05

 おじさんと双子 

おじさんは後見人馬鹿






 ホッグズ・ヘッドで盗み聞きした話は、とても衝撃的だった。

 ジェームズとシリウスとルーピン、そしてピーター・ペティグリューは、いつも四人で行動する親友だった。特にジェームズと仲が良かったのがシリウスで、だからこそジェームズは、ハリーがヴォルデモートに狙われていると判明したとき、秘密の守人をシリウスに頼んだ。守人の中に秘密を魔法で封じ込めることで、秘密の守人が口を割らない限り、誰がどれだけ探そうが、第三者にはジェームズ達の行方は分からないという『忠誠の術』だ。

 だが、すんでの所で秘密の守人はペティグリューに変更された。忠誠の術がかけられたことを知れば、ヴォルデモートがジェームズの親友シリウスを追うことは確実だったからこそ、ペティグリューが適任だと考えられたのだ。

 だが、それが全ての間違いだった。ペティグリューは裏切り者で、ヴォルデモートに騎士団の情報を内通していたのだ。そうして、忠誠の術をかけてから一週間も経たないうちに、ペティグリューが裏切り、あの夜の悲劇が起こった。

 すぐにポッター家に駆けつけたシリウスは、単身ペティグリューを追った。ペティグリューを追い詰めたのは周囲に大勢マグルがいる場所だった。ペティグリューは迷うことなく辺りを木っ端微塵に吹き飛ばし、己の指を切り落として姿をくらまそうとしたが、シリウスに捕まった。

 当時、ダンブルドアさえもポッター家の秘密の守人はシリウスだという認識だったが、シリウスの証言とペティグリューの左腕の闇の印は、紛うことなく決定的な証拠になり得たため、ペティグリューはアズカバン行きとなった。

 ハリエットは、込み上げてくる激情を持て余していた。怒りか悲しみか、それすらも正体が掴めないこの気持ち。誰かに話したからと言って、解消できる訳がなかった。ハリー相手ですら、ハリエットは今は冷静な頭で向かい合う自信がなかった。それはハリーも同じだろう。双子とはいえ、一人で物思いにふける時間も必要なのだ。

 ハリエットは、一人温室に来ていた。ペティグリューの脱獄によって、ハリーとハリエットは一人で行動しないようきつく言われていたが、吸魂鬼やシリウスに護衛されているホグワーツで彼の目撃情報などてんで出て来ないし、正直な所、油断していた。逃げ隠れするだけで精一杯なペティグリューがホグワーツに来る訳がないと。

 思い詰めた顔で辺りを散策していると、ハリエットの耳が何かを捉えた。動物のような鳴き声だ。キョロキョロと地面を見回していると、植木鉢の影から一匹のネズミがこちらを見上げていた。聞くも哀れな鳴き声で、ハリエットはその場にしゃがみ込んだ。

「……ネズミ?」

 ハリエットが屈めば、ネズミはそろそろと植木鉢から出てきた。どうやら足を怪我しているようで、血を流している。

「痛そう。大丈夫?」

 言葉が分かる訳でもないのに、思わずハリエットがそう尋ねれば、ネズミは円らな瞳で見上げてくる。返事をもらえたという訳ではないが、ひとまずハグリッドの所へ連れて行こうと、ハリエットはネズミを抱き上げ、立ち上がった。

 だが、数歩と行かない所で彼女の足は止まる。誰かが温室へ入ってきたからだ。

「こんな所で何をしてる?」

 眉を顰めてそう問うのはドラコ・マルフォイ。

 聞きたいのはこっちの方だとハリエットも顰めっ面を返した。

「ペティグリューが辺りをうろついてるかもしれないのに、随分と呑気なことだな」

 彼の不機嫌そうな声に驚いたのか、手の中のネズミがビクンと揺れる。ハリエットは宥めるように彼の頭を撫でた。

「ドラコは知ってたのね」
「は?」
「私達とピーター・ペティグリューの関係」

 ドラコは黙りこくった。だが、ハリエットはこれで追求を止める気はさらさらなかった。

「私たちが真実を知って満足? ハリーをけしかけてどうするつもりだったの? ――私たちがペティグリューをどう思ってるか、どうしたいかなんて、部外者のあなたにとやかく言われたくないわ!」

