マルフォイ家の娘

14  ―燻る感情―








 今年のホグワーツでは、クィディッチ対抗試合は行われず、代わりに三大対抗試合が開かれるのだという。ホグワーツ、ダームストラング、ボーバトンの三つの魔法魔術学校が集まり、各校代表選手を選出し、魔法の腕を競い合うのだ。

 どこからそんな情報を仕入れたのか、ルシウスが食事の席でそう説明をし、一番に何か反応があるだろう息子の方を見たが、彼はぼうっとした様子でサラダをつつくばかりだ。ナルシッサがその行儀の悪さをたしなめれば、ドラコは我に返ったが、それでも食欲のなさは変わらずその手は一向に進まない。

 クリスマスには、ダンスパーティーも行われるらしく、ハリエットはナルシッサが呼びつけたダンスの講師により、日夜特訓に明け暮れていた。ドラコは幼い頃からダンスの訓練を受けていたために、今更付け焼き刃の講義を受ける必要はなかったが、ハリエットは全くの初心者だったため、夜にはいつもクタクタになっていた。マルフォイ家の娘として不出来なダンスは見せられないと、ナルシッサからも講師からも熱の入った指導を受けたからだ。

 とはいえ、一月も経つと、ハリエットのダンスもなかなか様になってきたが、しかし講師相手でしかダンスをしたことがなかったので、初心者のハリエットとしてはまだ不安が残る。男性パートも女性パートも網羅しているような人が相手では、ハリエットの多少の失敗もカバーするほどの技量を持っている。だが、今度のパーティーではそうはうまくいかないだろう。ハリエットは、年相応の相手と一度ダンスをしてみたかった。

「ドラコ」

 そうなると、このマルフォイ邸で該当人物はただ一人。ハリエットは昼食の後ドラコに声をかけた。

「このあと暇?」
「……何か用か?」
「ダンスの練習相手になって欲しいの。まだちょっと不安で」
「どうして僕が」
「駄目? 一度ドラコとも踊ってみたかったの」

 に甘えるようにして誘えば、ドラコはふいと顔を逸らし、黙って行ってしまった。まさか無視されるとは思いもしなかったので、ハリエットはしばし茫然とした。

 ――夏季休暇に入ってから、ドラコは随分冷たい。それは、ハリエットの気のせいではないだろう。

 まだ休暇始めの頃は普通だったのだが、近頃はぱったり部屋に遊びに来てくれなくなったし、食事中に話しかけられることもなくなった。いつも部屋に閉じこもるか、どこか出掛けるばかりだ。ハリエットがダンスの授業に忙しいという点を差し引いたとしても、明らかに素っ気なくなってしまった。

 これが、俗に言う思春期というものだろうか。世話焼きだったドラコも、もう妹の面倒はごめんだと思うようになったのか。

 ハリエットは、一抹の寂しさを抱えた。ハリーという本物の兄ができはしたものの、まだやはりその仲はぎこちない。ハリエットにとって、長年共に育ってきた『兄』はドラコだけなのだ。なのに、この反応は少し――いや、かなり寂しい。

「お嬢様、お部屋にふくろうがいらっしゃいました」

 姿現しの音と共に、トニーが現れた。彼女は、ドビーと入れ替わりのようにしてこの屋敷にやって来たしもべ妖精だ。母親のように慕っていたドビーがいなくなってしまったのは悲しいが、トニーも明るく世間話をしてくれるので、ハリエットの寂しさは紛れていた。

「ありがとう、トニー」

 部屋に戻ると、窓辺にピッグウィジョンが止まっていた。シリウスから譲り受けたというロンのふくろうだ。手紙を受け取ると、早く仕事を与えてくれとばかりハリエットをせっつく。まだ手紙を読んですらいないので、ハリエットは苦笑してしまった。餌を与え、宥めるようにして撫でていれば、今度はウィルビーが他のふくろうばかり狡いと飛んでくる。ハリエットの両手はしばらくふくろう二羽に占領され、手紙を読むことができなかった。

 やっとのことで目を通した手紙には、ハリエットにとって飛び上がるほど嬉しい出来事が書かれていた。なんと、今年イングランドで行われるクィディッチ・ワールドカップに一緒に来ないかと誘われたのだ!

