01

 おじさんと双子 

おじさんはマジシャン






 学校が終わると、ハリーとハリエットは、一目散にマグノリア・クレセント通りに向かい、廃れた公園に寄る。それは、数年前から続いている日課だった。

「シリウス!」

 ベンチに座る人影が視界に映ると、ハリーは大きく手を上げ、ハリエットは微笑んだ。人影も片手を上げ、隣に座るよう勧める。

「やあ、ハリー、ハリエット。学校はどうだった?」
「最悪だよ。ダドリーがサッカーの標的を僕に絞ってからかってきたんだ」
「ハリーの顔にボールが当たって鼻血が出たのよ」
「言わなくて良いよ!」

 恥ずかしいことをバラされたハリーは慌ててハリエットの口を押さえた。シリウスは痛ましげにハリーの顔を見やり、重々しくため息をついた。

「本当にダドリーって奴は小憎たらしいな。わたしが先生だったら、一番にとっちめてやっていたのに」
「いつものマジックを使って?」
「ああ、もちろんさ」

 シリウスはニヤリと悪い笑みを浮かべた。

 学校帰り、ハリー達双子がこの公園による時、彼――シリウス・ブラックという男性は、いつもこのベンチに座っていた。どんな仕事をしているのか、ここで何をしているのか、二人はさっぱり分からなかった――聞いても教えてくれないのだ――しかし、マジック手品が得意だということは知っていた。

「そういえば、今年ももう君たちの誕生日がやってくるな」

 シリウスはワクワクとした顔で笑った。

「今年も特大のプレゼントを用意するから、楽しみに待っていてくれ」
「そんな、いいよ……」

 ハリーはもごもごと口の中で呟き、ハリエットも頬を赤く染めた。

「私達だって、シリウスの誕生日に大したものは渡せてないのに……」
「そんなことは気にしなくてもいい。それに、君たちの手作りのクッキーはこの世のどんなものよりもおいしかった」

 柔らかく微笑まれ、ハリエットはぶわっと顔を真っ赤に染め上げて俯いた。

 ハリエットは、毎日公園で会う彼のことを、父親のように思っていた。ハリエット達の両親は、二人がまだ一歳の時に自動車事故で亡くなったそうなので、父親がどんなものかは分からない。だが、従兄弟のダドリーが、バーノンにデレデレに甘やかされているのを見て、羨ましいと思うことは多々あった。だが、そんなときに出会ったこの男性。彼は、ハリエット達と何の血の繋がりも接点もなかったというのに、バーノン並みに――いや、もしかしたら彼以上に――ハリエット達のことを甘やかしてくれる。もしも自分たちに父親がいたら、こんな感じなんだろうか、とハリエットはいつもくすぐったく思っていた。とはいえ、近所の、それも伯母夫婦の家に居候している双子にそんな風に思われたって重たいだけだろうと思ったハリエットは、一度だってそんなこと口には出せなかった。

「落ち込んでる君達には、そうだな、素敵なマジックを見せてあげよう」

 シリウスはローブのポケットに片手を突っ込み、何やらブツブツ唱えた。すると、途端にポケットの中から色とりどりの小鳥が数羽飛び出してきた。ハリエットは歓声を上げる。

「可愛い!」
「いつもながら、シリウスの手品はすごいね。仕事はマジシャンなの?」
「まあそんなところかな」

 今日も今日とて、シリウスは笑ってはぐらかした。

 彼は、ハリー達双子にはとことん甘いが、しかし頑として自分のことは話してくれない。

 シリウス・ブラックという人は、とても不思議な人だった。彼との出会いは、特に取り沙汰して語るようなことは何もない。八歳の誕生日、ダーズリーの家に居場所がなくて、散歩でもしようと双子が外に行けば、丁度家の前をウロウロしていたシリウスと出くわしたのだ。

 『ダーズリーにご用ですか?』と尋ね、そのままバーノンを呼んで来ようとしたら、彼はとても驚いた様子で慌てふためき、『アラベラ・フィッグの家を探しているのだが』とようやくそれだけ言った。フィッグは、すぐ隣に住んでいる女性だったので、双子はすぐに案内した。

