■別視点

11:好奇心は強し


20.11.28
リクエスト

*謎のプリンス『ドラコの記憶』後*


 ムーディが声高々に『解散』を叫んだとき、モリーとトンクスが立ち上がったのはほぼ同時だった。思わず顔を見合わせ、口元を綻ばせる。年は違えど、お互いの考えていることが手に取るようによく分かった。

「ちょっと失礼するわ」

 ガタガタと立ち上がる騎士団員達をすり抜け、モリーとトンクスは大王イカのように柔らかい身のこなしで部屋を出、隣の部屋へ向かった。少し遅れて、背後からドシドシと不穏な足音が聞こえてくるが、二人ともそんなことは意にも介さない。

 気が急くあまり、ノックも無しに隣室の扉を開ければ、驚いたようにネビル、ルーナ、そしてドラコが顔を上げるのが視界に飛び込んできた。

「ああ、マルフォイ――いえ、ドラコ!」

 何故だか感極まったようにモリーが叫んだが、その先が続かない。わたわたと意味もなく手を握りしめ、同じく胸が一杯な様子のトンクスと顔を見合わせる。

「どうかしたんですか?」

 ネビルが丁寧に聞くも、モリーは頷くだけで精一杯だ。ようやく少し落ち着きが出てきたトンクスが口を開いたが、それよりも先に地の底を這うような低い声がそれを遮り――。

「マルフォイ」

 シリウス・ブラックの登場に、ドラコだけでなく、ネビルまでもが背筋を伸ばした。

「いくつか聞きたいことがある。質問に答えろ。だが、偽りを口にしようなんて思うなよ。その時は杖もないまま言葉も分からない外国のマグル界に放り出してやる」

 絶妙に嫌な所をついてくるシリウスに、ネビルは自分のことでもないのにぶるりと身体を震わせた。

「まず一つ――お前はハリエットと付き合っていたのか?」
「……いいえ。僕の一方的な片思いです」

 あまりにも寂しげにドラコが言うので、これでいくらかシリウスの溜飲は下がったようだ。とはいえ、全体の一割にも満たないが。

 ドラコの後ろではネビルが目を剥いている。ドラコの口から片思いという言葉が出てくるだけでも驚きなのに、その相手がハリエットという衝撃の事実に動揺を隠しきれない。

「あんた、ハリエットのこと好きだったんだ?」

 対するルーナはひどく直球で聞く。

「全然そんな風には見えなかったもン。ハリーといつも喧嘩してたのに」
「いつから好きだったの!?」

 トンクスが身を乗り出して聞いた。その隣でモリーが声も出ない様子でぶんぶん首を縦に振っている。

「自覚したのは例のあの人に開心術をかけられたときです。六年の始めの……。ただ、あの、自分が気づいてなかっただけで、たぶん、もっと前から気になっていたとは思います」

 馬鹿正直に答えるドラコに、女性陣は色めき立ち、シリウスの貧乏揺すりが始まった。

「は、初めて会ったのはいつ……?」
「マダム・マルキンの洋装店です。入学用品を買いに行ったときに」
「そんなに前から!? 第一印象は?」
「不安そうだなとは思いました」

 可愛いなとか、一目惚れだったとかはないのだろうか。

 もっとロマンス方面に話が聞きたいモリーはもどかしく思った。

「ハリエットは……可愛いわね」

 何とかしてドラコの防波堤を乗り越えられないかと無意識のうちにモリーの口から出てきた言葉に、ドラコは一瞬目を丸くし、それからちょっと頬を赤らめて下を向いた。

「あ……その、はい」

 突然の素直で年相応な反応に、モリーの興奮は高ぶった。同じくトンクスもだ。一方でシリウスの機嫌は急降下だ。ハリエットが褒められるのは嬉しい。だが、その相手がマルフォイとなると話は別だ!