 ウィーズリー家に加え、ハリーとハーマイオニーも行くらしい。なんて夢のようなお誘いだろう!

 もちろん、クィディッチと名のつくものにドラコが行かない訳がなく、マルフォイ家もワールドカップへ行くはずだ。ただ、そこにハリエットが加わるかというと、話は別だ。今年も例によって留守番になる確率が高い。ハリエットはドラコほどクィディッチに身を入れていないので、留守番になること自体に不服はない。だが、友達が集って見に行くというのであれば、もちろろんハリエットだって行きたかった。問題は、ルシウスにどうやって切り出すか、どうやって承諾させるかという点だ。

 夕食時、ハリエットは目を皿のようにしてルシウスを観察した。そうして、ドラコの話が途切れたのを機に、素早く『父』を呼んだ。

「お父様、もうすぐクィディッチ・ワールドカップが開かれると思いますが……私、友達に誘われて。行ってもよろしいでしょうか?」

 緊張のあまり、ハリエットの喉はカラカラだ。チラリと窺うようにルシウスを見れば、予想と反してナルシッサが口を挟んだ。

「……誰に誘われたの?」
「あー……ロン、です。ロン・ウィーズリー……」

 もしかしたら向こうで鉢合わせするかもしれない可能性を考えると、誤魔化すことはできなかった。それに、ハリエットの交友関係は、ドラコを通して知れ渡っているはずだ。今更取り繕うものはない――。

「今年のワールドカップはお前もと思ったのだが」
「えっ」

 思いも寄らない言葉に、ハリエットはマジマジとルシウスを見つめた。

 まさか――私も連れて行ってもらえるなんて。

 こんなこと、今までに一度だってなかった。いや、それは大袈裟か。ホグワーツに入ってからは、随分団体行動が増えた。ハリエットも、マルフォイ家の一員として認められつつあるということだろうか?

 突然の事態に思考が脱線しかけるのを、ハリエットは慌てて引き戻した。問題は、クィディッチ・ワールドカップだ。

 ――正直な所、ロン達と観戦した方が、数倍は楽しい。話も合うし、気兼ねなくはしゃげ、遠慮することもない。この夏あったことを話しながら、自由気ままにお菓子でも食べながら観戦するのだ。絶対に楽しいに決まってる。

 反面、ハリエットは、ルシウスに自分の分のチケットを買ってもらえたという事実にも心揺さぶられていた。自分の両親の敵の仲間だとして、ハリエットは未だルシウスに複雑な思いを抱いている。だが、ここまで育ててもらえたことは事実で、彼やナルシッサに対して情があるのもまた事実だ。その二人に、たとえ好意百パーセントではないにしろ、一緒に観戦を、と計画してもらえたことが嬉しい。

 小さく頷くと、ハリエットは微笑みを浮かべた。

「――ありがとうございます。では、お言葉に甘えて、私も一緒に行っても良いですか? ロン達とは、また向こうで会えると思うので」

 顰めっ面のまま、ルシウスは大仰に頷いた。突然気恥ずかしくなって、ハリエットはそれを誤魔化すかのようにお茶を一息に飲み干した。


*****


 ワールドカップの会場へは、支給されたポートキーでひとっ飛びだった。宙を浮くような感覚は慣れず、しばらく気持ち悪さが残ったが、それを吹き飛ばすほど、ワールドカップの熱気は凄まじく、試合自体は夜に始まるというのに、そんなことを微塵にも感じさせないほどのお祭り騒ぎだった。

 マルフォイ家のテントは既にしもべ妖精達により立てられ、出来たての茶まで用意されていた。ポートキーによる疲れからか、ルシウスとナルシッサはすぐにテーブルに着席し、お茶を飲もうとした。ハリエットがソワソワし出したのはそれからすぐの出来事だった。