 激しく怒りを感じた。両親を裏切ったペティグリューのことは憎い。でもその感情を、からかうためだけの材料にするのはもっと許せなかった。ペティグリューのせいで両親が命を落としているのに、ドラコはそれをなんとも思ってないのだ。

 ドラコを睨み付けると、ハリエットはローブを翻して温室を出た。向かうはハグリッドの小屋だ。

 だが、暴れ柳の近くを通ったとき、誰かに強く腕を掴まれた。

「おい――待て!」

 ドラコだった。まさかついてくるとは思っていなかった。ハリエットは腕を振り払うことができず、足を止めざるを得なかった。

「何よ!」
「一人で外をうろつくな! 見つかったらどうする!」
「あら……あなたは私やハリーがペティグリューに殺されるのがお望みなんじゃないの?」
「違う!」
「いいから放してよ!」

 突然涙が溢れた。せきを切ったように次から次へと涙が零れてきて、ハリエットはその場に泣き崩れた。立っていられなかった。溢れる悲しみがハリエットをボロボロにしていく。

「お、おい――」

 ハリエットの腕から、もがくようにネズミが抜け出した。そのすぐ後、ポンという軽快な音が辺りに響き渡る。

 ハリエットには、何が何だか分からなかった。急に何かが目の前に現れたと思ったら、次の瞬間には首回りに強い圧迫感を感じていた。

「動くな!!」

 引きつった声は僅かに震えていた。ハリエットの首には男の腕が巻き付き、その手の先にはナイフが握られているのが視界の隅に僅かに映った。

「ピーター・ペティグリュー……」

 ハリエットからは男の顔は分からなかったが、ドラコの怯えた顔でその正体を理解した。

 この男が、お父さんとお母さんを――。

「動けばこの子の喉を掻ききる。いいか、動くなよ……」

 ハリエットの喉にナイフを突きつけながら、ペティグリューはハリエットのローブに手を突っ込み、杖を奪い取った。

「エクスペリアームス!」

 ドラコの杖が宙を舞い、ペティグリューの左手に収まった。継いで間を開けず彼が放った呪文は。

「インペリオ!」

 ハリエットには、聞き慣れない呪文だった。だが、ドラコの顔が恍惚としたものになり、そしてつい先ほどまで警戒心丸出しでペティグリューを睨み付けていた彼が、急にだらりと身体の力を抜いた。もしかすると、対象を操る類いの呪文かもしれない。

「いいか、抵抗するなよ。大人しく私についてこい」

 ペティグリューは、暴れ柳に向かっていた。暴れ柳の射程範囲に近づくと、枝が唸りを上げて暴れ始めたが、ペティグリューが魔法で枝を柳の木の節の一つに乗せると、驚くくらい大人しくなった。

 木の根元にはポッカリと穴が開いており、狭い土のトンネルに続いていた。ハリエットは両手を縄で拘束され、後ろから杖を突きつけられながら一番先を歩かされた。ドラコは最後尾で、杖を向けられてもいないのに従順についてきた。

 トンネルの行き止まりには部屋があった。埃っぽい部屋で、歩くだけで軋むような随分と朽ち果てた場所だ。

 階段を上り、いくつかある部屋のうちの一つに入って行く。ペティグリューはようやくここで一息つくことにしたらしく、ハリエットの足を縛って己のすぐ側に座らせた。そしてドラコを隣に呼び、掠れ声で命令する。

「ハリー・ポッターをここまで連れて来い。誰にも見つからずに、だ。誰かにこのことを漏らせば妹の命はないと伝えろ」

 ドラコは静かに頷き、部屋から出て行った。

 ペティグリューの命令を聞いて、ハリエットはぶるりと身体を震わせた。

「……ハリーを殺すつもりですか?」
「その判断をするのは私ではない。あのお方に差し出せば――その末路は容易に想像できるが」

 ハリエットにだって、想像はついた。その末路が恐ろしくて、ポロポロと涙がこぼれ落ちる。

「ハリーを連れて行かないでください……。私、あなたのこと誰にも漏らしたりしません。内緒にします……」
「それじゃ駄目なんだ!」

 怒鳴るようにしてペティグリューは叫んだ。ハリエットの肩は大きく跳ねる。

「ここまで来たのに、ここまでやり遂げたのに、君は全てなかったことにしろと!? 一生ネズミのままでいるか、アズカバンで死んだように生きるかのどちらか! いや、もはやあそこを脱獄した私には、吸魂鬼のキスが待っているだろうな!」
「わ、私一人一緒に行けば……」

