マルフォイ家の娘

06 ―二人だけの世界―








 あまり期待していなかったが、クリスマス当日には、たくさんのプレゼントをもらうことができた。ハリーやロン、ハーマイオニー、ハグリッドなどなど……。ナルシッサからも手作りのお菓子をもらい、今年もちゃんとドラコからプレゼントがあったので、ハリエットはホッとしてしまった。休暇に入るまでに結局ドラコとは仲直りできなかったので、もしかしたらまだ怒ってるのかもしれないと思ったからだ。

 ひょっとすると怒りは冷めていないのかもしれないが、プレゼントをくれるということは、それほど激しい怒りではないのかもしれない。ハリエットはすっかり安心してプレゼントを手に談話室に降りた。

 談話室では、ハリーが銀色の布のようなものを広げながら興奮した様子でロンと話していた。ハリエットはその布を見てハッと息をのんだ。

「ハリー――それ、もしかして透明マント?」
「知ってるの?」

 紅潮した頬で、ハリーとロンがぐりんと振り返った。ハリエットは頷く。

「お父様が持ってるのを見たことがあるの。ドラコが羨ましがってたわ。でも、とても貴重だから使わせてもらえなくて……ハリー、それどうしたの?」
「誰かからもらったんだ! クリスマスプレゼントに! 父さんがこれをその人に預けてたんだって」
「うわあ、すごい。ハリー、それ、使って見せて!」

 ハリエットがはしゃいで言うと、ハリーも悪い気はしないのか、嬉しそうにマントにくるまった。すると、途端に首から下が背景と化す。まるで生首が浮いているような光景に、ハリエットは感嘆を通り越して少々引いてしまった。

「す、すごいわ」
「マントと一緒に入ってた手紙には、上手に使うようにって書いてあったんだ。早速今日――」

 階段から誰かが降りてくる音がして、ハリーは途端に口を噤んだ。透明マントの存在は、もちろん友達以外には口外したくないようだ。

 その時ハリーが何を言おうとしていたかについては、翌日になってはっきりした。興奮した様子で深夜の冒険について話してくれたからだ。

「僕、両親に会えたんだ! 不思議な鏡があったんだよ。父さんは僕にそっくりだったし、母さんはとても綺麗な人だった」
「起こしてくれれば良かったのに」
「私も見てみたかったわ。ハリーのお父さんとお母さん……」
「今晩一緒に来れば良いよ! 僕、また見に行くつもりだから。二人に鏡を見せたいんだ」

 ロンとハリエットが至極残念そうな口ぶりだったためか、ハリーは快諾した。朝食すら一口も食べずにどれだけ鏡が素晴らしかったか、両親に会えたことが嬉しかったかを話している。

 まるで熱に浮かされたように話すハリーに、ハリエットは少し違和感を覚えたが、特に気に留めなかった。休暇中ということもあって、気分が高揚しているのだろう。ハリエットとて、今年のクリスマスは今までで一番良い思い出になりそうだと思っていたからだ。

 ただ、何も食べようとしないハリーにオートミールを勧めながらロンが呟いた言葉は、ハリエットを現実に引き戻すには充分だった。

「もしかしたら、その鏡は亡くなった人だけを見せるのかもしれないな」

 ――亡くなった人。自分が覗けば、その鏡は一体何を映すのだろう。

 ハリエットは、自分の両親の顔を見たくて堪らなかったが、同時に、そんな形で両親の訃報を知るのなら、一生見なくて良いとも思った。

 決心が固まらないうちに夜はやって来た。透明マントは、十一歳の少年少女の身体を三人分、容易に覆い隠してくれた。ハリーの言う鏡の部屋はなかなか見つからなかったが、一時間を過ぎた頃、ようやくたどり着いた。部屋を開けた瞬間、ハリーはマントをかなぐり捨てて鏡に向かって走る。

「ほら、見てよ! ね?」

 ハリーは囁いたが、ハリエットが近づいてみても、鏡にはハリーの顔しか映っていなかった。

「何も見えないわ」
「ロンも見てよ! 見えるだろ?」
「僕も見えないよ」
「ちゃんと見てみて。僕の所に立ってみて」

 無理矢理鏡の前にロンを立たすと、ロンの顔は、やがて興奮で輝いた。

「僕、首席だ!」
「何だって?」
「僕、ビルが付けてたみたいなバッジを付けてる。それに、最優秀寮杯とクィディッチ優勝カップを持ってる……僕、クィディッチのキャプテンもやってるんだ!」

