■別視点

06:プリンスの記憶



*死の秘宝『ニワトコの杖』後、憂いの篩にて*


 校長室の入り口は無残な状態だった。横に傾き、フラフラしていた。

「合言葉は?」

 おそらく、現状からいってこのガーゴイルを無視しても校長室には入れるだろうと思った。ハリーは反射的に『ダンブルドア!』と答えた。驚いたことに、ガーゴイルは横に滑り、もともとあった螺旋階段が少し前に出てきた。
 円形の校長室に駆け込み、ハリーは憂いの篩に飛びついた。ハリーはそれを持ち上げて机の上に置き、水盤にスネイプの記憶を注ぎ込んだ。記憶は銀白色の不思議な渦を巻いた。どうにでもなれと自暴自棄な気持ちで、ハリーは迷わず渦に飛び込んだ。
 頭から先に日の光を浴び、ハリーの両脚は温かな大地を踏んだ。立ち上がると、ほとんど誰もいない遊び場にいた。女の子が二人、それぞれブランコに乗って前後に揺れている。痩せた男の子が、その背後の灌木の茂みからじっと二人を見ていた。
 ハリーは男の子に近づいた。せいぜい九歳か十歳のスネイプだった。顔色が悪く、ひどくちぐはぐな服装だった。

「チュニー、これ見て。私、こんなことができるのよ」

 リリーは、スネイプが潜む茂みの前に落ちている鼻を拾い上げた。リリーはペチュニアがよく見えるように手をつきだした。彼女の手のひらの上で、花は開いたり閉じたり不思議な動きをした。

「止めて!」

 ペチュニアが金切り声を上げた。

「何も悪さはしてないわ」
「良いことじゃないわ」

 ペチュニアはそう言いながらも、目は花をじっと見つめ、声にはうらやましさが滲んでいた。

「どうやってやるの?」
「分かりきったことじゃないか?」

 スネイプはもう我慢できないとばかり、茂みの陰から飛び出した。ペチュニアは驚いて悲鳴を上げた。

「分かりきったことって?」

 リリーは首を傾げて尋ねた。

「君は……魔女だ」

 スネイプが囁いた。リリーは侮辱されたような顔をした。

「そんなこと、他人に言うのは失礼よ!」
「違うんだ!」

 スネイプは今や真っ赤な顔をしていた。去って行く二人の少女を――いや、リリーを追いかける。

「君は本当に魔女なんだ。でも、何も悪いことじゃない。僕のママも魔女で、僕は魔法使いだ」
「魔法使い!」

 ペチュニアが嘲るように叫んだ。

「どうして私達のことをスパイしていたの?」
「スパイなんかしてない。どっちにしろ、お前なんかスパイしていなぽ。お前はマグルだ」

 ペチュニアにはその言葉の意味が分かっていないようだったが、スネイプの声の調子は間違えようもなかった。

「リリー、行きましょう! 帰るのよ!」

 ペチュニアが甲高い声で言った。スネイプは、苦々しい顔つきで立ち尽くしていた。


*****


 場面が消え、次にハリーは低木の小さな茂みの中にいた。子供が二人、足を組み、向かい合って地面に座っている。

「それで、魔法省は誰かが学校の外で魔法を使うと罰することができるんだ。手紙が来る」
「でもわたし、もう学校の外で魔法を使ったわ!」
「僕たちは大丈夫だ。まだ杖を持っていない。まだ子供だし、自分ではどうにもできないから、許してくれるんだでも、十一歳になったら――」

 スネイプは重々しく頷いた。

「そして訓練を受け始めたら、その時は注意しなければいけない」

 二人とも沈黙した。リリーは小枝を拾って、空中にくるくると円を描いた。

「本当なのね? 冗談じゃないのね? 本当にホグワーツがあるのね?」
「僕たちには手紙が来る。ホグワーツ入学のための手紙だ」

 スネイプは、傍らの草をちぎり取った。そして風に乗って手から離れた草は、やがて鳥に変化し、リリーの手に止まった。


*****


 今度はホグワーツ特急の中にいた。スネイプとリリーは他の男の子達と一緒に、一つのコンパートメントの中にいた。リリーは泣いていた。

「あなたとは話したくないわ」
「どうして?」

 スネイプは僅かに眉をしかめた。

「チュニーが私をに、憎んでいるの。ダンブルドアからの手紙を、私達が見たから」
「それがどうしたって言うんだ?」
「だって、私達姉妹なのよ!」
「あいつはただの――」

