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04:素晴らしい聖夜
〜もしもダンス・パートナーがドラコのままだったら〜
ハリエットは、身支度を終えた後も、まだ鏡の前をそわそわと行ったり来たりしていた。
ずっと待ちに待っていたダンスパーティーだが、いざ当日が来ると――ハリエットは気後れしていた。主に、己のパートナー――ドラコ・マルフォイについて。
彼はスリザリンだ。昔から反目し合っていたグリフィンドールとスリザリンがパートナーで、周りに何か言われないかとか、相手がドラコで、ハリーやロンになんて言われるだろうとか、ハリエットの悩みは尽きない。
おまけに、ドラコは――格好良い。輝くようなプラチナブロンドに、整った顔立ちをしていて、もし彼が高慢でなければ、相当に他寮の女生徒からもてはやされていただろう容姿だ。それに、今や美少年といった出で立ちから抜け出し、あちらこちらに鋭さや逞しさを孕んだ風貌になった。そんな彼の隣に立って良いものだろうかと、とハリエットは今になって悩んでいた。しかし、無情にも時間は待ってくれない。
「ハリエット! 早くしないと遅れるわよ!」
「わ、分かってるわ!」
ハリエットは、最後に鏡の前に立って、身だしなみのチェックをした。
ハリエットは、淡いエメラルドグリーンのパーティードレスを身に纏っていた。胸元はレースで覆われているが、その代わり背中がざっくり開いているので、少し浮き足立った。長い赤毛は緩やかに巻き、後ろで軽くまとめた。余った髪はサイドに垂らし、ハリーからのプレゼントである髪留めをアクセントにした。シリウスのネックレスも身につけたし、仕上げには、ハーマイオニーからもらった香水を軽く振っていた。
最終チェックが終わると、ハリエットは緊張の面持ちで談話室に降りた。そこにはハーマイオニーだけでなく、ハリーやロンもいて、ハリエットは少しだけ勇気を貰った。
「こんなに時間かけて準備して、君たちの相手は一体誰なんだい?」
一向に女子陣のパートナーを教えて貰えなくて、ロンは拗ねたようにそう言った。ハーマイオニーはツンとして答える。
「あら、女の子は相手が誰であっても、準備に時間がかかるものなのよ」
それを聞いて、少しだけロンの機嫌が良くなった。しかし続くハーマイオニーの言葉にまた不機嫌になった。
「だからといって、今夜の相手によく見られたいと思ったのは、私もハリエットも同じですけどね」
途中でハリーのパートナー、パーバティと落ち合い、一行は一階へ向かった。
玄関ホールは、大勢の生徒でごった返した。他寮生とパートナーを組む生徒が、お互いを探して人混みを歩き回っているのだ。ロンもパートナーのパドマを見つけたようで、ハリエットは、一人彼らから離れることにした。ドラコがなかなか見つからないのだ。
もしかしてまだ来ていないのかもと思って、階段近くまで行くと、丁度その時地下からスリザリンの一群が階段を上がってくるのが見えた。先頭はドラコだ。すぐ後ろにクラッブとゴイルがムスッとした顔でついてきていた。二人とも緑のローブで、どうやらパートナーが見つからなかったらしい。
ハリエットとドラコの視線が、確実に交差した。ただそれだけなのに、ハリエットは急に恥ずかしくなって下を向いた。己の意志とは反して、カーッと顔に熱が集まってくるのを感じた。今更気づかない振りをしても意味がないのに、どうすれば良いのか分からない。ハリエットの視界に、良く磨かれた革の靴が飛び込んできた。
「……待たせたな」
耳に飛び込んできたのは、紛れもなくドラコの声だった。ハリエットは小さく首を横に振った。
「私もついたばかりだから……」
