マルフォイ家の娘

07   ―亀裂―








 ハリエットは、呆れるほどよく泣く。ドビーが自分を痛めつけるから、屋敷しもべ妖精がひどい扱いを受けるから、ドラコが怪我をしたから。

 ――いや、本当にそうだっただろうか。自分が最後に妹が泣いたのを見たのはいつだっただろうか。

 あんなに切なく、まるでこの世の全てを嘆くかのようにむせび泣いたことは、今までに一度だってあっただろうか。

 ――いや、一度だけあった。

 『お父様』が自分に冷たいと。

 『お母様』が自分に無関心だと。

 そうポロリとドラコに零したことがあった。当時のドラコは彼女の言葉をほとんど気にしていなかった。当主である父が嫡男に甘いのは仕方ないことだし、母親は息子を可愛がるものだ。確かに少しばかり両親のハリエットへの扱いがぞんざいに思えることはあったが、別に屋敷しもべ妖精に対するように暴力を振るったり、暴言を吐いたりしている訳ではないし、誕生日やクリスマスのプレゼントもある。ハリエットが気にしすぎなのだと、幼いドラコは考えていた。

 ドラコは、自分のいない場所での妹の扱いを知らなかった。自分が両親と話しているときの、妹の表情を知らなかった。両親と話しているとき、ハリエットもその輪の中に混ざっているような感覚に陥っていた。客観的に見ることをしなかった。

 ドラコが勘違いに気づいたのは、その日の夜だった。

 クィディッチ観戦に連れて行ってもらう約束を父に取り付け、ほくほくした顔で寝室へ戻ろうとしたとき、ハリエットの部屋の扉が開いているのに気づいた。そこからは、僅かに光が差し込み、そして同時に小さな泣き声が漏れてもいた。

 驚いてその隙間から中を覗き込めば、ベッドのすぐ脇にハリエットがいた。あろうことか、しもべ妖精のお腹に抱きつき、彼の衣服である汚い枕カバーに顔を押しつけているではないか。

「だって、全然似てない! 私、二人に全然似てないもの……!」
「お嬢様、そんなことはありません。見た目が似ていなくても……」
「それに、私のこと嫌ってる! ドラコみたいに抱きしめてもらったことなんて、一度もないわ!」
「お嬢様……」
「私っ……二人の本当の娘じゃないんだわ!」

 鋭く飛び出した台詞は、ドラコの心臓を射貫いた。その衝撃でドラコはよろよろと後ずさる。

 まさか、何だって?

 どんな思い違いで、自分達が兄妹じゃないなんて、そう思えるんだろう――。

 だが、考えても考えても、ハリエットの言葉を否定する材料が見つからない。むしろ肯定する類いのものばかりだ。

 確かに、ハリエットはマルフォイ家の誰にも似ていない。祖父母にも、親戚にもハリエットのような赤毛はいない。

 ハリエットが母親に抱き締められているのを見たことはあっただろうか。父親に肩を叩かれたことはあっただろうか。

 ハリエットは、なぜ外出を許されない? 自分が社交界に出るのは、嫡男だからという理由だけにしても、あまりにもハリエットの自由がない。まるで、軟禁だ。なぜ今まで気づかなかったのか。

 ハリエットに向かって両親が話しかけたことなど、思い返してみれば、ほんの僅かではなかったか。自分がハリエットに話しかけることで、辛うじて家族の会話の形を保っていたのだ。そのことに、今更ながら気づく。

「私の家族は、ドビーだけよ」

 縋り付くようにしてドビーを抱き締めるハリエットを見て、ドラコは己の心にヒビが入ったのを確かに感じた。そのヒビは、時が経っても一向に直る様子はなく。

 ――そして今。

 今もまた、ドラコの心に大きく裂け目が入ったのを感じた。

 ハリーとハリエット。

 寄り添う二人との間は数メートルも離れていないのに、ドラコと彼らとの間には、途方もなく深い崖がそそり立っているような気がした。


*****


 一年近く過ごしたホグワーツを去り、いよいよ自分達の家へ帰宅する日がやってきた。

 ハリエットはその日、しばらく会えなくなる友人達と最後の語らいをしようと意気込んでいたが、ホグワーツ特急に乗り込む際、ドラコに拉致されてしまい、結局それは適わなかった。

 ドラコが連れて行かれたコンパートメントは、初めてホグワーツ特急に乗った時と同じように、向かいの座席をクラッブとゴイルとで占領されていた。途中でパンジー・パーキンソンがやって来て、ドラコの隣に座りたそうな顔をしたが、ドラコは素知らぬ顔をした。パンジーは思い切り不満そうな顔でハリエットを睨み付け、退散していった。