 スネイプは素早く自分を抑えた。

「だけど……僕たちは行くんだ!」

 代わりに、興奮を抑えきれない声で言った。

「とうとうだ! 僕たちはホグワーツに行くんだ! 君はスリザリンに入った方が良い」
「スリザリン?」

 同じコンパートメントの男の子の一人が、急に振り返った。ハリーは彼が自分の父親だと気づいた。どことなく可愛がられ、むしろちやほやされてきたという雰囲気を漂わせていた。
スリザリンになんか誰が入るか! むしろ退学するよ、そうだろう?」

 ジェームズは向かい側の席に揺ったりもたれかかっている男子に問いかけた。ハリーはそれがシリウスだと気づいた。

「僕の家族は全員スリザリンだった。でも、たぶん僕が伝統を破るだろう」

 シリウスはニヤッと笑った。

「君は選べるとしたらどこにいく?」

 ジェームズは見えない剣を捧げ持つ格好をした。

「『グリフィンドール、勇気ある者が住まう寮!』。僕の父さんのように」

 スネイプが小さくフンと言った。ジェームズはスネイプに向き直った。

「文句があるのか?」
「いや。君が、頭脳派より肉体派がいいならね――」
「君はどこに行きたいんだ? 見たところ、どっちでもないようだけど」

 シリウスが口を挟んだ。ジェームズが爆笑した。リリーは赤くなって座り直し、大嫌いという顔でジェームズとシリウスを交互に見た。

「セブルス、行きましょう。別なコンパートメントに」
「まーたな、スニベルス!」

 中から声が呼びかけ、コンパートメントの扉がバタンと閉まった。


*****


 リリーとスネイプが、城の中庭を歩いていた。

「僕たちは友達じゃなかったのか? 親友だろう?」
「そうよ、セブ。でも、あなたが付き合っている人たちの、何人かが大嫌いなの! 悪いけど、エイブリーとかマルシベール。マルシベール!! セブ、あの人のどこがいいの? あの人、ぞっとするわ! この間、あの人がメリー・マクドナルドに何をしようとしたか、あなた知ってる?」
「あんなこと、何でもない。冗談だよ。それだけだ」

 スネイプが言った。

「あれは闇の魔術よ。あれがただの冗談だなんて思うのなら――」
「ポッターと仲間がやっていることはどうなんだ?」

 スネイプが切り返した。

「夜こっそり出歩いてる。ルーピンて奴、何だか怪しい。あいつは一体いつもどこに行くんだ?」
「あの人は病気よ」

 リリーが言った。

「どうして気にするの?」
「僕はただ、あの連中は皆が思ってるほど素晴らしいわけじゃないって、君に教えようとしているだけだ」
「でも、あの人達は闇の魔術を使わないわ」
「だけど、あいつは違うんだ……皆がそう思っているみたいな……クィディッチの大物ヒーローだとか――」
「ジェームズ・ポッターが傲慢で嫌な奴なのは分かっているわ。でも、マルシベールとかエイブリーが冗談のつもりでしていることは、邪悪その者だわ。あなたがどうしてあんな人たちと友達になれるのか、私には分からない」


*****


 ハリーは、いつか見たスネイプの最も隠したいと思っている記憶を再度見ていた。
 ジェームズ、シリウス、ルーピン、ペティグリューの四人が、湖の端にあるブナの木陰で座っていた。

「退屈だ」

 シリウスが言った。

「楽しくなるかもしれないぜ、パッドフット」

 ジェームズがこっそり言った。

「あそこにいる奴を見ろよ……スニベルスだ」

 スネイプは灌木の茂みの暗がりで芝生に腰を下ろしていた。やがてOWL試験用紙を鞄に立ち上がった。それに合わせてジェームズとシリウスも立ち上がる。ルーピンとペティグリューは座ったままだった。だが、ルーピンは明らかに眉根に皺を寄せ、ペティグリューはワクワクした表情を浮かべて二人を見つめていた。

