこそだろう。明らかに自分達へ向かってきている二つの足音に、二人はすぐに気づいた。

「やあやあ、二人揃って随分辛気くさい顔してるじゃないか」
「スネイプに減点でもされたか?」

 まるで茶化すような口調に、ハリエットはともかくとして、ハリーは仏頂面を返した。

「悪いけど、僕らそんな気分じゃないんだよ」
「まあまあ、そう言わずに」
「二人はどうしてまだホグワーツに? ホグズミードには行かないの?」
「よくぞ聞いてくれた! 行く前に、君たちに一足早いクリスマス・プレゼントをあげようと思ってな」

 ニマニマ笑ってフレッドとジョージはハリー達を廊下の隅に追い立てた。そうして大事そうにマントの中から取り出したのは、大きなくたびれた感じの羊皮紙だった。

「これはだね、俺たちの成功の秘訣さ。君たちにやるのは実に惜しいが、しかし今これが必要なのは俺らより君たちの方だって、昨日の夜そう決めたんだ。使い方を教えてやる」

 授業のメモ書きにしかならなさそうな羊皮紙に、ジョージは杖で軽く触れた。

「われ、ここに誓う。われ、よからぬことを企む者なり」

 するとたちまち杖の先が触れたところから細いインクの線が蜘蛛の巣のように広がった。そしてみるみる地図を浮かび上がらせていく。

 それはホグワーツ城と学校の敷地全体の詳しい地図だった。面白いことに、その地図には一人一人ホグワーツ城を歩いている人の名前が浮かび上がり、今どこを歩いているのかを詳細に教えてくれていた。

「全部で七つの道がある。だが、一番おすすめなのはこの道。ハニーデュークス店の地下室に直通だ。俺たち、この道は何回も使った」
「この地図を使った後は必ず消しておくんだ。じゃないと誰かに読まれちまう」
「もう一度地図を軽く叩いて、こう言えよ。『いたずら完了!』。すると地図は消される」
「じゃ、二人ともハニーデュークスで会おう」

 ウィーズリー家の双子はウインクして去って行った。まるで嵐のような双子だ。嫌な予感がして、ハリエットがゆっくりハリーに向き直れば――彼は、キラキラ輝く目で地図に見入っている最中だった。ハリエットは思わずその手を掴む。

「ハリー、駄目よ!」
「何が?」
「ホグズミードに行くつもりなんでしょう? 絶対に駄目よ! ブラックはあなたの命を狙ってるのよ?」
「ブラックが白昼堂々ホグズミードにいると思う? 吸魂鬼だっているのに」
「でも、もしブラックが今日がホグズミード休暇だって知ってたら? アズカバンですら脱獄したような人なのよ。どんな手段を使ってハリーに近づくか分からないわ!」
「ハリエットは、何をそんなに怖がってるの?」
「何をって……」

 ハリエットは盛大に狼狽えた。ハリーが急に真剣な表情になったからだ。

「それは……ハリーが殺されるかもしれないって……」
「それにしては大袈裟だよ……異常なくらいに」

 ハリーが小さな声で付け足す。図星を言い当てられたようにハリエットはピシリと固まった。

 ――理由を話すわけにはいかない。今のハリエットには、いっそ哀れに思える程にハリーに縋ることしかできない。

「ハリー、行かないで。お願い。心配なの……」
「いいよ、分かった。行かない」

 驚きに目を見開くハリエットを余所に、ハリーはゆっくりハリエットを見据えた。

「マルフォイが言ってた意味を教えてくれるなら」
「…………」

 ハリエットは、口を開かなかった。ハロウィーンのあの夜のように、寝入ってしまったのだともうハリーは騙されてはくれなかった。

 ひどく傷ついたような顔で、ハリーはハリエットの手を押しやった。そして固く地図を握りしめたまま、行ってしまったのだ。


*****


 ハリーを引き留められなかったハリエットは、ひどく後悔の念に襲われていた。ハリーは透明マントを被っていったようだが、それすらもブラックに見破られたらと思うと、心配の種は尽きない。

 マクゴナガルに助けを求めることも考えたが、彼女は非常に厳しい先生だ。許可をもらっていないのに勝手にホグズミードに行ったとならば、今後一生ハリーのホグズミード行きを許さないかもしれない。

 ハリーの命が懸かっているかもしれないのに何を、とも思ったが、もしハリーに絶交されたらと思うと、どうしても一歩踏み出せなかったのだ。

 そんなとき頭に浮かんだのがルーピンだ。彼は、ハリーの両親と友人で、かつジョークにも寛容だ。むしろ悪戯好きとも言える性格で、フレッドやジョージの悪戯にも時折アドバイスをするくらいだ。

