■過去の旅

31:月夜の悪戯


 まだ仲直りもできないうちに、グリフィンドール対スリザリンのクィディッチ対抗試合が近づいてきた。レイブンクローの時にも散々思い知らされたが、今回はその比でなく、グリフィンドールとスリザリンの仲の悪さは激化の一途を辿っていた。選手へのたちの悪い呪いが更に陰湿で激しいものになっただけでなく、その矛先が一般寮生にまで向けられたのだ。ハリー達も、幾度と偶然を装って呪いをかけられたか分からない。

 この騒動を重く見て、校内での魔法の使用は改めて固く禁じられ、破ったものは即減点と罰則と、重たい発令が出されたのだが、一日中でも探険してもし足りない広々とした校内に、迷路のように入り組んだ抜け道が山ほどあるホグワーツ城では、その校則はほとんど意味をなさなかった。

 監督生の注意喚起により、できるだけ寮生は固まって行動するようお達しが出た。ハリー達四人も、過去に来てこそ、男女に別れて行動することが多かったが、この非常事態により――ハリーとロンがジェームズ達と行動しなくなったというのも大きいが――また四人で校内を移動することが多くなった。

 とはいえ、マグル生まれが四人集まっても大した抑制力はなかった。むしろスリザリンのマグル嫌いを刺激する事態になりかねなかったし、特にハリーは、グリフィンドールのチェイサー、ジェームズに瓜二つなため、彼と勘違いされて呪いを受けることもままあった。グリフィンドールの得点王を狙う呪いは他とは格段にレベルが違うものも多く、ハリーは苦労させられた。

 それでも、試合当日がやってくると、試合の熱気や興奮に当てられ、つい注意力散漫になってしまった。今まで散々スリザリンにしてやられたことを、クィディッチを以てして堂々とやり返す場だと息巻いていたせいもある。ジェームズ達と喧嘩しているとはいえ、試合は見るつもりだったハリー達は、早朝大広間へ向かっている所を背後から不意打ちされた。

 うまくハリーだけを狙った呪いは彼の右腕に直撃し、前へと吹っ飛んだ。ハリエットは驚きのあまり一瞬言葉を失った。

「――っ、ハリー!」

 ハーマイオニーが慌てて駆け寄り、ハリーを助け起こそうとしたが、彼は右腕を押さえて小さく呻いた。

「ハリー、大丈夫?」
「あー、間違えた」

 悪びれもなく廊下の影から出てきたのは、見慣れないスリザリン生の二人組だ。競技用ローブを着ていないので、選手ではないらしい。

「ポッターに似てるっていうマグル生まれか。紛らわしいな、ようやく仕留めたと思ったのに」
「あなた達――こんなことをしてただで済むと思ってるの!? 減点と罰則よ!」
「監督生でもないくせにその態度は何だ? 穢れた血がピイピイ喚くな。そのうるさい口を閉じさせてやろうか」
「何だと!?」

 粗暴な言葉と共に杖を向けられ、ハーマイオニーだけでなく、ハリエットとロンも杖に手を伸ばした。だが、それはあくまで対抗のための威嚇に過ぎない。ハーマイオニーはともかくとして、ハリエットは呪文の応戦に自信がなかった。その上、相手は年上だ。人数ではこちらに軍配が上がっても、実力の差はかなりあるだろう。

「ハーマイオニー、いいよ」

 顔を顰めながら、ハリーは立ち上がった。

「試合に勝つ自信がないからこんな卑劣なことをしてくるんだ。相手にするだけ無駄だよ」

 ハリーは苛立っているようだった。連日不特定多数から呪いを受けているのだから無理もない。

「今日の試合が楽しみだよ。勝ちたいからって、ジェームズは後ろから呪いをかけるなんて卑怯なことはしない。正々堂々、グリフィンドールらしく勝利を勝ち取る」
「どうやらさっきので懲りないみたいだな。二度と魔法界へ来られないようにしてやる」

 スリザリン生が杖を構え直し、ハリー達もそれに対抗し、まさに一触即発の空気が流れたとき――リリーの凜とした声が響いた。

「そこで何してるの?」

 颯爽と現れた彼女は、油断なくスリザリン生を見据え、ハリー達を守るようにして立ちはだかった。

「マルシベール、エイブリー、杖を下ろしてちょうだい」
「俺達だけに言うのか? 公明正大な監督生さんは」
「ハリー達も」

 リリーの声を合図に、一人、また一人と杖を下ろした。リリーは前を向いたまま言う。

「ハーマイオニー、何があったの?」
「二人が突然後ろからハリーに呪いをかけたのよ。それで口論になって……」
「ハリー、怪我は?」
「右腕がちょっと痛むだけ」

 言葉の割には、冷や汗が流れている。リリーはキッとスリザリン生を睨み付けた。

「こんな卑怯なことをして恥ずかしくないの? 上級生が下級生に、しかも後ろから呪いだなんて!」
「ジェームズ・ポッターと見間違えたんだ。ポッターがスネイプにしてることをやり返そうと思っただけさ」