 ハリーだけは、とうわ言のように繰り返すハリエットに、ペティグリューは酷く哀れな顔になった。

「ああ、君はリリーにそっくりだね。心優しく正義感に溢れた監督生……誰かがあのお方に情報を漏らしていると皆が疑心暗鬼になっていた時も、互いを信じるべきだと主張していた……」
「それなら……」
「大丈夫だよ。ハリー・ポッターが殺されるなら、君も一緒に殺してあげる。たった一人生き残ったって辛いだけだろう」

 たった一人?

 ハリエットは不意にシリウスを思い出した。

 いや、違う。私達にはシリウスがいる。私達が死んで悲しむのは、ロンやハーマイオニーだけじゃない。シリウスだ。シリウスは、きっと声を上げて泣いてしまうだろう。

 自分のせいで双子がダーズリーに軟禁されていたと知ったとき、我がことのように嘆き、ひどく顔を歪めていた彼のことだ。自分の親友にハリエット達が殺されてしまったことを知れば、怒りと悲しみでどんなにひどい有様になってしまうか!

 そんな羽目にはさせないし、もちろんハリーだって、ヴォルデモートに殺させやしない!

「ハリエット!」

 ハリーの声が聞こえる。

「来ちゃ駄目!」

 反射的にハリエットは叫んだが、そんなものでハリーの足は止まらなかった。荒々しい足音が階段を登ってくる。そしてこの部屋唯一の扉が開き。

「エクスペリアームス!」

 ハリーはすぐさまペティグリューに武装解除された。彼の目が油断なくハリーの背後を見透かそうとする。何者もその後ろに引き連れていないことがわかると、ペティグリューは狂った叫び声を上げた。

「ハリー・ポッター……ここまで一人で来たその勇気を讃えよう! さすがジェームズの息子だ」
「父さんの名を呼ぶな!」

 ギリギリとハリーは歯を食いしばる。

「お前が父さんと母さんを裏切った! この卑怯者め! 今度はハリエットまで殺すつもりか!?」
「私は君達を殺しはしない。あのお方の前まで連れて行くだけだ。そうすれば私は全て許される……私は自由になれる!」

 その時、階下の床がギシリと軋んだ。ハッと三人は下を向く。

 誰かいるのだろうか? 誰かが助けに来てくれた?

「私達はここよ!」
「静かにしろ!」

 思わず大声を上げたハリエットを、ペティグリューは羽交い締めにした。ハリーは駆け出そうとしたが、一瞬遅くペティグリューが再び優位に立つ。

 階段を駆け上がってくる足音は二つだった。ペティグリューは血走った目で開け放たれた扉を射抜く。

「待て、動くな!」

 入ってきた人物を見て、ペティグリューは顔を引き攣らせた。

「一歩も動くなよ。お前達が武装解除を掛ける前に、私はこの子の喉を掻ききることだってできるんだ!」

 僅かにだが、ペティグリューの声は震えているように聞こえた。続いて彼は、殺意のこもった目でハリーを見据える。

「ハリー・ポッター……話が違う。誰かに漏らせばこの子を殺すと、そう言ったはずだ!」
「忍びの地図だ」

 ペティグリューを刺激しないよう、努めて静かな声でルーピンは説明した。

「ハリーから取り上げた後、私達はずっと地図を見張っていた。そして先程、ピーター、君がハリエットとドラコと共に叫びの屋敷へ向かうのを見たんだ。私はすぐにシリウスを呼びに行った。あと一歩遅く、ハリーまでここに来てしまったのは想定外だったが……」

 シリウスが沈痛な面持ちで一歩前に出る。

「ピーター、お願いだ。これ以上罪を重ねないでくれ。わたし達からハリーとハリエットまで奪うつもりか?」
「今の私にもう怖いものはない……。君達はアズカバンがどんなに酷いところか知らないだろう? ネズミになれば僅かにだが吸魂鬼の影響から逃れられた。それどころか、奴らにとって動物の感情を読み取るのは難しかったようだ……容易に抜け出すことができた。私が脱獄できたのも、今の今まで正気を保ってこられたのもアニメーガスのおかげだ、リーマス」