 ロンはすっかり鏡の虜だった。

「この鏡は未来を見せてくれるのかな?」
「そんなはずないよ。僕の家族はみんな死んじゃったんだ……ハリエットは?」

 鏡の前から離れまいとするロンを何とか端に追いやり、ハリーはハリエットの手を引いた。ハリエットは恐る恐る鏡と目を合わせた。

「ああ……」

 そこにいたのは、とても綺麗な女性だった。特徴的に、一瞬自分が大人になった姿かとも思ったが、目が違う。女性の目は、明るい緑で――どこか既視感を覚える。この瞳を、つい最近も間近で見たような……。

 ハリエットは、女性が泣いているのに気づいた。優しく微笑みながら泣いている。そんな彼女を、まるで慰めるようにして肩を抱いているのは背の高い細身の男性だ。眼鏡をかけていて、髪がくしゃくしゃしている。

 紛れもなく、この二人が――私のお父さんとお母さんなのだ!

 ハリエットは興奮してにっこり笑った。

「私も見えるわ……私のお父さんとお母さん……」
「本当!?」

 反射的にハリーも鏡を覗き込んだが、そこにはハリエットの顔が映るのみで、彼女の両親など欠片も見えない。鏡の前に立つ者だけが、そこに映り込む何かを見ることができるのだ。

 永遠に鏡の前に立っていたいという衝動と戦うのは容易なことではなかった。だが、フィルチに見つかることを危惧したロンに無理矢理寮に連れ戻され、その日の冒険は幕を下ろした。

 とはいえ、すっかりあの不思議な鏡に魅入られたハリーとハリエットは、翌朝になっても、今夜鏡の部屋に行くと言って聞かなかった。ロンはほとほと困り果てた。

「君達、ちょっとおかしいよ。それに、あの鏡は何かおかしい。悪い予感がするんだ」
「おかしいって、何が? とても素敵な鏡だよ。あそこに行けば、いつでも父さんと母さんに会える」
「私も、まだ見たりないわ。昨日はちょっとしか見られなかったもの」
「行っちゃ駄目だってば。ハリエット、ホグワーツの先生や肖像画にパパとママの話を聞くっていうのはどうなったの? 鏡を見ていても、手がかりは見つからないよ」
「でも、マクゴナガル先生は知らないって言うし、ハグリッドだって、すぐにしらばっくれるわ。私の組み分けの時、ハグリッドが泣いてたから、何か知ってるんじゃないかってハーマイオニーがアドバイスしてくれたけど……」

 要は、お手上げ状態なのだ。折角ホグワーツに来たのに、両親の名前すら分からない状態だ。不思議な鏡のおかげで、ようやく父と母の外見だけでも知り得たくらいだ。少しくらい鏡の恩恵にあやかってもバチは当たらないのではないだろうか。

 ロンの制止を振り切って、ハリーとハリエットはその夜も鏡の部屋に出かけた。どちらが鏡を先に見るかで危うく二人は喧嘩しそうになったが、やがて隣同士に座り、同時に鏡を見ることで手打ちとなった。

 ハリエットは、しばらくの間、微動だにせずじいっと鏡に見入っていた。昨夜は驚きと感激のあまり、注意深く見ることもできなかったが、今夜ばかりは、余すことなく観察できるだけの冷静さが残っている。

 違和感にはすぐ気づいた。半ば無意識のうちにちらりと横を見れば、ハリーもまた丁度こちらを見たところだった。先に口を開いたのはハリーだ。

「昨日も思ったけど、やっぱりそうだ……。母さんは、ハリエットにそっくりなんだ」
「ハリーもよ。ハリーも、私のお父さんにそっくりなの――」
「二人とも、また来たのかね?」

 突然後ろから声をかけられ、二人は飛び上がった。振り返れば、そこには穏やかな表情を浮かべたダンブルドアが立っていた。

「この鏡は、『みぞの鏡』という」
「みぞの、鏡?」

 いつからそこにダンブルドアがいたのか。なぜ自分達の存在に気づいたのか。そんな疑問は、鏡が見せてくれる幻想に比べたら些末なことだった。

「今まで何百人もの人がこの鏡の虜になった。君達は、この鏡は何を見せているのだと思うかね?」
「何か欲しいものを見せてくれる……なんでも自分の欲しいものを……」

 悩みながら言うハリーに、ダンブルドアは微笑んだ。

「当たりでもあるし、はずれでもある。鏡が見せてくれるのは、心の一番奥底にある一番強い『のぞみ』じゃ。そのために、みんな鏡に映る姿に魅入られてしまったり、発狂したりしたのじゃよ」