 リリーは一瞬怯み、しかしすぐに気を取り戻した。

「ならハリーに謝ってちょうだい! やり返すのなら、ポッターにやるべきだわ。それも、スネイプ本人がね! あなた達が出て良い幕じゃないわ」

 リリーの剣幕は凄まじかった。ロンの小さな口笛がマルシベール達に聞こえなかったのは幸いだったかもしれない。

 早朝とはいえ、大広間に続く廊下での口論は目立っていた。次第に人だかりが増え、マルシベール達は居心地悪そうにため息をついた。

「穢れた血に謝罪するくらいなら死んだ方がマシだね」

 そう言い放つと、マルシベールとエイブリーは大広間へと歩いて行く。その先にはスネイプの後ろ姿もあり、三人は合流し、そのまま大広間に入っていった。

 その光景を忌々しく見つめていたリリーだが、視界にマクゴナガルの姿を認め、迷うことなく彼女に向かって歩き始めた。リリーの考えていることが分かったハリーは、咄嗟にそのローブを掴んで引き留める。

「マクゴナガルには言わないで」
「どうして? また同じようなことを起こさせないためにも、報告すべきだわ」
「試合が中止になるかもしれない。折角みんなこの日のために練習してきたんだ。こんなことのせいで中止になるのはもったいないよ」
「ハリー……」
「早く医務室へ行きましょう。マダム・ポンフリーに見せた方が良いわ」

 ハーマイオニーが気遣わしげに言うと、リリーはハッとして頷いた。

「そうね。歩ける?」
「うん」

 ハリエット達四人によって、怪我人のハリーはより一層物々しく警護されながら医務室に向かった。まだクィディッチが始まってもいないのに早速の怪我人に、マダム・ポンフリーは同情と呆れの籠もった目で迎えられた。

「全く、また呪いですか!」

 ハリーの腕は複雑骨折と診断された。どうやら衝撃を与える呪いをかけられたらしい。

 魔法薬を飲めば、一日で治るような怪我ではあるが、それでももしジェームズがこの呪いを受けていれば、今日の試合は確実に棄権せざるを得なかっただろう。

「まだこの程度で良かったわ。最近やたらたちの悪い切り傷をこさえる生徒の多いこと! 造血薬はもう底をつきそうなんです。誰かに輸血を頼まないといけないところでした」

 マダム・ポンフリーの愚痴に付き合いつつ、ハリエット達はハリーの傍についていたいことを申し出たが、彼女に渋い顔をされたことと、当の本人であるハリーに、自分の代わりに試合を見てきて欲しいと言われたことで断念せざるを得なかった。

 閉じられたカーテンがやけに寂しく見えて、ハリエットは、試合が終わったら、すぐにでもまたハリーの見舞いに来ようと決めた。


*****


 グリフィンドール対スリザリンの試合は、激しい接戦の末、グリフィンドールの勝利で幕を下ろした。得点王の二つ名に恥じぬジェームズの活躍振りに、スリザリン以外の寮生からも賛美の嵐だ。ハリエットもとても誇らしかった。ハリーと一緒に観戦できなかったことがひどく悔やまれたくらいに。

 ハリエットは、試合後に一度ハリーを見舞い、夜にも再度医務室を訪れた。もちろんハリーに夕食を届けるためである。マダム・ポンフリーが出す食事は、嫌が応にも質素なものになってしまうのか、ハリーには手放しで喜ばれた。

「遅くならないうちに早く帰った方が良いよ」

 まだ半分も食べ終えていないのに、ハリーは口早に言った。

「フィルチに因縁つけられるかもしれないし、スリザリン生に嫌がらせされるかもしれない」
「でも、一人で食べるのは寂しいでしょう?」
「彼に必要なのは、食べることではなく魔法薬を飲んで寝ることですよ」

 ばつの悪い表情になるハリーを見て、ハリエットもおそらく自分も同じような顔になっていることを悟った。

「あの、マダム・ポンフリー……僕、ほら、成長期なので」
「ええ、別に悪いことだとは言ってませんわ」

 そう言いつつも、その顔はどこか不満そうだ。とばっちりを受けないうちに、薄情なハリエットは立ち上がった。

「じゃあハリー、お言葉に甘えて私行くわ」
「ああ、うん……。ご飯ありがとう」

 恨めしげな声で見送られたことは気にしないことにし、ハリエットは再び月夜が照らす廊下に出た。

 一月の、それも夜の廊下ともあれば、かなりの冷え込みだった。ローブの前をかき合わせ、足早に談話室に向かっていると、ふと動物の遠吠えのようなものが聞こえた気がして、ハリエットは窓の外を見た。