 そんな彼なら、ハリーを諭し、かつちょっとした罰則で今回のことは目を瞑ってくれるかもしれない。

 一度思いつけば、後は早いもので、ハリエットは勇み足でルーピンの研究室に向かった。だが、生憎と彼は留守だった。その後も職員室や大広間、図書室やふくろう小屋、医務室等々、考えられる場所は全て覗いたが、ルーピンの姿はなかった。

 駄目元でハグリッドの小屋も訪れたが、ルーピンは来ていないという。ハリエットはすっかり落胆してしまった。

 次はどこを探そうかと途方に暮れていたとき、ハリエットは強い視線を感じた。ホグワーツ城からではない。――禁じられた森からだ。

 振り向いたハリエットは、あっと叫びだしそうになるのをすんでの所で堪えた。ハリエットをじっと射貫くように見つめていたのは、一頭の黒犬だった。まだ距離が離れているため、小さくは見えるが、隣の木と比べると、犬にしてはかなりの大きさだ。

 闇を思わせる毛並みと、視線の鋭さ、そして何より、その大きさに、ハリエットは一瞬グリムかと思った。ドビーの読み聞かせで良く耳にした死神犬。

 だが、ハリエットは結局その結論を覆した。なぜなら、グリムにはあるまじき速度で尻尾が揺れていたし、よくよく見れば、可哀想なほど痩せ細っている。肋が浮き出るほどにお腹を空かせているだろう犬が、どうしてグリムだなんて言えるだろう!

 ハリエットは誘われるように一歩、二歩と黒犬に近づいていった。黒犬も徐々にハリエットの方に歩み寄る。ハリエットが屈んで手を差し出せば、黒犬は鼻先を近づけて手の匂いを嗅いだ。

「可愛い……」

 ハリエットは思わずそう漏らす。

 仮にもクマほどもあるサイズの犬に向けて言う言葉ではないが、しかし対動物となったときのハリエットの語彙力はほとんど可愛いで済ませられてしまうので仕方がない。

「今度ご飯を持ってきてあげるわ」

 優しく撫でてそう囁くと、黒犬は嬉しそうに吠えた。まるで言葉が分かるみたいだ。千切れんばかりに尻尾を振っており、初めの印象とは打って変わって可愛らしい雰囲気だ。ハリエットはますます口元を緩める。

 会ったばかりなのに、こんなに動物に懐かれるのはとても幸せなことだ。しかし残念ながら、今のハリエットにはやるべきことがあった。

 泣く泣く己の身体に鞭を打ち、ハリエットは勢いよく立ち上がった。

「ごめんね、名残惜しいんだけど、もう行かなきゃ!」

 ハリエットが歩き出せば、黒犬は哀れを誘う声でくうんと鳴いて縋ってきたが、ハリエットは絆されなかった。ルーピン探しを継続しなければ!

 だが、そうは言っても、思いつく限りの場所は探した。

 そういえば、とハリエットはふと思い出す。

 つい先日も、ルーピンは闇の魔術に対する防衛術の授業を休んだばかりだ。もしかしたら、まだ体調が悪くて寝込んでいるのかもしれない。

 ルーピンの青白い顔を思い出し、ハリエットは落胆を抑えきれなかった。今すぐにでもハリーを連れ戻さないといけないのに、一体どうすれば良いのだろうか。

 フレッドとジョージのおすすめの抜け道――ハリーが通ったであろう隻眼の魔女の像の辺りを、ハリエットは意味もなくウロウロしていた。今すぐにでも、ここを通り抜けてハリーを連れ戻すべきか否か。だが、ハリエットも許可証を持っていないのはハリーと同じだ。火に油を注ぐ結果になることは想像に容易いし、そもそも透明マントを持っているハリーを見つけられる可能性だって少ない。

 うだうだと考えあぐねていたハリエットは、着々と自分の方へ近づく足音に気づけなかった。ハッと顔を上げたときには、相手の眉間には深い皺が刻まれていて。

「――ミス・マルフォイ、こんな所で何をしているのかね?」
「す、スネイプ先生……」

 ハリエットは愛想笑いを浮かべた。

 ハリエットは、少々彼が苦手だった。魔法薬学教授、セブルス・スネイプは、大のグリフィンドール嫌いだ。特にハリー・ポッターが大嫌いで、彼にはいつも隙あらば喜々として減点を食らわしている。――ただ、スネイプは、なぜかハリエットには減点をしないのだ。彼の嫌いなグリフィンドール生であるにもかかわらず。