 何故だか迷惑そうな顔をするフィッグに迎え入れられ、シリウスは彼女の家の中に姿を消した。それを見届けると、ハリー達は辺りを散歩し、それにも飽きると、公園のベンチに腰掛け、空を見ながらたわいもない話をした。

 その穏やかな空気が途切れたのに気づいたのはハリーだった。ふと視線を感じて振り向けば、公園の入り口に先ほど迷子だった男性が所在なげに立っているのだ。ハリーと目が合うと、彼は慌てて笑みを浮かべ、ソワソワしだした。

 何とも奇妙な人だ。傍から見れば、不審者にも見えかねない男性だったが、不思議とハリーは嫌な気はしなかった。『こんにちは』と挨拶をすると、彼もまた掠れた声で『こんにちは』と返した。

「フィッグおばさんはもういいんですか?」

 滞在するには、あまりに短い時間だ。ハリーがそう問うと、シリウスは躊躇いながらも双子に近づいてきた。

「ああ……ただ、少し挨拶をと思っただけだからね」
「座りますか?」

 目の前に立たれたまま話すのは気まずかったので、ハリーは咄嗟にそう口にしていた。ハリエットも気を利かせてハリーの方に身を寄せる。シリウスはまたも掠れ声で『ありがとう』と言った。

「君達は……あー、アラベラの隣の家の子達かい?」
「まあ、そうとも言えます。でも本当の子供じゃないんです。僕達、両親がいないからあそこに住まわせてもらってて」
「……そうか……」
「おじさんはフィッグおばさんの親戚?」
「……いや」
「おじさんはどこに住んでるんですか?」

 様子を窺っていたハリエットも、つい興味を惹かれて尋ねた。立て続けに『おじさん』と呼ばれた男性は、それはそれは悲しそうな顔をした。

「……どうか、わたしのことはシリウスと呼んでくれないか?」
「えっ?」
「いや、おじさんでも良いんだが、距離を感じてしまってね……。敬語もいらない。わたしはシリウス・ブラックだ。……君達の名前を聞いても?」

 ハリーとハリエットは、パチパチと瞬きをして顔を見合わせた。気のせいだろうか? 彼の言い方はまるで、自分たちと仲良くしたいと言っているように聞こえて。

 今まで一度だって好意的に接せられてこなかった双子は、途端にむず痒い思いをした。

「僕、ハリー・ポッター」
「私、ハリエット・ポッター」

 小さな声で自己紹介する双子に、シリウスは柔らかな笑みを浮かべた。

「君達は双子かい? あんまり似てないが、仕草はそっくりだね」
「本当? そう言われるのは初めてだ」

 ハリーは顔をクシャッとさせて笑った。双子なのに似てないというのはもう聞き飽きていた。別にそう言われるのが嫌な訳ではないが、『どっちかは血が繋がってない拾われっ子だ』とダドリー達がからかってくるので、自然とその台詞と繋げて、似てないと言ってくる人たちが全員そんな風に思っているのではないかと勘ぐってしまうのだ。ダドリーにからかわれると、ハリエットはとても悲しそうな顔をするので、ハリーはできればあまり聞きたくない台詞だった。

「とてもそっくりだよ。きっと――ご両親にもさぞ似ていることだろう」
「そうだと良いけど」

 初めて会ってから数分としか経ってないのに、『そっくりだ』と言われてから、ハリーはすぐにシリウスのことが好きになった。ハリエットはまだ人見知りをしていたようだが、シリウスが手品を見せてくれて、それから一気に心を開いたようだ。