「もうすぐパーティーだっていうのに、クラッブが馬鹿食いを止めなくて。パーティーのご馳走目当てに参加するくせに、何やってるんだか……」
ドラコが長々と愚痴を連ねている隙に、ハリエットはちらりと顔を上げた。しかしそれは、丁度彼の言葉が切れたタイミングだったようで、パチッと二人の目が合った。ハリエットはまたすぐに視線を落とす。
「あー……えっと……そのドレス、よく似合ってる」
ドラコはもごもごとそう口にした。取って付けたような褒め言葉だったが、ハリエットはそれでも嬉しかった。
「ありがとう。ドラコも素敵よ」
ドラコは、黒いビロードの詰め襟ローブを身に纏っていた。ようやくまじまじと彼の様相を見ることができて、ハリエットは感想を口にした。
「牧師さんみたい」
「……それ、褒めてるのか?」
「え? ええ」
ハリエットは真面目な顔で頷いた。ドラコは小さく嘆息し、それ以上は追求しなかった。
「代表選手はこちらへ!」
マクゴナガルの声が響いた。生徒たちがぞろぞろ移動し始め、代表選手のために道を空けようとした。二人もそれに続こうとし、ドラコはハリエットの背に手を置いて誘導しようとした。だが、途端に火傷でもしたかのように、彼はパッと手を離した。
「どうしたの?」
思わず尋ねたが、ドラコはあらぬ方向を見ていた。
「いや……背中が……」
合点がいったようにハリエットは瞬きをし、そして照れたように笑った。
「これ、結構空いてるよね。私も少し恥ずかしくて」
大胆に空いた背中は、涼しいのは良いが、意識してしまうと恥ずかしくて堪らなかった。
人垣が割れ、代表選手達が前に進み出た。遠くの方で、ハリーとパーバティが前に進んでいくのが見えた。
「ハリエット?」
人混みが割れたことで、視界が良好になっていた。ハリエットはついにロンに見つかった。パートナーのパドマなんかすっかり頭から吹き飛んだ様子で、ロンは人混みをかき分けてハリエットの元にやってきた。
「おい、マルフォイ。何もこんな日にまでハリエットに絡まなくても良いだろ」
「ロン、違うのよ……」
ハリエットは弱々しく声を上げた。
「私達、パートナーなの」
ついにその言葉を発すると、ロンはポッカリ口を開け、押し黙った。青い瞳が、今にもこぼれ落ちそうなほど見開かれている。ロンはゆっくりゆっくり口を閉じていき――そしてゴクンと唾を飲み込んだ。
「ああ、分かった。何か弱みを握られてるんだろう? 脅されてるんだ!」
場違いに明るい声でロンは言った。
「水くさいな、僕達に相談してくれたって良いじゃないか。一緒に対策を考えたのに」
さあ、一緒に行こうと言わんばかりの表情で、ロンはハリエットに手を差しだした。ハリエットはそれを丁重に断った。
「ロン、本当に勘違いしてるわ。私、なりたくてドラコのパートナーになったのよ」
言いながら、ハリエットはどんどん顔に熱が集まるのを感じた。自分の台詞が、何だか告白のように思えたからだ。
「ハリエット……だからって……いや……」
ロンの頭も、理解できる許容量を超えたようだった。そして混乱した彼の頭は、ハリエットの言葉を更に曲解した。
「君……いくらパートナーに誘ってくれる人がいないからって、マルフォイなんかと組まなくたって……。頑張って探せば、他にもっといい人がいたはずだよ!」
「ウィーズリー、彼女に随分と失礼なことを言ってるとは思わないのか?」
ドラコに言い返されるとは思わなかったのか、ロンは変な顔で彼を見た。自分の台詞のどこが失礼なのか、たとえそうだとして、どうしてドラコがハリエットを庇う発言をするのか、さっぱり訳が分からないといった顔だった。
「ま、マルフォイもマルフォイだよ」
混乱したロンは、標的をドラコに変えた。