「スニベルス、元気か?」

 ジェームズが声をかけると、スネイプは素早く杖を取り出した。それよりも早く、ジェームズが彼を武装解除した。シリウスが吠えるような笑い声を上げた。
 周りの生徒がこの騒ぎに気づいた。心配そうな顔をしている者もあれば、面白がっている者もいた。

「試験はどうだった? スニベリー?」
「僕が見ていたら、こいつ、鼻を羊皮紙にくっつけてたぜ」

 シリウスが意地悪く言った。

「大きな油染みだらけの答案じゃ、先生方は一語も読めないだろうな」
「今に見てろ!」

 スネイプは叫び、悪態と呪いを一緒くたに次々と吐きかけたが、杖が三メートルも離れていては何の効き目もなかった。

「口が汚いぞ」

 ジェームズが冷たく言った。

「スコージファイ! 清めよ!」

 たちまちスネイプの口からピンクのシャボン玉が吹きだした。泡で口が覆われ、スネイプは吐き、むせた。

「止めなさい!」

 ジェームズとシリウスが振り返ると、そこに女の子が一人経っていた。驚くほどハリエットそっくりの女の子だった。しかし、緑色の目はハリーの瞳そのものだ。

「元気かい、エバンズ?」

 ジェームズの声が突然、快活で、深く大人びた調子になった。

「彼に構わないで」

 ジェームズを見るリリーの目が、徹底的に大嫌いだと言っていた。

「彼があなたに何をしたというの?」
「そうだな。むしろ、こいつが存在するって事実そのものがね。分かるかな」
「冗談のつもりでしょうけど、でも、ポッター、あなたはただの傲慢で弱い者いじめの、嫌な奴だわ」

 二人が話している間、スネイプはジリジリ落とした杖の方に這っていった。

「残念だったな、プロングズ」

 シリウスは朗らかにそう言うと、スネイプの方を振り返った。

「おっと!」

 しかし、遅すぎた。スネイプは杖をジェームズに向け、閃光が走った。ジェームズの頬がぱっくり割れ、ローブに血が滴った。ジェームズは振り向き、二度目の閃光が走った。スネイプは空中に逆さまに浮かんでいた。ローブが顔に覆い被さり、痩せこけた青白い両脚と、灰色に汚れたパンツがむき出しになっていた。
 小さな群れをなしていた生徒の多くがはやし立てた。

「下ろしなさい!」

 リリーの怒った顔が、一瞬笑い出しそうにピクピクしたが、『下ろしなさい!』と叫んだ。

「承知しました」

 ジェームズがそう言うなり、スネイプは地面に落ちた。スネイプはすぐに立ち上がって杖を構えたが、しかしシリウスが彼を全身金縛り術にかけた。スネイプはまた転倒した。

「彼に構わないでって言ったでしょう! 呪いを解きなさい!」

 ジェームズは深いため息をつき、スネイプに向かって反対呪文を唱えた。

「ほーら、スニベルス、エバンズが居合わせてラッキーだったな―」
「あんな汚らわしい『穢れた血』の助けなんか、必要ない!」

 スネイプは叫んだ。リリーは目を瞬いた。

「……結構よ。これからは邪魔しないわ。それに、スニベルス、パンツは洗濯した方が良いわね」
「エバンズに謝れ!」

 ジェームズがスネイプに向かって杖を突きつけた。

「あなたからスネイプに謝れなんて言って欲しくないわ。あなたもスネイプと同罪よ」

 リリーが言い放った。

「格好よく見せようと思って、箒から降りたばかりみたいに髪をくしゃくしゃにしたり、呪いを上手くかけられるからといって、気に入らないと廊下で誰彼なく呪いをかけたり――そんな思い上がりで膨らんだ頭を乗せて、良く箒が離陸できるわね。あなたを見てると吐き気がするわ」

 リリーはくるりと背を向けて、足早に行ってしまった。

「エバンズ! おーい、エバンズ!」

 ジェームズが何度も呼んだが、リリーは振り返らなかった。


*****


 大人になったスネイプとダンブルドアが対峙していた。

「私は……警告に来た……いや、お願いに……どうか……」

 スネイプの杖はすでにダンブルドアに武装解除されていた。スネイプはがっくり膝をついていた。

「死喰い人がわしに何の頼みがあるというのじゃ?」
「あの……あの予言は……トレローニーの……予言のせいで……あの方は、それがリリー・エバンズだとお考えだ!」
「予言は女性には触れておらぬ」

