■小話

04:足掻きひた隠す



*謎のプリンス『開心術』後、マルフォイ邸にて*


 今となっては唯一安心できる場所――マルフォイ邸に姿くらまししても尚、ドラコとナルシッサは二人とも口を開かなかった。双方ただでさえ青白い顔が、今は一層血の気を失い、真っ白だった。

 長く暗い廊下を抜け、扉を開けると、いつもは几帳面に整頓されているはずが、ごちゃごちゃと荒らされている居間へとたどり着いた。ナルシッサはその綺麗な顔を歪ませ、小さくため息をつく。

 死喰い人として、ルシウス・マルフォイがアズカバン送りにされ、すぐにやってきたのが魔法省だ。容赦なく検分され、おそらくどの部屋もここと同じような惨状だろう。杖一振りで綺麗になるとはいえ、家族以外の無法者がここに入ってきたのだと思うと腸が煮えくりかえってくる。

 杖を振るい、ナルシッサが部屋を綺麗にしていると、ずっと立ち尽くしたままの息子、ドラコ・マルフォイが視界に飛び込んできた。ルシウスとそっくりなその見た目は、夫の不在を心細く思うナルシッサを慰めると同時に、なんとしてでもこの子を守らなければという強い信念をより固めさせた。

「……ドラコ」

 ナルシッサがようやく口を開くと、ドラコはビクリと肩を揺らした。しかし顔はこちらには向かない。ナルシッサは自ら息子の方に近寄り、彼の肩を抱いた。

「気に病むことはないのですよ。きっと私が助けてみせます。当てはあるのです。私に任せなさい」

 そして安心させるようにポンポンと背中を叩いた。

「一緒にお父様を助けましょう」

 ドラコは声もなく小刻みに何度も頷いた。

「部屋で休んでいなさい。しもべ妖精に夕食の準備をさせます」

 ドラコは小さく頷き、まるで夢遊病者のようにぼうっとした表情で部屋まで言った。ナルシッサはそれを気遣わしげに眺めていたが、やがてしもべ妖精に命令を下した後、疲れたようにソファに崩れ落ちた。

 一体どれくらいの時間が経っただろう。気づいたときには、居間に声が響いていた。

「シシーに用がある」

 声からして、ベラトリックスだ。おそらく、ヴォルデモートからどんな話があったのか聞きに来たのだろう。ベラトリックスは、ナルシッサの頼れる姉であり、同時にヴォルデモートの腹心の部下でもある。ナルシッサは顔を引き締めた。

「入れなさい」

 ナルシッサが命令すると、玄関の方で扉が開く音がした。コツコツと大股な足音が響き、やがて居間の扉が開いた。

「シシー」

 ベラトリックスは挨拶もなくナルシッサの対面となるソファに腰を下ろした。

「あのお方はどんな話をなさったのだ? 頼まれごとをしたのか?」
「…………」

 ナルシッサは、しばし黙した。胸の底でぐるぐると渦巻く不安を今すぐに打ち明けたい衝動に駆られた。だが、本当に彼女に話しても良いのだろうか? ヴォルデモートはわざわざ自分とドラコだけに話をした。ベラトリックスに話すことは裏切りと見なされるのでは?

 そう考えるとナルシッサは怖くて堪らなかったが、しかし、自分で思い悩むのは、それ以上に恐怖でしかなかった。

 ナルシッサは、縋るように姉を見つめた。

「――ドラコが、ダンブルドアの殺害を頼まれたの」
「なんだって!?」

 ベラトリックスは高い声で聞き返した。さすがの彼女も予想だにしなかったのだろう。しばらく黙し、難しい表情になる。

「……見せしめのおつもりだろうか?」
「そうとしか考えられないわ。あの子には到底なし得ないことをお命じになられた……。ルシウスが、ドラコの訃報を聞くか、アズカバンで対面するのをお望みなのよ」
「どうするつもりだ?」

