マルフォイ家の娘

12  ―裏切り者は―








 最近、ハリー達が素っ気ない。

 三人だけでひそひそ内緒話をしたり、観察するかのようにハリエットをこそこそ見たり、気がつけばハリエットを置いてどこかへ消えていたり。

 仲間はずれのような気分になってしまって、ハリエットは落ち込んでいた。すっかり気落ちしたハリエットは、その寂しさを埋めるように、最近の友人であるスナッフルとじゃれ合うようになった。――そう、ハリエットは、あの黒犬にスナッフルと名前を付けて可愛がっていた。実は、ぶんぶんと音が鳴るくらい激しく尻尾を振る様も大変に可愛らしかったために、それにちなんだ名前も考えていたのだが、僅差でスナッフルに決めた。ハリエットの一番のお気に入りは、スナッフルが鼻をふんふん動かす仕草だったからだ。

 今日も今日とて、温室近くでスナッフルと遊んでいると、後ろから聞き覚えのある情けない叫び声が聞こえた。

「何だその犬は!」
「……ドラコ?」
「早く離れろ! グリムだ!」

 振り返れば、入り口付近でドラコが及び腰でこちらを窺っている。彼が誰のことをグリムと称しているかは一目瞭然だった。

 言葉は分からないだろうに、ドラコの様子から敵意を抱かれていることは野性の勘で感じとったのか、スナッフルは歯を見せて威嚇しだした。余計にドラコが怯えるので、ハリエットは慌ててしまった。

「グリムじゃないわ。この子、とってもいい子なの」

 いかにスナッフルという黒犬に害がないのか、ハリエットは熱弁した。ヒトを噛んだことはないし、ハリエットの話に相槌のようなものを打つほど賢いし、食べ方は綺麗だし、尻尾を振るし、お腹を見せて寝転がるし、ハリエットが帰ろうとすると寂しそうな甘えた声を出すし……。

 ハリエットが話すにつれ、だんだんスナッフルの様子が落ち込んでいくように見えるのは気のせいだろうか?

「身体が大きいだけなのよ。だからドラコも撫でてあげて」

 ハリエットがそう締めれば、途端に近づくなと言わんばかりにスナッフルが唸りだした。普段はこんなことないので、ハリエットは困ってしまった。

 対して、ドラコはこちらに近づくはせず、かといって離れることもしなかった。

「ポッター達と喧嘩でもしたのか?」

 そして急に問われた内容は、今のハリエットの不安の核心を突くもので、彼女はまごついた。

「そういう訳じゃないけど……」
「だから言っただろう。友達は選ぶべきだと。今からでも、君に相応しい友達を見繕ってやる」

 またもスナッフルが低い声を出した。ハリエットは彼の首周りを宥めるように撫でた。

「ドラコ、バックビークのこと……話してくれた?」
「何だ急に」
「ずっと聞こうと思ってたの。どう?」
「……手紙は送った」
「ありがとう!」

 ハリエットはパッと笑みを浮かべた。バックビークが罰せられるかもしれないと聞いて、いても立ってもいられず、ハリエットはついにドラコからルシウスに話をつけてもらうようお願いしていたのだ。もちろんドラコは渋ったが、ハリエットの忍耐勝ちだった。

「私からの手紙は、結局返事がなかったの。でも、ドラコからの手紙なら、お父様は絶対に読んでくれるわ」
「くうん?」

 聞き返すようにスナッフルはハリエットを見上げた。しかしハリエットは特に気にも留めずに彼を撫でるだけに留めた。

「僕が頼んだからって、父上が聞き入れるとは思わないけどな。なんたって、僕は殺されかけたんだから」
「でも、結局は後遺症もなく助かったわ。なのに処刑だなんて……。もしバックビークが処刑されたら、私、もうハグリッドに顔を合わせることができないわ。お父様を止められなかった私の責任だもの……」

 ハッハッと絶えず吐かれていた息が、心なしか小さくなった。何だか身体も固い。スナッフルの顔を覗き込めば、彼はピシリと固まっていた。

「スナッフル、どうかした?」
「スナッフル? 名前なんてつけたのか!」
「だって人懐っこくて可愛かったんだもの」
「僕には威嚇ばっかりじゃないか!」
「ドラコがグリムだなんて言うからよ」
「とにかく、早く来い。もう暗くなってきた」

