■小話

02:お世辞大流行



*死の秘宝『十七歳の誕生日』、隠れ穴にて*


 ハリーとハリエットの十七回目の誕生日当日、隠れ穴では、何故だか『お世辞』というものが大流行していた。
 事の発端は、誕生日プレゼントとして、ロンがハリーに『確実に魔女を惹きつける十二の法則』という本を贈ったことがきっかけだ。
 始め、ロンはハリーに良いところを見せようと機会を窺っていた。その機会は、誕生日の飾り付けをしているときに起こる。ハーマイオニーが杖の先から出した紫と金のリボンは、ひとりでに木や灌木の茂みを芸術的に飾り、その光景を見ていたロンが、ヒューッと口笛を鳴らしたのだ。

「素敵だ」

 ハーマイオニーが最後の派手な一振りで野生リンゴの木の葉を金色に染めたとき、ロンが言った。

「こういうことにかけては、君はすごく良い感覚してるよなあ」
「ありがとう、ロン!」

 ハーマイオニーは嬉しそうに笑い、ハリーはにやっと笑った。まだきちんと本を読んではいなかったが、ロンからもらった本の項目の中に『お世辞の言い方』という箇所があるのだとハリーはこの一件で確証したのだ。
 ハリーはすぐに実践した。モリーがビーチボールほどの巨大なスニッチ――正体はバースデーケーキだった――をテーブルの上に置いたとき、ハリーは感嘆して言った。

「すごい大傑作だ、ウィーズリーおばさん」
「あら、大したことじゃないのよ」

 モリーは愛おしげに言った。
 モリーの肩越しに、ロンはハリーに向かって両手の親指を上げ、唇の動きで『今のは良いぞ』と言った。二人のこの光景を見ていたフレッドとジョージは、またしてもニヤリと笑う。かつて、自分たちがロンに贈った『確実に魔女を惹きつける十二の法則』が、確実にハリーへと受け継がれていることを悟ったのだ。
 フレッドとジョージは、弟と弟分ハリーのお手本にならねばと意気込んだ。
 それからはもうねずみ算式に大流行である。
 玄関の傘立てに躓くトンクスを見て、フレッドは『おっちょこちょいなところが魅力的だな!』とウインクし、モリーの手伝いをするジニーにジョージは『なんて家庭的なんだ! ジニーの旦那さんになる人は幸せ者だろうな!』と肩を叩き。
 これを受けてトンクスが、ルーピンに『リーマスは私に何か言うことはない?』と迫ったり、ジニーはハリエットに『ジョージがまた変なことやり出したわ』と愚痴り。

「君の笑顔は……見てるといつもホッとする……」
「リーマス……!」

 という新婚の熱々振りを見せられたビルは、爽やかにフラーに微笑んだ。

「だんだん英語も上手くなってきたけど、君のたどたどしい話し方も可愛くて好きだよ」
「ビル……!」

 こうして、とてつもない速さで、隠れ穴に甘い空気が充満した。この場の情勢に、自分の出番がやってきたと鼻息荒くするのはシリウスである。

「ハリーは勇敢で、とても友達思いだ。リーダーシップもある。もし同世代だったら、ぜひ大親友になりたかった」
「――っ」
「ハリエットは素直でとても優しい子だ。笑顔は素敵だし、声も可愛い。わたしの理想の女の子だ」
「――っ」

 シリウスの、自分は世界一幸せだという表情と言葉は、ハリーとハリエットの心を真正面から打ち抜いた。
 決して口説かれている訳ではないし、そもそもいつものシリウスに少し拍車がかかったくらいのお世辞だ。それでも、やる気になった彼の破壊力は抜群。ハリーとハリエットは、顔を真っ赤にして『シレンシオ』を唱えられたかのように黙りこくってソファに崩れ落ちた。

『さあ、早速シリウス・ブラックはハリーとハリエットの両者を戦闘不能にしました! どう思いますか、ジョージさん?』

 杖をマイクのようにして、フレッドはジョージに杖先を向けた。ジョージもノリノリである。

『いやあ、見事なまでの手腕ですね! 彼の隙のない手練手管は、さぞ学生時代にも活かされたことと思います! 男の魅力の最盛期を誇るシリウス・ブラック! 彼はこのお世辞大会の最有力候補か!?』
『いやいや、もう一人お忘れではありませんか、ジョージさん! 今ここには彼がいる――ハッフルパフの貴公子、セドリック・ディゴリー!!』