 ハリエットを強引に拉致した割には、ドラコは一言も話さなかった。だらしなく窓枠に肘をつき、外を眺めている。頼みの綱のクラッブとゴイルは、相も変わらず休む暇なくお菓子を食べ続けている。こんなことなら、やっぱりハリー達と同じコンパートメントが良かったとハリエットはため息をつく。どうせ、休暇中は嫌でも毎日ドラコと顔を突き合わせるのだ。ホグワーツではなかなかドラコと話すことができず寂しく思っていたが、逆に休暇中はハリー達と話せなくなるのだから、何ともタイミングが悪い。

「……何か」
「えっ?」

 不意にドラコが口を開いたので、ハリエットは驚いて聞き返した。

「何か……悲しいことがあったのか?」

 息を呑み、ハリエットはマジマジとドラコの横顔を見つめた。

 どうして分かったのだろう。

 とはいえ、ハリエットは、表情に悲哀は出ていないはずだという自信があった。というのも、今、特別に悲しい思いはしていないからだ。確かに、両親が亡くなっていたというのはハリエットの心を押しつぶしそうになったが、もともと覚悟はしていたのだ。ひとしきり泣けば一旦は悲しみに蓋をすることができたし、それに、新しい目標もできた。――父と母が、生前どんな人物だったのかを知ること。

 新学期には、今まで頑として口を割ろうとしなかった教授達にも、再度アタックするつもりだった。くよくよしている暇は無い。

 ハリエットは、両親のことについて、ドラコに話そうか迷いあぐねた。別に、彼に父と母の死について話すことに抵抗はない。しかし、ここにはクラッブとゴイルもいるのだ。彼らのことが嫌いなわけではないが、マルフォイ家の内情とも言えるナイーブな話をこの場で口にするのは躊躇われた。

 ドラコには、また今度話そうとハリエットは先送りにした。ドラコは、ハリエットのことを大切に思ってくれている。実の両親が実は死んでいたなどと言えば、悲しんでしまうだろう。彼は、家族のことを非常に大切に思っている。だからこそ、家族を失ったときの気持ちもまた強く共感してしまうだろう。

「何もないわ。大丈夫。ちょっと試験の成績が気にかかっただけ」

 そうか、とドラコは小さく呟いた。どこか失望したような感情が込められていたような気がしたのは、気のせいだろうか。

 キングズ・クロス駅に到着すると、ハリエットはドラコの後に続いて汽車を降りた。ハリエットのトランクは、何を言うでもなく黙ってドラコが持ってくれた。

 九と四分の三番線を抜け、遠目にルシウスとナルシッサの姿を見つけたドラコは、すぐに歩き出した。だが、反対方向に親友達の姿を認めたハリエットは、慌てて彼を呼び止める。

「ドラコ、先に行ってて。私、ハリ――あっ、友達に挨拶をしたくて……」

 不愉快そうにドラコは眉をしかめた。中途半端に飛び出した名前に思い出すのは、医務室でのあの忌まわしい記憶。

「駄目だ。父上を待たせるつもりか?」
「ちょっとだけよ。お願い。夏休みはずっと会えないのよ。ね?」
「行くぞ」

 ドラコは聞く耳持たなかった。グイグイと一方的にハリエットの手を引っ張る。ハリエットは唇を引き結び、渾身の力で逆にドラコを引っ張った。

 ハリエットの力ではドラコを引っ張ることは敵わなかったが、それでも彼の足を止めることには成功した。彼の注意を引くことにも。

「なんだ? 早く行くぞ」
「……ちょっとくらい良いじゃない」

 思っていた以上に低い声がハリエットの口から漏れる。

「休暇中は、ずっと家に籠もりきりになるのよ。最後の挨拶くらい良いじゃない」
「…………」

 ドラコの瞳が揺れ、僅かにだが力が緩まる。ハリエットはパッと腕を引き抜くと、身を翻して駆け出した。

「ハリー、ロン、ハーマイオニー!」

 ハリエットが喜々として呼べば、三人は揃って振り向いた。ハリエットの姿を認めると、三人の目はドラコを警戒するように辺りを這い、そして近くに彼がいないことを明らかにすると、ようやく笑みを浮かべた。

