■別視点

02:盗み聞き



*謎のプリンス『スラグホーン』後、ザビニを追って*


 通路は今や空っぽと言えるほどだった。生徒たちはほとんど全員学校用のローブに着替えて荷物をまとめるために、それぞれの車両に戻っていた。ハリーはザビニに触れないギリギリの範囲で密着していたが、彼がコンパートメントのドアを開けるのを見計らって滑り込むのには間に合わなかった。ザビニがドアを閉め切る寸前に、ハリーは慌てて敷居に片足を突き出してドアを止めた。

「どうなってるんだ?」

 ザビニは癇癪を起こして何度もドアを閉めようとしたが、ハリーはドアを掴んで力一杯押し開けた。ザビニは取っ手を掴んだままだったので、横っ飛びにゴイルの膝の上に倒れた。どさくさに紛れて、ハリーはコンパートメントに飛び込み、空席に足をかけて荷物棚によじ登った。
 ゴイルとザビニの衝突に皆の目が向いていたのは幸いだった。透明マントがはためいたとき、間違いなくくるぶしから先がむき出しになったと感じたからだ。上の方に消えていくスニーカーを、ドラコが確かに目で追ったような気がして、ハリーは一瞬ひやりとした。
 やがてゴイルはドアをぴしゃりと閉め、ザビニは自分の席に座り込んだ。クラッブはまた漫画を読み出し、ドラコはパンジーにもたれかかった。
 ハリーは、一寸たりともマントから身体がはみ出さないよう窮屈に身体を丸めて、パンジーがドラコの額にかかる滑らかなブロンドの髪を撫でるのを眺めていた。

「それで、ザビニ
 ドラコは僅かに眉をしかめて言った。

「スラグホーンは何が狙いだったんだ?」
「いいコネを持っている連中に取り入ろうとしただけさ」
「他には誰が招かれた?」
「グリフィンドールのマクラーゲン」
「ああ、あいつのおじは魔法省で顔が利くな」
「後はロングボトム、ポッター、それからウィーズリーの妹」
「ロングボトム?」

 パンジーが鼻で笑った。

「スラグホーンはロングボトムのどこに関心があるんでしょうね? ポッターを呼んだ理由は分かるわ。どうせ『選ばれし者』を一目見たかったってだけでしょ」
「ああ、あとハリエットもいたぜ」

 ザビニは肩をすくめて言った。
 気安くファーストネームを口にされ、ハリーの顔は不機嫌なものに変わる。

「ハリエット? ハリエット・ポッター?」

 パンジーが信じられないものを見る顔で言った。

「あんなの、ただのポッターの妹ってだけじゃない!」
「彼女の母親が、スラグホーンのかつてのお気に入りだったらしい。生き写しだって聞いて、一目見たかったそうだ」
「そんな理由じゃすぐに飽きられるでしょうね」

 パンジーは口元を歪めて笑ったが、誰も聞いていなかった。
 ザビニは座席にもたれかかり、ドラコを真っ直ぐ見た。

「あいつ、綺麗になったな」
「……手を出すな」

 ドラコは低い声で応戦した。

「牽制するのか? この俺を?」
「ポッターの妹なんかに手を出してみろ、神経を疑われるのはお前だぞ」
「そうよ。ブレーズにはもっと名家が似合うわ。あの子、大して華がないじゃない。あら、でも私は駄目よ? 私はドラコのものだから」