 ダンブルドアが言った。

「七月の末に生まれる男の子の話じゃ」
「あの方がそれがリリーの息子のことだとお考えだ。あの方はリリーを追い詰め、全員を殺すおつもりだ――」
「お前はヴォルデモート卿にリリーを見逃してくれるように慈悲を願わんかったのかね?」
「そうしました……私はお願いしました」
「見下げ果てた奴じゃ」

 ダンブルドアが言った。

「それでは、リリーの夫や子供が死んでも気にせぬのか? 自分の願いさえ叶えば、後の二人は死んでも良いというのか?」

 スネイプは黙ってダンブルドアを見上げた。

「それでは……全員を隠してください……安全に。お願いです」
「その代わりに、わしには何をくれるのじゃ、セブルス?」
「か……代わりに?」

 セブルスはしばらく黙った。

「何なりと」


*****


 次に、スネイプとダンブルドアは、校長室にいた。スネイプはぐったりと椅子に腰掛けていた。

「あなたなら……彼女を……守ると思った……」
「リリーもジェームズも、間違った人間を信用したのじゃ」

 スネイプははあはあと苦しそうな息づかいをしていた。

「リリーの子供達は生きておる。男の子は彼女の目を持っているし、女の子は髪も顔立ちもリリーそっくりじゃ。リリー・エバンズの目の形も色も髪も、お前は覚えておるじゃろうな?」
「止めてくれ!」

 スネイプが大声を上げた。

「もういない……死んでしまった……私も……私も死にたい……」
「しかしお前の死が、誰の役に立つというのじゃ? リリー・エバンズを愛していたなら、本当に愛していたなら、これからのお前の道ははっきりしておる」
「どう……どういうことですか?」
「リリーがどのようにして、なぜ死んだか分かっておるじゃろう。その死を無駄にせぬことじゃ。リリーの息子を、娘を、わしが守るのを手伝うのじゃ」
「守る必要などありません。闇の帝王はいなくなって――」
「闇の帝王は戻ってくる。そしてその時、ハリー・ポッターは非常な危険に陥る」

 長い沈黙が続いた後、スネイプは次第に自分を取り戻し、呼吸も整ってきた。

「なるほど、分かりました。しかしダンブルドア、決して明かさないでください! このことは、私達二人の間だけに留めてください!」
「約束しよう、セブルス。君の最も良いところを、決して明かさぬということじゃな?」


*****


 そして次に、ハリーはもう一度校長室に立っていた。夜だった。ダンブルドアは椅子に腰掛けていたが、黒く焼け焦げた右手が椅子に横にだらりと垂れている。スネイプは杖をダンブルドアの手首に向けて呪文を唱えながら、左手で金色の濃い薬をなみなみと満たしたゴブレットを傾け、ダンブルドアの喉に流し込んでいた。

「なぜその指輪を嵌めたのです? それには呪いがかかっている。当然ご存じだったでしょう」

 マールヴォロ・ゴーントの指輪が、ダンブルドアの前の机に載っていた。割れている。

「わしは……おろかじゃった。いたくそそられてしもうた」
「ここまで戻ってこられたのは奇跡です! その指輪には異常に強力な呪いがかかっていた。うまくいっても、せいぜいその力を封じ込めることしかできません」
「よくやってくれた、セブルス。わしはあとどのくらいかのう?」

 スネイプは躊躇したが、やがて答えた。

「はっきりとは分かりません。おそらく一年。これほどの呪いを永久に留めておくことはできません。結局は広がるでしょう」
「そうか……いや、まことに、これで事はずっと単純明快になる」

 スネイプは完全に当惑した顔をした。ダンブルドアは微笑んだ。

「わしが言うておるのは、ヴォルデモート卿がわしの周りに巡らしておる計画の事じゃ。哀れなマルフォイ少年に、わしを殺させるという計画じゃ」
「闇の帝王は、ドラコが成功するとは期待していません。これはルシウスが先頃失敗した事への懲罰に過ぎないのです。ドラコの両親は、息子が失敗し、その代償を払うのをみてじわじわと苦しむ」
「つまり、あの子はわしと同じように、確実な死の宣告を受けているという事じゃ」