 おそらくスネイプとルシウスが昔から親交があったことや、ドラコが彼のお気に入りであることが影響しているのだろうが、それでもハリエットは些か居心地が悪い。グリフィンドール生としても、マルフォイ家の娘としても、彼に嫌々ながら気を遣われているような気がしてならないのだ。

「それにポッターはどうした。ホグズミードに行けない者同士、寂しく傷を舐め合っているものと思ったが」
「あー……」

 ハリエットはしどろもどろに視線をウロウロさせた。

「あの、私達、別にいつも一緒にいるわけではなくて……」
「ほう。喧嘩でもしたのかね?」

 些か嬉しそうに聞こえるのは気のせいだろうか。ハリエットはますます困った顔になり、それを見て逆にスネイプは口元を緩める。

「タイミングの良いことだ。ならば今年中はずっと彼から距離を置くのが良かろう。ポッターの傍をウロウロするのは、君のためにはならない」
「ハリーが狙われてるからですか? そんなことでハリーから離れるようじゃ、友達なんて言えません」

 スネイプの温度が一気に下がった。彼が上機嫌だったのもほんのひと時だった。

「ポッターに夢中になるのもいいが、君は少し周りをよく見るよう努力した方がいい。少なからず君のことを大切に思っている者の忠告を無視するなど」
「スネイプ先生が……私のことを?」
「我輩ではない!」

 叫ぶように怒鳴られ、今やスネイプの機嫌は最底辺まで凋落したとハリエットは確信した。

「……君の兄だ。ポッターに近づくなと忠告していただろう。それに、彼は我輩にも頼みに来た。君をホグズミードに行かせてやってくれと」
「……ドラコが?」

 ハリエットは目を瞬かせた。まさかドラコがスネイプに頼みに行くなど、思いも寄らなかった。

「もちろん我輩は君の寮監ではないからして、許可はしなかったが。……少しは周りにも目を配るべきだろう」

 鼻に皺を寄せて言い切ると、スネイプはさっさと歩き出した。ハリエットは呆然とその後ろ姿を見送る。

 これで、魔女の像付近に人気はなくなった。行くなら今だ。だが、先程のスネイプの言葉がハリエットの足取りを重くする。

 ハリーを見つけられない可能性のほうが高いのに、校則を破ってホグズミードに行ったことがバレれば、それは酷い目に遭うだろう。マルフォイ家にも迷惑をかけることになるし、何よりドラコの心配を無碍にすることになる。

 ハリエットはますます頭を抱えてしまった。そのまま行き場もなく、仕方無しに玄関ホームまで歩いていく。

 そろそろホグズミード帰りの生徒が戻ってきている頃だった。ハリエットは落ち着かない様子でその場をウロウロする。

 一体どれほどの時間が経っただろうか。

 西日をバックにロンとハーマイオニーがこちらへ歩いてくるのを見て、ハリエットはパッと笑みを浮かべた。

「ロン、ハーマイオニー!」

 待っているのがもどかしく、ハリエットは駆けて二人の元まで行った。

「ハリ――いえ、その、見なかった……? マントを着た、ほら」

 身振り手振りで、ハリーを見なかったかという問いを何とか二人に伝えてみる。ハーマイオニーはすぐに頷いたが、その表情は浮かない。

「ハリエット、それが……」

 ふっとハリエットの横を何かが通り抜けたのを感じた。一瞬冷たい風が頬を撫でたのだ。風ではなく、まさに何かがそこを通ったような。

「ハリー……?」
「ここは人が多いから。談話室で話すわ」

 ハーマイオニーはハリエットの腕を引いてグリフィンドール塔まで戻った。談話室の隅のソファを陣取り、ロンと二人して顔を見合わせる。

「アー……何から話せば良いのかなあ」
「まずは、その……ハリーもあまり自分のいない所でこういう話をされるのは嫌だと思うけど……ハリエットなら許してくれるだろうし……ハリーもたぶん訊いて欲しいだろうし……」