 空を見上げて気づいたが、いやに廊下が明るいと思ったら、今夜は満月だった。もしかしたらジェームズ達の姿が見えるかもしれないと、ハリエットはついもっともっとと校庭がよく見える場所まで移動しようとした。

 もう少しで就寝時間で、校内の徘徊は禁止される。ハリーのお見舞いという大義名分があるものの、フィルチに見つかればハリエットは上手く切り抜ける自信がなかった。にもかかわらず足が前へ前へと続いたのは、ジェームズと仲違いしたことだけではなく、この時代で経験したことへのストレスや、一人きりになれたことへの開放感も相まってかもしれない。

 寮へ続く階段を通り過ぎようとしたとき、不意にどこからか話し声が響いているのに気づいた。聞き覚えのある声に、ハリエットはつい足音を忍ばせて階段下を覗き込んだ。

「スリザリンがこんな所に何の用だ?」
「お前には関係ないだろう」

 素っ気なく返す低い声の主は、スネイプだ。そしてその相手はシリウス。また嫌な場面に遭遇してしまったのかとハリエットは身を潜めるも、どうやらここには二人きりしかいないようだ。

「フィルチから逃げ出す実力もないくせに、こんな所をウロウロしてたら減点を食らうぞ」
「他寮の減点を心配する柄じゃないくせに。何か僕に見られては困るものでもあるのか?」
「何だと?」

 杖こそ抜きはしないが、空気はピリピリしている。

「僕は知っている。お前達が毎月城を抜け出しているのを」
「脅すつもりか? 証拠もないのに」

 ローブのポケットに手を突っ込み、シリウスは気だるげに笑った。

「お前には絶対俺達は捕まえられないだろうよ」
「お前達が城を抜け出すのは決まって満月の夜だ。この前はルーピンが校医と暴れ柳に入って行くのを見た」

 シリウスの顔が僅かに強ばる。スネイプは唇の端を歪めた。

「教師も公認の外出――それも、暴れ柳に向かって……。一体そこには何が隠されているんだろうな? 僕が暴いてやる、必ず」

 下を向き、シリウスははーっと長く息を吐いた。怒りを堪えているようにも、呆れているようにも見える。次に顔を上げたとき、彼の顔にはいつもの余裕が戻っていた。

「そんなに知りたいか?」

 口角を上げ、シリウスはぐっとスネイプに顔を近づけた。スネイプは仰け反ったが、何やら彼に耳元で囁かれ、押し黙る。

 時間にしてはほんの僅かだっただろう。だが、一瞬にしてスネイプの顔色は変わった。疑い、困惑、そして隠しきれない好奇心――。

「来月行ってみるといい。お前に校則を破る勇気があればの話だけどな」

 シリウスの一言で、ハリエットは彼がスネイプに何を囁いたかが分かった。まだそう薄れていない記憶が一瞬にして蘇る。

『すんでの所でジェームズがシリウスのしでかしたことに気づき、駆けつけてセブルスを引き戻していなければ、きっと人狼の私は彼を殺していただろう――』

 ハリエットは血の気が引いていくのを感じた。ハリエットは、スネイプが死なないことは知っている。だが、それでも狼人間の恐ろしさを身近で体験した身として、シリウスのこの行為がどれほど残酷なのかよく理解できた。リーマスが悪くないことは十分承知の上だ。だが、もし、万が一にも彼がスネイプを殺めるようなことがあれば――何もかもが取り返しのつかないことになる。

 ハリエットは迷いあぐねた。ここは止めるべきだろうか? だが、ハリエットが何をどう言った所で、スネイプが暴れ柳へ秘密を暴きに行かないようにはできない気がする。それに、ハリエットの行動で未来の何かが変わってしまうことも怖い。

 ソワソワと逡巡していると、後ろからぶつかるようにして誰かに押され、ハリエットは危うく階段を転げ落ちそうになった。

「盗み聞きしてる奴がいるぞ、スネイプ」

 手すりを掴みながら見た後ろ姿は、つい今朝も見たもので。

「ブラックとこんな所で何の話だ? またいじめられてるのか?」

 からかうようにそう言うのはマルシベール。彼の後ろで不快な笑い声を上げるのはエイブリーだ。

「違う!」
「いじめられたら言えよ。また仕返ししてやる」

 シリウスが眉間に皺を寄せ、スネイプは訝しげに眉を寄せた。

「またって?」
「ジェームズと勘違いしてハリーに呪いをかけたんだってな。下級生に背後から攻撃して何を自慢げにしてるんだか」

 馬鹿にしたように鼻を鳴らすシリウスに、マルシベールがいきり立った。

「気持ち悪いくらいに顔が似てる上に、いつも金魚の糞みたいにつるんでたもんでな。つい手が動いてたみたいだ」
「何だと?」

 この時代の魔法使いは、どうやらすぐに杖に手が出てしまうらしい。ほぼ同時に互いの杖が抜かれたのを見て、ハリエットは慌ててしまった。自分が割って入った所でどうにかできるわけもないのに、反射的に二、三歩と階段を降りる。