 高らかに名前を呼ばれたセドリックは、盛大にビクついた。彼は、ハリー達の誕生日パーティーに招待され、隠れ穴に来ていた。純粋に誕生日を祝うだけのつもりできたのに、何やら変なことに巻き込まれようとしていた。

「え……えっ?」
『さあ、セドリック・ディゴリー! ここからどう動く!?』
『シリウスが好戦的な目で睨み付けています! 負けるな、セドリック!』

 混乱するセドリックを尻目に、ロン、ジニー、トンクス達が、やいやい野次を飛ばした。何やら、やらなくてはならない雰囲気になっていた。セドリックは冷や汗を流しながら立ち上がった。
 ゆっくりと居間を見回すものの、誰も彼もが興奮して拳を突き上げ、ゆっくり話を聞いてくれる状態ではない。
 セドリックは、恐る恐るソファに近づいた。

「あ……えーっと……ハリエット?」

 セドリックは、このメンバーの中で彼女が一番褒めやすいと判断した。シリウスが言うとおり、彼女は優しいし、素直だ。褒めたら多少なりとも反応をくれるはず――少なくとも、この孤立した場所の支えとなってくれるのではないかと思った。

「君は……その、動物にも優しいし、寮の垣根なく人当たりが良い。そういうところが、とても女の子らしくて、可愛いと思う……」
「…………」
『おおーっと、これは!?』

 フレッドが興奮した声を上げた。

『ハリエット・ポッター、まさかの無反応!! おそらく先ほどのシリウス・ブラックの攻撃力が高すぎて、未だ死の淵から舞い戻れずにいるようです! これにはシリウスも勝ち誇った笑みを浮かべています!』
『最有力候補はセドリック・ディゴリーかと思われましたが、彼は残念な結果に終わりましたね』

 ジョージが冷静に解説した。

『彼は普段、何も考えずに甘い笑顔と言葉で女子を虜にしているんです。お世辞を言わなければと意識すればするほど、その普段の実力はがた落ちになってしまうようです』
『いやはや、非常に残念です。良くも悪くも、彼は爽やか真面目系だったということですね』
『からかいがいがなくて残念です』

 散々ないわれようである。セドリックはかなり落ち込んだ様子でソファに崩れ落ちた。

『さあ、次なる挑戦者は誰だ? ん? ここで居間に入ってきたのは、我らが父親アーサー・ウィーズリー!?』
『男を見せてくれ、アーサー・ウィーズリー!!』

 魔法で声を大きくしているフレッドとジョージの声は、隠れ穴中に響いていた。アーサーは苦笑いを浮かべながら、モリーの手に己の手を重ねる。

「可愛いモリウォブル……。どうかこの先もずっと君のおいしい手料理を食べさせてくれ」
「アーサー……!」

 モリーはポッと頬を染め、アーサーを見つめた。アーサーは彼女に顔を近づけ――そして唇を重ねた。

『おおーっと! これはすぐ隣にいたロン・ウィーズリーに大ダメージ!』
『さすがに両親のキスを間近で見るのは破壊力がありすぎた!』
「どうして僕を槍玉に挙げるんだよ!」