 ハリーは腹が立って仕方がなかった。ここにいる全員に『鼻呪い』をかけたくなる衝動と戦わなくてはいけなかった。

「お前達はいつからそんな関係になったんだ?」

 ザビニはドラコとパンジーとを見比べた。

「マルフォイ、お前はてっきり――」
「黙れ」

 ドラコはぴしゃりとはねのけた。

「僕たちはそんな関係じゃない」
「あら、ドラコ。恥ずかしがらなくても良いじゃない」

 パンジーはドラコの手を嬉しそうに握る。ドラコはそれを振り払わなかった。

「ああ、お暑いこって」

 からかうようにザビニは言った。

「誰かさんの邪魔さえなけりゃ、俺は今頃ハリエットと良い雰囲気だっただろうにな」
「どういうこと?」

 パンジーは興味津々で尋ねた。ドラコは苛立たしげに髪をかき上げた。

「相変わらずよく回る口だな。お前はそんなことしか考えられないのか?」
「他に何をお望みなんだ? 学生の本分は勉強だとでも言いたいのか?」

 ドラコはしばし黙った。

「……僕は、来年はホグワーツにいないかもしれない」
「それ、どういうこと?」

 パンジーはドラコの毛繕いをしていた手を止めた。

「もしかして――』あの人』のこと?」

 ドラコはなかなか答えなかった。やがて躊躇いがちに口を開く。

「……母上は僕が卒業することをお望みだが、もうそれは適わないだろう。僕はもう、あの人に利用価値があると判断された」
「それで、君が『あの人』のために何かできると思っているのか? 十六歳で、しかもまだ完全な資格もないのに?」
「資格なんて必要ない」

 ドラコは吐き捨てるようにして言った。

「『あの人』はそんなこと気になさらない。僕にさせたい仕事は、資格どうこうの話じゃないんだ」

 ザビニとパンジーは、口をつぐんでドラコを見つめた。その視線が煩わしかったのか、ドラコは首を振って車窓を指さした。

「ホグワーツが見える。ローブを着た方が良い」

 ハリーはドラコを見つめるのに気を取られ、ゴイルがトランクに手を伸ばしたのに気づかなかった。ゴイルがトランクを振り回して棚から下ろす拍子に、ハリーの頭にゴツンと当たり、思わず声を漏らした。ドラコが顔を顰めて荷物棚を見上げた。
 ハリーはマントを乱さないようにして杖を取り出し、息を潜めた。だが、ドラコは結局空耳だったと思い直したらしく、ハリーはホッとした。
 ドラコ達が支度を終えると、汽車が速度を落とし始め、通路がまた人で混み合い始めた。このコンパートメントが空になるまでハリーは動くことができないので、自分の荷物をハリエットが一緒に降ろしてくれることを祈った。
 最後に大きくガタンと揺れ、列車は完全に止まった。

「先に行け」

 握って欲しそうに手を伸ばすパンジーにドラコは言った。

「ちょっと調べたいことがある」

 ザビニ達はとっくの昔にコンパートメントを出、そしてパンジーも出ていったので、小さなその場所にはハリーとドラコだけになった。ドラコはドアの所に行き、ブラインドを下ろし、通路側から覗かれないようにした。それからトランクの上に屈んで、一旦閉じた蓋をまた開けた。
 ハリーは荷物棚の端から覗き込んだ。パンジーからドラコが隠したいもの、というのに興味があった。

「ペトリフィカス トタルス! 石になれ!」

 ドラコが不意を突いてハリーに杖を向け、ハリーはたちまち金縛りに遭った。ハリー荷物棚から転げ落ち、透明マントは身体の下敷きになった。

「やはりそうか」

 ドラコは嫌に冷静な声で言った。

「ゴイルのトランクがお前にぶつかったのが聞こえた。それに、ザビニが戻ってきたとき、何か白いものが一瞬空中に光るのを見たような気がした」

 ドラコはしばし黙った。ハリーの今の体勢では、ドラコの表情はうかがい知れなかった。

「悪く思うなよ。先に仕掛けてきたのはそっちだ。僕はもうお前達なんかと関わらないと決めたんだ」

 ドラコはトランクを持ち上げた。

「ポッター、また会おう……それとも会わないかな」

 ドラコはゆっくりした足取りで、コンパートメントを出て行った。そしてハリーの鼻先でピシャリとドアを閉めた。