 ベラトリックスは鋭く聞き返した。ナルシッサは涙に濡れた顔を上げた。

「……セブルスに頼むわ」
「セブルスだって!? なんだってあんな奴に!?」
「頼れるのはセブルスしかいないのよ。あの人はルシウスと旧知の仲だもの。頼んだらドラコのことを助けてくれるはず……。彼しかいないのよ。唯一ホグワーツでドラコの手助けができるわ」
「だからって――」
「そうよ。私たちにはもう彼しかいない」

 ナルシッサは唐突に立ち上がった。ベラトリックスは目をひん剥く。

「どこへ行くつもりだ?」
「セブルスの所よ」

 ナルシッサは言葉少なく答え、玄関へ向かった。慌ててベラトリックスをついていく。

「待て! 駄目だ、あの男は信用ならない!」
「彼に頼むしかないの! じゃないと、ドラコが死んでしまうわ!」

 ベラトリックスの手を振り切り、ナルシッサは姿くらましをした。一瞬遅れて、ベラトリックスもため息をつきながら姿くらましをする。あっという間の出来事だった。


*****


 しばらくして、マルフォイ邸に再び二人の影が姿現しした。その二つの影は、まるで人目を憚るかのようにそそくさと屋敷へと入っていく。

「まさか、あのセブルスが『破れぬ誓い』をするとは思わなかった」
「これでひとまずは安心だわ」

 ナルシッサは硬い表情で言った。ベラトリックスは片眉を跳ね上げた。

「だが、裏切らないかは分からない。あいつは信用するな」
「他に誰を信用しろと? 他に誰がドラコを守ってくれるというの!?」

 居間に入ると、既に夕食の準備はできていた。物々しい雰囲気のナルシッサとベラトリックスを目にし、しもべ妖精が縮こまる。

「ドラコを呼んできなさい」
「かしこまりました」

 深く頭を下げ、しもべ妖精はサッと姿くらましをした。ベラトリックスは荒々しく椅子に腰を下ろす。

 テーブルの上には三人分の夕食の準備がしていた。ベラトリックスもここで食事をするとは言っていなかったが、妖精が気を利かせたらしい。

「直に、あのお方からもお話があるとは思うけど、ベラ、あなたにドラコの閉心術の特訓をするようにと」
「私が?」

 ベラトリックスが意外そうに聞き返した。が、すぐにおかしそうに口元を歪めた。

「そりゃいい。私もドラコの記憶には興味があった」

 そのタイミングで、ドラコが姿を現した。ドラコはベラトリックスがいることに気づくと、僅かばかり動揺を見せた。

「どうした? 早く席に着かないか」
「ドラコ」

 ナルシッサにまで急かされ、ドラコは陰鬱とした表情で席に着いた。楽しい雰囲気など欠片もない夕食が始まる。

「闇の帝王は至極興味深いことを仰っていたな」

 食事が始まって間もなく、ベラトリックスはすぐにそう切り出した。

「確か……お前がハリー・ポッターの妹を好いているとか何とか……。申し開きはあるか、ドラコ?」
「闇の帝王は、何か勘違いしておられるようです」

 ドラコは平然とした態度で言った。

「確かに、あの女とは箒の練習もしました。でもそれは、脅されたからです。一年生は箒の所持をしてはいけないのに、と。理事である父上のことを考えると、言うことを聞くほかありませんでした」

 性格の悪い女です、とドラコは付け足した。

「それに、あの女は箒が下手で、一メートルも飛べませんでした。哀れに思って教えてやったまでです。あの方が仰るような感情は一切ありません」
「本当だろうな?」
「当然です」