「良かったわ、ハリエットにさよならも言えないのかと思った」
「マルフォイに拉致されたから、このまま新学期が始まるまでもう会えないかと」
「マルフォイもそろそろ妹離れした方が良いんじゃないか?」
「ロニー坊やには兄離れが必要かな?」

 すぐ側を通りかかったフレッドとジョージが、すれ違い様にロンをからかっていく。ロンは髪と同じくらい真っ赤になった。

 変わらない光景に、ハリエットはクスクス笑い声を立てる。

「でも、ハリーの言う通り、夏休みは会えないと思うわ。とっても残念」
「なんで会えないの? 遊ぼうよ。ハリーやハーマイオニーは無理かもしれないけど。ダイアゴン横丁だったら行けるだろ?」
「それが無理なのよ。私、あんまり外出を許可されてなくて」

 マルフォイ家の内情を話すと、きっと一番にロンが怒り出すこと必至なので、ハリエットは早口で言ってのけた。そして彼が口を挟む間もなく続ける。

「でも、手紙はたくさん送るわね。ウィルビーには頑張ってもらわなくちゃ!」

 ハリエットが笑顔で檻の中のウィルビーを見ると、彼女は乗り気ではない鳴き声を上げた。よっぽどハリエットから離れたくないらしい。

「僕もたくさん手紙書くよ。君達の手紙がなきゃ、きっとこの夏乗り越えられそうにないから」

 ハリエットなど比ではない程惨めな夏休みを送るだろうハリーに、三人の同情の視線が注がれた。ダーズリー家でのハリーの扱いは、彼から直接聞き及んでいる。階段下の物置に住まわせるなんて、なんて仕打ちだろう!

「おい、小僧! さっさとせんか! お前のために一日を潰すわけにはいかん!」

 すぐ側で突然怒鳴り声がし、ハリエットは飛び上がった。ロンやハーマイオニーも度肝を抜かれたようで、マジマジと今まさに怒鳴った人物――でっぷりと肥え太った男性を見つめる。

「アー、そろそろ行かなきゃ」
「ハリー……まさか、あの人がバーノン?」

 恐る恐るといった風にロンが尋ねる。ハリーは苦笑して頷いた。

「マーリンの髭! あの人、すごく……その、理不尽そうだ。スネイプとは違うタイプの」
「楽しい夏休み……あの……そうなればいいけど」

 ハーマイオニーもショックを受けたようにもごもご言う。バーノンのような人種が存在していることが信じられないのだろう。

 ハリエットもハリーに鼓舞と別れの言葉を口にしようとしたとき、突然右腕を何者かに掴まれた。ギリギリと痛いくらいに手首が締め付けられている。

 驚きと共に顔を上げれば、極限まで目を見開いた女性と目が合った。痩せこけた女性で、ハリエットには見覚えがなかった。

「あ、あの……?」
「伯母さん、どうしたの?」

 控えめにハリーが声をかけた。ハリーの知り合いかと、ハリエットは驚いたようにハリーと女性とを見比べる。

「名前は」
「えっ?」
「名前は何?」

 まるで詰問するかのような口調だが、ハリエットは問われるがまま答える。

「ハリエット・マルフォイ……」
「マルフォイ?」

 女性の柳眉がキュッと寄った。濃く紅を塗った彼女の唇は、血の気を失うほど強く唇を噛みしめられていた。

「僕の友達だよ。伯母さん、ハリエットがどうかした?」

 ハリーがやんわり割って入ると、ようやく女性はハリエットの腕を離した。そして、ハリーの問いに答えるでもなく、フラフラと背を向けて夫と息子の元へ戻る。

「大丈夫ですか?」

 ハリエットも思わずその後ろ姿に声をかけたが、返事はない。おろおろとハリーを見れば、ハリーもまたお手上げだと肩をすくめた。

 そうこうしているうちに、本格的に別れの時間だ。ロンはハリーの肩を叩いた。

「ハリー、僕、君んちに必ず話電するから!」
「ロン、電話よ電話。ハリー……あの、無事ホグワーツでまた会えることを祈ってるわ」
「ハリー、元気でね! 私もたくさん手紙書くわ。誕生日プレゼントだって絶対に送るから!」

 自分なりの鼓舞をし、ハリエット達はハリーを勇気づけて見送った。改札の所では、ダーズリー一家がまだかまだかとイライラと貧乏揺すりをしている。

「皆、ありがとう! またホグワーツで会おう!」

 手を振り、ハリーは慌てて駆け出した。あまりのんびりしていると、夏休み一日目から食事抜きになるかもしれない。

「早く行くわよ!」

 ペチュニアが苛立ったように声をかけた。人目のある場所で、バーノンではなくペチュニアが叱りつけるのは珍しい。先ほどのハリエットのことも相まって、ハリーは内心大いに首を傾げながら、大人しくダーズリー一家の後を追った。