 次の日、学校帰りに少し寄り道をして公園の前を通ると、シリウスがベンチに座っているのが見えた。嬉しくなって、双子はすぐに彼に駆け寄った。

「こんにちは。シリウス、今日もフィッグおばさんに会いに来たの?」
「いや……まあ」

 シリウスは歯切れ悪く頷いた。ハリーは不思議に思ったが、深くは考えない。

「隣、座ってもいい?」
「ああ」

 嫌がられるかとも思ったが、シリウスはすぐに頷いてくれた。ハリーとハリエットは、バッグを膝の上に置いてベンチに腰掛けた。

 それから、三人の奇妙な逢瀬は始まった。翌日、学校帰りに公園へ向かえば、その日もシリウスはベンチに座っていた。翌日も、そのまた翌日も。

 約束をした訳ではないのに、双子は毎日公園に向かったし、シリウスも毎日ベンチに座っていた。一日も欠かさずに毎日、ともなると、もしかしたら、彼は自分たちに会いに来ているのかもしれない思わないではいられなかった。だって、彼はあれからフィッグの所に行っている様子はないのだ。夕方になり、ダーズリーの家に帰らなければならない時間が来ると、シリウスはプリペッド通りまで双子を送り、家の中に入るまで手を振ってくれる。何度か窓からシリウスの姿を確認したが、彼は通りの向こうへ去って行くだけで、一度もフィッグの所へ赴かなかった。

 だが、『僕達に会いに来てるの?』とは、双子は決して尋ねることができなかった。答えを知りたくなかった。もしも返答が『ノー』ならば、どれだけがっかりすることだろう。そうなれば、今後、もう絶対に純粋な気持ちでシリウスと笑い合うことができないと思った。

 シリウスは、とてもユーモアのある人で、いつも双子を笑わせてくれた。特に学生時代の悪戯話はとても面白かった。友人達と共に毎日校内を走り回り、誰も思いつかないような悪戯をしては、先生に怒られて罰則を受けたらしい。

 シリウスの言う『悪戯』はスケールが大きすぎて、ハリーは半信半疑だったが、ハリエットは素直に心から信じている様子だった。だが、ハリーが疑うのも仕方なかった。何せ、シリウスが言うには、嫌な奴に『爆弾』を投げたり、廊下に落とし穴を作ったり、学校中のトイレを逆流させたり――とにかく派手で現実ではあり得なさそうな悪戯ばかりなのだ。物理的に、一体どうやって廊下に落とし穴を作るというのだろう?

 ただ、それがジョークなのか本気なのかはともかくとして、彼の話は面白かったので、ハリーも真実か否かは気にしなかった。ハリエットが楽しそうに笑うので、それで嬉しくなったのもある。

 シリウスとは、公園で話をするだけではない。時々アイスクリーム・パーラーでアイスを買ってくれたり、海外に行ったのだといろんな味のするビーンズをくれたり――大半がゲテモノ味だった――誕生日には遊園地にまで連れて行ってくれた。

 遊園地は、ハリー達が言い出したことだった。誕生日プレゼントに何が欲しいかとか、どこか行きたい所はないかと彼が強く聞いてきたのだ。双子は始め遠慮していたが――かねてより行きたい場所があり、ついには『遊園地に行きたい』と漏らしたのだ。

 初めて行った遊園地は、とても楽しい場所だった。いつもダドリー達が話をしているのを遠目に聞いていたが、実際に経験するのとでは大きく違った。絶叫系も観覧系も、シリウスと一緒にたくさん乗った。シリウスも初めて遊園地に来たようで、終始どこかソワソワしていた。初心者同士、少しおっかなびっくりいろんな乗り物に乗り、たくさん笑って遊んだ。

 だが、そんな夢のような幸せな日々も、ある日突然終わりを告げた。遊園地に行った次の日、バーノンに階段下の物置部屋に閂をつけて閉じ込められたのだ。

「お前達、どこの馬の骨とも分からんような男と遊びに行ったらしいな?」
「パパ! それだけじゃないよ! あいつら、毎日あの人と公園でお喋りしてるんだ」

 ダドリーは喜々としてバーノンに告げ口をする。ハリエットは真っ青な顔でおろおろした。

「でも、何がいけないの? 私達、何も悪いことはしてないわ……」
「してる!」

 バーノンはバンッと扉を叩いた。ハリエットは飛び上がって身を竦ませる。

「ご近所の目があるんだぞ! 素性の知らない男と仲良くするんじゃない!」
「あの男が悪い奴で、誘拐を企んでいたらどうするの!? あんた達がただ誘拐されるだけならまだ良いわ。でも、もし万が一ダッドちゃんにまで被害が及んだらどうするの!」
「でも……でも……」