 ドラコに言われて、ハリエットは渋々重い腰を上げた。スナッフルに別れを告げて歩き出し、入り口のところで最後にもう一度スナッフルを振り返る。すると、彼は相変わらずそこにいて、まるで魂が抜けたようにこちらを見つめている。その姿が印象的で、ハリエットが夜ベッドの中に入ったときも、その時の光景がぼんやり頭に浮かんで消えた。


*****


 ハリエットの奮闘も虚しく、バックビークは処刑が決定してしまった。手紙を受け取ったハリエットは、最近気まずいハリー達を待つことなくハグリッドの小屋に突撃した。

「ハグリッド! ごめんなさい! お父様のせいで、バックビークが――」
「来ちゃなんねえだろうが!」

 涙でぐしょぐしょの顔で出迎えはハグリッドは、なぜかハリエットにそう言った。

「でも……ハグリッド……」
「お前さんのせいじゃねえ。……茶、飲むか?」

 ハグリッドはやかんに手を伸ばした。彼の手はぶるぶる震えていた。

「バックビークはどこなの?」
「俺……俺、あいつを外に出してやった。俺のカボチャ畑さ。繋いでやった。木やなんか見た方が良いだろうし、新鮮な空気も吸わせて、その後で――」

 後半はもう言葉にならなかった。ハグリッドの手が激しく震え、持っていたミルク入れを落としてしまった。

「私がやるわ」
「戸棚にもう一つある」

 ハリエットは床を掃除し、そして戸棚に歩いて行った。

「ハグリッド、私もあなたと一緒にいるわ」
「お前さんは城に戻るんだ。言っただろうが、酷い光景を見せたくねえし、それに夜は危険だ。日が沈む前に帰るんだ」
「でも――あっ!」

 代わりのミルク入れを探して戸棚をかき回していた時だった。唐突にハリエットは声を上げた。

「スキャバーズだわ!」

 ミルク入れの中で丸まるっていたネズミを、ハリエットは反射的に捕まえた。年老いて、しかも指が一本欠けているそのネズミは、紛れもなくスキャバーズだった。

 彼は、ハーマイオニーのペットであるクルックシャンクスに食べられてしまったかと思われていたネズミだった。そのせいでロンとハーマイオニーの仲が険悪になり、更には距離を置かれているハリエットのこともあって、四人の間は近頃非常にギスギスしていたのだ。

 彼女の手の中でキーキー大騒ぎしながら、ミルク入れの中に戻ろうとネズミは暴れる。

 スキャバーズは、以前にも増してボロボロだった。前より痩せこけ、毛がバッサリ抜け落ちている。

「どうしてこんな所に……まさか、クルックシャンクスから逃げるために?」
「そいつがロンのペットか? クルックシャンクスに食べられたはずじゃ……」
「私もそう思ってたんだけど――痛っ!」

 ハリエットの手に、スキャバーズが思い切り噛みついた。血がボタボタと地面に落ち、ハリエットは驚いてスキャバーズを地面に落としてしまった。

「あっ!」

 スキャバーズは、わずかに開いていた窓から外へ逃げ出した。ハリエットはハグリッドへの挨拶もそこそこに急いで小屋を出た。

 ネズミは禁じられた森へと向かっているようだった。ハリエットは必死だった。スキャバーズさえ捕まえられれば、ロンとハーマイオニーが仲直りするかもしれない。ひいては、今はぎこちないハリーとの関係も、元通りになるかもしれない――。

「ペトリフィカス・トタルス! 石になれ!」

 もうすぐ逃げ切れると安心していたスキャバーズに、見事に閃光が当たった。コロッと音を立てて地面に寝転がるスキャバーズを、ハリエットは拾い上げた。

「ごめんね。すぐにロンの所に連れて行ってあげるから」

 動物に魔法を使うなんてあるまじき所業だが、しかしこうでもしないと逃げられてしまうので他に方法がなかった。

 石になって身動きできないネズミを抱え、二人は夕暮れ時を進む。――と、そんなとき、夕日を背に、オレンジ色の何かがこちらに駆けてくるのが見えた。黄色い目を細めているクルックシャンクスだ。獲物に狙いを定めたようなその顔に、ハリエットは嫌な予感がした。