「少し外をお散歩してきても良いですか?」

 ルシウスとナルシッサは目配せした。

「……良いでしょう。昼食までには帰ってくるのですよ」
「はい! 行ってきます!」

 喜び勇んでハリエットはテントを飛び出した。どうしてだか、今回はやけにルシウスもナルシッサも優しい。そもそもワールドカップに連れてきてもらえたこと自体が奇跡にも等しいのだ。マルフォイ家に娘がいると表だって公表したことは、今までに一度だってなかったのに。

 キャンプ場には、たくさんのテントが立っていた。ただ、今年の夏ほんの少しだけマグル界に触れたハリエットは、小さな城のような豪華なテントや、入り口に生きた孔雀が繋がれているようなテント、前庭や噴水が揃っているテントは、マグルのそれとは相応しくないのではとちょっぴり思った。

 キョロキョロと物珍しく周りを見て歩いていたハリエットは、「これはこれはマルフォイの坊ちゃま」という言葉に後ろを振り返った。

「何だ?」
「いいえ、いいえ。近くにミスター・マルフォイもおられるのでしょうか? であれば、ぜひとも挨拶をさせて頂きたく」
「父上はテントにいる。挨拶をするのなら、そっちに出向くんだな」

 ドラコは媚びへつらうような笑みを浮かべた小男を追い払った。そしてハリエットと目が合うと、気まずそうに顔を逸らす。

「ドラコもお散歩?」
「ああ……まあ」
「そう……」

 ハリエットは、あえて一緒に見て回ろうと誘わなかった。ハリエットが外に出向いたのは、ひとえにハリー達と合流したかったからだ。

 「じゃあ私、あっちの方を見て回るから」と言って、ハリエットはそれとなくドラコから離れようとしたが、どうしてだか、歩けど歩けど、彼が別の方向へ行ってくれる気配がない。

「もしかして、一緒に見て回りたいの?」

 痺れを切らしてついにハリエットは直球でそう尋ねた。もしかしたら、彼はこの夏季休暇中、ハリエットに素っ気なくしていたのを申し訳なく思っているのかもしれない。だから、ここで仲直りしようとしているのかもしれない――。

「違う!」

 だが、ハリエットの予想と反して、ドラコはカッと頬を赤くさせて反論した。

「別に、そんなんじゃ――僕がついていかないと、お前が迷子になると思って!」
「帰り道くらい覚えていられるわ」

 どれだけ私のことを子供だと思っているの、とハリエットは少々悲しくなったが、どんな理由にしろ、彼がハリエットのことを心配してくれたというのは事実だ。多少の不名誉な事実にも目を瞑った。

 こうなってしまっては仕方ないと、ハリエットはドラコと肩を並べてキャンプ場を散策した。もちろん、当初の『ハリー達と合流』という目的は忘れていない。これが第一だ。ドラコと仲直りしたいという思いもあるが――そもそもハリエットとしては喧嘩しているという認識ではないが――この夏休み、ほとんど手紙でしか近況を語り合えなかった兄、親友達にも直接会って話がしたい。

「ハリー!」

 ハリエットのその思いが通じたのか、キャンプ場の隅まで来た時、ハリー、ロン、ハーマイオニーと再会した。水汲みに来ていたようで、三人とも重そうなバケツを手に持っている。

「ハリエット! 久しぶり!」
「本当に! 早速会えるなんて、粘り強く歩いてた甲斐があったわ! いつキャンプ場に来たの?」
「朝一にここに。ビルとチャーリーとも挨拶したよ」
「ロンのお兄さんよね? 私もぜひ挨拶がしたいわ! 行っても良い?」
「それはもちろん良いけど……マルフォイも来るって言わないよね?」