 ダンブルドアが言った。

「さて、わしが思うに、ドラコが失敗すれば、当然その仕事を引き継ぐのは君じゃろう?」

 一瞬、間が空いた。

「それが闇の帝王の計画だと思います」
「じゃが、今し方、君はドラコが何をしようとしているのかを見つけ出すのが最優先課題じゃ。恐怖に駆られた十代の少年は、自分の身を危険にさらすばかりか、他人にまで危害を及ぼす。手助けし、導いてやるとドラコに言うが良い。受け入れるはずじゃ。あの子は君を好いておる」
「そうでもありません。ドラコは私を裏切り者だと責めています。ホグワーツの教師でありながら、闇の帝王に忠誠を誓っていると」
「混乱しておるのじゃ。誰も信じられんのじゃろう。ハリエットを巻き込むことを、あの子はきっと恐れておる……」

「わしは自分のことより、あの少年が何か手立てを思いついたときに偶然その犠牲になる者のことが心配じゃ。もちろん最終的にはわしらがあの少年をヴォルデモート卿の怒りから救う手段は、たった一つしかない」

 スネイプは眉を吊り上げ、茶化すような調子で尋ねた。

「あの子に、ご自分を殺させるおつもりですか?」
「いや、いや。あの子にはわしを殺せんよ。君がわしを殺さねばならぬ」

 長い沈黙が流れた。ダンブルドアが考え込むように目を瞑った。

「あの子の、二つ目の使命については」

 スネイプがピクリと肩を揺らした。

「君が何としてでも阻まねばならぬ。それも陰ながら。……こういうこともあるかもしれぬと、わしはハリエットに情報を教えんようにしておった」
「一体、いつから……?」
「秘密の部屋の時から気にはしておった。あの子は、ハリエットを救うために勇気を出した。ハリエットもまた、彼のことは何の偏見もなく、純粋に、素直に、時にはきっとぶつかりながらも、真っ直ぐな目で見ておる。二人の仲がもっと親密になるかもしれぬと思った。あの子はマルフォイの息子じゃ。死喰い人になる可能性は高く、そしてその折りに、ヴォルデモート卿が二人の関係に気づくかもしれぬと思っておった……」
「そこまで見通しておきながら……」

 スネイプの声が震えた。

「あなたは……ハリエット・ポッターを見殺しにするおつもりですか」
「わしはそんなこと欠片も考えてはおらんよ、セブルス」
「…………」

 スネイプは応えなかった。

「わしは、ヴォルデモート卿がドラコに服従の呪文をかけ、ハリエットを連れてくるよう命令したと聞いたとき、わしは……」

 ほんの一瞬、ハリーはダンブルドアの目に勝利の光を見たような気がした。しかしダンブルドアはすぐに目を閉じたので、見間違いのような気がした。

「わしは、ヴォルデモート卿が愛を恐れておると確信した。そんなことはないと思いながらも、彼は愛を恐れておる。開心術で、ヴォルデモート卿はドラコの記憶を隅々まで見た。その彼が、ただドラコに命令するのではなく、わざわざ服従の呪文をかけたのじゃ。ヴォルデモート卿は、ドラコに裏切られることを恐れておる……そしてそれだけの理由が、ドラコの記憶にはあった」
「…………」
「最悪の事態は、常に考えておかねばならぬ。ハリエットの閉心術は中途半端だったということじゃが、もし万が一ハリエットが連れ去られた瞬間、騎士団の本部は隠れ穴か……もしくは他の場所に移さねばならぬ。そうならぬように」

 ダンブルドアは真っ直ぐスネイプを見た。

「ハリエットを頼んだぞ、セブルス」


*****


 校長室が消え、スネイプとダンブルドアが今度は夕暮れの、誰もいない校庭を並んでそぞろ歩いていた。

「ポッターと幾晩も密かに閉じこもって何をなさっているのですか?」
「なぜ聞くのかね? セブルス? わしがハリーと共に時間を過ごすのは、話し合わねばならぬ事があるからじゃ。あの子に伝えなければならぬ情報をな」
「あなたはあの子を信用している……私を信用なさらない」
「これは信用の問題ではない。あの子がなすべき事をなすために、充分な情報を与えることが極めて重要なのじゃ」
「ではなぜ、私には同じ情報をいただけないのですか?」
「全ての秘密を一つの籠に入れておきとうはない」