「どうしてハリエットと? もしかして、目当ての女の子に振られちゃったの?」
「失礼なことを言うな! お前のお粗末な頭はそんなことしか想像できないのか!」
「だって……まさか……君……ハリエットのこと好きなの?」
その一言は強烈だった。強烈すぎた。水を打ったように場が静まりかえる。先ほどから、ロンの声が大きいのも相まって、三人は注目されていたのだ。おまけに、何やら女の子一人を巡って、グリフィンドールとスリザリンが口論しているとなると、興味を惹かれないわけがない。
「だ――だから、どうしてそうなる!」
「そ、そうよ。友達としてダンスパーティーに出ちゃいけないの? 恋人がパートナーにならないといけないなんてのはないわ!」
ドラコとハリエットは、火がついたようにまくし立てた。変に関係を勘ぐられ、恥ずかしかったし、腹が立った。あまりに不躾なロンに、怒りさえ覚える。
「友達って、でも、それにしたって――」
ロンはなおも言いかけたが、後ろから押し寄せてくる生徒の波に、それ以上その場に留まっていることができなかった。大広間の扉が開き、生徒の一群が一斉に中へ進んだのだ。あっという間にロンの姿は見えなくなった。
「な――何なんだ、あいつは!」
まだ怒り冷めやらぬ様子でドラコは吐き捨てた。ハリエットもさすがに今回は庇いきれなかった。
「ごめんなさい。絶対に何か言われると思っていたから、今日までドラコのことは言えなかったの。まさかこんなことになるなんて……」
生徒の波に沿って、ハリエットとドラコは前に進んだ。扉近くで、脇に固まった代表選手とそのパートナーの姿が見えた。ハーマイオニーはドラコをチラリと見た後、にっこりハリエットに微笑みかけ、ハリーはというと……ロンと同じような顔をしながら、穴が開くほどハリエットとドラコとを見比べていた。軽く手を振っても、心ここにあらずといった様子だ。これから代表選手は皆の前で踊るというのに、あんな様子で大丈夫だろうかとハリエットは少し心配になった。
大広間には、十人ほどが座れる小さなテーブルが百余り置かれていた。ハリエットは、ロンが鬼気迫る表情で自分たちに向かってくるのが見え、慌ててドラコの腕を引っ張り、残る一組になっていたテーブルに腰を下ろした。ロンはシューシューと蛇の鳴き声のような声を漏らしてドラコを威嚇しながら、近くのテーブルに居座った。
生徒たち皆が席に落ち着くと、代表選手とパートナーが列をなして大広間に入ってきた。ハリエット達はそれを拍手で迎え入れた。
ハリーは、まるで誰かを呪い殺しそうな顔つきで大広間の中を見回していた。そのせいで時々躓きかけ、呆れたようにパーバティに腕を引っ張られている。ハリエットは兄の視線に呪い殺されないよう、身体を縮こませていることしかできなかった。
やがて代表選手達も席に着き、パーティーが始まった。まずは食事だ。テーブルにはメニュー表があり、『ポークチョップ』と言うと、途端に金色の皿にポークチョップが現れた。ハリエットは喜々としてナイフとフォークを手に取った。パーティーのご馳走のため、昼は軽くしか食べていないのだ。
夕食を食べている間、すぐ近くから発せられるロンの威圧感に、ハリエットとドラコは終始居心地の悪い思いをさせられた。パートナーがそんな調子なので、パドマもふて腐れている。
「ポッターとウィーズリーは、君の保護者か何かか?」
ドラコが忌々しげな口調でハリエットに囁いた。
「そこまでじゃないけど……」
相手がドラコでなければ、二人もここまでひどくはなかったはずだ。そうすると、今のこの状況も、ハリエット一人だけの責任ではない。