 かつての友情の証を掲げるペティグリューに、ルーピンは唇を噛みしめた。

「私が臆病者だったせいだ。シリウスにも何度も説得されたが、結局ダンブルドアにピーターがアニメーガスだと告げることができなかった……そのせいでこんなことに」
「リーマス」
「ペティグリューがアニメーガス?」

 ハリーが信じられないといった様子で呟いた。

「アニメーガスだから、ホグワーツにも侵入できたし、アズカバンから脱獄もできた? なら、どうして言わなかったんです? ダンブルドアに一言言えば、ペティグリューは――父さんと母さんの敵は、すぐに討てたのに!」

 沈痛な表情でハリーが叫ぶ。ルーピンは更に顔を歪めた。

「すまない、私は――」
「君達が慕っているその男は、狼人間なんだ!」

 ペティグリューが声高々に叫んだ。サッとルーピンの顔は青ざめ、シリウスの表情は険しくなった。

「言えない……言えるわけがない。私達は、満月の夜リーマスの側にいるために、非公式のアニメーガスになった……。ホグワーツに入れてもらえたという多大な恩があるリーマスが、裏切りとも言える行為をダンブルドアに言い出せるわけがない……」
「ピーター、そこまで落ちぶれたか」

 シリウスの声には静かな怒りが漲っていた。

「リーマスをそんな風に言える資格がお前にはあるのか? では聞こう。十二年もあったのに、今更俗世に出てきたのはなぜだ? お前にとっては、アズカバンもここも似たり寄ったりだろう。お前の愛しいお仲間から見れば、お前の流した情報のせいでヴォルデモートが失脚したように見えるんだからな……。アズカバン行きを逃れた一部の死喰い人が、お前の命を狙っていても不思議ではない」

 例のあの人の名に、ペティグリューが震え上がった。瞳にも怯えが見られるが、しかし依然とシリウスを睨み付ける。

「そう、そうだ。確かに私は怯えていた。アズカバンを出られる可能性はあった……だが、外に出てもきっと命を狙われる。しかし、ファッジからもらった新聞で唯一希望の光が差し込んだ――そう、ホグワーツだ! ホグワーツにはハリーがいる……あのお方が失脚するに至った原因……それを私が献上すれば、私は許される。吸魂鬼にも、死喰い人にも怯えずに生きることができる……!」
「ジェームズとリリーを裏切っておいて、よくもまだ生に執着ができるな!」

 吠えるようにシリウスが叫んだ。

「その上、この子達を――無垢な子供を、その手で殺すと!? ――いいや、違うな。お前はきっと人任せにするんだろう。自分の手で後始末することもせず、ただ黙ってこの子達が殺されるのを後ろから見てるんだ。ジェームズとリリーの時のように!」

 恐ろしい剣幕でシリウスが一歩、二歩とペティグリューに近づく。ペティグリューは悲鳴を上げてハリエットと共に後ずさった。

「く、来るな! そこから動くな! それ以上近づいたら彼女の喉を掻ききる!」

 グッとナイフに力が込められ、ハリエットの柔らかい喉元に切っ先が食い込む。

 最大限にまで高ぶった興奮により、ピーターは五感が鋭くなっていた。

 肉を切り裂くその感触に。微かに漂う血の臭いに。耳元で上がった小さな悲鳴に。

 よりにもよって、その時見たのがハリーの――かつての親友によく似た顔が、絶望を伴った表情に変わる所で。

 ペティグリューは、衝動的な憐れみにより、それ以上ナイフを動かすことができなかった。ならばと反対側の手に握っていた杖に力を込め、呪文を叫ぼうとしたが――喉が張り付く。たった一言の呪文ですら、その臆病な口は唱えることができない。