「き、奇遇ね。こんな所で会うなんて」

 ハリエットは咄嗟に猫に声をかけた。

「クルックシャンクス、そろそろ城に戻ったら? ハーマイオニーが心配するわ――」

 その瞬間、クルックシャンクスは地面を蹴った。その跳躍力は目を見張るもので、彼は一気にハリエットに飛びつき、爪でその手を引っ掻いた。ハリエットは悲鳴を上げてスキャバーズを落としてしまった。

「駄目! クルックシャンクス、止めて!」

 石となったネズミに噛みつこうとする猫を、ハリエットは後ろから引き剥がそうとした。猫は暴れてハリエットを引っ掻くが、ハリエットとて真剣だ。ここで手を離せば、今度こそスキャバーズは食べられてしまう!

 そんなとき、救世主が現れた。黒い何かが高く跳躍し、ハリエットの目の前を横切った。

「スナッフル!」

 黒い犬は、猛然と駆け、瞬きをする間もなくスキャバーズの下にたどり着いた。そしてネズミを口にくわえて駆ける。

 てっきり、スキャバーズを安全な所へ連れて行ってくれるものと思っていたが、全くの勘違いだった。なんとスナッフルは、自ら暴れ柳の射程範囲に飛び込んでいったのだ!

「スナッフル、駄目よ! そっちは危ないの!」

 激しく枝を振り下ろし、暴れ柳はスナッフルをなぎ倒そうとする。今のところスナッフルは間一髪で枝を避けているようだが、そのうち直撃してしまうかもしれない。そうなったら一貫の終わりだ。ハリエットは血相を変えてクルックシャンクスから手を離した。

「お願いだからこっちへ戻ってきて! スナッフル!」

 混乱のあまり、ハリエットはいつの間にか暴れ柳の射程範囲内に飛び込んでいたようだ。丸太のように太い枝がハリエットに向かって振り下ろされる。

「――っ!」

 悲鳴すら上げることができず、ハリエットはギュッと目を瞑った。だが、いつまで経ってもやってこない衝撃。それどころか、あまりにも静かだ。ハリエットは恐る恐る目を開けた。

 一番に目に飛び込んできたのは、こちらを心配そうに見ているスナッフルだ。暴れ柳の根元に前足を置いている。相変わらずその口にはスキャバーズがくわえられたままだ。

 暴れ柳は、突如石になったかのように動きを止めていた。木の葉一枚そよぐこともしない。

 ハリエットが困惑にキョロキョロ辺りを見回していると、まるで『向こうへ行け!』とでも言うようにスナッフルは一吠えした。ハリエットは一瞬怯んだが、意を決してスナッフルの元まで駆ける。どういうからくりか、幸いなことに暴れ柳はその間もピタリと動きを止めていた。

 ハリエットが近づくにつれ、スナッフルは不機嫌そうに唸るが、ハリエットは足を止めなかった。

「良い子だから、一緒に戻りましょう。ここは危険だわ――」
「ハリエット!!」

 急に呼ばれてハリエットが振り返れば、丁度透明マントを脱いだハリー、ロン、ハーマイオニーの三人と目が合う。

「皆……こんな所でどうしたの?」
「それはこっちの台詞だよ! 何だって暴れ柳の近くにいるんだ? 正気かい?」

 ロンはビクビクとハリエットと暴れ柳を見比べる。今にも動き出しそうな枝が気になるらしい。

「それが、スキャバーズを見つけたのよ。だから捕まえようと……」
「スキャバーズ? 君、今スキャバーズって言った?」
「ええ、言ったわ。ハグリッドの小屋でスキャバーズを見つけたの。だからロンの所に連れて行こうとしたんだけど、スナッフルがやってきて――」

 再び顔を前に戻したとき、スナッフルの姿は忽然と消えていた。ポカンとする間もなく、暴れ柳が激しい猛威を振るいだした。木の根元にいるハリエットに枝が当たりはしなかったが、それでも目の前で地面が抉れるのを見るのは心臓に優しくはない。

 いつの間にスナッフルは消えたのか、とハリエットがキョロキョロしていると、木の根元にポッカリと穴が開いているのを見つけた。どうやら彼はここから地面の中へ潜っていったらしい。ハリエットはハリー達へ声を張り上げた。