 一旦言葉を切ると、ハーマイオニーは真剣な表情でハリエットを見た。

「シリウス・ブラックは、ハリーの後見人だったの」
「――っ」

 ハリエットは一瞬で悟った。どういう経緯かは分からないが、ハリーは知ってしまったのだと。

「ハリエットはこのことを知ってたのね?」

 ハリエットは小さく頷いた。握りしめた拳が、今や真っ白になっていた。

「お父様から聞いたの。でも、絶対ハリーの耳に入れちゃ駄目だと思った。だって、ハリーは復讐しに行こうとするかもしれないから……!」

 自分を責めるように俯くハリエットを、ハーマイオニーは背中を撫でて宥めた。

「大丈夫、大丈夫よ。もし私があなただったとしても、同じことをしたと思うもの」
「私のことは良いの」

 ハリエットはすぐに切り返す。

「ハリーは大丈夫……?」
「どうかしら……。帰り道でもあんまり話さなかったから」

 ハリエットはそっと男子寮の方を見上げた。透明マントのせいで、ハリーの顔すら見れなかった。彼は、今どんな思いでいるのだろうか――。


*****


 夕食時、ハリエットは急にバスケットに食料を詰め込み始めた。夜食かとハーマイオニーが問えば、ハリエットは曖昧に笑って、結局肯定も否定もしなかった。そそくさと席を立つ彼女を見て、ロンは声を潜めてハーマイオニーに囁いた。

「あんなに食べたら太るぞ」
「ハリエットが食べるんじゃないわよ」
「なんで分かるんだよ」
「だってチキンばっかりだったじゃない。お菓子なんてちっとも入ってなかったわ」
「――男が食べるってこと!?」
「さあ?」

 意味深げにハーマイオニーは肩をすくめた。ロンは信じられないものを見る目でハリエットの後ろ姿を見つめた。

 ハーマイオニーとしては、ロンの言うようなことはあり得ないことだけは分かっていた。誰かと一緒に食べるのなら、ハリエットは自分達と一緒に夕食をとらないだろうし、誰かのお見舞いにしても、もっと栄養のあるものを多種揃えるだろう。

 チキンばかりをあの量ということは、相手は相当身体の大きな――もしくは腹の空かせた――動物である可能性が高い。

 バックビーク? それともファングだろうか?

 ともかく、帰ってきたらハリエットにもう一度聞いてみようとハーマイオニーは一旦考えるのを止め、ハリーに向き直った。

 何か話したいことがあるのだろう、ハリーは、ハリエットが席を立ってから途端にソワソワし出した。しかしハーマイオニーからは尋ねない。彼の表情から、その内容が相当繊細なものだということは分かりきっていたからだ。

「――三本の箒で聞いた話だけど」

 ホグズミード帰りで浮き足立っている大広間に関わらず、ハリーの低い声は一番に耳に飛び込んできた。

「僕の妹は……ホグワーツにいると思う?」
「…………」

 ロンは狼狽えたように目を泳がせ、ハーマイオニーは考えをまとめるように深呼吸した。遅かれ早かれ、ハリーに相談されることは予感していたので、返答は既に考えていた。

「……そうね。でも、ハグリッドの言葉が本当に真実なのかも分からないわ。ほら、あの時ハグリッド、ちょっと飲んでたから……」
「でも、君達も確かに聞いただろう?」

 声を潜めつつも、ハリーは声を荒げた。

 ハグリッドは確かに言った。

『兄妹なのに離ればなれになっちまって――』

 聞き間違いではない。その証拠に、マダム・ロスメルタが『兄妹って何のことですの?』と聞き返しても、マクゴナガルやファッジは言葉を濁すばかりだった。ハグリッドはまずいことを口走ったとばかり、しきりに空咳をしていた。

「僕には妹がいるんだ」

 ハリーは少し興奮しているように見えた。両親は既に亡くなっており、親戚も意地悪なダーズリー家しかいないとあらば、血の繋がった妹に期待を寄せる気持ちも分かる。

 ハーマイオニーは小さく嘆息した。

「でも、ハリー、仮に妹がいたとして、ホグワーツにいるとは限らないわ。違う魔法学校に入学したのかもしれないし」
「でも、わざわざ外国の魔法学校に行くと思うか? もしホグワーツにいるとしたら、ジニーと同い年か、もっと下か……」

 ロンはすっかりハリーの味方のようだ。いや、それとも『妹』の正体を暴くことにワクワクしているのか。

「いや、もっと下はあり得ないよ。父さんと母さんは僕が一歳の頃に亡くなったんだ」

 ハリーはどこか思い詰めた顔で親友を見た。

「でも、もう一つ選択肢がある。――同い年」
「双子ってこと? フレッドとジョージみたいな? でも、ハリーにそっくりな女の子なんていたかな」
「双子だからってそっくりとは限らないわ。二卵性双生児の可能性もある訳だし」

 思わずハーマイオニーが口を挟めば、ハリーはますます考え込むように前屈みになった。

「僕……ずっと考えてたんだ。ほら、僕達の周りで、両親がいない子は? 両親の顔も、名前すら分からないで、でもグリフィンドール寮だったってことは分かってて、自分の親を探してる子は……」
「……ええっ!」