 ドラコは即答した。

「あいつらは、父上をアズカバン送りにしました。僕がどうしてそんな感情を持つとお思いに?」
「……それもそうだな」

 ベラトリックスはすぐに引き下がった。甥とはいえ、ベラトリックスもドラコが幼い頃から彼を見てきた。彼が誰よりも純血主義に染まっているのは、見ていて明らかだった。

 母であるナルシッサもすっかり納得して頷いた。

「きっと、ドラコを辱めるためにあんなことを仰ったのね」
「シシー、滅多なことを言うんじゃないよ」

 不敬とも取られかねない発言に、ベラトリックスがピシャリと言った。

「ごめんなさい。でも、本当に良かった。もしかしたら、とちらとでも思ってしまったから」
「今日ご主人様が話されたことをルシウスが聞いたら卒倒してしまうな」

 ベラトリックスの耳障りな笑い声に、ドラコは同調するように笑い声を返した。


*****


 それから、夏季休暇中、ベラトリックスが暇を見つけ、ドラコに閉心術の特訓をしていた。ヴォルデモートの右腕としてベラトリックスは忙しいので、特訓のほとんどはレストレンジ家で行われる。時々ベラトリックスは、ドラコと共にマルフォイ邸にやってきて、ナルシッサと共にお茶をすることがあった。その時はいつも、ドラコの閉心術が話題に上がった。

「あのお方の仰るとおり、ドラコの閉心術はなかなかだよ」
「それは良かった。ホグワーツはダンブルドアの箱庭なのだから、心を隠し通す必要があるわ」
「だが、私はどうも気にくわない」

 話が食い違い、ナルシッサは眉根を寄せた。

「どういうこと?」
「ハリエット・ポッターだよ」

 突然出てきたその名に、ナルシッサは一層眉間の皺を深くする。息子の名誉に傷をつける者として、ナルシッサはその名をひどく毛嫌いしていた。

「ドラコは小娘のことを、ただ箒を教えただけの仲だと言ったが、あの子の記憶を見るに、どうにもそれだけじゃないようだ」
「でも、ドラコは――ドラコが、まさか」

 ナルシッサの声は震えていた。

「まさか、本当にその子のことを好きだなんて言わないわよね?」
「分からない」

 ベラトリックスの返答は、ナルシッサが期待していたものではなかった。

「私も、まさかとは思うさ。でも、ちょっとずつ綻びが出始めてるんだ。最後の最後に出てくる記憶が、どうしていつも小娘と一緒にいるときのものなんだ? 故意に隠しているとしか思えない。きな臭いじゃないか。わざわざそんなことをするなんて、後ろめたいと言ってるようなものだ」
「そんな……まさか……」
「シシー、お前はドラコから何か聞いていないのか?」

 ベラトリックスの鋭い視線がナルシッサを射貫く。まるで開心術をかけられているような気持ちになって、ナルシッサは一瞬気が遠くなった。

「聞いてないわ。そんな子の名前なんて、この前初めて聞いたようなものだもの。一度クィディッチ・ワールドカップの時に会ったことはあるけれど、印象だってないに等しいわ」

 思い出そうとしても、赤毛のウィーズリー一家に埋もれて、顔すらほとんど思い出せない。――そう、確か赤毛ではあった。双子といえど、兄とは似てもいないのだと薄らそう思ったくらいだ。そんな程度の印象の娘が、まさか息子を辱める汚点となるなど、誰が予想しただろうか。

「まあ、どちらにせよ小娘のことで何か分かったら報告するよ。直接問いただしても良いが、また嘘をつかれても堪らない。どうせなら真実しか語らない開心術で明らかにしよう」

 不安げな面持ちでナルシッサは頷いた。胸中で渦巻くのは、ハリエット・ポッター、その名ただ一つだった。


*****


 翌日、ドラコは再びレストレンジ家へ赴いた。ルシウスがアズカバンにいる今、そうなると、マルフォイ邸に残るのはナルシッサただ一人のみである。

 ルシウスの不在から、すっかり光を失った居間で、ナルシッサはソファに深く沈み込んでいた。彼女は、とある葛藤と戦っていた。マルフォイ家夫人としてはあり得ない行動だが、しかし、母親としては考えられなくもない行動を、するか否か――。

 迷いに迷ったナルシッサは、結局答えの出ないまま、無意識下でドラコの部屋の前まで来ていた。

 心臓が嫌な音を立ててナルシッサの焦りと緊張を表していた。ナルシッサは観念して、ドラコの部屋の扉を押し開いた。

 息子の部屋を訪れるのはおそらく数年ぶりだろう。部屋を掃除するのはしもべ妖精だし、今までだって、用があるときは妖精に呼びに行かせていた。

 ドラコの部屋は、部屋の主の性格を表すかのように、整然としていた。本棚は上から順に種類別に分けられ、雑誌類は下の方だ。クィディッチのグッズや手入れ用品は部屋の隅に片されている。父親から贈られて以降、きっとずっと大切に扱っていたのだろうニンバス二〇〇一は、専用の飾り台に置かれていた。