*****


 ハリーから手紙の返事が来ない。

 ハリエットは真っ白な羊皮紙を前に、ぐーっと伸びをした。

 異変に気づいたのは、夏休みも三週目を過ぎた頃だ。休暇が入って早々二日目で手紙を送ったハリエットは、男の子は筆不精だと聞くし、と一週間が経っても返事が返ってこないことを気にしなかった。だが、数日後、二度目に送った手紙にも返事が来ないとなると、これはさすがにおかしい。

 ハリーの性格上、いくら返事を書くのを面倒に思ったとしても、二度も無視することはないだろう。絶対に何かあったのだ。

 始めは、初めてウィルビーに手紙を持たせ、そしてハリーの下へ飛ばせたので、道に迷って手紙を紛失してしまったのかもしれないとも思った。だが、ロンやハーマイオニー宛の手紙はきちんと届いているし、ならばやはりハリーに何かあったのだと思わざるを得ない。

 聞けば、ロンやハーマイオニーもハリーから手紙の返事が来ないのだという。これはいよいよ何かあったのだ。

 折角購入したハリーへの誕生日プレゼントも届かないのではないかと、ハリエットは再びため息をつく。

 ハリーの誕生日には、ウッド調のフォトフレームを贈る予定だった。全部で四枚写真を飾ることができるが、全ての写真の人物が一斉に動き出して情報過多にならないように、ちゃんと焦点を当てた写真だけが動き出すという親切設計だ。もちろんマグルが見ればただの動かない写真にしか見えない。ダーズリー家では、普通でないものを彷彿とさせる私物は全て没収されるそうだが、これなら大丈夫だろう。

 右上には、学年末度末パーティーで撮ったグリフィンドール寮生の集合写真を飾った。久しぶりにグリフィンドールが寮杯を取ったので、この時は大盛り上がりだったのだ。特に最後の最後で加点をもらったネビルは半泣きになって喜んでいた。写真の中の彼はもはや泣いていた。

 とにかく、ハリエットは、迷いに迷ったが、結局きちんとハリーの誕生日に合わせてプレゼントと手紙を送ることにした。届かない確率は高いが、もしかしたら届くかもしれない。折角の誕生日を、プレゼント無しで過ごさせるのはひどく悲しいことだ。

 ウィルビーの足にプレゼントを括り付けようとした所で、ハリエットはピンと思いついた。ハリーの下に確実にプレゼントを届ける方法だ。

「ドビー!」

 そうと決まれば、とハリエットは喜々として家族の名を呼んだ。ドビーはバシッと騒がしい音をたててハリエットの部屋に姿現しをする。

「お嬢様、ドビーめに何かご用ですか?」
「ええ、ドビーにお願いがあるの!」

 ハリエットは目をキラキラさせて小包を差し出した。ドビーは首を傾げる。

「これは……?」
「ハリーの誕生日プレゼントよ。ハリー・ポッター!」

 ドビーは大きな瞳を更に大きく見開き、パチパチと瞬きをした。

「ハリー……ポッター様?」
「ええ! ハリーと友達になったことはドビーにも言ったでしょう? 休暇に入ってから、何度かハリーに手紙を送ってるんだけど、一向に返事が来ないの。きっとハリーに何かあったんだわ。それでドビーにお願いなんだけど……ハリーの所に行って、様子を見てきてくれないかしら? それで、元気だったら、このプレゼントを渡してきて欲しいの」
「お嬢様……」

 ドビーは困ったように瞳を揺らした。

「お嬢様、残念ながら、ドビーめはそれをお受けすることができません。ドビーはご主人様の命令がない限り、この家を離れられないのです」
「そうなの……?」
「はい」

 小さな身体を更に縮こまらせ、申し訳なさそうな顔をするドビーに、ハリエットはこれ以上無理を通せなかった。

「無理を言ってごめんね。やっぱり、ウィルビーに届けてもらうことにするわ」
「お嬢様、来年もあります。その時に渡せば……」
「ドビーったら。これは今年のプレゼントなのよ。一年も待てないわ」

