マルフォイ家の娘

01 ―離ればなれの双子―








 深夜をとうに越したホグワーツで、灯りが唯一点されているのは校長室だ。そこには背の高い老人の魔法使いと、真っ黒なコウモリのような見た目の男、そしてこの空間には似ても似つかない小さな赤子がいた。おっかなびっくりに抱く男の腕の中で、まだ一歳ほどの赤子はすやすやと眠っていた。

「して、ウィーズリー家は?」

 一瞬腕の中の赤子に目を落とし、スネイプが囁くような声で尋ねた。

「ぜひとも引き取りたいと言ってくれている。それに、あそこは皆赤毛で、ハリエットもそれほど目立たぬじゃろう。母親の加護が得られなくとも、闇の魔法使いから身を隠すことができる。危険があることも承知してくれている」
「ならば」
「しかし、あそこは末娘が生まれたばかりじゃ。それにこの子と同い年の男の子もいる。もう一人赤ん坊の世話をするというのは厳しいじゃろう……」
「駄目もとで聞きますが、リーマス・ルーピンは」
「揺れておった。じゃが、やはり最後には断られた。月に一度、この子はどこに預ければ良いのかと。それに、自分のせいでこの子まで迫害を受けるのではないかとひどく恐れておる……。わしは、彼にこれ以上無理を通せなんだ」

 ダンブルドアは窓の外に目を向けた。

 ただでさえ、一夜にして全ての親友を失ったのだ。失意にくれる彼に、ダンブルドアはこれ以上説得を重ねることなどできなかった。

 静かになったダンブルドアに、スネイプは躊躇いがちに声をかけた。

「私は、あなたこそこの子の後見人に相応しい方はおられないと思います」
「……わしは後見人にはなれるが、保護者にはなれぬ。それに、魔法省からも苦言が出ておる。わしがこの子の――ハリー・ポッターの妹の後見人になることで、魔法大臣をも凌ぐ影響力を持つことになるのではないかと」
「下らぬ戯れ言です。あなたが魔法省を恐れるとは思いも寄りませんでした」
「……今は、表だって魔法省と対立することは避けねばならぬ。後々、魔法省と共闘せねばならぬ事態になるじゃろう。そうなったときのためにも……」
「では、誰が最適だと? 魔法省は誰に預けるべきだと判断したのですか」

 ダンブルドアは、長い間答えなかった。遠くを見つめながら出した名前は。

「ルシウス・マルフォイじゃ。魔法省は彼に預けるべきだと言っておる」
「なぜ――彼は死喰い人です。証拠がなく無罪にはなりましたが、彼が黒であることは魔法省も周知の事実のはず」
「無罪が故、じゃよ。マルフォイ氏の後援を受けている施設は多い。聖マンゴ病院もその一つじゃ。死喰い人による被害がまだ各地に残存する中、彼の後援を受けられぬとなると、魔法省は痛手になるはず」
「だからといって――この子を引き取ったからといって、マルフォイ家には何の利益もないはずです。そもそもルシウス・マルフォイはこれを承知したのですか?」
「その本人が是非とも、と言うておるのじゃ」

 ダンブルドアが厳しい顔で言った。

「マルフォイ氏は、徹底的にヴォルデモートとの繋がりを排除し、表の世界で生きるつもりじゃ。じゃが、君が言ったように、無罪になったとはいえ、彼が死喰い人であるというのは周知の事実。ハリエットを保護するという名目で、新たな地位を確立するつもりじゃろう」
「みすみすそんな所業を見過ごすおつもりですか」

 呆れと怒りでスネイプは腕に力を込めた。

「我々の思惑で、この子を道具にすると? ルシウス・マルフォイの所へ行けば全てが収まるから、生贄にすると?」
「……この子にも、後ろ盾が必要なのは事実じゃ。ベラトリックス・レストレンジが、ロングボトム夫妻を磔の呪文にかけ、正気を失わせたのは痛ましい事件じゃった……。未だ死喰い人の残党が潜伏しておる中、この子がその二の舞になる可能性はないとも言えんのじゃ。ハリーにはリリーの愛の魔法があるが、この子には何もない……」

 ダンブルドアは痛ましい表情で赤子を見つめた。

「ヴォルデモートがこの世を去った以上、ルシウス・マルフォイは大人しくしているはずじゃ。むしろ、表の世界で生きるために、何としてでもこの子を無事に育て上げるじゃろう」
「――ですが、ですが、この子は両親の敵の仲間に引き取られるということですか。その事実を知ったとき、この子は……」

 スネイプらしからぬ、おろおろとした目で彼はダンブルドアと赤子とを見比べた。ダンブルドアは彼とは目は合わせずに、小さく嘆息した。

 ダンブルドアは、最後までスネイプに期待していた。ならば自分が引き取ると、そう申し出るのではないかと。

 だが、最後まで彼はそう言い出さなかった。彼はまだ割り切れていないのだ。最愛の人、リリー・エバンズの死に。

「わしを許しておくれ……」

 青い瞳を細め、ダンブルドアは赤子を覗き込んだ。自身の四分の一にも満たない小さな手を優しく握り締める。

「両親を失ったばかりか、兄妹とも別れることになるなど……わしの力不足じゃ。許しておくれ……」

 その時、急にノックの音が響いた。二人はパッと扉の方を見やった。ダンブルドアはスネイプに目配せし、スネイプはそれとほぼ同時に自身に目くらまし術をかけた。薄暗い部屋だったことも相まって、スネイプの姿は完全に背景と同化する。スネイプがダンブルドアに赤子を預けると、扉がパッと開いた。