 一瞬遅れて、ロンは驚きの声を上げた。ようやくその可能性に思い当たったようだ。

「まさか――君――ハリエットが妹だって言いたいの!?」
「その可能性もあるってだけだけど」

 言い訳のように付け足したが、彼の顔はどこか確信に満ちているようにも見える。

「でも、二人は全然似てないじゃないか」
「言ってなかったっけ? 一年生の頃、みぞの鏡で母さんを見たんだけど……ハリエットにそっくりだった。ハリエットも、父親が僕にそっくりだったって言うんだ」

 ハリーは自分を落ち着かせるために深呼吸した。

「確かに、双子だとしても僕達は似てない。でも、父親と母親、それぞれが僕達に似てるんだったとしたら、それは充分家族の可能性も高いと思わない?」
「それは……まあ……確かにそうだけど……」
「僕、このことをハリエットに話して、一緒にダンブルドアの所に行こうと思うんだ。ダンブルドアはハリエットの両親について何か知ってるみたいだし、直接聞いたら答えてくれると思うんだ」
「それは駄目よ。ハリエットには言っちゃ駄目」
「どうしてだよ?」

 ロンが意外そうに尋ねた。親友二人が兄妹かもしれないという事態にワクワクしている顔だ。対するハーマイオニーは、スネイプのように眉間に皺を寄せている。

「だって――これって、とってもナイーブな話だわ。確かに偶然にしては揃いすぎてるけど、でも、確実ではないのよ。ハリエットをがっかりさせることになるかもしれないし、ハリーはシリウス・ブラックに命を狙われてる状態でしょう? もし二人が兄妹だってバレたら、ハリエットまで危険な目に遭うかもしれない。それに、一番恐ろしいのが」

 ハーマイオニーは声を潜めた。ハリーとロンはゴクンと唾を飲み込む。

「――マルフォイの妹がハリーの妹になるってことよ」
「……そりゃ恐ろしいや」
「ハリー、真面目に聞いてる?」
「聞いてるよ。マルフォイが、可愛さ余って憎さ百倍って事態になるかもしれないってことだろ?」
「そう、そうなの!」

 ハーマイオニーは強調するように何度も頷いた。

「マルフォイはハリエットのこと大切にしてるわ。実の妹じゃないって分かった上で。でも、それがハリーの妹だって分かったら? マルフォイは、あれだけハリーのことを憎んでるのよ。その二人が兄妹という意味で繋ったとして――それがどう転ぶかが分からないから、余計に恐ろしいの」
「マルフォイがハリー大好きになることだけは絶対にあり得ないって分かるよ」
「ハリエットに関しては、その真逆になる可能性は大ありよ。……まあ、冗談はともかく、これからは真面目な話をするわよ」
「冗談だったのかよ」
「今から話すことが一番重要よ。そもそも、どうしてハリーと妹が別々の家に引き取られることになったのか……。もちろんハリーが生き残った男の子だからで、妹まで注目を浴びるのが可哀想だったとか、ハリーの命が狙われてるからとか、いろいろ理由はあると思うの。でも、きっとそれだけじゃない。一年生の時ハリーが助かったのは、母親の愛の魔法があったからだってダンブルドア先生が仰ってたんでしょう? 愛の魔法は、悪しき者にも有効なのよ。だったら、その妹だって安全と言えるはずじゃない? わざわざ離れて暮らす必要はなくなるのよ」
「ハリーの妹には、その愛の魔法がないってこと?」
「その可能性は高いわね。じゃなきゃ、ここまでその存在を隠される理由が分からないもの」
「例のあの人から守る方法もないのにハリーの側にいたら危険だから……だから、遠ざけられたってことか」

 ロンの言葉に、ハーマイオニーは強く頷いた。

「そう。だからこそ、少なくとも、ハリエットがハリーの妹なのか、確実な証拠がない限り、推測だけで話すのは危険だと思うの」
「……うん、分かった。ハリエットには言わない」
「ブラックも追わないこと。約束してくれる?」
「約束するよ」
「何だか、ハーマイオニーがハリーの姉だって言われた方が納得するかも」
「じゃあロンは弟かしら?」
「何でだよ!」

 ロンは怒ってハーマイオニーに食って掛かった。ようやくハリーも小さく笑みを浮かべた。シリウス・ブラックの真相に行き場のない怒りを持て余していたが、血の繋がった妹という存在と、いつも変わらない親友たちの姿に、少しだけ心が解された気がした。