 ロンは真っ赤な顔で言い返した。『皆だって大ダメージだろ!』とロンはテーブルに顔を伏せる。

『んんっ? 次なる挑戦者は――ルビウス・ハグリッドだ!』

 勝手に指名されたハグリッドは飛び上がった。

「お、俺かっ!?」
『さあ、ハグリッド! その巨体で男の懐のでかさを存分に発揮してくれ!』
『見せてくれハグリッド!』

 ハグリッドは顔を真っ赤にしながら、しどろもどろになった。そして、混乱したあまり、ついに助けを求めたのは、すぐ隣に座るチャーリー・ウィーズリー。

「ノーバートはどうしてる?」

 ハグリッドは小声で尋ねた。

「とっても元気だよ、ハグリッド」

 チャーリーは短い髪をかきながら微笑んだ。

「ドラゴンにしては珍しく、人によく懐くんだ。きっと彼女が小さい頃から君が大切に育てたおかげだろうね」
「チャーリー……!」
『なんということだ!』

 興奮したフレッドが、唾を飛ばす勢いで叫んだ。

『我らが次兄チャーリー・ウィーズリーによる、まさかの逆お世辞が決まったあああ!!』
『これは予想だにしなかったカップリングの成立です!』

 もはや興奮は最高潮だった。ヒューヒューと口笛を吹き鳴らす者や、拍手喝采、やんややんやの大騒ぎである。

『さあ、ラストを決めるのは――!?』

 ジョージが息を吸い込んだ。

『その名も――ドゥラァコォオオ・マァルフォオオオオイ!』

 本当に素面か。
 ドラコは茫然とした顔で突っ込んだ。
 多少なりともワインは出たが、それほど度数は高くないものだった。もしかしなくても、雰囲気に酔ったのか。揃いも揃って酔っ払いどもが、何を騒ぎ立ててるんだ。

『さあ、ドラコ! 冷静な表情ですが、頭の中では複雑に知略張り巡らせているのか!?』
『大人げない、大人げないぞシリウス! 一方的にライバル視しているらしいシリウスが、ドラコを挑発しています!』
『おおっと!? ドラコが立った! ドラコが立ちました!』
『そして向かう先はあああ! もちろんハリエット・ポッターああああ!』

 ドラコは、ハリエットの前に立った。ハリエットは未だ頬を赤らめ、放心した様子だ。
 ――後見人に『理想の女の子』と言われて、そんなに嬉しいものだろうか。
 ……気にくわない。

『さあ、最期にお姫様の心を掴むのはスリザリンの王子か!?』
『それともグリフィンドールの王様か!?』
『どっちだ!?』

 シン、と静まりかえった。ドラコはやけに落ち着いていた。ドラコはソファの背に手をつき、身をかがめた。ピクリとハリエットが動き、顔を上げた。頬をほんのり染めた彼女をこれ以上見ていられなくて、ドラコは彼女の耳元に口を寄せた。

「――君は、僕が出会った中で一番可愛い女の子だ」

 囁くような声だった。シンと静まりかえったこの場ですら、ハリエット以外の誰も聞き取れないほどの声量。だが、彼の言葉の効果の程は、あまりにも分かりやすすぎた。
 今までのは序の口だというくらい、ハリエットはぶわっと一層顔を赤く染めた。そして今度こそ――ノックアウトされた。パタンとソファに倒れ込み、ハリーが慌てて介抱する。

『決まったあああ! ドラコ・マルフォイ! やりました! お姫様の心を掴んだっ!』
『しかし、一体彼はなんと言ったのでしょう!? どれほど甘い言葉で口説いたのか!?』
『ジョージさん! それでは大会の趣旨が変わってきてしまいます! これはあくまでお世辞大会です!』
『しかし、それ以外にこの状況の説明がつきますか!? ハリエットはきっと、我らでは想像もつかないとびきり甘い言葉で口説かれたに決まってます!!』
『あああっ! それ以上言ってはいけません! シリウスが暴れ出します! 今ですら既に彼は杖先から炎を出しています!』
『シリウス、シリウス! 待て! お座り! 落ち着いてください! ただの大会ですから!』

 ――結局、この大会の優勝者は、ハリーとハリエットの二人を両手取って褒め殺ししたシリウス・ブラックに決まった。ドラコ・マルフォイと意見は二手に分かれたが、結局彼が何を言ったのか、決して口を割らなかったので、シリウスに落ち着いたのだ。優勝商品は、酔っ払いどもがはやし立てる中、ハリエットからのキスだった。シリウスは至極嬉しそうに顔を緩め、ドラコ・マルフォイのことなど頭から吹っ飛んだ。今日はハリー、ハリエットの十七歳の誕生日だというのに、まるでシリウスの誕生日だと言わんばかり、彼は幸せそうな顔をしていた。