「ロン、スキャバーズはこの先にいるの。地面の中に道ができてるみたい。捕まえてくるから、三人は待ってて!」
「そんな、危ないわ! どこへ繋がってるのかも分からないのよ!?」
「大丈夫よ! 必ず捕まえてくるから!」

 ハーマイオニー達の忠告も聞き流し、ハリエットは穴の中に身を滑り込ませた。

 穴の先はトンネルのような通路になっていた。中を這って進みながら、底まで滑り落ちる。

 自然にできたにしては、あまりにもしっかりしている道だ。それに、地面がしっかり踏み固められている。誰が、一体何のために作った抜け道なのだろう?

 背中を丸めて、できる限り早く進んだ。通路は延々と続いていたが、しばらくして、ようやくトンネルが上り坂になった。やがて道が大きく曲がり、そこからぼんやりした灯りが漏れていた。

 その先には、部屋があった。埃っぽい部屋だ。随分と朽ち果てており、僅かに残っている家具は誰かが壊したかのように破損していて、窓にも板が打ち付けてある。

 部屋を見回していると、不意にギシッと頭上で軋む音がした。ハリエットはすぐさま部屋を出て階段を上がった。

 二階には、開いているドアが一つだけあった。スナッフル達はすぐに見つけられると思っていただけに、ハリエットは少々怖じ気づいていた。まるでお化け屋敷のような雰囲気が漂っていたせいもある。ハリエットは大きく息を吸い込んで静かに部屋の中に入った。

 祈りが通じたのか、部屋の奥にはスナッフルがいた。スキャバーズを前足で押さえつけながら、ハリエットをじっと見つめている。

「スナッフル! 良かった! もう、探したのよ」

 今にでも幽霊が出るのではないかとビクビクしながら近づけば、スナッフルが突然飛びついてきた。当然、あまりにも大きい黒犬の身体を支えきれず、ハリエットはその場にすてんと尻餅をついた。いつものようにじゃれかかっているのだと思っていたハリエットは、ローブのポケットから杖が抜き取られたことに気づかなかった。気がついたときには、スナッフルは先ほどと同じ位置にまで戻っていた。

「良い子だからこっちにおいで。またチキンをあげるわ。だからスキャバーズを――」

 返して、という言葉は、ポンという軽快な音にかき消された。

 ハリエットは唖然として固まった。可愛い黒犬が、いつの間にか、みるみる大きな成人男性へと姿を変えたのだ。ハリエットは己の目が信じられなかった。

「え――えっ?」

 黒い男だった。汚れきった髪がもじゃもじゃと肘まで垂れている。痩せ細った顔の中で、落ちくぼんだ目だけがギラギラと光っている。今年何度も新聞で目にしたシリウス・ブラックだった。

「どうしてここまで来てしまったんだ……」
「す、スナッフル……」
「スナッフルはわたしだ」

 ブラックはすぐにそう告げた。

「わたしはアニメーガスなんだ」

 ハリエットは戦慄する。アニメーガス? スナッフルがシリウス・ブラック? 私は――ずっとハリーの敵に食料を運んでいたの?

「君の名前を教えてくれ」

 唐突にブラックが言った。緊迫した状況下で口にするような台詞には思えず、ハリエットは反応できなかった。

「――君の、名前を」

 ブラックが一歩ハリエットに近づいた。同じ分だけハリエットは後ろに下がり、震える声で言った。

「……ハリエット・マルフォイ……」
「……マルフォイ?」

 ブラックは掠れた声で聞き返した。まるで嫌な臭いでも嗅いだかのように顔がひどく歪む。

「ああ……わたしの最悪な予想が当たってしまった。どうして、どうしてなんだ。どうして君は両親の敵の仲間に引き取られて……」
「――私の両親を知ってるの?」

 思わずハリエットは尋ねていた。ブラックは深く頷いた。

「ああ、知っている。よく知っているとも」
「敵……敵の仲間って……」
「君の言う『お父様』は死喰い人だ。そしてヴォルデモートは君の本当の両親を殺めた。知らなかったのか……?」
「待って……待って……」