 泣きそうになるハリエットの頭を撫で、ハリーは扉の近くまで寄った。

「あの人はシリウス・ブラック。フィッグおばさんの知り合いだよ。それに、悪い人じゃない。僕達にも優しくしてくれるんだ」
「言い訳は聞かん! ダドリーから聞くに、最近お前達の周りに小物がちびちび増えてきたのもあの男のせいらしいな? 赤の他人から施しを受けるなんて恥さらしにもほどがある!」
「施しじゃないわ。シリウスは私達のために――」

 ハリエットは、まるでバーノンの怒鳴り声から守るようにスカートをギュッと握りしめた。女の子らしい服も、髪飾りも、勉強道具も、全部シリウスが買ってくれた物だ。

 暇なおじさんの相手をしてくれたから、君達の誕生日だから、旅行のお土産だから、たくさん買って余ってしまったから、君達に似合うと思って。

 シリウスはとにかくたくさん言い訳をして双子にいろんな物をくれた。何が欲しいかと聞いて買うのではなく、現物は既にシリウスの手にあるので、ハリー達は断り辛く――もちろん彼の気持ちも嬉しかった――有り難く受け取っていた。

 傍から見れば、確かに孤児の双子に物を買い与える行為は『施し』としか言えないのかもしれない。だが、そんな言葉で片付けられてしまえば、自分達は――。

「その男は、お前達に同情して物を買い与えてるに過ぎん! 物乞いのような真似をして恥ずかしくないのか!?」

 ハリエットの心が大いに傷つけられ、彼女はついに泣き出した。自分も『ひょっとしたら』と思っていたからこそ、バーノンにはっきり確実に言葉にされ、傷ついた。

 シリウスは、両親がいない自分達を可哀想に思って相手にしてくれてるだけじゃないだろうか? 毎日会いに来るのも、きっと行くのを止めるタイミングを見失ってしまっただけだ。

 シリウスのことを心から慕っていたハリエットにとって、それは悲しい現実だった。

 顔を両手で覆ってワッと泣く妹を、ハリーは同じく悲しそうな顔で見ていることしかできなかった。

「しばらくそこで反省してろ!」

 バーノンは大きく叫び、荒々しく居間に戻っていった。外からは、ペチュニアの『清々したわ』とでも言いたげな鼻息と、ダドリーの忍び笑いが聞こえてきた。


*****


 ハリーとハリエットは、それから一週間物置部屋に閉じ込められていた。学校にも行かせてもらえず、そこから出してもらえるのは、トイレとシャワーを浴びるときだけだ。食事も小さな小窓から、まるで餌をやるかのように乱暴に入れられるだけだ。うだるような暑さの中、双子は小さな部屋の中で必死に耐えていた。

 シリウスも心配してるわ、と幾度となくハリエットはそう思った。だが、日が経つにつれ、それでいいのだと思うようになった。

 双子が公園に来なくなれば、もうシリウスも公園に来る理由がなくなる。孤児の相手をしなくても済むのだ。もう一生分の楽しい思いはさせてもらえた。そろそろ、彼を解放しなくてはならない――。

 変化が訪れたのは、七日目の朝だった。チャイムが鳴り響き、ペチュニアが出たかと思えば、慌てたようにバーノンを呼ぶ。

 バーノンとペチュニア、そして謎の来訪者は、しばらく低い声で話していたが、やがてバーノンが、怒鳴るのを必死に堪えたような声でまくし立てた。ペチュニアがそれを宥め、何故だか三人は家を出て行き――。

