■小話

06:絆されたのは



*死の秘宝『束の間の平穏』後、隠れ穴にて*


 シリウス・ブラックは、まるで嵐のような人物だとドラコは常々思っていた、主に自分に対して、である。例えばハリーやハリエットに対しては、太陽のような温かさとチョコレートのような甘さで接し、親友のルーピンに対しては、気心の知れた悪ガキ仲間といった表情になる。ロンやハーマイオニーに対しては理解のある大人風を演出しているし、フレッドとジョージに対しては、まるで童心に返ったかのように瞳をキラキラさせて悪戯グッズについての話に花を咲かせている。そして肝心のドラコ・マルフォイに対しては――先述の通り、嵐のような接し方だ。

 つい先日、ドラコはハリエットと仲直りをした。仲直りといっても、ハリエットがドラコのしでかしたことを許してくれたというだけだ。ハリエットは以前のような関係を求め、ドラコもそれを了承した。とはいえ、ドラコは彼女の後見人のシリウスの存在が恐ろしくてならず、人目のない場所でなら以前のようでもいい、と伝えたが、実際のところ、ハリエットはそのことを失念しているらしく、ところ構わずドラコに話しかけてくるのだ。

 そのせいで、人間嵐シリウスは大忙しだった。ハリエットとドラコが二人でいるのを見つけると、何の話だと割って入ったり、ドラコに自分の仕事を押しつけたり、誰々が呼んでいたぞとありもしない呼び出しをドラコにしたり。

 最近では、ハリエットがちらりとドラコに視線を向けるだけでも、シリウスは彼女の注意を引こうと躍起になっている。ここまで来ると、さすがのドラコも疲弊してきた。肝心のハリエットは、シリウスのはた迷惑な行動に全くもって気づかない。おそらくシリウスが自分の体調を案じ、過保護に拍車がかかった程度だとでも思っているのだろう。シリウスの野生の獣のような警戒に神経をやられるのは、当然ドラコただ一人だった。

 今日も今日とて、二人一緒に結婚式の祝い品を仕分けようとドラコを誘うハリエットに、わたしも暇だからやるとどこからともなくシリウスが現れた。

「今日はそんなに量はないから大丈夫よ」
「それでも、三人でやった方が早く済むだろう? あ、なんなら君はやらなくてもいいぞ。確かさっきハリーが呼んでいた」

 素知らぬ顔でシリウスはドラコに向かって言った。だが、ドラコは彼の言葉が嘘だと見抜いていた。ハリーは、つい先ほどロンと一緒に庭小人の駆除のためにすぐ横を通り過ぎたばかりだからだ。

「ポッターには、後で用を聞きに行きます」
「急ぎのように見えたがな。暇なうちに行っておいた方が――」
「シリウス!」

 バタバタと慌ただしく階段を降りてきたのは、フレッドとジョージだ。ハリエットとドラコ、そしてその間に不機嫌そうなシリウスを発見し、赤毛の双子はニヤニヤし始める。

「なあ、シリウス。今日は新作悪戯グッズの感想を聞かせてくれるっていう話だったよな?」
「こんな所でハリエットにちょっかいかけてないで、俺たちに力を貸してくれよ」
「人聞きの悪いことを言うな。ちょっかいなんかかけてない」

 堂々とシリウスは答えたが、明らかに少年少女の間に腰を下ろす後見人の存在は邪魔者でしかない。

「わたしは仕事をだな――」
「私情を挟んでないって言い切れるか?」

 ニコニコとジョージは笑った。シリウスはうっと詰まる。

「さ、即答できなかった悪い子にはお仕置きだ」
「俺たちと一緒に来て貰うぞ」

 シリウスは両側からがっしりと双子に掴まれ、そのまま退場させられた。呆気にとられてドラコは三人を見送ったが、階段を上る前に振り返ったフレッドとジョージにパチンとウインクされたのは、気のせいではないだろう。