「――ピーター・ペティグリュー、お前にこの子達は殺せない」

 気がついたときには、シリウスはすぐ目の前に立っていた。ナイフを、そして杖をも取り上げられ、ペティグリューは絶望と恐怖でぶるぶる震える。

「わたし達はそれを喜べば良いのか、悲しめば良いのか……」

 ペティグリューはすぐさま縄で拘束された。その間、彼は一言も話さなかった。

*****

 その後、すぐペティグリューをアズカバンへ連行しようと叫びの屋敷を出たが、間の悪いことに、その日は満月だった。

 ペティグリューを追うことに必死になっていたルーピンは脱狼薬を飲むのを失念しており、結果、狼人間となってしまったのだ。シリウスはすぐに黒犬に変身し――ハリーとハリエットは心底驚いた。その黒犬が、夏休みずっと可愛がっていたスナッフルだったからだ!――狼人間と戦った。その隙にペティグリューがネズミに変身して逃げ出し、更にはペティグリューの気配を感じ取った吸魂鬼がやって来てハリーとハリエットを襲い――。

 阿鼻叫喚の地獄絵図となりかけたが、ハリーとシリウスの守護霊の呪文により、危機は回避された。だが、ルーピンを探して校庭までやって来たスネイプに一部始終を見られてしまった。スネイプには、ペティグリューと親友であったシリウスやルーピンが彼をホグワーツに引き入れたのではないかと疑われたが、その訴えはダンブルドアによって棄却された。いくら同級とはいえ、シリウスは闇祓い局局長であり、死喰い人ではないことは明白だったからだ。

 シリウスに復讐が果たせなかったスネイプは、その腹いせに、翌朝スリザリン生に、ルーピンが狼人間だと漏らした。そのせいで彼はホグワーツを追われることになり、より一層シリウスとスネイプの確執が深くなった。それを裏付けた噂は、クマのように大きい黒犬が、スネイプに噛みついたとか噛みついてないとかいうものだ。黒犬の正体を知っていたハリーとハリエットは、あながちその噂も的外れではないかもしれないと思った。

*****

 とある夏休みの日曜、ハリーとハリエットは、午後の五時を今か今かと待っていた。

 クィディッチ・ワールドカップに行くために、ウィーズリー家がダーズリー家まで迎えに来てくれるのだ。

 さすがは魔法使いといったところか、その登場は斬新だった。板を打ち付け、塞いでいた煙突からやってきたと思ったら、その板を吹き飛ばしてリビング中を埃まみれにしてしまったのだ。純血家系の魔法使いには、まず玄関という場所を教えてあげたほうが良かったかもしれない。

 アーサー、フレッド、ジョージ、ロン――。ぞろぞろと煙突から這い出してきた魔法使いたちに怯えるペチュニア達に挨拶をすると、アーサーは早速ハリーとハリエットに向き直った。

「いいかい、二人とも。煙突飛行で移動するからね、今から言う場所の名前を覚えるんだ」
「隠れ穴じゃないんですか?」
「いや。今回は隠れ穴じゃない。向こうに着いたら案内があるだろう。さあ、行って。今回は言い間違いは厳禁だからね」

 片目を瞑ってアーサーはハリーを煙突の中へ追い立てた。『煙突飛行粉がまだだよ!』と言うロンのアシストにより、ハリーは彼から粉を受け取り――そしてアーサーから告げられた場所の名を叫んだ。

 ハリーの姿が消えた後はハリエットだった。ハリエットもつつがなく移動を終え、回転が止まった頃に、ようやく目の前にハリーが立っていることに気づいた。

「ここ、どこ?」
「分からない。どこかの家みたいだ」

 ひとまず暖炉から這い出て、後からウィーズリー一家がやってくるのを待ったが、待てども待てども彼らはやってこない。

 もしかして、またも煙突飛行に失敗したのかと焦る中、すぐ側に銀色の何かが降り立った。それはみるみる凜々しい狼の姿へと形を変えた。

『そのまま二階まで上がっておいで。静かにね』
「ルーピン先生のパトローナスだ! 喋ってる!」
「狼なのね。可愛い」

 何でもかんでも可愛いとコメントする妹のことはさておき、ハリーはルーピンの指示通り、足音を忍ばせて階段を上がった。何が何だかよく分からないが、ハリーにとって、ルーピンは全幅の信頼を寄せる恩師だ。異論を唱える必要はない。