 ぐるりと見回した第一印象では、どこにも不自然なところはなかった。数年前訪れたときに見た部屋と同じような室内で、かつナルシッサが想像していた通りの息子の部屋だった。

 ほんの少しだけ湧き上がってきた安心感に背を押され、ナルシッサはついに足を一歩踏み入れた。主がいないまま勝手に部屋に入るなんて浅ましい行動は、今まで一度だってしたことがなかった。だが、そんな後ろめたさ以上に今彼女が感じているのは強い恐怖心だった。自分が育ててきた息子が、マルフォイ家の嫡男として立派に育ててきた息子が、想像だにしない一面を抱えているのではないかという恐怖。

 それからはもう早かった。ナルシッサは机の中やタンス、本棚の中を漁った。始めは魔法を使って念入りに調べ、しかしすぐに魔法の跡がないことがわかると、マグル形式で徹底的に調べ上げた。

 ――ドラコは、誰かに部屋を荒らされることを想定していなかったのだろう。自らの手で何かをする、ということに慣れていないナルシッサでも、彼女との痕跡はすぐに見つかった。

 まずは、ハリエット・ポッターの名前が書かれた手紙の束。

 まさか、文通までしている仲とは思いもよらず、一番始めにこれを見つけたとき、ナルシッサは一瞬気が遠くなるのを感じた。とはいえ、幸いなことに、手紙は全部で十通ほどだ。これくらいなら、『知り合い』ならまだ分かる。それに、ドラコはこれに返信していなかったかもしれない。一方的にハリエットが送ってきていただけかもしれない。今の今までこの束がこの部屋に残っていたのも、捨てるのが忍びなかったとか、捨て忘れたとか、そういう理由も考えられる。

 ナルシッサは、中を見たい衝動に駆られたが、さすがにその一線は越さなかった。

 次に見つけたのは、本棚で、不自然に一つだけブックカバーが掛けられた本だ。分厚い本のようで、ナルシッサはすぐにそれを手に取った。

 表紙を開くと、『素直になれない人がやるべきこと五十選』とタイトルがデカデカと視界に飛び込んできて、ナルシッサは面食らってしまった。まず、ドラコが己で買う訳がないだろう類いの本だと思った。素直かどうかで分類しろと言われれば、ドラコはまず素直な方だ。それに、彼が今まで自分の性格で悩みを持っているような節はなかった。幼少の頃より皆に敬われ、傅かれてきたためか、ドラコは時々高慢な態度になることもあるが、それはマルフォイ家嫡男としては普通のことだし、ドラコ自身そのことを苦に思っている様子もなかった。そんなドラコが、自分の悩みを本の知識で解決してもらおうなどと考える訳がない。

 となると、考えられるのはプレゼントとしてもらったという選択肢。考えようによっては相手を馬鹿にしているとすら思えるプレゼントでも、ドラコは捨てることなく本棚にしまっている。ブックカバーを掛けるほど不快なはずなのに、捨てることだけはしていない。

 半ば無意識のうちにページをめくっていると、本の中から二枚の紙のようなものが飛び出した。ナルシッサはその中の一枚を見て固まった。紛れもなく、片方は写真だった。

 拾い上げた写真に、二人は写っていた。ハリエット・ポッターはこちらに向かって笑顔で手を振り、もう片方の腕で逃げようとするドラコを捕まえている。

 ドラコは、ナルシッサが今まで見たことのないような表情をしていた。嫌そうな、恥ずかしそうな、でも少しだけ悪い気はしていないような、そんな複雑な表情。

 二人はどちらもドレス、ドレスローブを着ていた。年の頃からすると、三校対抗試合が行われたときのクリスマスパーティーだろうか。

 ――いや、しかし。

 そこまで考えたとき、ナルシッサは眉を顰める。

 確か、あの時のパーティーは、ドラコはパンジー・パーキンソンと行ったはずだ。パーキンソン家の夫人が嬉しそうにナルシッサに手紙を送ってきたことは今でも覚えている。二人がパートナーだったのは間違いない。