 それに、もし直接渡したいのなら、ホグワーツで渡すという手もある。

 ドビーの口から出てきた『来年』の意味も深く考えず、ハリエットはウィルビーの足に小包を括り付けた。


*****


 正直期待はしていなかったが、何と今年もダイアゴン横丁へ行けるのだという。

 その話をドラコから聞いたとき、ハリエットは一週間も前から浮き足立ってしまった。

 去年は、制服やら杖やら、新入生本人が出向かなければできない買い物があったため、ハリエットも行くことができたのだが、今年買うものといえば教科書と消耗品くらいだ。きっと今年もお留守番だろうと諦めていたが、まさかその予想が裏切られることになるとは。

 よそ行きの格好をして、ハリエットは上機嫌でダイアゴン横丁にやって来ていた。ドラコとルシウスは、ノクターン横丁に用があるらしく、早速別行動だ。ハリエットはナルシッサの後についていくようにしながら、キョロキョロ周りを見回し、興味深げに歩いていた。

 ドラコの分の学用品も買いそろえ、後は集合場所にもなっている本屋に出向けば、そこにはかなりの人だかりがあった。ナルシッサは整った顔立ちに皺を寄せた。

「なんてこと。まさか運悪くこんな催しと被ってしまうなんて」

 チラリと視線を向けた先には、白い歯を見せて笑うハンサムな男性が立っていた。自分の周囲を取り囲むマダム達に愛想良く手を振っている。

「気分が悪いわ。私は二階にいます。もしルシウスが来たらそう伝えるように」
「は、はい」

 返事を聞くや否や、ナルシッサはいそいそと階段を上っていった。ハリエットはドラコ達を待つために店の隅に身を寄せた。

「――全く、この日じゃなきゃ駄目だって言ってきたときに気づくべきだった」
「ママのロックハート熱には呆れるぜ」

 うんざりした顔で本棚の影から現れる二人の少年。ハリエットは知り合いの出現にパッと笑みを浮かべた。

「フレッド、ジョージ!」
「おー、誰かと思えば」
「まさか、ハリエットもあいつのサイン目当てじゃないだろうな?」

 挨拶もそこそこに、フレッドは早くも敵か味方かを定めようと視線を鋭くする。ハリエットは慌てて両手を振った。

「たまたまよ。たまたまダイアゴン横丁に行く日と被っちゃっただけ。でも、二人に会えて嬉しいわ。ロンも来てるの?」

 手紙ではそろそろダイアゴン横丁に行くのだと書かれていた。そしてその時には、もちろん現在ロンの家に泊まり込んでいるハリーもついて来るはずだ。

 ハリーの手紙が届かなかった訳は、彼の家を訪れた奇妙なしもべ妖精の仕業らしい。何でも、今年はホグワーツに不吉な出来事が起こるので、ハリーには絶対にホグワーツに行って欲しくなかったのだと。もし友人からの手紙が届かなければ、ハリーはホグワーツへ行くのを諦めるだろうと、そう考えてしもべ妖精はハリーからの手紙も、ハリエット達からの手紙もこっそり盗んでいたのだという。

 ハリーのことを大切に思っているが故の行動かもしれないが、友達からの手紙を取り上げるなんてそのしもべ妖精もやり過ぎだとハリエットは少々腹を立てていた。

 ウィーズリー家の双子と話しながらも、ハリエットはすぐ近くに友達がいるんじゃないかとそわそわしていた。その感情が手に取るように分かったのか、二人は苦笑する。

「ロンはここにはいないぜ。ハリーを探してるんだ」
「ハリーがどうかしたの?」
「煙突飛行ネットワークに失敗したんだ。ダイアゴン横丁じゃなくて、どこか別の所に飛ばされたらしい」
「大丈夫なの?」

 呑気そうに言う二人に、ついハリエットの不安は高まる。

「たぶんそう離れた場所に入ってないだろうから大丈夫だよ」
「直に見つかるって」
「なら良いんだけど……」
「それよりも、マルフォイもここに来てるのか? ルシウス・マルフォイも?」
「ええ、それはもちろん」
「俺たちはそっちの方が心配だなあ」

 ジョージは遠い目をした。ハリエットは首を傾げる。

「どうして? 何か――」
「まあ――まあまあ! あなたがハリエット!」

 人混みをかき分け、一人の女性が三人の方へやって来た。燃えるような赤毛で、ふくよかな女性だ。

「ママ!」
「ハリエットのこと知ってるの?」

 双子の言葉に、ハリエットは目をぱちくりさせて女性を見た。――確かに、ロンに似ている。主に髪色が。

「ええ、ええ、もちろん知っていますよ」
「じゃあ紹介は不要かな。ハリエット、こっちは俺たちの母親だ」
「こんにちは。ハリエット・マルフォイです。ロンのお母様……ですよね?」
「ええ、ええ、そうですよ。モリー・ウィーズリー……。そう、あなたが」