 ハリエットはよろよろと後ずさりした。理解が追いつかない。

「お、お父様が死喰い人? 私のお父さんとお母さんは、例のあの人に殺されたの?」

 ブラックが口を開いたとき、階下でギシリと床が軋む音が聞こえた。ハリー達だ、とハリエットは一瞬で理解した。

「来ちゃ駄目! 戻って!」

 ハリエットの声で、余計に足音が騒々しくなった。むしろ階段を駆け上ってくるのを聞いて、ブラックは杖を構えた。ハリエットは思わず彼と扉との間に立ち塞がる。

「退くんだ」
「駄目……駄目! ハリーは殺させないわ!」
「ハリエット!」

 今一番聞きたくない声が後ろからかけられる。ハリエットは絶望した。

「ハリー――今すぐ戻って! シリウス・ブラックよ!」
「エクスペリアームス!」

 ハリエットの注意が後ろにいった隙を逃さず、ブラックがすかさず武装解除をかけた。ハリー、ロン、ハーマイオニーの三人の杖が同時にブラックの手に渡る。

 武器がないまでも、ハリーはキッとブラックを睨み付けた。

「僕達を殺すつもりか?」
「今夜はただ一人を殺す」
「なぜなんだ? ペティグリューを殺すために、たくさんのマグルを無残に殺したんだろう? どうして――」
「ハリー! 黙って、お願い――」
「こいつが僕たちの父さんと母さんを殺したんだ!」

 ハーマイオニーの腕を押しのけ、いきり立ってハリーが飛びかかった。咄嗟の行動にブラックは杖を上げ遅れた。彼はあろうことかハリーの接近を許し、地面に仰向けに倒れるまでになった。ハーマイオニーが悲鳴を上げ、続いてロンもブラックに飛びかかった。無謀にも思える行動だった。しかし、長い間牢獄に入れられ、体力も衰えた痩せこけた男は、血気盛んな十三歳二人組とは良い勝負だった。

「ハリー、ロン!」

 ハリエットとハーマイオニーは、三人のもみ合いに介入しかねた。隙を見て杖を奪い取れないものかとジリジリ近寄ったとき、再びドアが勢いよく開いた。皆が振り向くと、そこには青白い顔のルーピンが立っていた。彼の眼が、立ち尽くすハリエットとハーマイオニーを捉え、そしてもみ合う三人に移った。

「エクスペリアームス!」

 凜とした声は、四本の杖全てを余すことなくルーピンの手に呼び込んだ。ルーピンはブラックを見据えたまま部屋に入ってきた。

「シリウス、あいつはどこだ?」

 ブラック以外の全員が、ルーピンを見た。何を言っているのか理解ができなかった。ブラックはしばし動かなかった。しかしゆっくり手を上げ――頑なに離さなかった石化したスキャバーズを掲げた。

「スキャバーズ!」

 ロンが悲鳴を上げた。

「お前――スキャバーズをどうするつもりだ!」
「そんな……信じられない。なぜ今まで正体を現さなかったんだ?」

 ロンはスキャバーズを取り返そうとしたが、ルーピンがよろよろとブラックに近づいていくことで躊躇する。

「もしかしたら、あいつがそうだったのか……。君はあいつと入れ替わりになったのか……? 私に何も言わずに?」

 ルーピンとブラックが視線を交える。ハリーは堪らず割って入った。

「ルーピン先生、一体何が……」

 だが、その声は途中で途切れた。ルーピンが、構えた杖を下ろし、ブラックを抱き締めたからだ。

「なんてことなの!」

 ハーマイオニーが悲鳴を上げた。

「先生は――先生は、その人とグルなんだわ!」
「ハーマイオニー」

 誰の目にも明らかだった。信じられなかった。

「私、誰にも言わなかったのに!」
「落ち着きなさい、ハーマイオニー」
「先生はブラックが城に入る手引きをしてたんだわ! こ、この人、狼人間なのよ!」

 その場が凍り付き、沈黙が流れた。ルーピンは青ざめていたが、至って冷静だった。

「ハーマイオニー、確かにそうだ。私は狼人間だ。だが、私が狼人間だということは、ダンブルドアも知っている。他の先生方も。説明させてくれ」

 ルーピンは自分の杖をベルトに挟み込んだ。そして残りの杖を一本ずつ放り投げ、それぞれの持ち主に返した。

「これで丸腰だろう? 聞いてくれるかい?」


*****


 それから、ルーピンは順序立てて説明した。忍びの地図の作成者は自分を含めた、ジェームズ・ポッター、シリウス・ブラック、そしてピーター・ペティグリューの四人だったこと、狼人間であるルーピンのために、三人は未登録のアニメーガスになってくれたこと――。