 なのに、どうしてドラコはハリエットと二人で写真に写っているのか。どうしてその写真をドラコは本の中に隠しているのが。

 ナルシッサはもう一度ハリエットに目を向けた。

 そうだ、確か彼女はこんな顔をしていた。クィディッチ・ワールドカップの時は印象は薄かったが、写真の中の彼女は無邪気な笑みを浮かべている。きっとこの先ナルシッサが彼女のことを忘れることはないだろうと言い切れるくらいには、この写真は強烈だった。

 写真を元の場所に戻し、本を閉じようとしたところで、ナルシッサはもう一枚の紙の存在を思い出した。床に手を伸ばしてそれを拾う。

 本の中から落ちたのは、ピンク色のカードだった。見た目からしてバレンタイン・カードだろう。花が色とりどりにキラキラ光っている。

 小さなそのカードには『あなたが友達で良かった』と、ただそれだけが書かれていた。宛名も何も書かれていない。それなのに、ナルシッサはこのカードがハリエットからのものだと見抜いた。そして同時に、ドラコもまたそうだと確信したのだと気づき、額を手で押さえる。

 いや、もしくは直接もらったのかもしれない。どちらにせよ、このカードはハリエットからのもので間違いない。そしてドラコはただの薄っぺらいカードを、今の今まで保管していたのだ。

 もう、ナルシッサに否定することはできなかった。そんな元気はなかったし、むしろ事実を肯定するような証拠ばかり出揃ってしまった。

 まさか――まさか、ドラコがあの娘のことを好き?

 ナルシッサは、それからどうやって居間まで戻ってきたかは覚えていなかった。気がつくと再び居間にいて、ソファの上に放心して座り込んでいた。

 ただの友達であればどんなにか良いだろうとナルシッサは思った。たとえ半純血でも、ハリー・ポッターの妹でも、気まぐれに知り合った友達ならいい。でも、もし二人の関係が恋愛ありきのものだったら?