 二階にたどり着くと、廊下沿いにいくつか部屋があった。狼のパトローナスは、一番奥の部屋の前に漂っていたが、ハリー達がそばに行けば、スーッと霞のように消え去った。

 部屋の扉は僅かに空いており、何やら会話が漏れ聞こえる。ハリーとハリエットはそっと扉から顔を覗かせた。

「なぜ急に伝言を? 何か約束でもあったのか?」
「そういう訳じゃないけど」

 ハリー達の対角線上に座っていたのはルーピンで、背を向けて座っているのはシリウスだった。ルーピンとバッチリ目が合うと、彼は盗み聞きしているのを咎めるでもなく、むしろどうぞどうぞと言わんばかりの顔で微笑んだ。

「一応君の部署に伝言しておいた方が良いかと思っただけさ。しばらく局長をお借りするけど、大丈夫かって」
「ああ、いらないいらない。いつものことだから」

 何てことない声色で手をヒラヒラさせるシリウスに、ルーピンは呆れた目を向ける。

「そんなんだから毎度毎度苦情が上がってくるんだよ。ちょっと前までは親友の忘れ形見に自分の正体を隠して会いに行くシチュエーションに同情されてそんなこともなかったんだろうけど、今や君は隙あらば名付け子の惚気を聞かせてくる後見人馬鹿だからね。むしろ惚気る時間がないくらい仕事を押しつけてやれってうるさいそうじゃないか」
「いちいちそんなこと気にしていたらやってられない。あいつらはわたしの幸せを僻んでるんだ……。自分に名付け子がいないからって可哀想に……」
「悪いこと言わないから、そんなことを言うのは私の前だけにしてくれ。今度こそマグル界に行く暇も無いくらい仕事を押しつけられるよ。去年はむしろホグワーツで油を売っていたと言われてるみたいじゃないか」
「油なんか売ってない! ハリーとハリエットの護衛だ!」
「あのね……建前的には教授の助手って言ってくれないかな。君の欲望が丸出しじゃないか」

 ルーピンは呆れながら頬杖をついた。

「そもそも、今日だってどうして私の家に? いつもならあの子達の所へ行ってる時間じゃないか」
「嫌味か?」

 シリウスはジトっとした目でルーピンを見た。

「あの子達は今日から隠れ穴に行くんだ。明日からクィディッチ・ワールドカップが始まるからな……。もしかしたら……万が一……ひょっとしたら……あの子達がわたしにワールドカップに行きたいと可愛らしいおねだりをしてくるかもしれないと、四人分の特等席のチケットをゲットしておいたが……そんな奇跡は起こらなかった……だからわたしと二人で行こう、リーマス」
「いい年した男二人で特等席かい?」
「向こうであの子達と会えるかもしれない。わたしは一人でも行くぞ」
「いや、確実に会うつもりだろう。事前にこっそりアーサーに席番号を聞いたって情報が流れてる。君の目的はクィディッチではなくハリーとハリエットだ、そうだろう?」

 じっとルーピンはシリウスを見つめたが、シリウスはどこ吹く風だった。

「そもそも、そんなに会いたかったなら君が二人を誘えばよかったんだ」
「それができたなら苦労はしない」

 シリウスは深々とため息をついた。

「今回の件で、わたしのアニメーガスのことがバレてしまっただろう? きっと騙されたと思うだろう。それに、動物の姿になってまで会いに行っただなんて、ストーカーだと思われたらどうしよう……うざいと思われていただろうか……」
「うん……まあ……口論になったとしても、頑張って人間の姿で会いに行った方が良かったとは思ったけどね。じゃあ今はどうしてるんだい? 君の部下からは、今年も例によって同じ時間に姿を消すって嘆かれてるけど」
「もうアニメーガスは使えないから、最近は目くらましをかけて見守っている。あの子達と接触する前に使っていた手法だ」
「ああ……うん……何だか私も君のことがストーカーに思えてきたよ」
「そんなこと言わないでくれ! いや、くれぐれもこのことは誰にも言うんじゃないぞ!? どこからあの子達に漏れるかわからない……ストーカー認定されたが最後、今度こそダンブルドアから接触禁止令を受けるかもしれない」