 ロンが小声で尋ねた。彼が目配せする方向には、眉間に皺を寄せ、どこか遠くを睨むようにして突っ立っているドラコが。

「言わない……と思うけど。私が迷子になるかもって、ついてきてくれたの」
「あいつ、ホント今時珍しいくらいの過保護だよな」

 ロンが呆れたように呟くのを後ろに、ハリエットはおずおずドラコに近づいた。

「私、ハリー達と一緒にテントに挨拶に行くけど、ドラコはどうする?」

 まさか、ついてくるなんて言わないだろう。だが、自分がそう思っていることに気づけば確実に気を悪くしてしまう。ハリエットは努めて歓迎するような笑みを浮かべた。

「……僕はもう戻る。帰り道が分からなければ、しもべ妖精を呼べばいい」
「ええ、分かったわ。気をつけてね。ここまでありがとう」

 ホッとした顔で頷くと、ドラコはハリー達を一瞥して去って行った。嫌味も悪口も言わないというのは珍しい。だが、それよりも気になったのは――やけに、ドラコが悲しげな顔をしていたことだ。

 そのことが妙に引っかかったが、ハリエットはやがて親友達に会えたことに興奮を取り戻し、ドラコのことはすっかり忘れてしまった。

 ロン達のテントに行き、ウィーズリー一家に挨拶した後、夏休みの間にあった出来事をたくさん話した。――とはいえ、ハリエットは家に引きこもり状態だったので、何か特別面白い話はなく、ハリーとてダーズリー家の愚痴ばかりだったのだが――。

 楽しい時間はあっという間だった。昼食の時間が近づいてくると、ハリエットは名残惜しい気持ちでウィーズリー家のテントを離れ、マルフォイ家のテントに戻ってきた。そこで昼食を食べた後は、ハリエットはまたもナルシッサに断ってロン達の元へ遊びに行った。

 夜が近づくと、ハリエット達はいよいよ競技場へと足を向けた。いよいよ試合が始まるのだ。魔法使い達の興奮による熱気で、辺りの空気はニ度は高くなっていたようにハリエットは思えた。

 マルフォイ家の席は、最上階にある貴賓席だという。頬を上気させたドラコの後に続き、ハリエットも深紫色の絨毯が敷かれている階段を上った。階段を上り詰め、いよいよ天辺に近づいたとき、先頭のルシウスが止まったので、後続のハリエット達も一時停止を余儀なくされた。

「ああ、ファッジ」

 貴賓席には、魔法大臣であるコーネリウス・ファッジもいた。ルシウスはファッジの所まで行くと、手を差しだして挨拶した。そしてナルシッサ、ドラコの順に紹介していく。

 その間、ハリエットは努めて影を薄くしていた。ルシウスにとって、ファッジにハリエットの存在を気取られることは不名誉でしかないだろう。願わくば、ドラコの同級だと自分のことを勘違いしてくれることを祈った。

「ファッジ、会うのは初めてでしたかな。私の娘だ――ハリエット・マルフォイ」

 ただ、そんなハリエットの祈りもどこへやら、ルシウスはハリエットを堂々と紹介した。ステッキでハリエットのふくらはぎを叩き、挨拶を促す。

「お初にお目にかかります。ハリエット・マルフォイです」

 この夏付け焼き刃で叩き込まれたマナーで拙く挨拶をする。だが、ファッジはハリエットの礼儀作法には全く頓着しない様子で、目を細めてハリエットを見つめている。

「そうか、君が……。確か、去年ホグワーツでも一度会ったね」

 まさか、シリウスの捕縛騒動でほんの少し顔を合わせただけの出来事を覚えていてもらえたなんて思いもよらず、ハリエットは驚いてしまった。

「うん、家族仲がよろしいことで、良かった。なかなか衆目の場に出て来ないものだから、どうしているのかと気になっていたんだ」
「娘は身体が弱いもので。紹介したくともできなかったんです」
「ああ、なるほど、それで。では、私の方も、ご紹介いたしましょう。こちらはオブランスク大臣――オバロンスクだったかな――ええと……とにかくブルガリア魔法大臣閣下です。他には――アーサー・ウィーズリー氏はご存じでしょうな?」

 一瞬、緊張が走った。だが、ハリエットはそんな空気も何のその、ドラコの横からひょいと顔を出した。そしてウィーズリー一行を目にすると、途端に顔を輝かせる。

 ――まさか、観覧席も一緒だなんて、なんて偶然だろう!