「ハリエットのどんな所が好き?」

 控えめにトンクスが尋ねた。シリウスが不機嫌そうに『おい』と声をかける。

「そんな話をして一体何になる? こいつを調子づかせるだけだ」
「あら――」

 大家族の主婦モリーを侮ってはいけない。彼女はこれまで、問題児たるあのフレッドとジョージの、何とかして説教を躱そうとまくし立ててくる言い訳を前に何度も歯痒い思いをしてきた。だからこそだ。だからこそ、その経験は、確実にモリーの中で芽吹いていた。明らかに別の思惑があるくせに、上手い具合にのらり、くらりとそれらしい建前をこじつける才能が。

「私達は、ドラコが味方かどうかを見定めないといけないのよ。ドラコは記憶を見ても良いと言ったそうだけど、さすがにそこまでプライバシーを侵害するわけにはいかない。ドラコがどこまでハリエットに本気なのか知りたいの」

 トンクスなんかは心の中で拍手喝采だった。なんて素晴らしいこじつけだろう! 若者のロマンスを聞いてみたいなんて欲は一切感じられない大義名分である。実際、ネビルやルーナ――彼女に関しては表情に表れないのでよく分からないが――ドラコまでモリーの目的に納得したような顔をしている。さすがにシリウスだけは誤魔化しきれず、疑り深い顔だが、そこはモリーの貫禄の出番だ。『何か文句でも?』という顔でシリウスを睨み付ければ、彼は不満そうな顔をしつつも押し黙った。

「それで、何だったかしら――」
「あ、私二人のなれそめも知りたいわ」

 急に思いついてトンクスが顔を上げた。シリウスは不快そうに眉を寄せる。

「誤解を招く言い方は止めてもらおう。ハリエットは、別にこいつのことが好きなわけじゃない――」
「あなたは……その、ロンやハリーとあまり仲が良くなかったって聞いてるわ。どうしてハリエットとは仲良くなれたの?」

 シリウスの言うことは完全に無視し、モリーが尋ねた。シリウスを気にしつつも、ドラコは大人しく答える。

「仲が良かったかどうかは……ちょっと自信がありません。彼女にとっては、僕はたくさんいる友達の一人だったと思います」
「あなたにとっては?」
「…………」

 更に尋ねるモリーに、ドラコは一瞬言葉を詰まらせた。

「特別、ではありました。僕は……その、昔は気にしたこともありませんでしたが、心を許せる友達はいませんでした」

 ドラコの周りにはいつも人がいた。他の寮生との関わりはほとんどなかったが、その代わり同僚であれば結束は人一倍強いのがスリザリンの特徴だ。中でも、マルフォイ家は地位や名声は魔法界でも屈指のものだったし、実際、ドラコ自身寮内での影響力は強く、発言力もあった。同じ寮生というだけでドラコにとって仲間も同然だったので、ほぼ全員とそれなりの交友関係は保っていた――ただ、それだけ。思い悩んでいることがあったとして、ドラコは一体それをその中の何人に打ち明けることができただろう。地位も、名声も、利害関係もなく、ただのドラコとして相談事ができる相手はどれだけいただろう。

 とはいえ、もしその相手がいなかったとして――ドラコは別に、今までの交友関係に後悔や孤独を感じているわけではない。『他人に弱みを見せるな』というのが父ルシウスの教えだったし、自分の性格的にも、そう易々と心を明け渡せる相手など作りようもなかっただろう。

 ただ、今振り返ってみて、事実としてそこに残っているのは、心を許せる友達はいなかったが、ハリエットは例外として、己にとって特別な存在だったということだけだ。彼女の存在は、自分にとって拠り所でもあったのかもしれないと。

「不思議な子でした」

 ドラコはポツリと言った。

「僕も、自分がポッターやウィーズリー達に嫌なことを言ってる自覚はありました。憎まれているだろうとも思っていました。でも、彼女は――すごくお人好しなんです。一年間箒を教えてあげたことや、秘密の部屋が開かれたとき、ちょっと助けようとしたことや――そんな些細なことをいつまでも恩に感じて、僕のことを友達だって言い切ったんです」