「行っちゃったわね」

 ハリエットは苦笑いを浮かべてドラコを見た。自分たちの間にぽっかりと空いた空間はそのままだと居心地が悪く、ハリエットは腰を浮かして席を詰めた。

 ドラコは反射的に階段に視線を走らせた。ここ数日間、いつシリウスが登場するかという恐怖で研ぎ澄まされた防衛本能だ。

 だが、有り難いことにシリウスは現れなかった。ドラコはホッと息を吐き出しながら、仕分けに注意を戻した。

 最初の数分は静かだった。だが、ハリエットが落ち着きなくソワソワしているのを感じ、何か言いたいことでもあるのだろうとドラコもずっと黙っていた。ようやく心を決めたのか、ハリエットが真面目な顔でドラコの方を向いた。

「ねえ、ドラコ。改めてお礼を言わせて。……私を助けてくれてありがとう」
「お礼を言われるようなことなんて……」
「私を救い出してくれただけじゃなくて、私の薬を作ってくれたことも聞いたわ。八人のハリー作戦だって」

 一旦言葉を切り、ハリエットは恥ずかしそうに俯いた。

「ずっとお礼を言いたかったけど、言うタイミングがなくて……」

 言わずもがなシリウスのせいだろう。

 だが、ドラコはもちろんそんなこと口にはしなかった。

「私やハグリッドを守りながらなんて、大変だったはずだわ……。私は完全にお荷物だったし」

 ハリエットが申し訳なさそうにドラコを見る。ドラコは肩をすくめた。

「なんてことはない。死喰い人達は君に呪文が当たらないように躊躇してるみたいだったし」
「でも、せめて意識があれば良かったのに。自分の身くらいなら守れたと思うわ」
「それでも、途中で君の目が覚めなかったのは幸いだったと思う」
「どうして?」
「僕たちは何百メートルもの上空にいたんだ。ハグリッドのオートバイに乗って、上下左右に揺られながら。そんなときに目を覚ましたら、また一メートルしか飛べなくなるぞ」

 パチパチッとハリエットは瞬きをした。そしてじわじわ理解が行き渡って……笑い出した。身体を折り曲げ、クスクスと笑う。ドラコも声を出して笑った。そこだけまるで春の日だまりのような温かさだった。

「なんか、マルフォイが笑ってるのを見ると鳥肌が立つんだ」

 階段から二人の様子を窺っていたロンは、腕をさすりながら言った。

「あら、奇遇ね。私も寒気がするの」

 ハーマイオニーは両手で自分の身体を抱き締めた。

「学校では、ニヤニヤしたり、嘲笑ったり、僕たちを馬鹿にするときは本当に心底ムカつく顔して笑ってたけど、ハリエットといるときのあの笑顔はなんだい? 邪気が抜けてて逆に気持ち悪いよ!」

 そう言って、ロンは大袈裟に吐くような真似をした。

「ハリエットは、あの笑顔に絆されたりしないよね?」
「どうでしょうね……」

 ハーマイオニーはお手上げだと言わんばかり天井を見上げた。

 むしろ、絆されたのはドラコの方だろうとハーマイオニーは睨んでいる。ハリエットに絆されたからこそ、彼はあの笑顔なのだ。

「何を見てるんだ?」
「あ、シリウス」

 ハーマイオニーが考え込んでいる合間に、事態は急変していた。

 むっつりとした顔のシリウスが階段を降りて来ると、ロンとハーマイオニーを見て目を白黒させ――ついで、己も釣られて階段からひょっこり顔を出して二人が見ているものを視界に入れる。――仲良く談笑しているハリエットとドラコだ。そのことに気づくと、シリウスは目の色を変えて鼻息荒くし、階段から飛び出した。

「いいぞ、シリウス! もっとやれ!」

 ドラコを蹴散らすようにして割って入ったシリウスは、またもハリエットの隣を陣取った。ハリエットが少し不満そうな顔をしていることに、ロンもシリウスも、そしてドラコも気づかなかった。ハーマイオニーだけが、その僅かな表情の変化に気づく。

