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02:幸福とは
〜もしもドラコが幸運の液体を勝ち取っていたら〜



*謎のプリンス『魔法薬の教科書』後*


「紛れもない勝利者だ!」

 ドラコの鍋の前で、スラグホーンがそう叫んだとき、ドラコは心の底から安堵した。これでフェリックス・フェリシスが手に入る。これで――父と母の命が助かるかもしれない。
 魔法薬学の最初の授業は、『生ける屍の水薬』を調合するというものだった。しかし、一番うまく調合できた者には、幸運の液体――フェリックス・フェリシスが与えられる。ドラコは、ヴォルデモートから与えられた任務を遂行するため、どうしてもこの魔法薬が欲しかった。

 今回は、本当に運が良かった。たまたま――そう、本当にたまたま、『生ける屍の水薬』を、ドラコは過去にスネイプに直接指導を受けていたのだ。その際、『上級魔法薬』も確かに使ったが、スネイプは所々自分なりの工夫を入れてドラコに指導した。そのことを覚えていたドラコは、実習でも忠実にスネイプの指導の通りにし、そして水のように澄み切った素晴らしい『生ける屍の水薬』を完成させたのだ。

 だが、そのしばらく後に、ハリーの鍋の前で、二度目の『紛れもない勝利者だ!』の声が上がったとき、ドラコは背中に冷水を浴びせられた気分だった。どうしてポッターなんかが、という思いも確かにあったが、それ以上にフェリックス・フェリシスの行く先が気になって仕方がなかった。
 フェリックス・フェリシスは、一番うまく調合できた者に行き渡る。ハリーがスラグホーンのお気に入りの生徒というのは明白だったし、きっと幸運の液体はハリーの手に渡るだろう。ドラコは一人唇を噛みしめた。

 だが、スラグホーンは素晴らしい調合を見せたドラコとハリー、二人を同じくらい褒め称えた。そして、二人の調合に差をつけることはできないと断言し、驚いたことに、彼はもう一つ小瓶を取りだし、二人共に幸運の液体を与えたのだ。
 金色の液体が入った小さな瓶は、見ているだけでドラコを幸せにさせた。周りの生徒たちが羨ましそうな声を上げる中、ドラコは小瓶を握りしめて一目散に寮に戻った。


*****


 幸運の液体の使い道はもう決まっていた。ドラコは週末になるのを辛抱強く待った。折角十二時間もあるのだから、休みを利用しない手はない。
 土曜日の朝八時、ドラコは必要の部屋で幸運の液体をグイッと一飲みした。やがて、自分の中の可能性がどんどん広がるような感覚が沸き起こった。そして同時に、今から大広間に行かなくてはならないという気分になった。なぜかは分からない。だが、自分は今から朝食を取らなければならない――。

 その考えに、ドラコは愕然とした。ドラコは、ダンブルドアを殺害する計画の糸口となる、姿をくらますキャビネットを直したいのだ。断じて、悠長に朝ご飯を食べたいわけではない。

 ドラコは、大広間に行きたい気分を必死で堪え、ボージン・アンド・バークスの店主からもらった取扱説明書片手に、キャビネットの前に向き直った。
 あの手この手で、キャビネットの複雑な仕組みを解明し、自分の魔法で工夫を凝らしていくが、キャビネットはうんともすんともしない。

 数時間ずっと必要の部屋に籠もっていたが、全く進展がなかったので、ドラコは苛立ちながら部屋を出た。もうとうに昼は過ぎ、空腹で余計ムシャクシャした。
 もしかしたらこの幸運の液体は失敗作なのではないかと考えるのも仕方がなかった。確かに腹の底から湧き上がる幸福感はあるが、ドラコが今一番成し遂げたいことには、何の効力も発揮されない。これでは、『幸運の液体』の名が廃る。
 スラグホーンを見つけたらすぐに突撃しようと思っていたが、生憎と昼食と呼ぶには遅すぎる今の時間帯には、教員のテーブルはがらんとしていた。
 生徒用の長テーブルも同じようなもので、スリザリンには一匹狼を好むセオドール・ノットと幾人か後輩のスリザリン生しかいなかった。