 引き返せないかも知れない。

 ナルシッサは唇を噛みしめた。

 恋愛ありきのもので、しかもその記憶を闇の帝王に見られていたのだとしたら、とんでもない話だ。血を裏切る者として、粛正もあり得る。

 ナルシッサは、どうしても事実が知りたかった。そしてそのことは、少なくともあの手紙の中を見れば、友達か恋人か分かるはずだ。

 ナルシッサは夢遊病者のように立ち上がった。

 もはや、後ろめたさなど感じている余裕はなかった。ただただ、ひとえに二人の関係を暴きたかった。ただの友達だという事実を知って安心したかった。

 だが、唐突に暖炉の炎が燃え上がった。あまりにも突然で、ナルシッサは肝を冷やした。

 暖炉の中から出てきたのは、闇を思わせる黒い格好をしたベラトリックスだ。その表情は鬼気迫るもので、ナルシッサは一瞬言葉を失った。

「なっ――ベラ?」

 声は聞こえていないようだった。剣呑とした瞳で杖を振るい、煤を落とす。

 そう間を置かずに、暖炉からドラコも現れた。血相を変えた様子で、こちらもナルシッサには目もくれずベラトリックスを見る。

「――話を聞いてください、伯母上」

 ベラトリックスは無言で杖を振るった。杖先から飛び出した閃光がドラコの胸を打ち、彼は壁に身体ごとぶつかった。ナルシッサは悲鳴を上げた。

「ベラ! なんてことをするの!」
「伯母上だなんて呼ばれたくもないね、虫唾が走る」

 ナルシッサに支えられ、身体を起こすドラコを、ベラトリックスは虫けらでも見るような目で見た。

「シシー、ご主人様の仰る通りだった。そいつは血を裏切った。半純血なんぞ――よりにもよって、ハリー・ポッターの妹なぞと仲良しこよしをしていたんだ」
「ベラ……」

 ナルシッサはベラトリックスの前に立ちはだかった。ベラトリックスは杖を下ろしたが、まだその鷹のような目はドラコから外れない。

「文通をしていたし、プレゼントのやりとりだってしていた。ダンスパーティーのパートナーもあの小娘を誘い、危険が迫ったときには自ら助けに向かった……」

 ベラトリックスの鼻息が荒くなる。

「シシー、そいつはシリウス・ブラックのことも知っていて、わざと隠していた。アニメーガスだということを知っていたにもかかわらず、魔法省に知らせもしなかったんだ」
「それは誤解です」

 ドラコが立ち上がった。

「あの時は闇の帝王も復活されていませんでしたし、まさかシリウス・ブラックが僕たちの敵になるだなんて思いも寄らなかったんです。どうすれば良いか分からなくて――」
「ならばせめてルシウスには知らせておくべきだろう。以前のお前ならそうしていたはずだ」

 ベラトリックスはグイッとナルシッサを押しやり、ドラコの前までやってきた。そして彼の顔の目の前で、挑発するように杖を揺らす。

「お前はあの小娘のことが好き――そうなんだろう?」
「違います」
「アクシオ!」

 突然ベラトリックスが叫んだ。彼女の甲高い声にドラコとナルシッサは身を震わせた。そう間を置かず、扉の隙間から弾丸のように飛び出してきたのは一冊の本だ。ナルシッサには見覚えのありすぎるものだった。ブックカバーの掛けられた『素直になれない人がやるべきこと五十選』――。

 一瞬、ナルシッサは己のした行動がバレたのかとヒヤリとした。だが、ベラトリックスはナルシッサに見向きもしていなかった。受け止めた本を空中で乱暴に振り、写真とカードを地面に落とした。ベラトリックスの高いヒールは、すぐに写真の上に着地し、容赦なく捻られた。ぐしゃりと音を立てて写真が歪む。

「お前があの小娘を見逃さなければ、父親はアズカバンに入れられなかったんだぞ」

 私がお仕置きを受けることもなかった、とベラトリックスは首を振った。

「軟弱者め。お前ともあろう者が、小娘に梳かされるなぞ。あんな娘のどこがいいんだ? 半純血で、マグル育ちで、地味で冴えない、あんな娘のどこが?」

 ベラトリックスはまたも呼び寄せ呪文で床に落ちたカードを手の中に戻した。そしてマジマジとカードに書かれた文面を見る。

「『あなたが友達で良かった』? ――ハッ、お前はこんなものを後生大事に保管していたというのか?」

 杖先から飛び出した炎に、ちっぽけなカードはあっという間に燃え上がった。火種となって床に落ちたカードは、その他写真と本をも巻き込んで燃え広がる。

 ベラトリックスは、手紙の束も呼び寄せた。そして燃えさかる炎の中に突っ込んだ。ベラトリックスは清々とした表情で炎を見つめ、ドラコは無表情で伯母の所業を見守っていた。

 やがて全てが炭になると、ベラトリックスはようやく炎を消した。絨毯には焼き焦げの跡だけが残る。

「今は――もうなんとも思っていません」

 囁くような声が、ドラコの方から聞こえてきた。

「確かに、以前は友達のような付き合いをしてはいました。ですが、父上があんなことになってからは――決別しています。伯母上もご覧になったでしょう」
「…………」

 ベラトリックスは答えなかった。だが、僅かに躊躇うような光がその瞳に宿るのをナルシッサは目撃した。

「ご主人様に感謝することだね、ドラコ」

 やがて、ベラトリックスはそう口にした。

「私としてはお前に腸が煮えくりかえって仕方がないが、あのお方は別の方法でこの件に後始末をさせようとなさっている。せいぜい楽しみにしておくが良い」

 そう言うと、ベラトリックスは煙突飛行粉をむんずと掴み、あっという間に炎の中に姿を消した。後味の悪い空気の中、ドラコとナルシッサがその場に残された。

「――夕食にしましょう」

 しばらくして、ナルシッサはただそれだけを口にした。

 これ以上ドラコと話をする元気はなかった。話をすることで、これ以上自分の知らないドラコの一面を見るのは嫌だった。


*****


 それからも、ベラトリックスによるドラコの閉心術の訓練は続いた。ベラトリックスは、ハリエット・ポッターのことで嫌味を言うことはあれど、以前のような拒否反応は見せなかった。ハリエットに関する記憶は全て暴き、それ以上の着火剤がなかったからだろう。