針のむしろのような時間は、数十分ほど経って解放された。食事を全て食べ尽くしてしまったので、ようやくダンスが始まるのだ。ダンブルドアがテーブルを壁際に退かせ、広いスペースが出来上がった。『妖女シスターズ』がもの悲しいスローの曲を奏で始めると、代表選手達のダンスが始まった。ロンの鬱陶しいほどの熱視線は、ようやくハーマイオニーとクラムに向けられた。今度は、ドラコではなくクラムを射殺したそうな顔をしていた。
しばらくして、他の生とも大勢ダンスフロアに出て行った。ドラコは無言で左手を差しだした。ハリエットは震えてしまうのを押さえながら、その手を取った。そして流れるように大広間の中程までリードされる。
「あ、足、踏んだらごめんなさい……」
「努力はしてくれ」
不意にドラコの手が腰に当てられ、ハリエットはピンと背筋を伸ばした。
ハリエットは、身体が強ばるほど緊張していた。それに対して、ドラコの方は、身体の余分な力は抜き、リラックスした状態で向き直っている。彼の居住まいは非常に様になっていた。きっとこういった社交場は何度も経験しているのだろう。そう考えると、一層自分が見劣りするような気がしてきて、ハリエットは頭が真っ白になった。視線もどこに向ければ良いのか分からない。ドラコのネクタイばかり穴が開くほど見つめる。
「ただ僕に合わせていればいい」
突然呟かれた言葉に、ハリエットは顔を上げた。だが、すぐに音楽が始まり、慌ててステップを踏み始める。
授業で何度か練習したことのあるワルツだった。始めは緊張でぎこちない動きばかりだったが、数分も経たないうちに、そんな緊張など吹き飛んだ。
『リードが上手』という言葉の意味を、ハリエットは身を以てしてこの時理解した。ドラコが次どう動くのか、ダンスに疎いハリエットでも、なぜか何となく分かるのだ。ドラコに合わせているだけで、ハリエットのダンスはきっと人並み以上になっているだろう。初めてダンスを心の底から楽しいと思った。
隅の席から、ロンが殺意の籠もった目でこちらを見ているのも、ダンスの最中すれ違ったハリーから、思い切り不満そうな顔で見られるのも、今のハリエットは全く気にならなかった。
ディーンやシェーマス、ネビルやジニー、フレッドやジョージ。知り合いとすれ違うたびに、意外そうな視線が送られるが、皆最後には笑顔で遠ざかっていく。ダンスパーティーの夜に、スリザリンがどうとか、ドラコがどうとか、いつまで経っても気にしているのはハリーとロンくらいだった。
「ハーイ、ハリエット」
途中、クラムと楽しそうに踊るハーマイオニーともすれ違った。
「楽しんでる?」
「ええ、とっても!」
笑顔で頷くと、ハーマイオニーはウインクを返して遠ざかっていった。
もの悲しいスローな曲も、速いテンポの激しい曲も、いろんな曲が演奏された。その中で、ハリエットは、特にドラコに持ち上げられてジャンプするのが気に入っていた。いつもより数段目線が高くなって、ふわっとした浮遊感が堪らない。この時いつもドラコと目が合うのも嬉しかった。非常に珍しくドラコは優しい微笑を浮かべていたので、ハリエットも自然に満面の笑みになる。
互いに、楽しくて仕方がないと思っている笑顔だと感じていた。ドラコがパートナーで本当に良かったと心から思った。
数曲立て続けに踊ると、さすがに体力にも限界が来た。二人は一旦ダンスフロアを離れ、隅のテーブルに移動した。たくさん身体を動かした後だったので、ポカポカと熱いくらいだった。
「飲み物を持ってくる」
「私も行くわ」
ハリエットはすぐに立ち上がったが、ドラコに制された。
「足が痛いだろう? 休憩してろ」
「あ……ありがとう……」
ドラコは僅かに微笑んで人混みに消えていった。ハリエットはドギマギしてその後ろ姿を見送った。