「いつもと立場が逆だな、ブラック」

 不意にスネイプが笑った。

「この状況で僕達に勝てるとでも?」
「それに足手まといもいる」

 エイブリーが横目でハリエットを見た。

「ハリエット、寮へ戻れ」

 シリウスがこちらを見ずに言った。その声の圧に、思わずハリエットは頷きそうになったが、すんでの所で堪えた。こんな状況で、シリウスを見捨てるようなことはできない。確かに、エイブリーの言う通り足手まといにしかならないような気はするが――。

 杖を握りながらハリエットが階段をゆっくり降りると、スネイプが彼女をチラリと見た。

「――いや、行こう。やることがある」
「みすみす見逃すのか?」
「さっきフィルチの猫を見かけた。もしかしたらここを嗅ぎつけられるかもしれない」

 スネイプの返答に、マルシベールとエイブリーはひどく不機嫌そうな顔になったが、渋々歩き出した。手慰みに杖を弄っているが、シリウスへの警戒は怠っていない。

「金魚の糞同士、仲良く医務室送りにしてやろうと思ったのに」

 吐き捨てられた言葉に、シリウスは青筋を立てたが、ハリエットが彼に走り寄って注意を引いた。

「シリウス、大丈夫?」
「何がだ?」

 スネイプ達の後ろ姿を睨み付けながら、シリウスはものぐさに答えた。

「スニベルスの奴、ようやくお仲間ができて態度が大きくなってるらしい」
「……でも、喧嘩にならなくて良かったわ」

 ハリエットにはスネイプが喧嘩を避けてくれたように思えて安心していた。シリウスもそう感じているのか、余計に不服そうだ。

「それよりも、何でまた夜にこんな所を歩いてるんだ? ハリーだって呪いを受けたばかりだろう」
「ハリーのお見舞いの帰り道だったの。夜だから、もう人もそんなにいないと思って」
「夜だからああいう奴らが徘徊してるんだろう」
「シリウスもでしょう?」

 自分のことを差し置いてそんなことを言うシリウスに、ハリエットはちょっと笑ってしまった。シリウスもそれに毒気を抜かれたのか、小さく苦笑を零す。

「ハリーは大丈夫か? 腕の骨が折れてたって聞いた」
「魔法薬を飲んで、一日休めば大丈夫だって。さっきご飯を持って行ったときにはもうピンピンしていたわ」
「なら良かった。ジェームズも見舞いに行ったんだけど、会わなかったか?」
「本当!?」

 ハリエットはくるっと勢いよくシリウスを見た。シリウスは気圧されたように目を丸くする。

「ああ……」
「良かった……。ハリー、とっても喜ぶと思うわ」

 これを機に仲直りして欲しいと思ってしまうのは、我が儘なことだろうか。だが、今シリウスと自然に話せていることもハリエットにとっては嬉しいことで、このまま何もかもが上手くいくんじゃないかと思えた。

 だが、そんなとき、微笑むシリウスの向こう側に満月を見てしまって、ハリエットは思い出してしまった。マルシベールとエイブリーが乱入してくる前の会話を。

「あの――私、聞いちゃったの」

 スネイプが暴れ柳に行くのはいつだろう? 来月だろうか?

「リーマスの秘密は、暴れ柳に行けば分かるって……」

 もしも、今日のことをジェームズが知り得なければどうなるのだろう? もしジェームズが駆けつけるのが遅くなればどうなるのだろう? 過去が、未来の世界と同じように物事が進むとどうして言い切れるのか。

「スネイプにああいうことを言うのは危険だと思うの……。夜の暴れ柳だなんて……。フィルチさんに見つかるかもしれないし、それに」
「からかってやろうと思っただけさ」

 駄々をこねる幼子を宥めるかのように、シリウスは仕方なさそうに笑った。

「あいつにそんな肝はないよ。怖じ気づいてすぐに逃げ出すさ」
「でも……」

 スネイプは、実際に暴れ柳へ向かう。ジェームズが助けに向かっていなければ、彼は死ぬか人狼になるかしていただろう。

「早く行こう。フィルチに見つかったら厄介だ」

 シリウスに背を押され、ハリエットは渋々頷いた。自分が介入することによって、変に未来が変わることも怖かった。スネイプは助かったはずなのに、ハリエットが余計なことをして逆に死んでしまうことだってあり得るのだ。

 モヤモヤした気持ちを抱えながらも、ハリエットは談話室へ向かった。