 今のドラコは、打って変わって自信がなさそうだった。モリーが彼と会ったのは五年ほど前のことだ。その時は、自信に満ちあふれた高慢ちきな男の子だと思っていたのに。

「あんたにとっては些細なことだったかもしれない」

 不意にルーナが口を挟んだ。

「でも、ハリエットにとってはそうじゃなかった。必要なときに必要な助けがもらえることはなかなかあることじゃないよ。ハリエットは、きっとすごく嬉しかったんだ」

 ドラコは驚いたようにルーナを見た。その目は動揺に揺れている。ルーナの言葉を噛みしめているようにも見えた。

「そういえば、シリウスが無実だって分かったときに、ドラコもその場にいたらしいわね」

 かつてロンがそう話していたのを思い出してモリーが言った。

「あなたはそのことを黙っていてくれたんでしょう? シリウス、これに関してはあなたもドラコに恩があるんじゃないの?」

 ぐ、とシリウスが詰まる。

「どうして黙っていてくれたの?」

 ちょっとでもシリウスの敵意が薄まれば――そんなお節介でトンクスが尋ねた。

「それは……あなた達が三人で暮らせるようになれば良いなと思ったからです」

 そっぽを向きながらも、シリウスは耳を傾けていた。

「ポッター達の家庭環境は何となく分かっていました。一年生の時は身体に合ってないボロボロの服を着ていたし、ポッターが親戚のマグルを嫌っているというのは噂に聞いていたので……。だから、その待遇の悪い親戚の家を出て、三人で暮らせるようになれば良いな、と」

 ドラコに嘘を言っている様子はない。そもそも、ここまで馬鹿正直に、好きな女の子の後見人を前に――しかも彼は己に敵意を抱いている――自分の心情を吐露し続けた彼が、ここに来て嘘をつく意味が分からない。

 モリーがシリウスの脇腹を小突いた。『何か言いなさいよ』とその目は語っているが、シリウスはてこでも口を開かなかった。

「そういえば……その、ね? ハーマイオニーからちらっと聞いたんだけど、あなた、ハリエットのことダンスのパートナーに誘ったんですって?」

 一番気になっていた出来事をトンクスはついに口にした。

「この時も別にハリエットのことを好きだって感じてた訳じゃないんでしょう? なのにどうして誘ったの?」
「それは――」

 ドラコは目を逸らした。このことに関しては、ハリエットのプライバシーにも関係する。どこまで話したものかと迷いあぐねた。

「その時は、継承者の記事がホグワーツにも広まってて、ミス・ポッターは肩身の狭い思いをしていたんです。誹謗中傷や陰口もあったみたいで……。タイミングも悪くて、彼女をパートナーにと誘ってくれる男は、ポッターに興味があるか、継承者に興味があるかのどちらかだったそうです」
「リータ・スキーターね」

 モリーが苦々しく呟いた。

「それをあるとき彼女から聞かされて……僕も、その時のことはあまりよく覚えていませんが、気づいたら誘っていたんです」
「同情したのか?」

 シリウスが鋭く尋ねた。ドラコは一瞬怯み、しかししっかりした意志で首を振る。

「同情――いえ、たぶん違うと思います。正直に言うと……彼女がイエスと言ってくれたとき、とても嬉しかったんです」

 トンクスが息を呑む。彼の言っていることは、まるで。

「それで自覚がなかったなんて……ドラコ、あなた、本当に鈍感だったのね」

 しみじみと呟くトンクスに、ドラコは困ったように笑った。

「でも、ハリエットはジャスティンとパーティーに行ってなかった?」

 ネビルの言葉に、初めてドラコの顔が強ばる。次に口を開いたときも、出てきたのは固い声だった。

「フレッチリーは、彼女を脅していたんです。自分と行かなければスキーターの取材を受けるとか。秘密の部屋の時の被害者でもあったので」
「そんなことを言われていたのか!?」

 シリウスの怒りに満ちた声が響き渡った。

「なんて奴だ! 信じられない――」

 杖を握り、身を翻そうとするシリウスをモリーは慌てて止めた。問題児の双子によって鍛えられた嫌な予感がバシバシに反応していた。

「シリウス、まさかとは思うけど――」
「そのフレッチリーとやらの所に行くに決まっているだろう! 一つや二つや三つや四つ、呪いをかけないと気が済まない! もしまだハリエットに付きまとっているようなら――」
「あ」