 そして彼は、スキャバーズがピーター・ペティグリューのアニメーガスだというのだ。そしてそれは事実だった。

 スキャバーズが、自分達の目の前で小柄な男性へと変化したことで、信じざるを得なくなった。彼が生きているとなれば、ブラックの罪状が根本から覆されることとなる。ブラックは、秘密の守人は、寸前でペティグリューに変わったのだと言った。裏切り者はペティグリューの方で、ブラックはただ彼に陥れられただけたのだ。

 もしもペティグリューが無実ならば、十二年間もネズミの姿のままでいたことの意図が分からない。死喰い人の仲間による、ヴォルデモート失脚に対する復讐を恐れていたのならまだしも……。

「信じてくれ」

 ブラックは縋るような目をハリーと、そしてなぜかハリエットにも向けた。

「わたしは決してジェームズやリリーを裏切ったことはない。裏切るくらいなら、わたしが死ぬ方がマシだ」
「駄目だ!」

 諦めきれないのはペティグリューだ。這いつくばってハリーの下へ行く。

「ああ……ああ、ハリー、君はお父さんに生き写しだ……そっくりだ。君のお父さんなら、きっと私を見捨てることはしなかっただろう――」
「いいや。裏切るどころか、もう一人の友達を陥れたんだ。父さんなら、きっと許さなかっただろう」

 ハリーの毅然とした態度に怯えたペティグリューが逃げ惑った先はハリエットの所だった。

「ああ、ハリエット。優しいハリエット。君もお母さんにそっくりだ。正義感溢れる優しいリリーに……」
「リリー?」

 リリーとは、ハリーの母親の名前ではなかっただろうか。

 反射的にハリーを見れば、彼は目を見開いたまま固まっていた。ハリエットはハリーと、そしてペティグリューとを見比べる。

「ああ、そうだった、そうだったね。君は両親のことを何も知らなかった……ハリーが、君の友達のハリーが」
「ピーター!」
「双子のお兄さんだと言うことも」
「インカーセラス!」

 ルーピンの呪文によりペティグリューは縛り上げられた。猿ぐつわも噛ましたが、もう全て暴露された後だった。

 ハリーとハリエットは、声もなく見つめ合っていた。外見は全く似ていない。だが、二人とも今でも鮮明に覚えていた。みぞの鏡で見た自分達の片親が、目の前に立つ相手に瓜二つの容姿だったことを。

「一体どういうことだ……? 君達は兄妹だということも知らなかったのか!」

 衝撃で動けないハリエット達の代わりに、ブラックが吠えた。彼はその勢いのままルーピンに詰め寄る。

「リーマス! 一体なぜこんなことになっている!」
「仕方ないことだったんだ……」

 項垂れ、まるで懺悔するかのようにルーピンは首を振った。

「ヴォルデモート亡き後、奴の忠実なしもべ達はヴォルデモートを探していた。フランクやアリスが死喰い人に拷問され、今も聖マンゴ病院に入院しているのは知っているかい?」
「ああ……アズカバンで聞いた。親愛なるベラトリックス・レストレンジの仕業らしいな」

 皮肉めいた口調でブラックは返した。

「そうだ。ヴォルデモートが死んだとは言え、不死鳥の騎士団も多大な犠牲を払っていた。そんな中、少ない人員で死喰い人の残党を捕まえるのは至難の業だった。ハリーやハリエットまでもが、死喰い人の餌食になるかもしれないことが予想された」
「だからといって――なぜ離れ離れに!」
「ハリーが生き残ったのは、リリーの愛の魔法があったからだ。だが、リリーの術は、最も危機に瀕していたハリー一人にしか正しくかからなかった……。ハリエットにリリーの加護はないんだ。……ダンブルドアが重ねてかけた守護の魔法は、ハリーが血の繋がりのある家に住み続けることで継続する。ハリーはダーズリーの家に預けられることで安全が保証されるが、ハリエットは……誰か、ハリエットを充分に守れるだけの力を持つ者に預けなければならなかった」
「どうして君が引き取らなかった!」
「狼人間の私がか……? 定職にも就けない私が、満足にハリエットを育てられると? 死喰い人から守れると? ……いや、正直に言おう。自信がなかったんだ。私のせいで、ハリエットまでもが迫害を受けるのではないかと。一緒に住むことで、ハリエットが狼人間である私のことを嫌うのではないかと……」
「だが――だが、なぜ寄りにも寄ってルシウス・マルフォイにッ!」