 心当たりはあった。友達の忠告を聞き入れもせず、自分達は今ここにいるのだから。

「この鏡は明日、余所に移す。もうこの鏡を探してはいけない。たとえ再びこの鏡に出会うことがあっても、もう大丈夫じゃろう」

 マントを被り、ハリーとハリエットは立ち上がった。もう鏡に心を奪われることはなかった。

 ダンブルドアと一緒に部屋を出、人気のない廊下をひたひたと歩く。ふと違和感を覚え振り返ると、彼の姿は、霞のように忽然と消えていた。


*****


 賢者の石を狙っていたのは、スネイプではなくクィレルだった。クィレルの後頭部にヴォルデモートが住み着き、彼に命令していたのだ。残骸になってしまった己の命を長らえさせるために、賢者の石を手に入れろと。

 ハリー達四人は、協力して何とか賢者の石を守り切った。特に満身創痍だったハリーはずっと医務室のベッドで眠り続け、目が覚めたのは三日後だった。

 たまたまハリーが目覚めたという知らせを一番に受け取ったハリエットは、一足先に彼の見舞いに行っていた。クィレルと戦った後のことを覚えていないハリーに、ここ三日間のことを話していると、ダンブルドアがやって来た。彼は、賢者の石のその後と、どうしてハリーが助かったのかという話をした。

 ハリーの母、リリー・ポッターが、己の命を賭して掛けた愛の守護により、ハリーが守られたという話は、とても繊細で重要な話だ。ハリエットは、こんな大切な話を自分も聞いて良いものかと焦ってしまったが、ハリーも、なぜかダンブルドアでさえも何も言わなかったため、ハリエットは自ら退出するタイミングを失ってしまった。

 結局全て聞き終えたハリエットは、感慨に耽っていた。胸を打たれる話だと思った。リリーは、ハリーのことを心から愛していたのだ。自分が犠牲になってでも、ハリーのことを守りたかったのだ。そしてその想いは、十年経った今でも持続している。なんて素晴らしい愛の形だと思った。

「さて、わしはもう行くとしよう」

 ハリーの質問に答えると、ダンブルドアは立ち上がった。

「友人の語らいの邪魔をする者はヒッポグリフに蹴られて死んでしまうことじゃろうて」
「ダンブルドア先生」

 ウインクして早々に立ち去ろうとする彼を引き留めたのはハリエットだった。一瞬ハリーを見て、またダンブルドアに向き直る。

 ハリーもいるこの場で聞くのは少々躊躇われた。だが、この場を逃してしまっては、今後聞く機会がないかもしれないし、ハリーの母親の話を、不可抗力にしろ聞いてしまったのはハリエットも同じだ。――それに、ハリーなら構わないという思いもあった。

「私の両親のことを何か知りませんか?」

 小さく尋ねたハリエットは、ハリーが息を呑むのが分かった。ダンブルドアの様子は変わらない。じっとこちらを見つめている。

「私の実の両親のことを」

 ――クリスマス休暇以降、ハリエットは、それまで以上に両親のことを聞いて回った。ホグワーツの教師にも、肖像画にも。だが、皆が皆口を固く閉ざしていた。何かを隠していると感じ始めたのは、揃いも揃って皆が視線を落とすからだ。特にハグリッドは、いつも盛大に口ごもるし、動揺する。明らかに何か知っている様子なのに、しつこく尋ね回るハリエットを前にしても――彼にしては珍しく――ちっとも口を滑らせてはくれなかった。

 困り果てたハリエットは、ピーブズにまで尋ねた。私の両親について何か知らないか、と。

 玩具が向こうからやって来たピーブズは、それはそれは喜々としてハリエットに悪戯しまくった。お騒がせポルターガイストが、真正面から投げかけられた質問に答える訳がないと分かりきっていたはずが、それほどまでに現状がお手上げだったということだ。

 ただ、収穫はあった。半泣きになるハリエットを見て満足したのか、ピーブズは独り言のように漏らしたのだ。『父親には似ても似つかないなあ』と。

 全身泥まみれになってしまったことなど途端に頭から抜け落ち、ハリエットは父のことを知っているのかとピーブズに詰め寄ったが、当然彼の方が一枚上手で、ハリエットはローブを近くの像に引っかけられ身動きができなくなり、外そうと奮闘している所にフィルチが通りかかり、廊下を泥だらけにした罰則を受ける羽目になった。

 それからもハリエットは諦めず、口の軽そうなピーブズやハグリッドの所へ押し掛けたが、今の今まで大した収穫は得られなかった。

 ここまで来ると、さすがのハリエットも勘づいていた。

 絶対に何かを知っているのに、頑として口を割らない理由。誰かが、この件について口を閉ざすように指示していたとしたら。ホグワーツの中で、一番影響力があるとすれば誰か――。