 しばらくして二人は戻ってきた。もちろん来訪者はいない。そしてそのままの足で、バーノンはハリー達を閉じ込めていた閂を開けたのだ。

「出ろ」

 まるで囚人に刑期の終わりを告げる看守のごとく彼は言い放った。

「荷物をまとめろ」

 ハリーは、ついに家を追い出されるのだと思った。少し不安になったが、隣の痩せ細った妹の姿が目に入り、むしろこれで良かったと思うことにした。確かに寝床も食べるものもなくなるが、警察行けばどうとでもなる。どこかの孤児院に預けてもらって、そこでハリエットと協力して穏やかに過ごすんだ――。

 だが、驚いたことに、ハリー達は家を追い出されなかった。バーノンの後に続いて階段を上り、そして案内された場所は、ダドリーの玩具部屋だった。

「今日からここがお前達の部屋だ」
「えっ……でも、ここは」
「何か文句でもあるのか? 早く入れ!」

 怒鳴り声に背中を押される勢いで、ハリーとハリエットは部屋の中に入った。階段下の物置部屋よりは、圧倒的に広々とした部屋だった。もう天井・・に頭をぶつけることはない。

 ハリーは荷物を一旦部屋の隅に置き、おずおずとバーノンを見上げた。

「おじさん、でも、どうして――」
「質問は許さん! 夕食だ! 降りてこい!」

 忌々しげに言い放つと、バーノンは鼻を鳴らしながら階段を降りていった。ハリーとハリエットは顔を見合わせ、どうしたものかと戸惑ったが、しかし命令に逆らうとどんな目に遭うか分かったものではないので、大人しく彼の後についていった。

 夕食の席では、双子は更に驚かされた。

 いつもはダドリーの四分の一にしかならない食事を二人で分けるのが常だったが、目の前には、ペチュニア達と同じ量の食事が皿に盛られてあった。ちゃんと一人一皿だ。バーノンはひどく苦々しい顔でこれを眺め、ダドリーも『贔屓だ!』と意味を分かっているのか分かってないのかよく分からない抗議をし始めた。だが、この時ばかりはバーノンもペチュニアもダドリーの意見を取り入れなかった。

 静かに『ダッドちゃん、早く食べましょ』とペチュニアが言うので、ダドリーはそれ以上文句を言うこともできず、山ほどある自分のチキンの山の中から、両手に一つずつ持って食べ始めた。

 それからは、本当に奇妙としか言えない生活が続いた。バーノンはあまり怒らなくなったし、ペチュニアは仕事を言いつける頻度が少なくなった。ダドリーが双子に暴力を振るおうとすれば、真っ青な顔でバーノンかペチュニアが駆けつけ、それを止めようとする。

「パパ、離してよ! どうして止めるの!?」
「ダッドや、我慢するんだ。わしもこやつらのことは忌々しくて仕方がないが……手を出すんじゃない」
「パパ……」
「ああ、可哀想なダッドちゃん。大丈夫よ、ストレスが溜まってるのね? こっちへいらっしゃい、とっておきのケーキを買ってきたから……」

 ハリーとハリエットは、拍子抜けする思いだった。一体、バーノンとペチュニアに何があったというのだろう?


*****


 急に別人のようになったダーズリー一家に、ハリーとハリエットは学校へ行く許可をもらった。だが、数日経っても、どうしても学校帰りにあの公園へ寄ろうという気は起こらなかった。もちろん、シリウスには会いたい。だが、空っぽのベンチを見たとき、落ち込まない自信がなかった。

 きっと、彼はもう公園には来なくなったはずだ。突然何も言わずにばったり姿を現さなくなれば、彼だって理不尽に思うだろう。――いや、そもそも約束などしていないのだから、どうでもいいとすら思っているかもしれない。清々したと、公園に来なくなったかもしれない――。

 シリウスがそんな人だとは欠片も思っていないのに、彼をひどい人だと決めつけることで、ハリーは心を守ろうとした。希望を持ったときほど、裏切られたときのショックは大きいのだから――。

 だが、そんな双子を見て怒ったのは、まさかのペチュニアの方だった。今日も今日とて寄り道せず真っ直ぐ家に帰ってきた双子を見て『早く公園に行きなさい!』と鬼のような形相で起こった。大いに戸惑ったハリー達だが、『早く行かないと食事抜きよ!』の一言で慌てたように家を飛び出した。