 ハリエットの喜びも何のその、ロン達の表情は複雑そうだ。ルシウスがウィーズリー一行を嘲笑の目でずらりと眺めたのを目にしたからだ。

「これは驚いた。貴賓席のチケットを手に入れるのに、何をお売りになりましたかな? お宅を売っても、それほどの金にはならんでしょうが?」

 アーサーの頬はピクリと動いたが、ファッジの手前、何も言い返しはしなかった。

 もの言いたげにウィーズリー一行が睨む中、マルフォイ家は堂々たる風潮で彼らの前を素通りし、席についた。ハリエットは申し訳ない思いで小さく頭を下げ、俯きながら端の席に腰を下ろす。

 こういうとき、ハリエットは己がひどく情けなく思える。義理の娘とは言え、ハリエットはマルフォイ家の一員だ。ルシウスが他の誰かを貶すようなことを言うのであれば、それを窘めるのは自分の責任でもあるのに、ハリエットにはそれができない。ただルシウスの代わりに、自己満足のために謝罪することしかできない。なんて情けないことだろう!

 ちょんと膝をつつかれ、ハリエットは顔を上げた。身体を捻り、ハリーが筒状の眼鏡のようなものを差しだしていた。

「さっき露店で買ったんだ。万眼鏡って言って、アクション再生ができるんだって」

 プレゼントだよ、とはにかんで言うハリーに、ハリエットは目を輝かせた。

 ハリーの気持ちがとても嬉しかった。ルシウスの冷たい威圧感を物ともせず飛び込んできてくれる勇気も、気遣いも。

 ハリエットは心からの笑みを浮かべた。

「ありがとう!」
「ハーマイオニーもハリエットにってプログラム買ってるんだよ」

 ハリーが言えば、ハーマイオニーはルシウスを気にしながら、微笑んでプログラムを差し出した。ハリエットはこれも喜んで受け取る。

「僕は……えーっと、お菓子かな」

 自分だけ何もないのは悪いと思ったのか、ロンはポケットからお菓子を取り出し、蛙チョコや風船ガムをハリエットの手の上にポロポロ落とした。途端にジョージがニヤニヤ笑い出す。

「ここに来る途中、ロンは散々散財したからなあ」
「うるさいな! ジョージも賭けをしてお金がないのは一緒だろ!」
「大いに違うね。俺達のは未来への投資だ」

 言い合うウィーズリー兄弟をよそに、ハリエットは申し訳ない思いで一杯だった。

「でも、私ばっかりもらっちゃってごめんなさい。私、露店では何も買ってないの」
「クリスマスプレゼントを楽しみにしてるよ」

 ハリーがにっこり笑った。ハリエットは胸が温かくなって大きく頷いた。

「とっておきのを用意するわね!」

 試合が始まりそうな気配が出てきたので、ハリー達は前を向いた。ハリエットはプログラムを見ながらちらりとドラコを見る。

「ドラコもプログラム見る?」
「いらない」

 前を見据えたまま素っ気なくドラコは答えた。ナルシッサを挟んだ向こう側からルシウスが何かを差し出した。

「プログラムならここにある」
「ありがとうございます」

 ハリエットは思わず閉口した。ルシウスが差し出したプログラムなら受け取るだなんて。何もそこまで嫌がらなくても、とハリエットはしゅんとした。

 とはいえ、試合が始まると、ハリエットは身を乗り出しながら熱を入れて観戦した。ハリーの万眼鏡は大活躍で、あまりに速すぎてよく見えなかったプレイも、スローモーション再生をしてじっくり眺めることができた。

 いつしかハリエットは静かで落ち着きのあるマルフォイ家から抜け出し、ウィーズリー家の、騒がしくて楽しい椅子へと移動していた。ハリー達には少しずつ詰めてもらうことになったが、快くハリエットの乱入を迎えてくれた。