「……君のご両親は」

 長い沈黙の末、ダンブルドアはようやく口を開いた。

「実に勇気溢れる素晴らしい人達じゃった。まさにグリフィンドールを体現するような」

 ボロボロと己のローブに涙が吸い込まれていくのが分かった。ハリエットは必死に言葉を紡ぐ。

「……私のお父さんとお母さんは、もう亡くなってるんですね?」
「……誠に惜しい二人を失ったものじゃ」

 ガンと衝撃を受け、ハリエットはフラフラと後ずさった。次から次へと涙が溢れてくる。惨めな嗚咽が漏れ出て、自分ではそれを止めることができない。

 分かっていたはずだったのに。覚悟していたはずだったのに。

 いざ真実が明らかになると、ハリエットはもうその場に立っていられなくなった。病み上がりのハリーがおずおずとベッドから出て、ハリエットをぎこちなく抱き締める。宥めるように背中を撫でられるが、ハリエットは何の反応も返せなかった。

 泣いているときに抱き締めてくれるのが、お父さんとお母さんだったら。

 そんな風に思ったのは、今までに幾度とあった。そしてその願いは、これからも叶うことはないのだ。


*****


 もうすぐ学年度末パーティーだというのに、またもやハリエットの姿がない。

 もしや、医務室のベッドのお世話になっている『英雄』などの所にいるのではないかと勘ぐったドラコは、馬鹿食いするクラッブとゴイルを残したまま、一人二階へ向かっていた。

 階段を上がりきった所で、ダンブルドアと出くわした。反射的にドラコは顔を顰める。

「こんにちは、ドラコ。パーティーには参加しないのかね? 今日はたくさんのご馳走が出るじゃろう」
「どこへ行こうが僕の勝手です」

 素っ気なく言い放ち、歩き出そうとするが、なおもダンブルドアは声をかけてくる。

「もしかして、ハリーの見舞いかね?」

 嫌味か。

 怒りを通り越して呆れが襲ってきて、ドラコの足は自ずと止まった。

「ポッターの怪我は自業自得では? 立ち入り禁止区域に首を突っ込んで冒険を求めるなんて。――ああ、そうでしたね。ポッターはグリフィンドールだ。さぞ勇敢な心が騒いだに違いない」
「その中にはハリエットも入ってることを忘れてはおらんじゃろう?」

 ドラコはグッと詰まったが、すぐに静かに言い返す。

「……ハリエットは、自分から危険に飛び込んだりしない。ポッターがそそのかしたに違いない」
「確かに、ハリエットは純粋に賢者の石を守ろうと三階へ向かったのではないじゃろう。じゃが、友を守ろうと危険に飛び込む決意をするのも、また素晴らしいグリフィンドール魂じゃとわしは思うがの」
「綺麗ごとを」

 吐き捨てるようにしてドラコが言うと、ダンブルドアは一層口角を緩めた。

「ドラコ、君がハリエットの支えになってくれるとわしは信じておる」

 急に脈絡のないことを言いだしたダンブルドアに、ドラコは眉間の皺を深くした。

「ハリエットを守ってやっておくれ」

 だが、彼はそんなドラコを意にも介さず、言いたいことだけを言うとそのまま階段を降りていこうとする。言われっぱなしは割に合わないと、ドラコは彼の後ろ姿に向かって叫んだ。

「あなたにそんなこと頼まれる筋合いはありません」

 言われるまでもない。ダンブルドアなんかに頼まれなくても。

 腹立たしい気持ちでドラコは医務室へ向かった。気分は最悪だ。もし本当にハリーのところにハリエットがいれば、ドラコの心は更に荒れることだろう。

 珍しく、医務室のドアはわずかに空いていた。几帳面なマダム・ポンフリーらしくない。それとも、ダンブルドアもここを訪れ、うっかり扉を閉めきらなかったのか。

 何気なくドアに手をかけた所で、その僅かな隙間から声が聞こえた。――いや、話し声ではない。微かに聞こえるのは嗚咽だ。泣き声が漏れ聞こえていた。

 震える手で、ドラコはドアを開く。医務室のドアは、ほんの僅かでも軋みはしなかった。そのためか、中にいる人にはドラコの訪れは気づかれない。中にいたのは二人の少年少女だった。

 窓から差し込む光に形取られる影は一つ。二人は抱き合っていた。少女は腰の力が抜けたように地面にへたり込み、そんな彼女を、少年は慰めるようにして抱き締めている。

 二人だけの世界。

 何者の侵入をも許さぬ空気。

 ドラコはまるで縫い止められたようにその光景から目を離せなかった。へたり込んでいるのはハリエットで、彼女を抱き締めているのはハリーで、押し殺すように泣いてるのはハリエットで、痛ましい表情で彼女の背中を撫でているのはハリーで。

 ドラコは、目の前の光景を信じることができなかった。