「全く、何だって言うんだ」

 ハリーは動揺を押し殺してブツブツ言った。

「あんなに禁止してたのに、一体どんな風の吹き回しだ?」

 ハリーはいつも以上に饒舌にダーズリー一家の愚痴を言い、ハリエットはだんまり押し黙った。両者とも、思いは一緒だった。

 ――公園に、行きたくない。

 だが、二人の足は否応なしに公園へ向かう。片割れが一言『行きたくない』と言ってくれればそれに便乗できるのに、ハリーとハリエットは、どちらも決してその一言を口にはしなかった。

 角を曲がったとき、双子の上に大きな影が差した。揃って顔を上げれば、そこには朗らかに笑うシリウスの姿があった。公園はまだ先だ。なのに彼は目の前に立っている。

「心配したぞ。どうして急に来なくなったんだ?」
「あ……」

 ハリーは気まずげに視線を逸らし、ハリエットは彼の後ろに隠れた。合わせる顔がなかったのだ。

 その行動を見て、シリウスはへなへなと眉を下げた。

「こんなおじさんの相手をしていてもつまらないと思ったのなら仕方ないが」
「そんなことないよ!」

 ハリーは叫ぶようにして返した。彼の後ろで、ハリエットも必死になって首を振る。

「私――私たちの方こそ、シリウスは、子供の相手をしていてもつまらないんじゃないかって……」
「僕達、シリウスにもらってばかりで、何もしてあげられない……。僕達、本当に何も持ってないんだ」

 痛々しいほどの沈黙が降り立った。ハリーとハリエットは、じっと地面を見つめる。シリウスがなんて返すか、聞くのが恐ろしかった――。

「何もいらない」

 時が、止まったように感じた。

「君達の周りには、こんな簡単なことを言ってくれる人もいなかったのか?」

 屈み、シリウスは双子と目線を合わせた。

「わたしは、君達が生きていてくれるだけで嬉しい……わたしと会ってくれるだけで嬉しい。それだけなのに」
「シリウス、でも……」

 なおも言いつのるハリーに、シリウスは仕方なさそうに微笑んだ。

「そんなに言うなら、わたしの願いを一つ叶えてくれないか?」
「なに? 僕達にできることなら何でも」
「抱き締めても良いだろうか?」

 ハリーはパチパチと瞬きをした。彼のすぐ隣で、ハリエットもまたそっくりな表情になる。

「そんなこと?」
「嫌なら大丈夫だ。聞かなかったことにしてくれ」
「嫌じゃないよ! 嫌な訳あるもんか」

 ハリーは反射的に言い返した。だが、すぐに口の中でもごもごと『でも僕、ハグなんてしたことないし』と言い訳したが、全部を聞き終える前に、シリウスがぎゅっとハリーを抱き締めた。一瞬息ができなくなったハリーだが、その力強さが、何故だか心地良いと感じた。

 しばらくしてハリーを解放すると、シリウスは次にハリエットを見た。ハリエットは恥ずかしそうに顔を赤らめ、もじもじした。その様子を見て何を勘違いしたのか、シリウスは慌てて立ち上がる。

「いや、気にしなくて良い。君は女の子だから、頭を撫でて――」

 パタパタと駆け、ハリエットは思いきりシリウスの腰に抱きついた。シリウスは一瞬呆けたように固まる。だが、すぐに我に返り、嬉しそうに口元を緩め、ズルズルとずらすように身体を屈め、ハリエットの背中に手を回す。