慣れないヒールで踊ったので、確かに少し足は痛かった。だが、まさかドラコに気遣われるとは思っていなかったので、顔が熱かった。
一人パタパタと手で扇いでいると、目の前にサッと影が差した。顔を上げれば、怖い顔をしたハリーとロンが立っていた。
「ちょっとこっちに」
「話がある」
ハリエットは両側からがっしり二人に掴まれ、抵抗ができなかった。それでも精一杯もがいた。
「今ドラコが飲み物を取ってきてくれてるの。ここを離れたら――」
「あいつのことなんかどうでもいいよ!」
鼻息荒く、ハリーとロンは、ハリエットを別のテーブルに引っ張っていった。彼女を席に座らせ、二人はまた両側から挟み込むようにして腰を下ろした。
「一体どういうこと? どうしてマルフォイなんかとパートナーなんだ?」
ハリーの責めるような口調に、ハリエットはため息をついた。
「私達は友達よ。ドラコもパートナーに悩んでるみたいだったから、一緒に行こうって話になったの」
「だからって、相手がどうしてマルフォイなんだ!」
ロンはいきり立った。
「こんなことなら、ハリー、やっぱりハリエットのパートナーは僕で良かったじゃないか! 君が変なこと言うから、ハリエットはマルフォイなんかとパートナーを組む羽目になったんだ!」
「うん……そうだね。僕も後悔してる。ロンに任せれば良かった」
まるで保護者のような物言いに、ハリエットはムッとした。
「私は子供じゃないわ! 誰をパートナーにするかは私が決める! 私はドラコがパートナーで良かったって思ってるわ!」
「分かった! 僕、分かったよ!」
閃いたと言わんばかりの表情で、ロンが急に立ち上がった。
「ハリエット、君、愛の妙薬を飲まされたんだ!」
「愛の妙薬……?」
聞き慣れない言葉に、ハリエットは首を傾げた。
「惚れ薬だよ! マルフォイがハリエットの飲み物に盛ったんだ!」
「馬鹿なこと言わないで」
ハリエットは呆れて首を振った。
「どうしてドラコがそんなことをするのよ」
「それは、あいつがハリエットのことを好きだから――」
「そんなわけないでしょう! 私達は友達よ!」
「じゃあ……」
ロンはゴクリと唾を飲んだ。
「本当に……君の意志であいつとベタベタしてるってこと?」
「ベタベタなんてしてないわ!」
「してるよ!」
「僕も、正直信じられなかった。だって、すごく楽しそうに踊ってたし」
ハリーにまで恨みがましい目で見られ、ハリエットは悲しくなった。
「だって、今日はダンスパーティーなのよ? 楽しくないわけないじゃない!」
どうして分かってくれないのだろうと、ハリエットは叫んだ。
「どうして楽しい気持ちに水を差すの? 私、二人とだって踊りたかったのに。なのに、あなた達ったら、ダンスもせずにこんな所で何してるの?」
ハリーとロンは、居心地が悪そうに顔を見合わせた。
「――何もこんな日にまで」
ハリエットはジロリとロンを見た。
「誰が誰のパートナーだとか気にしないで良いと思うわ」
さよなら、とくるりと踵を返し、ハリエットは人混みに紛れた。そして、グラスを二つ持って先ほどの場所でウロウロしているドラコを見つけると、彼の腕を引っ張り、席に着いた。ドラコは訝しげな顔でハリエットにグラスを渡した。
「どこに行ってたんだ?」
「ハリーとロンが絡んできたの」
ああ、とドラコは納得したような顔になった。
「過保護な保護者を持つと大変だな」
「本当よ」
冷たいギリーウォーターは、ハリエットの頭を冷やしてくれた。
「二人は何だって?」
「色々よ」
本当のことを話したら、絶対に空気が悪くなると思ったので、ハリエットは決して口を開かなかった。
