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01:黒犬スナッフル
〜もしもドラコが黒犬の正体を知らなかったら〜



*死の秘宝『八人のポッター』後、隠れ穴にて*


 ドラコが二階から降りてくると、どこからか犬の鳴き声が聞こえてきた。大きく開かれた窓からそれは聞こえてきており、ドラコはその方向を気にしながら椅子に腰掛けた。

「犬を飼ってるのか?」
「犬?」

 ジュースを飲みながら、ジョージが振り返った。窓に視線を向け――合点がいったように悪戯っぽく笑う。

「ああ、まあね。大きくて黒い、嫉妬深い犬さ」

 犬の鳴き声の合間に、嬉しそうな少女の声も漏れていた。

「スナッフル!」

 顔を見ずともその声の主が分かり、ドラコは目を瞑って彼女の楽しげな声に聞き惚れる。なんてことない午後の昼下がりだったが、ドラコはじんわりと胸に温かいものが染み渡るのを感じていた。
 しばらくすると、軽快な足音をたて、少女がリビングに入ってきた。軽く汗をかき、白い肌が艶々と光っていた。

「やあ、ハリエット。スナッフルはどうだい?」
「どうって?」

 ハリエットは一瞬困惑して聞き返した。しかし、すぐにジョージに向かって頷く。

「ええ、すごく楽しそう。たくさん走り回ってるわ」
「君は休憩かい?」
「ええ、少しはしゃぎ過ぎちゃったわ。ハリーを呼んでくる。スナッフルもハリーと遊びたそうだったし」
「そいつはいいや」

 ハリエットは輝くような笑みを残して二階へ上がっていった。
 ドラコは窓際に近寄り、庭を見た。そこには、確かに、想像していた以上の大きさの黒い犬がいた。蝶々や鳥、庭小人など、目についたもの全てに飛びつき、独りでに遊んでいた。
 いつの間にかジョージがドラコの側にいた。

「スナッフルと遊んでやったら? 暇そうにしてるぜ」
「僕が?」
「ああ。あいつ、特にハリー、ハリエットと仲が良いんだ。二人だけは目に入れても痛くないってくらい大好きでさ、もしお前がスナッフルを手懐けることができたら、きっとハリエットも見直すだろうなあ」

 曰くありげに、ニヤニヤとジョージが笑うので、ドラコは不快だった。からかわれているのはよく分かった。

「行ってこいよ。もうすぐハリエットも来るだろ? 一緒に遊んだらどうだ?」
「犬は……苦手だ」
「これから好きになれば良いだろ? ほら、とっておきのをくれてやる」

 パチッとウインクをして、ジョージはキッチンへ向かった。そしてゴミ箱を漁ると、ほんの少し肉が残っているチキンの骨を救い出した。

「あいつ、チキンが大好きなんだ。これを持って行けば、あいつはお前にメロメロだぜ!」
「…………」

 ドラコは、恐る恐る骨を受け取った。そして、何かを決心したような顔になると、庭へ出た。ジョージの頬がピクピク動いていることには気づかなかった。
 ドラコがゆっくりスナッフルに近づくと、スナッフルの方もドラコに気づいたようだった。逆毛を立て、ウーッとドラコに向かって威嚇する。
 ドラコは、緊張した面持ちで、骨を差し出した。スナッフルは固まる。気に入らなかったのか、とドラコは興味を惹くように骨を左右に動かした。

「――あーはっはっは!!」

 背後から、けたたましい笑い声が聞こえてきた。ドラコが振り返れば、窓からジョージが顔を出し爆笑している。その隣には、いつの間にやらフレッドもいて、窓枠を叩きながらヒーヒー呻いている。
 ドラコは状況がよく分からなかった。スナッフルに警戒されていることがおかしいのかもしれない。あの双子の笑いのツボは時々よく分からなかった。
 ドラコはその場にしゃがみ込んだ。

「お手」

 躾くらいはされてるだろう、とドラコがそう言えば、ひきつけを起こしたような笑い声がまた後ろから響いた。振り返れば、ロンがこちらを指さして笑っていた。意味も分からずドラコはイライラする。何なんだあの赤毛三兄弟は。

「どうしたの……?」

 やけに一階がうるさいので、ハリエットが降りてきた。その後ろにはハリーもいる。

「あ……あのっ、あのさ」

 口を開けば笑いがこみ上げてきて、もはや言葉にならない。
 ロンはお腹を押さえて首を振った。

「大丈夫?」

 ハリエットは心配そうにロンの背中に手を置いた。

「し、しりっ……まるふぉ……」

 結局何も言えなかったので、ロンは窓の向こうを指さすしかなかった。窓の向こうに見えた珍しい光景に、ハリエットは目を丸くした。

「ドラコもスナッフルと遊んでたの?」

 ハリーとハリエットは、庭へ出た。ドラコは庭にしゃがみ、そしてスナッフルは不機嫌そうにドラコと距離を取っていた。

「ハリーも連れてきたの。皆で遊ぶ?」

 ハリエットは笑顔でドラコとスナッフルとを交互に見た。ハリーは、ドラコのすぐ側に骨が落ちているのを見て、何となくこの状況を理解した。

「いや……スナッフルはご機嫌斜めのようだ」

 若干悔しそうにドラコは言った。また爆笑が起こる。ドラコが何をしても何を言っても、笑いしか起こらなかった。

「そう……折角ハリーも連れてきたんだけど」

 ピクンとスナッフルの尻尾が揺れる。誘惑と戦うかのように、スナッフルはゆっくりゆっくりハリーに近づいた。

「あー……うん、またの機会にしようか、スナッフル」

 ハリーが目を逸らしながらそう言うと、ガーンという効果音と共に、スナッフルは殴られたような顔をした。またも爆笑が上がる。赤毛三兄弟の爆笑スイッチはドラコだけではなかった。

「あの、そろそろ戻ったら? シリウス。あとさ、マルフォイも、悪気はないんだよ。君が犬だって知らないだけで」

 どういう意味か一度では理解できず、ドラコは首を傾げた。――と、視界にいた黒い犬が突如動き出した。みるみる身長が伸び、毛が短くなり、服を着て……。気がついたときには、ハリーの側にはシリウスが立っていた。

「え……?」

 ドラコが困惑に一歩後ずさった。シリウスはそれに目もくれなかった。

「わたしは部屋に戻ってる」

 髪をかき上げ、シリウスはアンニュイに宣言する。

「おい」

 そして、彼のその絶対零度の視線がドラコを射貫いた。

「その骨を――片付けておけよ。ゴミにしかならないからな」
「…………」

 パクパクと口を開け、そしてドラコは頷くことしかできなかった。茫然としたままシリウスの後ろ姿を見送る。絶望を感じた。
 それからすぐ、ハリエットからシリウスのアニメーガスについて聞いたドラコが、顔を真っ赤にしてウィーズリー三兄弟に怒鳴り散らしながら追いかけ回し、それが一段落すると、今度は氷のように冷たいシリウスに対して、ただただ身を縮こまらせるドラコの姿が一週間見られた。