 後ろが気にはなったが、何せ今日はこのお祭り騒ぎだ。ファッジもいる前でわざわざ水を差すようなことはしないだろう。

「私、これをパッドフットに贈ろうかしら」

 万眼鏡の素晴らしさを噛み締めている中で、ハリエットはポロリと零した。

「折角のハリーのプレゼントだけど、喜んでもらえると思うの。良い?」
「とってもいい考えだ! 僕も贈ろうかな」
「…………」

 二個もいらないだろう、という表情をロンは浮かべていたが、ハリー、ハリエット共にそのことには気づかなかった。

「ビデオカメラみたいにパッドフットへのメッセージも映したら?」
「それだ!」

 ハーマイオニーの提案に、ハリーが嬉しそうに手を打った。ハリエットも嬉しくなって更に万眼鏡を握る手に力を込めた。


*****


 アイルランド・チーム対ブルガリア・チームの試合は前者の勝利で幕を閉じた。試合が終わっても尚観客達の興奮は冷めやらず、空にはまん丸な月が昇っているというのに、いつまでもお祭り騒ぎを続けていた。

 ハリー達とはテントがかなり離れているので、早々にさよならをした。ぜひともうちのテントに、とロン達に再度誘われたが、丁重に断った。ハリエットも後ろ髪引かれる思いだったが、別れ際、またしてもルシウスとアーサーの口論が勃発しそうな雰囲気が漂っていたので今回は諦めることにしたのだ。

 テントへ戻る道中にも露店はちらほら出ていたが、マルフォイ家の面々は寄り道せず真っ直ぐ歩いた。

「試合、すごかったわね」
「ああ」

 ルシウス達よりも足を緩め、ハリエットはドラコの隣に並んだ。ドラコは珍しく興奮しているように見えた。今なら普通に話せるのではないかと思ってのことだ。

「でも、僕には意味が分からない。負けてるのにどうしてクラムはスニッチを取ったんだ?」

 ロンと同じことを言うドラコに、ハリエットはしたり顔で答えた。

「ハリーは、クラムは自分のやり方で試合を終わらせたかったんじゃないかって。絶対に点差を埋められないって思ったから」
「さすが百年に一度の名シーカー殿。ご自分はクラムの気持ちも手に取るように分かるって?」
「誰もそんなこと言ってないわ」

 つい固い声で言返せば、ドラコは鼻で笑う。

「あっちのテントに行けば良かったのに」

 どういう意味だろう、とハリエットはまじまじとドラコを見た。気遣ったというよりも、どこか突き放されたようにも感じた。

 咄嗟にハリエットは何の言葉も返せず、そんな彼女を見てドラコは自嘲の笑みを浮かべてルシウスの後を追った。

 ――肩を並べて歩いたのは、ほんの僅かな時間だった。いつの間にか、ドラコとの間に大きな距離ができた気がしてハリエットは底知れぬ不安に襲われた。ハリーとはこの夏手紙を通してグッと仲良くなれた気がするのに、それと反比例するようにドラコとは。

 目の前を歩くルシウスとナルシッサと、ドラコ。ドラコだけが唯一ハリエットと歩幅を合わせてくれる存在だったのに。その彼に嫌われてしまったら――私は。

 不意に目頭が熱くなってハリエットは俯いた。込み上げてくる何かを堪えるために、唇を噛みしめる。

 こんなこと、もうずっと前から分かっていたはずだったのに。ドラコがいてもいなくても、自分の居場所はここにはない。ハリエットだって、それに納得していたはずだ。だって、ルシウスは両親の敵の仲間なのだから――。

「おっと、悪いね」

 誰かにぶつかられ、ハリエットはよろめいた。見ると、肩を組んだ集団が歌を歌いながら行進してる最中だった。往来の真ん中で立ち尽くしていたことに気づいたハリエットは端に避け――そして気づいた。ドラコたちの姿がない。

 慌ててまた歩き始めたが、ただでさえ興奮している魔法使い達の間を縫って歩くことは難しく、その上この人だかりや、似たようなテントばかりとくると、ハリエットはドラコ達の姿も自分のテントの場所も分からなくなってしまった。行きだって、早足のルシウスについていくだけで精一杯で、ほとんど周りなど見ていなかったのだから。