 ダンブルドアは静かに言った。

「君は非常に良くやってくれておる。ヴォルデモート卿に価値ある情報と見えるものを伝え、しかも肝心なことは隠しておくという芸当は、君以外の誰にも託せぬ仕事じゃ」
「それなのに、あなたは閉心術もできず、闇の帝王の心と直接に結びついている子供に、より多くのことを打ち明けている!」
「今夜、わしの部屋に来るが良い。セブルス、十一時に。そうすれは、わしが君を信用していないなどと、文句は言えなくなるじゃろう……」


*****


 そして今度はダンブルドアの校長室になり、窓の外は暗くなっていた。

「ハリーは知ってはならんのじゃ。最後の最後まで。必要になるときまで。ヴォルデモート卿が、あの蛇の命を心配しているような気配を見せるときが来るじゃろう」
「ナギニの?」

 スネイプが驚愕した。

「さよう。ヴォルデモート卿が、あの蛇を使って治ふっの命令を実行させることを止め、魔法の保護下に安全に身近に置いておくときが来る。その時にハリーに話すのじゃ」
「何を話すと?」
「こう話すのじゃ。ヴォルデモート卿があの子を殺そうとした夜、リリーが盾となって自らの命をヴォルデモートの前に投げ出したとき、死の呪いはヴォルデモートに跳ね返り、破壊されたヴォルデモートの魂の一部が、崩れ落ちる建物の中に唯一残されていた生きた魂に引っかかったのじゃ。ヴォルデモート卿の一部が、ハリーの中で生きておる。その部分こそが、ハリーに蛇と話す力を与え、ヴォルデモートトの心の繋がりをもたらしているのじゃ。そしてヴォルデモートの気づかなかったその魂の欠片が、ハリーに付着してハリーに守られている限り、ヴォルデモートは死ぬことができぬ」
「すると……あの子は、あの子は死なねばならぬと?」

 スネイプは落ち着き払って聞いた。

「しかもセブルス、ヴォルデモート自身がそれをせねばならぬ。そこが肝心なのじゃ」

 長い沈黙が流れた。

「私は……この長い年月……我々が彼女のために、あの子を守っていると思っていた。リリーのために」
「わしらがあの子を守ってきたのは、あの子に教え、育み、自分の力を試させることが大切だったからじゃ。わしの見込み通りのハリーなら、いよいよ自分の死に向かって歩み出すその時には、それがまさにヴォルデモートの最期になるように、取り計らっているはずじゃ」
「あなたは、死ぬべき時に死ぬことができるようにと、今まで彼を生かしてきたのですか?」

 スネイプは立て続けに言った。

「あなたは私を利用した」
「はて?」
「あなたのために、私は密偵になり、嘘をつき、あなたのために、死ぬほど危険な立場に身を置いてきた。全てがリリー・ポッターの息子を安全に守るためのはずだった。今あなたは、その息子を、屠殺されるべき豚のように育ててきたのだという――」
「なんと、セブルス、感動的なことを。結局、あの子に情が移ったというのか?」
「彼に?」

 スネイプが叫んだ。

「エクスペクト パトローナム!」

 スネイプの杖先から、銀色の牝鹿が飛び出した。ダンブルドアは牝鹿が飛び去るのを見つめていた。そして、その銀色の光が薄れたとき、スネイプに向き直ったダンブルドアの目に、涙が溢れていた。

「これほどの年月が経ってもか?」
「永遠に」


*****


 今度は、スネイプは暗い階段を降りていた。ひっそりとした地下牢から、囁くように小さな歌声が聞こえてくる。

「世のヒッポグリフ忘るな、クリスマスは――」

 ハリエットだった。地下牢の隅に縮こまるようにして丸まっている。
 スネイプはよろめきながらその傍らに膝をつく。彼女の肩に手を置き、揺さぶっても、ハリエットは目を開けない。

「ハリエット・ポッター……」

 悲しみに満ちた声だった。ハリエットは薄ら目を開けた。

「このままではお前が死んでしまう……。情報を吐け。さすれば命まではとられん。我輩が命乞いをしてやる。だから、どうか、どうか……」

 スネイプはハリエットにしがみついていた。肩をがっしりと掴み、ハリエットの目を覗き込む。

「情報を吐け。ダンブルドアは全て見通している。騎士団の本部ももう移した。団員の名前を漏らしても、あやつらはお前と違って大人だ。どうとでもなる。ハリエット・ポッター、我輩の言うことを聞け!」