 ベラトリックスは、ハリエットと決別したというドラコの言葉を信用しているようだったが、ナルシッサはどうにもそれを信じることができなかった。ベラトリックスのように、二人の決別の瞬間を見ていないというのもあるが、目に見えて憔悴している息子を見ていると、どうにもその言葉が真実には聞こえないのだ。いや、決別が事実だとしても、ドラコが想いを振り払えているかについては別、という意味でだ。

 現に、ダイアゴン横丁でハリエット・ポッターと遭遇したとき、ドラコは不自然なほど彼女と視線を合わせなかった。怒っているというよりは、恐怖。まるで、ちらとでもハリエットと親しい様を見せれば、どこかで監視しているベラトリックスが彼女に火を放つとでも思い込んでいるような恐怖だった。

 現に、確かにベラトリックスならばそうするだろうとはナルシッサも思っていた。もしもドラコがハリエットのことを好いているのであれば、説得するよりも、当の相手の命を奪った方が早い。ベラトリックスはそれほど好戦的で、直情的な性格だった。

 クリスマス休暇で、数ヶ月ぶりにドラコと会ったときも、ナルシッサは同じように考えていた。

「最近パーキンソン家の娘と仲が良いようね」

 わざとそんな風に話題に上げたのも、己の直感を裏付けるためだった。

「誰から聞いたんです?」

 そう尋ねたドラコは、答えを求めていないようだった。

「でも、まあ、そうですね。否定する理由はありません」
「付き合っているの?」

 俗な言い方だと自分でも分かっていた。しかしナルシッサは聞かずにはいられなかった。

「いずれそうなるかもしれませんね」

 疲れたように言うドラコに、ナルシッサは落胆していた。

 ――やはり、彼は未だ想いを振り切れていないのだ。パーキンソン家から、息子さんが娘と仲が良いようで、という旨の手紙を受け取ったとき、ナルシッサはどれだけそれが事実であればと願ったか分からない。もしパンジーと恋人関係になったのであれば、ドラコは傷つかない。ヴォルデモートの二つ目の使命――ハリエット・ポッターをヴォルデモートの前に連れてきたとしても、ドラコがその事実を知ったとしても、悲しみは少なくて済む。

「それなら……良かったです」

 だが、ナルシッサはドラコの言葉を信じるしかなかった。そうでもしないと、彼の使命の成功を心から願うことができなかった。

「私はてっきりハリー・ポッターの妹と……と思っていたから。そうでなくて良かったわ」

 ナルシッサも、ドラコに便乗するしかなかった。

 ドラコが、ベラトリックスの開心術対策を企てているのは明白だった。

 開心術は、あくまで相手の記憶を覗けるだけであって、感情や考えていることまで分かるわけではない。ならば、言動だけで己の全てを曝け出そうと思ったのだろう。

「ただの友達だったと言ったでしょう」

 ドラコは鼻で笑うようにして言った。

「友達というよりも知り合いか……。強引な女でした。傲慢なハリー・ポッターそっくりですよ。そのくせ、地味だし、すぐにウィーズリー家に埋もれている。血を裏切る奴らにそっくりな、醜い赤毛だ」

 ナルシッサは目を伏せた。彼のこの台詞を引き出したのは、紛れもない自分だ。にもかかわらず、聞いていられないと思った。己のしていることが、ドラコを傷つけているような気がして、心がひどく痛む。

「パーキンソンの方がよっぽどいい女だ。ぜひとも付き合いたいですね」

 ドラコは顔を歪めてそう言い放った。そんな息子に対し、ナルシッサは、どうか、どうか本心からの言葉でありますようにと足掻き、祈った。