 他の寮も同じようなものだ。ふとドラコがグリフィンドールのテーブルを見やれば、丁度対面した場所にハリエットがいて、彼女もまたこちらに視線を向けたところだった。パッと二人の視線が交錯して、ハリエットは笑みを浮かべて手を振った。そこには何の躊躇もなくて、ドラコは慌てて手元に視線を戻した。

 ――あいつは、ホグワーツ特急で無視されたことを覚えてないのだろうか。

 ドラコは一瞬込み上げてきた幸福感を、すぐに人工的な怒りで相殺させた。話しかけるなと言っても話しかけてくるし、無視しても手を振ってくる。どうすれば僕の存在をなかったものとしてくれるのか。
 ドラコは、手当たり次第乱暴に食べ物を口に入れながら、そんなことばかり考えていた。今はキャビネットの方が大切だと分かっていても、幸運の液体は、一向に効力を発揮しない。
 なんとなくお腹が膨れたところで、ドラコはすぐに立ち上がった。幸運の液体は十二時間しか持たないのだ。食事などに時間を取られている暇は無い。
 足早に大広間を出ると、誰かが後ろから追いかけてくるような音がした。自分には関係ないとドラコは気にも留めていなかったが、その足音は、ドラコの隣に並んだ。

「あ……えっと、元気? あんまり顔色が良いようには見えなかったから……」

 声をかけてきたのは、紛うことなきハリエットだった。スリザリン生以外でドラコに声をかけてくる者など今はもうほとんどいない。ヴォルデモートが復活したとなれば、いずれマルフォイ家嫡男のドラコが死喰い人となるのは目に見えているからだ。――もうとっくの昔に死喰い人になったということも知らずに、この女は。

「何の用だ?」

 無視すれば良いものを、なぜかドラコの口はそう動いていた。幸運の液体のせいか。フェリックス・フェリシスは、他にも立ち止まれとドラコの頭の中で警告を発していた。誰が立ち止まるものか。

「今日は暇? 良かったら、いつもの場所で箒に乗らない? 気晴らしに」
「生憎、僕は忙しい。またにしてくれ」

 『また』なんて来るわけがないのに、この口は再び余計なことを口走った。言い直せ、立ち止まれと幸運の液体が呼びかける中、ドラコは足早に必要の部屋に向かった。


*****


 再び数時間キャビネットと奮闘したが、相変わらず進歩はない。これ以上どうしたら良いか分からなくて、ドラコは図書室で情報を集めることにした。姿をくらますキャビネットは、古いものだからこそ、説明書を取り寄せるのにも時間がかかった。だが、図書室ならば、もしかしたらまだ何か資料が残っているかもしれない。
 なぜか、幸運の液体も図書室に行けと言っている。ようやくたまには従うかとドラコは部屋を出た。休日だというのに、廊下に人気はない。今日は見張りを頼まなくても、ドラコが必要の部屋に出入りしたいと思ったときには、いつだって八階の廊下は誰一人としていない。ようやくそれらしく幸運の液体が作用しているということだろう。

 休日に図書室に行くという酔狂な者はほとんどいなかった。ドラコは途中でハーマイオニーの姿も見かけたが、あれは例外だと思った。目にもとまらない速さでページをめくるあの姿には、鬼気迫るものを感じた。
 キャビネットに関する本と、闇の帝王時代の本を数冊借り、ドラコは図書室を出た。すぐ入り口の所で、誰かとぶつかりかけた。すぐに目に入ってきた見慣れた赤毛に、ドラコはまたかと視線をあらぬ方向に向けた。