 身体が震えるほどの大声だった。しかしハリエットは反応を返さず、再び目を閉じた。

「リリー……」

 小さくスネイプが呟いた。


*****


 また場面が切り替わり、スネイプはヴォルデモートの前に立っていた。

「あんな小娘が何か重要な情報を持っているとお思いで?」

 スネイプは呆れたような声色を絞り出していた。

「開心術で見たのならお分かりでしょう。ダンブルドアはハリー・ポッターにしか興味がなかった。ハリエット・ポッターには何の情報も渡していません。むしろ、あの小娘を餌に騎士団をおびき寄せた方がよっぽど――」
「シリウス・ブラックでおびき寄せるのは失敗した」

 ヴォルデモートはイライラしたように言った。

「俺様はハリー・ポッターに屈辱と絶望を与えたいのだ」


*****


 今度は箒に乗ったスネイプと並んで、ハリーは雲一つない夜空を浮かんでいた。スネイプはフードを被った死喰い人を複数伴っている。前方に、バイクに乗ったハグリッドとハリーになりすましたドラコ、そして硬く目を閉じたハリエットの姿が見える。
 彼らは急に急降下を始めた。もうすぐそこがトンクスの家なのだ。一人の死喰い人がぐんとスピードを上げ、バイクと併走した。スネイプも後を追う。

「セクタムセンプラ」

 呪いは真っ直ぐ飛び、ハリエットの長い髪を切り裂いた後、今まさに呪いをかけようとしていた死喰い人の杖腕に当たった――。


*****


 スネイプは、校長室に立っていた。ダンブルドアが微笑む肖像画を見上げている。

「何を血迷ったか、ハリー・ポッターは魔法省に潜入したと。そして愚かにもグリモールド・プレイス十二番地の『忠誠の術』の保護圏内に入れてしまったと」
「ヤックスリーは何か罠が仕掛けられていることを恐れ、君に屋敷に先に入るよう頼んだ、そうじゃな?」

 肖像画のダンブルドアが言った。スネイプは頷いた。

「よし、よし。わしの考えでは、そこにはまだハリエットとドラコがいるはずじゃ。速やかに二人を救出するのじゃ。以前、君にはムーディのかけた呪いを教えたのう?」

 スネイプはまた頷いた。

「二人は、ホグズミードのホッグズ・ヘッドの入り口に置いておくのじゃ。そこにはアバーフォースがおる。彼なら二人を助けてくれるじゃろうて」


*****


 スネイプは、今度はフィニアス・ナイジェラスの肖像画の前に立っていた。

「校長! 連中はディーンの森で野宿しています! あの穢れた血が――」
「その言葉は使うな!」
「――あのグレンジャーとかいう女の子が、バッグを開くときに場所の名前を言うのを聞きました!」
「おう、それは重畳!」

 ダンブルドアの肖像画が叫んだ。

「さてセブルス、剣じゃ! 必要性と勇気という二つの条件を満たした場合にのみ、剣が手に入るということを忘れぬように――更に、それを与えたのが君だと言うことをハリーは知ってはならぬ! ヴォルデモートがハリーの心を読み、もしも君がハリーのために動いていると知ったら――」
「心得ています」

 スネイプは素っ気なく言った。

「それで、この剣をポッターに与えることが、なぜそれほど重要なのか、あなたはまだ教えてはくださらないのですね?」
「そのつもりは、ない。ハリーには剣をどうすれば良いかが分かるはずじゃ。しかしセブルス、気をつけるのじゃ。わしを殺害したとして、君が姿を現せば、あの子達は快く受け入れてはくれまい……」
「ご懸念には及びません、ダンブルドア。私に考えがあります――」
「わしは、ハリエットに渡すという方法でも良いと思う」

 スネイプは、扉の所で振り返った。

「何を――」
「ハリエットが、ドラコを曇りなき眼で見たように、セブルス、彼女は君のことをいつか全てを見通すじゃろうて」

 スネイプは何も言わず、校長室を出て行った。


*****


 ハリーの身体が上昇し、憂いの篩から抜け出ていった。ハリーは膨大な記憶の数々を、ギュッと目を瞑ることで、整理しようとした。