 いよいよシリウスは絶望の表情を浮かべた。ルーピンはもはや苦笑いしか出てこない。

「そう……ストーカー認定ね。被害妄想の激しいシリウスはこう言ってるけど、君たちはどうだい?」

 後ろからでも分かるほど、シリウスの身体がビクッと動いた。恐ろしいまでの沈黙が辺りを漂う。

「あー、あの……」

 ルーピンはニコニコ笑うのみで、これ以上助け舟は出してくれないので、ハリーは恐る恐る部屋の中に入った。ハリエットもまた緊張の面持ちで後に続く。

「その、シリウス……」
「…………」

 シリウスは振り向かない。それどころか、息をしているのかも怪しいくらい微動だにしない。

「盗み聞きして、ごめん」

 何からどう言ったものか考えあぐねた結果、ハリーはひとまず形だけの謝罪をした。

「でも、僕達……」

 不意にシリウスが立ち上がった。何故だかプルプルと小刻みに揺れているその手に握られているのは、見まごう事なきシリウスの杖。

「ハリー、ハリエット……わたしを許してくれ」
「し、シリウス? 何を――」
「君達にこんなことをするのは、最低最悪な行為だと思う……どうあっても未来永劫許されることのない所業だ。いや、むしろ許さないでくれ」
「一旦落ち着いて――」
「だが、わたしは――君達に会えなくなることの方がよっぽど辛い。ダンブルドアに接触禁止令を出されれば、わたしはこの先どうやって生きていけば良い――!?」
「僕達に、何をするの?」

 一歩後ずさり、ハリーは尋ねた。シリウスは死んだような目で答える。

「忘却呪文」
「なっ、なんでそんなこと――」
「こうでもしないと、君達はダンブルドアに告げ口するだろう! わたしなんかよりも、一見好好爺のように見えるダンブルドアの方につくだろう! 後見人がストーカーだから何とかしてくれって!」
「い、いや、シリウス、僕らそんな風に思ったことないから!」
「君たちは優しい子だ……だからってそんなフォローはしなくてもいい! 嫌なら嫌と……嫌いなら嫌いと言ってくれ、いっそ!」
「好きだよ!」

 面倒くさい境地に陥ったシリウスに、半ばやけっぱちになったハリーが叫んだ。

「僕達……あの……シリウスのこと好きだよ」
「…………」
「むしろ、私たちの方が信じられないくらい。シリウスが……そんなに私達のこと大切に思っていてくれてたなんて」

 俯き、シリウスはずっと押し黙ったままだ。見かねたルーピンが口を挟む。

「とどのつまり、君達の前では、シリウスは格好付けて大人ぶっていたってだけなんだ。私達の前では、どんなに面倒くさい後見人馬鹿になり果てていたか。本当にこれまでの惚気をそっくりそのまま聞かせてあげたいくらい」

 親友の裏切りとも言える言葉に、シリウスはみるみるカーッと顔を真っ赤にした。今更ながら、走馬灯のように己の所業が思い起こされたのだ。当人達に真実を告げられることで、ようやく己の言動を客観的に見ることができてしまったのだ。

「いや……」

 片手で顔を覆い、シリウスは言い訳するかのようにブツブツ呟いた。

「いや、本当、これはちょっとした反動……癖なんだ……。今まで、わたしは君達の後見人だということを言いたくても言えなかった。君達を心の底から愛していると言えなかった。言ったら最後、一緒に住みたいと言ってくれると思ったし、もしそうなれば、わたしは断らなくてはならない……それがダンブルドアとの約束だからだ。だからこそ、君達と会っている間はひどく心苦しかったし、同時にとても幸福だった。そして歯痒くもあった……。折角名付け子が目の前にいるのに、わたしの正体が明かせないことにもどかしさを感じていた。だからその……堪えきれない思いを誰かに聞いてもらいたくて……」
「私達に惚気をぶつけてきたんだね?」

 こくり、とまるで幼子のようにシリウスは頷いた。ルーピンは何かを達成したような顔で大きく頷いた。

「うん、まあ、これでおあいこにしよう。今まで君が惚気話で迷惑をかけてた人にも私から説明してあげるよ。ハリーとハリエットと仲直りできたみたいだから、今までの愚行は許してやってくれって。……ああ、ほら、これからはもう隠す必要もないんだから、たまには直接言ってやったらどうだ?」
「はっ!?」