「本当にシリウスは……」

 ハーマイオニーの上から、ハリーもにゅっと首を出した。シリウスに対して呆れたような声色のハリーに、ハーマイオニーは意外そうに顔を上に向けた。

「あら、ハリーはマルフォイのこと認めてるの?」
「別に認めてるわけじゃないけど……。少しくらいは好きにさせたらどうかとは思うよ。シリウスは過保護すぎるんだよ」
「好きにさせて、あの二人がくっついたらどうするんだ!?」

 ロンは目を剥いた。

「シリウスは正しいよ! マルフォイが調子に乗ったらどうするんだ!」
「あの様子なら大丈夫じゃない?」

 ハリーがくいっと顎で示した先には、できるだけ存在感を消そうとしているらしいドラコの姿が。シリウスが一生懸命ハリエットに話しかけている間も、我関せずともくもく作業を続けている。

「猫を被ってるだけだよ」
「ダーズリーの家にいたときもあんな感じだったよ。あの家でバレなかったのなら、それはもう本物だと思う」
「ハリー……ひょっとして君、マルフォイの味方してる?」

 ロンは信じられないものを見る目で親友を見た。

「味方はしてないよ……。そりゃあ、僕だってハリエットとマルフォイの仲が良いのは気にくわないけど……」
「でも、今の君は、マルフォイが良い子だって言ってる!」
「そんな言い方はしてないよ!」

 良い子ってなんだ! とハリーは呆れたように返す。一向に進まない会話にハーマイオニーがうんざりしていたとき、新たに上から声が振ってきた。

「面白そうなもの見てるのね」
「トンクス!」

 今日の彼女は、空の色のような青々としたショートカットだ。ロンと並ぶとコントラストが目に眩しい。

「見たところ、ハリエットとドラコが二人でいるところを、シリウスが無理矢理割って入ったって所?」
「正解だよ! どうして分かったの?」
「そりゃあ、私だって伊達に闇祓いじゃあありませんから」

 得意げにトンクスは言うが、この場合闇祓いは関係あるのだろうかと薄らハリーは思った。

「で、三人はなんで喧嘩してるの?」
「喧嘩してる訳じゃないけど……ハリーが、マルフォイが良い奴だって言うんだ」
「だから良い奴とは言ってないよ。今のマルフォイは悪い奴ではないって言ってるだけで」
「同じ意味じゃないか!」
「全然違うよ!」

 もう成人するというのに子供のような口論をするハリーとロンに、トンクスはクスクス笑い声を立てた。

「私はハリーの意見に賛成かしら。ドラコ、良い子そうじゃない。ハリエットにも優しいし」
「トンクスは、学校でのあいつを知らないからそう言えるんだよ!」

 ロンは訴えるように叫んだ。

「あいつ、僕たちが親の敵だとでも言うように、ことあるごとに突っかかってくるんだ! 家族を馬鹿にしてくるし、ハーマイオニーのことも侮辱した! ハリエットだって、あいつに散々なこと言われてたんだぜ? どうしてあんな顔で笑えるのか理解ができないね!」
「うーん、そこまで聞いても、私はあんまり想像できないなあ」

 トンクスは困ったように頬をかく。更に弁舌をかまそうとロンが身を乗り出した所で、トンクスは口を開いた。

「でも、要するに――ドラコは変わったってこと?」
「……えっ?」
「二人の話を統合すると、つまりそういうことでしょ? 昔は感じ悪い奴だった。でも今は悪い奴じゃない。彼をそうさせたのはハリエット。そういうことでしょ?」

 事も無げに言ってのけるトンクスに、ハリーとロンは何も言うことができなかった。まるで助けを求めるかのようにドラコの方を見れば――彼は未だシリウスにブチ切れた様子もなくもくもくと作業を続けている。

 ――僕だったら嫌だ。ジニーと話をする度におじさんが割って入ってきたら。

 ――僕ならキレる。シリウスの過保護に絶対にキレる。

 ドラコを牽制しつつも必死にハリエットに話しかけるシリウスと、まるで騒がしい子供の相手をするかのように仕方なさそうな笑みを浮かべて彼の相手をするハリエット。

 肩を並べて仕分けをする三人は――ある意味、仲の良い家族にも見えて、ハリーとロンは肩すかしを食らった気分だった。