「また会ったわね」

 ハリエットは変わらず朗らかな笑みを浮かべた。なぜか彼女からはふわりと甘い匂いがした。気を引かれて視線を落とすと、彼女は手にバスケットを持っていた。

「あ、でも丁度良かったわ。明日はハーマイオニーの誕生日だから、お菓子を焼いたの」

 そう言って、ハリエットはバスケットからラッピングされたケーキを取りだした。

「もしかして、甘い物苦手だった?」
「いや」

 窺うように言われて、咄嗟にドラコの口から出てきたのは、そんな短い返事だった。気がつけば勝手に口が動いていたのだ。何度目の言い訳だろう。

「良かった」

 ハリエットはまた笑顔になって、ドラコの手にケーキを握らせた。

「じゃあ私、図書室に行かなきゃ」

 またね、と手を振って行こうとするハリエットに、ドラコはすぐに声をかけた。

「……図書室にグレンジャーがいた。そんな甘い匂いをまき散らしてたら、嫌でも気づくだろう」

 言いながら、既にドラコは歩き出していた。慌てたようにその後ろ姿に声がかかった。

「ありがとう! 一旦談話室に戻ることにする」

 すぐにでも必要の部屋に向かいたかったが、そうすると上の階にスリザリンが何の用だとハリエットに思われそうで、ドラコは階下へ降りていった。もともと、少しだけ本を読むつもりでもあった。この本の中に、なにかキャビネットに関するヒントがあれば良いのだが。
 落ち着いて読書ができる場所を探して、ドラコは談話室へ向かった。その途中、クソ爆弾を投げたのはお前達だろうとフィルチに追いかけ回されているハリーとロンに遭遇したり、ジャスティンがスネイプに減点されているところに遭遇したりした。

 スリザリンの談話室に戻ると、いつもはうんざりするほどひっついてくるパンジーが、なぜか一学年下の男子生徒に熱い視線を送っていた。ホグワーツ特急からずっとハリエットをものにしてやると不快な発言をしていたザビニには、いつの間にか突然恋人ができているようで、見ていて吐き気がするほど二人はソファの上で絡み合っていた。

 こんな所で落ち着いて読書ができるわけもなく、渋々寝室へ向かうと、同室のクラッブとゴイルが、ベッドの上にお菓子をまき散らしながらちょっとしたパーティーをしていた。不快感が増したドラコは、寮を出た。今から図書室に向かうのも億劫で、ドラコの足は自然と外へ向かった。温室は人がチラホラ出入りし、湖の近くにも散歩している姿が見られる。ドラコは昔よく箒の練習をしていた城の裏へ向かった。
 角を曲がれば、一瞬彼女がいるんじゃないかとドラコの胸の鼓動は早くなったが、なんてことはない、がらんとしている芝生を見て、またすぐに無表情に戻った。城壁に背中を預け、ドラコは乱暴に芝生に腰掛けた。本を地面に置き、一冊適当に手に取り、ページをめくる。

 爽やかな秋の風が、少しだけ心地良いと思った。たまには外に出るのも良いかもしれないと思った。
 関係ないところは読み飛ばし、キャビネットに関する項目だけは、隅から隅まで読んだ。それでも、ドラコの目的が達成できるような情報は何も書かれていなかった。ドラコは次第に落胆していく。

 本を全部読み終えると、ドラコはズルズルと芝生の上に横になった。少し小腹が空いたな、と思うと、視界にハリエットからもらったパウンドケーキの包みが映った。パリパリとフィルムを剥がし、一切れ口に運んだ。仄かにアールグレイの風味のする、優しい味だった。
 ケーキはあっという間にドラコの胃に収まった。もっと食べたかったと甘えたことをほざく自分の心に活を入れ、早く必要の部屋に行こうとするのだが、どうにも身体が言うことを聞かない。

 もう残り四時間を切った。この四時間を有効的に使わなくては、この先キャビネットが修復する可能性は潰えるかもしれない。早く、早く動かないと――。
 だが、ドラコの重い瞼はゆっくり閉じられた。このところ、満足に睡眠も取れていなかったのだ。それが徒となった。


*****


 次にドラコが目を覚ましたのは、夕日が地平線に今まさに隠れようとしている時だった。やってしまった、と思う一方で、この短時間で、思っていた以上に身体の疲れが取れたことに驚いた。重たかった頭はすっきりしていたし、最近はずっと感じていた頭痛もなかった。
 良好になったドラコの視界に、赤いローブが映った。グリフィンドールカラーのローブが、ドラコの身体に毛布のようにかけられている。
 視界を左にずらせば、そこにはハリエットがいた。ドラコと同じように、芝生に身を横たえ、すやすやと眠っている。
 あまりにも無防備なその姿に、ドラコは一瞬事態が理解できなかった。どうして彼女がここに?
 長々と彼女の寝顔を眺めていても、その答えは出てこなかった。代わりに、少し強く吹いた秋風が、ハリエットの赤毛を揺らし、ドラコの目から彼女の寝顔をいたずらに隠した。ドラコはムッとして、反射的に伸ばした手で、その艶やかな髪を耳にかけた。すぐに、何をやってるんだという自己嫌悪に陥ったが、もう後には戻れなかった。ハリエットのあどけない寝顔から目が離せない。