 「道に迷ったらしもべ妖精を呼べば良い」と言うドラコの言葉をハリエットはすぐに思い出した。だが、そんな気にはなれなかった。どんな顔をしてあのテントに戻れというのだろう? ドラコにすら見放されたハリエットは、マルフォイ家には用済みだ。

 幸いなことに、周囲はまだ歌を歌ったりクィディッチ談議を繰り広げたりと、まだまだたくさんの人で賑わっていて、ハリエットが悪目立ちすることはなかった。どこへ行くでもなくぼうっとしていたら、「お嬢ちゃんはどう思う?」とクィディッチ談議の中にいつの間にか引き込まれていて、そこから出るタイミングを失ってしまった。大事そうに持っていた万眼鏡が彼らの関心を引き、ハリエットが今日の試合を余すことなくそこに録画していたことを知られると、なおのことその場の主役となってしまった。とはいえ、行く宛てもなかったのでハリエットとしてはどうにでもなれという思いだったが。

 月が真上に近づき、さすがにちらほらテントへ帰る人が増えてきた。ハリエットを引き込んだ張本人の魔法使いが欠伸をしながら言った。

「お嬢ちゃんもそろそろテントに戻りな。子供は寝る時間だ」

 浮かない顔でハリエットは頷いた。いつまでも子供のように家に帰りたくないと駄々をこねている場合ではない。迎えに来てくれないことに落胆する権利だってないのだ。

 ただ、どうしてもしもべ妖精を呼ぶ気にはなれなかった。こんな時間に戻れば、何をしていたのか聞かれるのは必須だろう。それを思うと、なかなか踏ん切りがつかない。

「ウィーズリーさんをご存じですか? ウィーズリーさんのテントに行きたくて……」
「アーサーかい? ああ、知ってはいるが、このテントの山から見つけ出すのは無理だなあ。管理人のロバーツの所に行くのが良い。どこで予約を取ってるか教えてくれる」

 送っていくという誘いを丁寧に断り、ハリエットは荒れ地の端に向かって歩き始めた。人々が次々に寝静まる中、ハリエットは不思議と怖い思いは抱かなかった。入り口に光るランプを置いているテントが多かったし、まだちらほらと興奮に早口で話し合う人も確かにいたからだ。それでも、端へと近づくにつれ、テントも人の数も少なくなってくる。こんな時間に訪ねても、もしかしたらロバーツも就寝しているかもしれないと不安を抱く中、ハリエットは前方に黒い団体がいるのに気づいた。闇に溶けむこような黒いローブを着ているせいで、ここまで至近距離にならないと気づけなかったのだ。本来であれば薄闇にぼうっと浮かぶはずのその顔は不気味な仮面で覆われており、ハリエットの足をすくませた。

 集団は、小屋の近くで留まっていた。そして突然爆発音と共に小屋が吹き飛ばされる。

 まるでそれが合図だったかのように、黒い集団はこちらへ向かって歩き始めた。ただ歩くだけではない。杖を振り上げ、近くのテントを吹き飛ばし、火をつけ、グチャグチャに荒らしながらやって来るのだ。

 笑いながら、誰かが杖を上に向け、それと共に黒い塊が夜空に向かって打ち上げられた。まるで生き物のように蠢くなにかだ。目を凝らし、ハリエットがその正体に気づく前に、すぐ側のテントを燃やされ、はたと我に返った。――彼らは、こちらに向かって行進してきている。

 身を翻し、ハリエットは慌てて逃げ出そうとしたが、そのすぐ矢先、隣のテントが爆破される。激しい爆風にハリエットは態勢を崩し、地面を転がった。誰に向けられたのか、嫌な笑い声が辺りに響き渡る。

 節々の痛みをこらえ、ハリエットがようやく起き上がったとき、集団はもう目の前だった。近くに来たからこそ、その集団の不気味さはより際立っていた。一筋の光も通さない黒いローブに、表情の読めない仮面。唯一人間らしい箇所もフードによって隠されているため、ヒトとはまた別の種があるのではと錯覚してしまう。しかし――彼らは杖を持っている。笑い声を上げている。明らかな意思を持ってこの所業を行っているのだ、ヒトでなくて何だと言う。