 目を細め、モリーは何度も頷いた。そして優しく、ふんわりハリエットを抱き締める。ハリエットはピシリと固まった。

「えっ……あ、あの?」
「ずっとあなたに会いたかったの。そう、もうこんなに大きくなったのね」
「ママ、ハリエットに会ったことあるの?」
「いいえ、そういう訳じゃないけど……でも、本当にあなたに会えて嬉しい。不自由はしてない?」
「はい……」

 何が何だか分からないまでも、ハリエットは何度も頷いた。よくよく見れば、彼女の瞳が潤んでるではないか!

 ハリエットは困り果ててしまった。

「それなら良いんだけど……。何か困ったことがあれば、すぐ私達に言うのよ。ロンがあなたと友達になったって聞いたとき、とても嬉しかったんだから」
「あの、おばさん? 私のことをどうして知ってるんですか?」

 ついにハリエットが尋ねれば、途端にモリーは口を噤む。躊躇ったように口を開け閉めし――。

「まあ、ハリエット!」

 明るい声をたてて、少女がハリエットの首に飛びついていた。フサフサした栗毛が頬をくすぐり、ハリエットは彼女が親友の一人だと気づいた。

「ハーマイオニー?」
「会えて嬉しいわ! まさかこんな所で会えるなんて!」
「本当に凄い偶然だよ。ハリエットには、汽車の中でしか会えないと思ってた」

 彼女の後ろには、ハリーとロンもいた。その上、パーシーや赤毛の男性、赤毛の少女など、初めて見る顔も多い。ハリエットは目を白黒させた。

「パパ、ジニー、紹介するよ。ハリエット・マルフォイだ」
「初めまして」

 ロンの紹介に合わせて、ハリエットはぺこりと頭を下げた。男性は目尻を下げてにこやかに右手を差しだした。

「やあやあ、初めまして。私はアーサー・ウィーズリー。会えてとても嬉しいよ」

 アーサーと握手をすると、彼の後ろに隠れていた赤毛の少女もひょっこり顔を出して頭を下げた。

「初めまして。ジニー・ウィーズリーよ」
「初めまして! ロンの妹さんね? ロンから話を聞いてるわ」

 同じ赤毛なので、何だか親近感が湧く。ハリエットが笑みを浮かべれば、ジニーもまた小さくはにかんだ。

「これはこれは、アーサー・ウィーズリー。私の娘に何か用かね?」

 その時、後ろから降りそそぐ冷たい声に、ハリエットは反射的に背筋を伸ばした。と同時に驚く。衆目の場でルシウスが『娘』発言をしたことは、今までに一度となかったからだ。

「ルシウス」
「一家総出で娘に取り入ろうとしているのかね? それとも、倅の婿入りを企んでいるのか。長女の入学用品もお古で済ませるようなら、そんな無謀な考えに至るのも致し方ないが」

 流れるようにしてルシウスはウィーズリー一家のことを侮辱していく。ハリエットは真っ青になった。

「これまで娘の交友関係には目を瞑ってきたが……これを機に洗い直さなければならないかもしれない。間違っても、血を裏切る貧乏一家や、マグルなどと交流しないように」

 ルシウスはハーマイオニーを一瞥する。ハリーとロンがカッとなって前に出る。

「ハーマイオニーは魔女だ!」
「ロン、止めなさい!」

 あわやロンがルシウスに掴みかかるかといった所で、ルシウスの喧嘩を買ったのはアーサーだった。大の大人が殴り合う光景に異を唱えるのはモリーだけで、ほとんどが野次を飛ばしていた。結局、ハグリッドが喧嘩の仲裁に入ることで事なきを得た。

 ルシウスはローブを正し、最後にもう一度アーサーに一瞥を投げ、去って行った。ナルシッサもその後に続く。

 ドラコは、有無を言わせずハリエットの腕を掴み、ズンズン引っ張った。ハリエットは青い顔でハリーとロン、そしてハーマイオニーを見たが、何も言えなかった。

 激しい後悔がハリエットを襲った。

 友達を、友達の家族を侮辱されたのに、何も言い返せなかった。何もできなかった。

 きっと三人も失望しただろう。

 ハリエットは血の気を失った顔でギュッと唇を噛みしめた。