ふと視界の隅に、怒ったような、泣きそうな顔で、ハーマイオニーがズンズン人混みをかき分ける姿が映った。彼女が歩いてきた方向を見やれば――案の定、ハリーとロンの姿があった。あの様子じゃ、きっとハーマイオニーにまでいろいろ言ったのだろう。
ハリエットは悲しくなって、グラスをテーブルに置いた。
「踊らない?」
そしてドラコの方を向いた。
「もう?」
「駄目? 楽しい気分になりたくて……」
折角のダンスパーティーなのに、むしゃくしゃ気分でいるのはもったいない。幸いなことに、ドラコも了承してくれた。
その後も、様々な曲調のダンスをドラコと踊った。ハリーやロンの介入で荒んでいた感情は、すっかりどこかへ押しやられた。途中、ザビニやパンジー、ジャスティンに絡まれることはあったが、ハリエットとドラコは結託して追い返した。まれに見る清々しい気持ちだった。
夢中で踊っていると、しばらくして周りの人気が少なくなっていることに気づいた。お開きになる真夜中にはまだ時間はあるが、それぞれの寮に戻る生徒も多いようだ。
「もう帰るか?」
ドラコは短く尋ねた。ハリエットはしばし考えた。
「最後に、少しだけ外の空気を吸わない?」
このまますぐに帰るのは、少しもったいない気がした。折角の聖夜なのだから、存分に楽しまなければ。
会場を出る前、少しダンスフロアを見渡すと、ネビルやジニー、ハーマイオニーやクラムの姿は確認できたが、ハリーやロンはどこにもいなかった。パーバティやパドマはまだ踊っているようだが、二人はもう帰ってしまったのだろうか。
玄関ホールに抜け出すと、正面玄関の扉が開け放たれているのに気づいた。そのまま正面の石段を降りていくと、バラの園に飛び回る妖精の光が、瞬き、煌めいた。くねくねとした散歩道には、あちらこちらにベンチが置かれていた。二人はその中の一つに腰を下ろした。
「気持ちいい夜風ね」
座って早々、ハリエットは空を見上げた。普段ならクリスマスの夜は寒いはずだろうが、立て続けに踊った今となれば、むしろ冷たい夜風が心地良いくらいだった。
騒がしいダンスフロアから、急に閑静な場所に移ったというのも大きい。ここならば、誰が誰のパートナーだからといって、文句をつけてくる輩はいないのだから。
「今日は本当に楽しかったわ」
ドラコの顔を見て言う勇気もなく、ハリエットは空を見上げたままポツリと言った。
「ドラコがパートナーで良かった」
「……僕も、意外と楽しかった」
「意外とって失礼ね」
ハリエットは苦笑した。ドラコも釣られるように笑った。
「足も踏まれなかったし」
「それは私も驚いたわ!」
ハリエットは急に生き生きした目でドラコを見た。
「ドラコって、ダンスとっても上手なのね。すごく踊りやすかったわ」
「こういう場は慣れてるからな」
『社交界に出てるの?』と聞こうとしたが、突然後ろの茂みがガサガサ音を立てたので、その台詞は引っ込んだ。驚いて二人して振り返ると、丁度バラの茂みが派手に吹き飛んだところだった。
そこから飛び出した黒い影は――スネイプだった。意地悪い表情をむき出しにして、こちらを見ている。だが、すぐにその目がドラコとハリエットを捉えると――本当に珍しいことだが――困惑した表情になった。まるで、ハリエットのパートナーがドラコだと知ったときのハリーとロンのような顔をしていた。
「……こ、こんばんは、スネイプ先生」
ハリエット達も、どうして茂みからスネイプが現れたのかということに困惑しながらも、ひとまずは挨拶をした。
「こんな所で君たち二人は何をしている?」
挨拶は無視して、スネイプは聞いた。
「話をしてます」
あまりにも短すぎる返答に、ハリエットが慌てて付け足した。
「涼みに来たんです。暑かったので……」
何かを暴くかのようにギョロギョロ二人の間を移動するスネイプの視線が痛かった。やがて、彼はようやく口を開いた。