 震える手で杖を構えたが、呆気なく武装解除され、またも笑い声が上がる。

 集団から一人の魔法使いが出てきてハリエットの前に立った。まだ後ろの集団は思うがままにキャンプ場を荒らしている。

 杖を向けられ、殺されると思わずギュッと目を瞑ったハリエットだが、実際に使われたのは吹き飛ばす呪文だった。ただ、かといって無事で済んだわけではない。一つのテントの、丁度ベッド部分に落ちたためか、重症は負わなかったが、落下の際に足首を捻ってしまった。

 痛みを堪えつつもハリエットは立ち上がる。今にもまた集団がやって来るのではないかと危惧したが、どういう訳か、ハリエットが吹き飛ばされたのは集団の向かう先とは真逆だった。

 とはいえ、うかうかともしていられない。今にも方向転換してこちらにやって来るかも分からないのだ。よろよろと歩き出した先は森だった。魔法使いの多くがそちらへ駆け出しているのが見えた。

 杖がないことがこれほど心細いとは思わなかった。それでもハリエットは歩き続けた。こんな所で死にたくない――。

「ハリエット!」

 靄がかかったような頭の中で、不意に誰かが呼ぶ声がした。まさか、幻聴? でも、この声はまさしく。

「何でこんなところにいるんだ!」

 グシャグシャの頭で、煤けた顔で、ハリエットにまっすぐ駆け寄ってきたのはドラコだった。じわじわと胸にこみ上げてきた安心感に、ハリエットついポロリと涙をこぼしてしまった。

「ドラコ……?」
「てっきりポッターのテントにいるものと思ってたのに! なのにあいつらは自分達だけで逃げ出して――」

 ハリエットの肩をがっしり掴み、ドラコは険しい表情でハリエットの全身を見分した。

「杖は?」
「奪われた……」
「――っ、出くわしたのか!?」

 一瞬の間を置き、ドラコは強く問いただした。声もなくハリエットは頷いた。

「何かされたか?」
「吹き飛ばされただけ」

 険しい表情はそのままに、ドラコはハリエットの腕を引いて歩き出した。しかし数歩も経たずにハリエットが小さく悲鳴を上げるのですぐに立ち止まった。

「どこが痛むんだ?」
「右足をひねったの」

 治癒の呪文をかけてもらったが、足首はまだ熱を持っていた。とはいえ、歩けないこともない。肩を貸してもらって歩こうとしたハリエットだが、無理矢理にドラコに背負われる。

「私――大丈夫、歩けるわ」
「こんな所をのろのろ歩くつもりか?」

 気づけば、辺りの人気はすっかりなくなっていた。黒い集団はまだ遠くの方で騒ぎを起こしているようだが、少なくともこちらにやってくる様子はない。

「早く家に帰らないと。母上が心配する」
「黙って来たの? 二人は?」
「母上はテントに戻ってすぐ家に帰った。父上は――」

 ドラコは分かりやすく言葉を濁した。ハリエットもそれ以上聞くことはしなかった。

 ハリエットは、しばらくドラコの背に身を預けていた。温かい背に、小さな振動は眠気を誘ったが、ハリエットの頭は冴えていた。

「……どうして探しに来てくれたの?」

 傷心の時に思わぬ優しさに触れ、ハリエットの涙腺はまた緩んでいた。ずっとつれなかったくせに、どうして探しに来てくれたのだろう。その優しさは一体どこからやってきたのか。

「私――」

 一瞬詰まり、それでもハリエットは口を開いた。

「私のこと、嫌いになったの?」
「…………」

 口元を引き結び、ドラコは静かに歩みを進める。ハリエットは辛抱強く待った。それでも無言が続くので、もう半ば返答は諦めていた、そんな時。

「……別に、嫌いじゃない」

 小さく聞こえてきた言葉に、ハリエットがどれだけ安堵したか、彼は知らないだろう。

 同時に、たったそれだけの言葉を口にするだけなのに、彼の中でどれほどの葛藤があったが、ハリエットもまた知らなかった。