 フェリックス・フェリシスが、ドラコに再びその手を伸ばすことを許した。

 僅かに震える手が、ハリエットの頬に触れた。柔らかく滑らかな頬が、ドラコのささくれ立っていた心を和やかにしていく。くすぐったさにふにゃりと笑ったハリエットのその笑みは、ドラコを途方もなく幸せな気持ちにさせた。間違いなく自信を持って言えるのは、この泣きそうなほど幸福な気持ちは、フェリックス・フェリシスの効果では決してないということだ。

 また強く吹いた風が、ハリエットの顔をくすぐり、彼女は短く声を漏らした。ドラコはハッとして立ち上がった。もう行かなければ。

 ローブをハリエットの身体にかけ、本を脇に抱え、ドラコは足早に大広間に向かった。今度こそ、八時まで必要の部屋に籠もるつもりだった。クラッブやゴイルも驚くくらいの速さで食事をしていると、ドラコのふくろうが彼の元に飛んできた。朝に渡せなかった手紙を渡そうと、忠義に厚い彼のふくろうはわざわざ来てくれたのだろう。
 手紙はナルシッサからで、ヴォルデモートが、ルシウス含めた死喰い人の脱獄を計画しているということが書かれていた。ドラコは嬉しく思ったが、しかし、もし父が脱獄できたとして、ドラコがダンブルドアを殺害しなくては、結局は命を奪われることになるのだ。

 これ以上食事をする気にもなれず、ドラコはすぐさま必要の部屋に向かった。そしてそこで、また籠もった。だが、三十分、一時間と時間が経過するうちに、ドラコにまたどうしようもない焦燥感がせり上がっていく。

 ――ついに、タイムリミットが来た。にもかかわらず、ドラコは朝から何の進捗も上げていなかった。上げられなかった。またしてもただ無意味に一日を潰したのだ。

 八時を過ぎ、ドラコはよろよろと必要の部屋を出た。
 早く帰らなければ、消灯時間になる。フィルチに見つかってしまう。今ここで目立つわけにはいかない。スリザリン生がこんな所で何をしていると詰問されるわけにはいかない。そうは思うのに、ドラコの足は一歩も動かない。ついにはその場に蹲る。
 自分の中のフェリックス・フェリシスが、みるみる効果を失っていくのが分かった。――所詮、幸運の液体はこの程度のものだったのだ。ドラコが本当に成し遂げたいと思ったことには、何の効果もなかった。むしろ、邪魔されたとすら感じた。こんなにも――自分はキャビネットが直ることを望んでいたのに。

「――ドラコ?」

 呼びかけられたその声に、ドラコはビクリと肩を揺らした。

「今日は本当によく会うわね」

 ドラコは顔を上げなかった。困惑した様子で彼女が近づいてくるのが分かった。

「どうしたの? 気分が悪いの?」

 構うな、とただ一言口にするだけなのに、それすら億劫だった。何もかもどうでもいい気持ちになる。
 不意に、すぐ近くにハリエットがしゃがんだのが分かった。そのまま彼女はドラコの背中をゆっくり撫でる。まるであやすようにゆっくり撫でられる感覚が、どこか懐かしく感じた。母親に抱き締められるような心地になった。

「僕はもう駄目だ……」

 縋り付くような、慰められたいと言わんばかりの、情けない声が出た。ハッとしてドラコはすぐに口をつぐんだが、ハリエットはそれを聞き逃さず、ぎゅうっとドラコを抱き締めた。突然の事態にドラコの頭は真っ白になった。

「大丈夫」

 この手は振り払わなければならないのに、今のドラコにはそんなことできなかった。

「大丈夫よ」

 数年前ならまだしも、今はドラコの方がずっと身体が大きいはずなのに、ドラコの身体は、今やハリエットにすっぽり覆われていた。ゆるゆると込み上げてくる安心感に、ドラコはハリエットのローブを掴んだ。魔法薬学の時に嗅いだ愛の妙薬と同じ匂いがしたと思った。

「私はドラコの味方よ。何でも力になる。もし何かに困ってるのなら、私を頼って欲しいの」

 上から降ってくる言葉が、ストンとドラコの胸に落ちてきた。
 実際に、ドラコがハリエットを頼ることは万に一つもあり得ないだろう。それでも、彼女の言葉は、ドラコが今一番欲しいものだった。