「こんな夜更けに訪問とは、ちと性急ではないかのう」

 慌てた様子もなくダンブルドアはルシウスを迎え入れた。ルシウスは素早く部屋の中を見回す。

「なに、話がまとまったので、ならばことは早い方が良いと思っただけのこと。……その子が?」
「いかにも」

 しばらくの間、二人は微動だにしなかった。やがてルシウスが腕を伸ばせば、徐にダンブルドアも赤子を差し出す。ルシウスの腕に収まると、赤子は小さく身じろぎしたが、目を覚ますことはなかった。

「して、名前は何だったかな?」
「ハリエット・ポッター。まだ一歳と数ヶ月じゃ。大人しく、魔法の発動も少ない。どうやら動物が好きなようでな、ぬいぐるみも、人形よりも動物の方が――」
「結構、私の所にも同い年の息子がいる。あなたに子育てを説かれずとも育てて見せよう」

 冷たい微笑を浮かべ、ルシウスはダンブルドアを見た。視線が交錯したとき、ダンブルドアはひやりとしたものが背筋に走るのを感じた。

 挨拶もそこそこに、さっさと出て行こうとするルシウスに、ダンブルドアは堪らず声をかけた。

「君も親ならば分かるじゃろう。この子達の両親が、どんな思いでこの世を去ったかを。ルシウス、頼む。実の息子と同じように育ててくれとは言わん。せめて、不自由なく、伸び伸びと育ててやってはくれぬか」

 ルシウスは僅かに振り返り、冷ややかな目でダンブルドアを見た。

「安心したまえ。例え――穢れた血の入った赤子でも立派に育てることを誓おう」

 部屋の片隅の空気が変わったことに気づき、ダンブルドアはそれ以上ルシウスを引き留めるのを止めた。願わくば、赤子を連れたまま姿くらましをするという強行をしないだけの常識が備わっていることを願った。そして同時に、母親によく似た赤子の行く末を月に祈った。


*****


 ルシウスがマルフォイ邸に到着したとき、まだ灯りはついていた。門の前に立てば、口を開く前に門がパッと開く。

 マルフォイ邸には気の利くしもべ妖精など皆無なのので、おそらくナルシッサの命令だろう。

 ルシウスは口元を緩め、門を潜った。

 居間には、想像通りナルシッサの姿があった。薄っすらとプラチナブロンドの髪を生やした赤子を腕に抱え、少し疲れた表情でルシウスを出迎えた。

「おかえりなさい」
「まだ起きていたのか?」
「ドラコが起きてしまって。でも少し前に寝付いてくれたわ。もう寝る所だったけど、あなたの姿が見えたから」

 男児であるせいか、ドラコの夜泣きは激しい。将来が楽しみだと、ルシウスは微笑みながら息子の顔を覗き込んだ。

「ルシウス、その子が?」
「ああ」

 ナルシッサの声で、ようやくルシウスは腕の中の存在を思い出した。幸せそうに眠っているその姿からは、つい最近両親を喪ったとは想像もつかない。

「ドビー!」

 短くその名をを呼べば、バシッとやかましい音をたててしもべ妖精が現れた。いつものようにおどおどしながらルシウスを見上げている。

「お前がこの赤子の世話をしろ。ハリエット・ポッターだ。部屋は――二階の奥の部屋で良いだろう。必要なものは後日用意する」
「ど、ドビーめがお嬢様のお世話をするのですか? 本当に? ドビーめが?」
「二度言わせるな」

 舌打ちと共に、ルシウスは赤子をしもべ妖精に押し付けた。あまりに乱暴な手付きだったので、赤ん坊は驚いて目を覚まし、挙げ句の果てには大声を上げて泣き始めた。ドビーはひゃっと驚いて飛び上がり、ドラコもまたこの騒ぎに目を覚まし、呼応するように泣き始めた。

「やっと寝付いたばかりなのに……」

 眉を顰め、ナルシッサは部屋の中を歩き始めた。優しく揺すり、声をかけるが、ドラコはなかなか泣き止まない。

 ハリエットの方はもう完全に目を覚ましていた。目を真っ赤にしながら、きょろきょろと辺りを見回している。舌っ足らずに『まんま!』と叫ぶ姿が哀れだ。ドビーは見よう見まねでハリエットをあやしてみたが、彼女は泣き止まない。

「地下に連れて行け。その子が泣いていれば、いつまでもドラコも泣き止まん」
「で、ですが……」

 ドビーは躊躇ったようにルシウスを見たが、彼の鋭い眼光に口答えをすることなどできず、速やかに地下に潜った。

 冷たい石牢に。

 地下に潜っても、ハリエットはしばらく泣き止まなかった。ドビーは階段から僅かに漏れる光を頼りに、ハリエットの顔を目を細めて見た。

「ああ……あなた様がハリー・ポッターの妹のハリエット・ポッター……」

 長い人差し指を伸ばせば、ハリエットは反射的にギュッとそれを握り混む。ドビーは皺だらけの顔を更にしわくちゃにさせ、泣き笑いのような表情を浮かべた。

「ドビーめは、あなた方にお会いしたいと思っておりました。闇の帝王を倒した、素晴らしいお方……。ですが……ハリエット・ポッター、あなた様にとっては、ここに来ない方が幸せだったのかもしれません」
「まんまあ……ぱあぱ……」

 暗い地下は、余計に恐怖心を与えたのか、ハリエットの泣き声は小さくなったものの、その声はひどく弱々しい。

「ああ……」

 ドビーはつられておいおいと泣き始めた。地下牢は容易に二人分の泣き声を吸収した。

「いつか、いつかあなた様がハリー・ポッターと再会できるよう、ドビーめが立派に育ててみせます。ですから」

 どうか泣き止んでください――。

 ドビーは必死にナルシッサの姿を思い出しながら、ハリエットの身体を全身で揺らした。せめて自分が母親代わりになろう。そう決めた日だった。