 シリウスは壁を横殴りに叩いた。

「丁度その頃、ルシウス・マルフォイの無罪が確定した時期だった。彼は――真実がどうであれ――裁判の場で、ヴォルデモートに服従の呪文で操られていたと公言したんだ。これによって、彼も死喰い人の仲間から逃げなければならない事態になった。――ただ、彼ならば、死喰い人から襲撃されないだけの地位も人脈も、財産もあったんだ。彼なら、ハリエットのことを守れると、そう、我々は判断した……」
「最低な判断だ……」

 押し殺すようにシリウスは呟いたが、彼も分かってはいた。不死鳥の騎士団も壊滅的な打撃を受けていたあの当時、更なる不幸を呼び込むかもしれないハリー・ポッターの妹を誰が預かれるというのか。

「あの……」

 ハーマイオニーが小さく声を上げた。皆が彼女に顔を向ける。

「ハリエットのこと、ダンブルドア先生は引き取れなかったんでしょうか?」
「そうだ、ダンブルドアは!」
「――魔法省が反対したんだ。魔法省は、ダンブルドアがこれ以上力を付けるのを良しとしなかった。ハリー・ポッターの妹の後見人とあらば、世間の支持もダンブルドアただ一人に集まる」
「救いようもない奴らだな……。小さな赤子を敵方に送り込むことに何の躊躇いもないのか――」

 ブラックは片手で顔を覆ったきり、放心したように動かなくなった。ルーピンはため息をつくと、縛ったままのペティグリューを立たせた。

「とにかく、早くピーターを吸魂鬼に引き渡そう」

 逃げ出さないようペティグリューと自分とを縄で括り付け、ルーピンは一行の先頭に立って歩き始めた。ロンとハーマイオニーもその後に続く。

 ハリーとブラック、そしてハリエットだけがいつまでもその場に留まっていた。

「……ハリエット、僕達も行こう……」

 弱々しい声でハリーが声をかけた。だが、ハリエットは微動だにしない。声が届いているかすらも定かではなく、ずっと俯いたままだ。

 チラリ、とハリーがブラックに助けを求める視線を送った。

 初めて名付け子から頼られたことに、ブラックは己を奮い立たせた。ゴホンと咳払いをした後、ハリエットに恐る恐る近づく。

「……君の心中は察する……。わたしが不甲斐なかったばかりに、ペティグリューを信じたばかりに、こんなことになってしまって、本当に申し訳ない思いで一杯だ」

 ハリエットはようやく顔を上げた。

「……お父様は……本当に死喰い人なんですか……?」
「ああ」

 ハリエットの小さな声に、ブラックはすぐに頷いた。

「確実だ。ただ、証拠がなかった。何度我々が『奴は自分の意志でヴォルデモートに従っている』と訴えても、『服従の呪文で操られていた』と一言言われてしまえば、捕まえることは難しくなる。それに、当時の魔法省には奴の息のかかった者が何人かいた。それ故立証は更に難しくなった」

 服従の呪文に操られただけの人間がヴォルデモートの右腕になれるわけがないのに、とブラックは悔しそうに付け足す。ハリエットは更に下を向いた。そのせいでポタリと地面に水滴が落ちる。

 理解はした。だが、感情が追いつかない。

 ――私は、両親の敵の仲間に育てられていたのだ。父と敬い、時には恐れ、どうして自分を愛してくれないのだろうと何度悲しみに暮れたかも分からない。彼が実の父でないと分かった後でも、それでも育ての父なのだからと親しみと感謝を持っていた。なのに――なのに。

 ハリエットは裏切られたような気がしてならなかった。そして自分も、両親を裏切っていたような気分に陥り、ひどく打ちのめされていた。