「私達、友達だもの」

 ドラコは、しばらく微塵も動かなかった。ずっとハリエットの言葉の余韻を噛みしめていた。次に自分が取るべき行動は、もう分かりきっていた。

「何が友達だ!」

 突然突き飛ばされて、ハリエットは何が何だか分からないといった様子でドラコを見ていた。その純な視線に堪えきれず、ドラコは視線を外した。

「僕はそんな風に思ったことは一度もない!」

 ――媚びを売るのではなく、損益を考えてつるむのではなく、闇の印を見せて脅され従うのではなく。
 対等な立場で、ただのドラコとして彼女が見てくれていることは分かっていた。だからこそ、もうこれ以上一緒にいることはできない。――僕はもう戻れないから。

「お願いだからもう僕に話しかけるな!」

 最後までハリエットの顔が見れないまま、ドラコは足早にその場を立ち去った。
 フェリックス・フェリシスは終わった。もうとっくの昔に。ドラコは現実に戻らなければならない時間だった。
 喘ぎながら地下へ向かっていると、その途中で、太った老人の後ろ姿が目に入った。会ったのはほんの数回だが、その特徴的な見た目から、見紛うはずもなかった。

「スラグホーン先生!」

 怒気を含んだ声色に、スラグホーンは驚いたように振り返った。

「ドラコ・マルフォイ? こんな時間にどうしたのかね?」
「お話があります。フェリックス・フェリシスについて!」

 スラグホーンは、こんな場所で話すのも何だから、と私室へ行こうと促したが、ドラコがそれに応じることはなかった。彼の腕を振り払ってまで、ドラコは己の主張を声高にぶつける。

「僕には絶対に成し遂げたいことがありました。だからこそフェリックス・フェリシスを今日飲みました。でも結果はどうだったと思いますか? 成し遂げるどころか、進歩すらしない! あなたが渡した幸運の液体は失敗作だったんじゃないですか!?」
「落ち着くんだ。私のフェリックス・フェリシスが失敗作だと? そんなことはない。あれは間違いなく成功品だ」

 スラグホーンは宥めるようにドラコの肩に手を置いた。

「フェリックス・フェリシスは、あくまで自分の中にある能力を引き出すものであって、自分の技術以上のことはできないのだよ。失礼だが、君のその計画とやらは、途方もないことだったのでは――」
「そんなことはない!」

 相手が教師だということも忘れ、ドラコは叫んだ。

「絶対に……絶対に、僕がやらなくてはいけないことなんです。できないことはない! だから――だから飲んだのに!」

 消灯時間は過ぎていた。誰一人通らない廊下で、ドラコとスラグホーンはしばらく無言で対峙していた。やがて、スラグホーンは言った。

「フェリックス・フェリシスの効能を言ってみたまえ」

 訝しく思いながらも、大人しくドラコは答えた。

「人に幸運をもたらします」
「その通り。もしかしたら、ではあるが、君のその計画は、君を不幸に陥れるものなのではないかね? それを成し遂げれば、君は確実に不幸になる。それが分かっていたからこそ、フェリックス・フェリシスは力を貸さなかったのかもしれない。真実は分からないがね」
「…………」
「少なくとも、フェリックス・フェリシスを飲んで、君は十二時間幸運だと思える出来事はあったのだろう?」

 ドラコは唇を噛みしめた。『幸運だと思える出来事』――そんなもの、考えなくても分かった。でもそれは、かつてのドラコなら幸福と思えたかもしれないが、今のドラコは違う。むしろ、厄介だと思わざるを得ない数々の出来事だった。ドラコは、これ以上ハリエットと接触するわけにはいかないのだ。
 スラグホーンに頭を下げ、ドラコは無言でその場から下がった。
 最初から幸運の液体などに頼るべきではなかった。これは、ドラコ一人で成し遂げるべき任務だったのだ。
『それを成し遂げれば、君は確実に不幸になる。それが分かっていたからこそ、フェリックス・フェリシスは力を貸さなかったのかもしれない』
 スラグホーンの言葉が頭を不穏に横切った。

「それでも、僕は――」

 寮へと降りる階段の足音に紛れ、ドラコの声は途切れた。