 あったかいと、ハリエットはそう思った。このままお昼寝でもできそうなくらいの安心感があった。ハリエットは心地よい微睡みと共に、すうっと目を閉じ、そして。

「シリウス、大好き……」

 気づけばそう口にしていた。シリウスの耳にも届いていたかは分からない。ただ、シリウスの腕の力が一層強まったことだけは分かった。




*おまけ:後見人馬鹿@*



「……すまない……」
「あたしゃこの子達の世話で忙しいんだがね。突然チャイムが鳴って出てみれば、目の前にいたのは魔法大臣よりも忙しいはずの闇祓い局長殿じゃないか。さあて、ここへは何の用で?」
「分かっているだろう? 二人を見に、だ……。今日はあの子達の誕生日なんだ。いつもよりも少しだけ近くで見ていたいというのは些細な願いじゃないか」
「ダンブルドアからきつく言われていただろう。あの子達の十一歳の誕生日が来るまで接触は禁止だと。あの子達は、十一歳まで魔法界のことを知らずに生きていかないといけないんだ」
「分かってる、分かってるさ……だからこうして涙を呑んで遠くから眺めていることしかできなかったんだろう?」
「仕事の合間を縫って毎日マグル界へやってくるとは……お前さんも大概だねえ」
「ああ……でも、二人はまるでジェームズとリリーの生き写しのようだった……。今までずっと遠くから眺めていただけだったから気づかなかったが、本当に二人は目の色だけをそっくり交換した本人達のようだ。ハリーは声までそっくりだった。アッ、ハリエットの声は聞けていない! きっと小鳥の囀りのような可愛い声をしていたに違いない……」
「親馬鹿にもほどがあるね。いや、後見人馬鹿か」
「よくよく思い返してみれば、わたしはさっき挙動不審じゃなかったか? 不審者のように思われただろうか。いや、でもハリーはニコニコ笑ってくれていた。ジェームズそっくりの笑みだ。ジェームズもあんな感じて笑っていた……。対して、ハリエットは少し人見知りのようだったな。あまり性格はリリーには似ていないが、うん、でも可愛かった。大人しいのも、庇護欲がそそられて良いな。ぎゅっと抱きしめてあげたくなる……」
「あたしゃいつまで惚気を聞かされなきゃいけないんだ? 忙しいんならとっとと帰ってくれると有り難いんだがね」
「あー、初めて話したせいで歯止めが利かない……。ようし、こうなったらやっぱりダンブルドアに交渉しよう! ただのおじさんとして演技をするから、二人に接触をしても良いかと」
「断られる未来しか思い浮かばないがね」
「いいや、大丈夫だ。自信がある。正直な話、もともとダンブルドアにあの子達のことで交渉する力を得るためだけに闇祓い局長になったようなものだからな」
「初めて聞いたがね、そんな話……。お前の部下が泣くよ」
「あの子達の笑顔には何人たりとも敵わないさ。ああ、こうしていると、もう一度会いたくなってきた。誕生日なのに、こんな時間からどこへ行くつもりだ? 外をウロウロしていれば会えるだろうか」
「親友がストーカーになりつつあることをジェームズはあの世で嘆き悲しんでいるだろうさ」
「安心しろ、アラベラ。ジェームズもリリーのストーカーだった」
「類が友を呼ぶとはこのことさね」
「最高の褒め言葉だ。――ああ! でももし会えたとして、どう誕生日を祝ってあげれば良い!? わたしはあの子達が誕生日だということを知らないはずだし……。アイスを三つ持って、たくさん買いすぎたから食べてくれと言うのは、あまりに不自然だろうか」
「逆に不自然以外の何があると?」
「とにかくあの子達に会いに行かなければ。直接祝えなくても、折角の誕生日だ、面白いことを言って笑わせてあげよう。そうだ、何か魔法を見せるのはどうだ?」
「未成年の周囲で魔法が感知されれば、あの子達の仕業だと魔法省が判断するぞ」
「なーに、わたしを誰だと思っている? ちょっとくらいならもみ消せる」
「お前の部下に同情する」
「アラベラ、相談に乗ってくれて助かった。わたしはもう行く。あの子達の誕生日は、もうあと七時間もないんだからな……」
「とっととお行き。あたしゃただ一方的に惚気を聞かされただけだけどね!」
「アラベラ、もしまたあの子達を預かることがあれば、ぜひともわたしの株を上げておいて欲しい……。頼むぞ」