 シリウスはわたわたとルーピンと双子とを見比べた。双子の方も、この先のことを想像したのか、カアッと頬に熱を集める。

「…………」
「…………」

 ルーピンは待った。辛抱強く待った。これまでの七面倒なシリウスの惚気を思えば、これくらいなんだ。

「……あ……」

 第一声がかすれ声で、シリウスはすぐ咳払いをした。

「わたしは……君たちのことを……愛している……」
「うん……僕達も、シリウスのことは好きだ……」
「本当は、君たちと一緒に住みたくて堪らない。おはようからおやすみまで挨拶をしたいし、非番の日には誰にも気兼ねせずに遊びに行きたいし、旅行にだって行きたい。箒にも乗りたい」
「うん」
「でも、それはできない。君達はダーズリーの家に住まなければならない。あそこを家と呼べなければ、君達を守る魔法の効力が切れてしまうからだ」
「うん……」
「…………」

 シリウスは大きく深呼吸した。

「だが、一緒に住めないからと、血が繋がっていないからと……わたし達の絆は、そんなもので断ち切れるものではない、とわたしは思ってる、いや、願ってる」

 こくり、とまたハリーたちは頷いた。

「わたしは……君達のことを、本当の息子、娘のように思ってるんだ……。君たちさえ良ければ、わたしを……第二の父親と思って欲しい」
「…………」

 シリウスはぎゅっと目を瞑っていた。が、やけに沈黙が長い。堪えきれずにそっと薄目を開ければ、笑いを噛み殺せないといった表情で顔を見合わせる双子が。

「シリウスは、時々すごーく鈍くなるよね」

 ジェームズそっくりの悪戯っぽい瞳でハリーが言う。

「僕達、とっくの昔にシリウスのこと父親のように思ってたよ」
「シリウスもそんな風に思ってくれたらって何度願ったか分からないわ」

 リリーそっくりの優しい顔でハリエットが言う。

「だから、そんな風に言ってくれて……とっても嬉しい」
「ハリー、ハリエット……!」

 感極まった様子でクッと上を見るシリウスに、締まりのない笑みを浮かべた双子。

「何このようやく両思いになったカップルみたいな雰囲気」

 無意識の内に心の声が漏れ出たかと思ったルーピンだが、よくよく見れば、扉からウィーズリー家が顔を出しているではないか。

 皆一様に呆れた顔をしているが、中でも一番目を引いたのはロンだ。自分と同じようにハリーとハリエットの相手をしていたのだと思うと、自然と親近感が湧いてくる。

 ほわほわと甘ったるいこの空気感は一人で耐えきれないと、ルーピンは手招きしてロン達を呼び寄せた。

「協力ありがとう、ようやく収まるところに収まったみたいだ」

 まるで満月明けのような顔でルーピンは笑った。

「いや、これくらい。惚気を聞かされるよりはずっとマシだよ」
「ここまで来るのにどれだけかかったか……。ようやくこの後見人馬鹿の相手をしなくて済むよ」
「それどころか、その二つ名ともおさらばできそうだな。局長がそんな風に呼ばれていては周りに示しがつかないからね」
「これからは親馬鹿と呼んでほしいものだ」

 何故だかシリウスは不満げに言った。どっちでもいいじゃないかとルーピンは閉口する。

「何を堂々と言ってるんだ。ハリーとハリエットだってもう十四歳だ。そういうのは恥ずかしい年頃だろう」
「別に、私達は……」

 戸惑いながらハリエットはハリーを見た。おそらく冷静になればちょっと恥ずかしいと思う事柄かもしれないが、熱に浮かされた今、親馬鹿という言葉がとんでもなく魅力的に聞こえる。

「それに、私達だって、シリウス馬鹿だから……」

 恥ずかしそうにはにかむハリエットに、シリウスはもう我慢ならなかった。

「ハリエット……!」

 吠えるように叫ぶと、逞しい腕でひしと双子を抱きしめる。ミシッと骨が軋んだ音がしたような気すらするが、双子の顔はどちらも嬉しそうなので、きっと気のせいだろう。

「君達お似合いだよ」

 真面目くさった顔でロンがコメントした。当事者以外のその場の皆が、彼の言葉に全力で同意した。