 気の抜けた声に毒気を抜かれ、シリウスとモリーはドラコを見た。

「どうかしたの?」
「あ、いえ……その、フレッチリーはたぶんもうミス・ポッターに付きまとってはいません。パーティーの夜、フレッチリーと決闘をして彼女が打ち負かしたので」
「…………」

 モリー、トンクス、ネビルはポカンと口を開けて呆気にとられた。あの大人しいハリエットが決闘? それだけに留まらず、打ち負かしたと?

 ルーナだけが唯一誇らしそうな顔でパチパチと拍手をしている。シリウスもみるみる口角を上げた。

「さすがハリエットだ!」
「でも、どうしてそれをドラコが知っているの?」
「……見てたんです」
「見てただと?」

 耳ざとくシリウスが揚げ足を取る。

「覗いてたのか?」
「心配だったんでしょう?」

 優しいモリーの助け船にドラコは有り難く乗った。

「はい。二人が人気のない方へ行くのが気になって……」

 よくもまあ抜け抜けと、とシリウスは鼻で笑った。ドラコは、自分がハリエットの危機をも助けたことは言わなかった。恩を売るような言い方はしたくなかったからだ。

 全て聞きたいことは聞き終えたモリー、トンクスは感極まった様子でため息をついた。

「ありがとう、ドラコ。あなたの気持ちはよく分かったわ」

 本当に、心から。

 ドラコのハリエットへ気持ちは本物だ。彼がハリエットを裏切ることはないだろう。それが今確信された。

「僕、応援するよ」

 ネビルも思わずそう言っていた。今の彼の中に、これまでのドラコへの確執はすっかり吹き飛んでいた。ドラコに思う所がないわけではない。馬鹿にされたことだって何度もある。だが、そういう恨みよりも――今回のことは、根本的に種類が違うのだ。ドラコは変わった。彼は悔いている。今日の彼の言葉は、ハリエットへの想いが溢れていた。それを思うと、自分がドラコに過去受けた嫌味や悪口なんて――そういえば呪いを受けたこともあったが――取るに足りない出来事のように思えた。

 ネビルの言葉の中には、ハリエットの回復を願う意味も込められていた。いわゆる願掛けだ。ドラコの想いが成就するには、まずハリエットが正気に戻らなければならない――。ハリエットが戻ってきてくれれば、これほど嬉しいことはない。そう思ってのことだったのに。

「応援、だと?」

 ギロリとシリウスはネビルを睨んだ。蛇に睨まれた蛙のようにネビルはヒエッと背筋を伸ばした。

「ネビル、一体どの口がそんなことをのたまった? ハリエットとマルフォイが結ばれることなんて万に一つだってあり得ない。わたしが許さない」
「シリウス、大人げないわ。大切なのは本人の気持ちよ。どうするの? ハリエットもドラコが好きって打ち明けられたら」

 モリーがこっそりシリウスだけに耳打ちすれば、彼はこの世のあらゆる不幸を一身に背負ったかのように苦渋と絶望に満ちた顔をした。素直すぎる反応にモリーは呆れを通り越していっそおかしくなってきた。

「ある日突然結婚したいって言ってくるかも」

 追い打ちをかけてみれば、シリウスの震える手が杖を握りしめた。まずいと思ったトンクスがすんでで武装解除をして事なきを得る。シリウスの手からは離れたのに、彼の怒りの余韻か、杖先からはプスプスと煙が上がっている。

「…………」

 初めてシリウスの気性の荒さを目撃したネビルは、ある意味、ハリエットが元に戻る日が来るのもそう遠くないのではと思えた。何せ、ハリエットとドラコが結ばれる想像だけでこの有様である。仮に、二人が結婚を申し出たとして、シリウスがうんと頷く確率を思えば、ハリエットが正気に戻る確率の方がまだ現実的に思えて、ネビルは何だか先行きが明るく思えた気がした。