「もうすぐ消灯時間だ。パーティーに浮かれていないで、早く寮に戻ることだな。一分でも遅れれば我輩は容赦なく減点するぞ」
「はい」
「おやすみなさい」
スネイプはしかめっ面を返し、城の中へ入っていった。彼の姿が見えなくなると、緊張がスルスルと解けた。
ベンチの背もたれに背中を預け、ふっと息を吐く。
「……お散歩かしら?」
「お散歩なんて柄か?」
あんまりな言い草に、ハリエットは笑ってしまった。
「仮にも寮監でしょう?」
「でも事実だ」
気が抜けたところで、ハリエットは立ち上がった。ちらほらと玄関ホールへ向かうカップルの姿も見られる。
二人は肩を並べて城の中へ入った。丁度階段の所でハリエットはドラコと向き直った。
「じゃあ、おやすみなさい」
「寮まで送る」
思いも寄らない申し出に、ハリエットは瞬きをした。
「え、でも――」
「送る。もう夜も遅いし」
「ありがとう」
折角なので、ハリエットはお言葉に甘えることにした。
消灯時間も近いというのに、まだ廊下には幾人か生徒の姿があった。特別な一時に興奮したように頬を上気させ、今が何時かということも忘れている様子だった。
「今日は本当にありがとう」
八階の肖像画の前まで来たので、ハリエットがドラコに向き直った。
「寮まで気をつけてね。もう時間が時間だから」
「スネイプ先生なら、見逃してくれる」
ドラコの言葉に、ハリエットは笑みを返した。
「おやすみなさい」
そうして歩き出そうとしたところ、不意にくいっと手を掴まれた。
ハリエットの左手を掴んでいたのは、ドラコだった。彼はハリエットの手を握りしめたまま、その手の甲に――キスを落とした。
「――っ」
「僕も、今日はとても楽しかった」
ドラコは目を伏せていたので、その表情は分からなかった。
「じゃあ」
そのままドラコは踵を返し、階段を降りていった。ハリエットは茫然として左手を押さえる。手の甲が、異常なくらい熱かった。
ハリエットはしばしその場で放心していたが、やがて誰かの声が階段下から聞こえてきて、慌てて太った婦人に向き直り、合言葉を言った。
穴をくぐっているときも、ハリエットの心臓はドキドキとうるさかった。ドラコの行動に、これといった理由がないことはわかっていた。ハリエットがそういうスキンシップとは無縁だっただけで、キスやハグは日常茶飯事だ。だが、まさかあのドラコにキスされるとは思ってもみなかったので、内心ひどく動転していた。
ふわふわした足取りで談話室に入ると、まだ数人生徒の姿があった。ハリエットは気にも止めずに寝室へ行こうとしたが、彼女の前に、ドンと何者かが立ちはだかった。
「なんでこんなに帰りが遅いんだ?」
腕を組み、立っていたのはハリーだった。ハリエットはピンと眉を上げる。
「普通よ。他の人もまだ大勢廊下を歩いてたわ」
「こんな時間に出歩いて。何かあったらどうするんだ?」
「寮の前までドラコが送ってくれたわ」
ツンと答えれば、それはハリーの望む答えではなかったらしい。
「それが危ないって言ってるんだ!」
ハリエットは、顔を真っ赤にして言い返そうとした。しかしすんでの所で、フレッドがと間に割って入った。
「落ち着けって、ハリー。何事もなく帰ってきたんだからいいじゃないか」
「そうそう。ハリー、君、ハリエットのお父さんみたいだぜ」
ジョージにウインクされ、ハリーは気まずそうに顔を逸らした。ハリエットはその隙に女子寮に逃げ帰った。
「ハリエット! まだ話は終わってない!」
「今日はもう疲れたの! 話は明日よ!」
ハリエットは叫び返し、寝室に飛び込んだ。そのまま扉を閉め、無意識のうちに手の甲を撫でた。ハリエットの口角は、これまた無意識のうちに上がっていた。