■別視点

09:犬と双子と



*不死鳥の騎士団『新学期』、九と四分の三番線にて*


 ハリエットは、シリウスのことが大好きだった。
 始めこそ、シリウスは後見人という義務からハリエット達の相手をしてくれるのではないかと思っていたが、会うたびに抱き締めてくれ、目が合うと微笑んでくれ、些細なことでも話を聞いてくれ、親身にアドバイスしてくれ――そんなことを繰り返しているうちに、シリウスは本当に無条件に自分たちに愛情を注いでくれているのだと感じることができ、ハリエットはとても嬉しかったし、そんなシリウスが大好きだった。

 だが、そんなハリエットでも、未だスキンシップというものには慣れなかった。

 昔から、ペチュニアやマージがダドリーにハグをしたり、頬にキスをするのは何度も見ていた。ホグワーツに入学してからも、ハーマイオニーの両親や、モリーは娘、息子達に別れ際キスを送っているのをよく見る。でも、そんなのは自分たちにはこの先も馴染みのない話だと思っていた。子供ができたら自分たちもハグやキスをするのだろうが、今はまだ、そんな相手もいない。

 ――と思っていたのだが。

 突然目の前に惜しみなく双子に愛情を注ぐシリウス・ブラックが現れたのだ。

 ハリエット達は両親がおらず、また保護者から愛情を注がれることもなかったので、ハグやキスに慣れていなかった。だからシリウスにハグを求められたときは少し動揺したし、とても恥ずかしかった。もっと親愛の情を示したいとは思うものの、どうしていいか分からないのだ。
 シリウスという、突然現れた自分たちを甘やかしてくれる存在に、嬉しくもあり、怖々としてもいた。もっと甘えたいと思うことはあれど、それを行動に移せたことはない。
 そのことをもどかしく思っていたハリエットだが、スナッフルなら、少しだけその緊張を取り払うことができることに最近気づいた。

 シリウスは、現状ほとんど屋敷に缶詰状態なので、時々黒犬に変身して、バックビークと戯れたり、屋敷の中を走り回ったり、庭を散歩したりしていた。そんなときだけは、ハリエットは不思議と緊張せずに彼と面と向かうことができるのだ。

 シリウスは、彫りの深い顔立ちで、あまりにもハンサムなので、普段は気後れしてしまうことも多々あるが、スナッフル状態だと、見た目はただの犬だし、ヒトじゃないだけ素直になることができたのだ。
 ただ、そういう理由を差し置いても、ハリエットはスナッフル状態のシリウスも大好きだった。
 ハンサムな名付け親が愛嬌のある犬に変化するという、そのギャップが堪らなかった。

 クールで頼りがいがあって、時々お茶目でユーモアがあって、でもハリー達双子にはデレデレに甘くて。
 そんな名付け親が、犬になるのだ。機嫌が良いと尻尾を盛大に振り、チキンに飛びつき、猫にじゃれつき、舌を出して外を駆け回る可愛い犬になるのだ! こんなの、猫かわいがりしないわけがなかった!

 新学期、九と四分の三番線のプラットホームで、ハリエット達双子は、スナッフル状態のシリウスと別れを惜しんでいた。途中、すれ違ったリー・ジョーダンに『良い犬だな』と褒められた双子の機嫌は最高潮だった。
 双子はとろんとろんに相好を崩し、時間いっぱいまでスナッフルを構い倒していた。


*****


 ドラコはシリウスのことを理解できない人物だと認識していた。
 巷では大量殺人鬼の脱獄囚と思われているシリウス・ブラックだが、それが冤罪だというのは、一年ほど前偶然知り得た情報である。
 未だに脱獄囚として魔法省から血眼になって捜索されているのは、十二人ものマグルを殺したと思われているからだ。だが、彼はアニメーガスという黒い犬に変身できる能力があるので、今の今までうまく捜査の目から逃れられているようだ。

 そんな彼が、ハリー・ポッターとハリエット・ポッターの後見人だということも父親から聞いていた。だが、いくら後見人だとは言え、今は追われる身である。せいぜい遠くの外国か、どこかの屋敷に引きこもっているとばかり思っていたが、どうやらそれは全くの的外れだったようだ。なぜなら、ドラコの十数メートル先に、黒犬に変身して双子と共に無邪気にじゃれ合っているシリウス・ブラックがいるからだ。
 ドラコは呆れかえって声も出なかった。魔法省のことをなめているのか、無謀すぎるほど勇猛果敢なのか、はたまた単に何も考えていないだけか。

 とにかく、シリウス・ブラックはキングズ・クロス駅の九と四分の三番線にいた。双子はとろんとろんに相好を崩し、可愛がっている。――自分の格好に気にもとめずに。

 ハリー・ポッターはどうでもいい。問題はその妹の方だった。スカートを履いていることを気にも留めずしゃがむせいで、スカートが捲れ上がり、おそらく真正面から見れば……見えている。なんとも無頓着だ。スカートを履くならしゃがんではいけないし、しゃがむのならばズボンを履かなければ。

 それに、たとえ本人が無頓着ならば、せめて周りが注意すべきだろう。例えばすぐ目の前にいるシリウス・ブラック。しゃがんだハリエットの膝の上に手を乗せ、ハリエットから鼻にキスをもらってデレデレするのではなく、後見人として、大人として、ハリエットの無防備を注意するべきだ。にもかかわらず、今の彼は、野生を捨てたというか、人間としてのプライドを捨てたというか、とにかく犬でも分かるそのデレデレとした表情は、見ていると殴りたくなってくるほど不快だった。

 後見人としてのプライドは、一体どこへやったというのだ。
 ドラコは、眉間に皺を寄せたまま、無意識のうちに二人に近づいていた。後見人が骨抜きにされているのならば、今注意すべきは、自分しかいない。
 気配に気づいたのか、ハリエットは不意にしゃがんだまま振り返った。身体ごと動いたので、自然とハリエットとドラコは真正面から向き合う。それはつまり、どういうことかというと――。

 フレアスカートから、柔らかそうな太ももが覗いていた。ほとんど日に当たらないだろうその場所は白く、つややかだ。緩やかな曲線を描く太ももに、ドラコの視線は奥へと滑った。
 ――ほんの一瞬の出来事だった。そうだと願いたい。ドラコは、どこかの後見人と違って、紳士としてのプライドは捨てていない。確かに反射的にまじまじと見てしまったかも知れないが、ほんの一瞬だった。ドラコはすぐに我に返ってそっぽを向いた。

 ハリエットが自分に向かって手を振っていたような気はしたが、ドラコの頭は真っ白で、何も考えることができなかった。ワシミミズクの檻を掴む手にぎゅうっと力を入れ、ぎくしゃくと汽車の中に入った。自分には何かしなければならないという使命があったような気がしたが、もはやそれを思い出す冷静さは今のドラコにはなかった。