■過去の旅

10:水面下にて


 翌朝、ハリエットが談話室へ降りていくと、ぶすっとした様子でソファに身体を預けるハリーの姿が一番に目に飛び込んできた。ロンはこれに仕方なさそうに苦笑いを浮かべ、ハーマイオニーはというと親友の機嫌など意にも介さず分厚い本を読み耽っている。

 ここのところ、ハリーとロンはずっとジェームズ達と一緒にいたというのに珍しい。近くにリリーもいなかった。ハリエットはがっかりしながらハーマイオニーの隣に座った。

「ハリー、機嫌悪いの?」

 直球でハリエットが尋ねた先はロンだ。ロンは肩をすくめて頷く。

「朝起きたらもうジェームズ達がいなかったんだ。置いてかれたって拗ねてる」
「別にそんなんじゃない」

 素っ気なくハリーは言うが、ふて腐れたようにそっぽを向くその姿からは説得力がない。ハリーの機嫌も何のその、ハリエットはそわそわと談話室を見回した。

「リリーを知らない?」
「監督生の仕事をしに行ったわ」
「そう」

 まさに双子といった所か、ハリエットもあからさまに落ち込んだ。

「早く朝食食べに行こうよ。お腹空いた」
「あっ、ええ。待たせてごめんね」
「別に良いけど。君達ったら、前はそんなに身支度に時間掛けなかったよね? 特にハリー。君は何時間も鏡の前を占領しすぎだ」
「何時間は言い過ぎだよ」

 ハリーは視線を逸らしながら呟く。だが、彼の鳥の巣のような頭が今は比較的落ち着いているため、ロンの言葉もあながち間違いではないかもしれない。ハリエットも自覚はあったため、詳しく突っ込むことはしなかった。

 休日のためか、それほど早い時間帯ではないはずなのに、生徒の姿はまばらだった。肌寒くなってきたので、未だベッドの中で微睡んでいる生徒も多いのかもしれない。

「ハリー、ロン! こっちに座りなよ!」

 グリフィンドールのテーブルへ近づくと、丁度真ん中程からジェームズが大きく手を上げた。ハリーは嬉しそうに駆け寄っていく。

 ジェームズ、シリウス、ピーターの三人は固まって座っていた。リリーと共に監督生の仕事をしているのか、リーマスの姿はない。

 ジェームズの向かいにはシリウスが座り、その隣にはピーターが腰掛けていた。ジェームズの隣で、かつピーターの向かいである席はぽっかり空いている。にもかかわらず、ハリーは何食わぬ顔でその空間を通り越し、ジェームズの隣に座った。ロンはシリウスの隣に、ハーマイオニーもハリーの隣に座った。

 不自然に空いた空間。ピーターは少し戸惑ったように目を動かし、ジェームズとシリウスは違和感に眉を上げ、何か聞きたげにハリー達の方を見るが、その視線に気づいているのか気づいていないのか、ハリーはオートミールを自分の方に引き寄せた。

「リーマスは一緒じゃないの?」

 ジェームズに話しかけながら、自然を装ってハリエットは彼の隣に腰掛けた。ピーターがホッとしたように笑うのが視界に映る。

 あからさまな態度は、いけない。無視されたり、仲間はずれにされる悲しさは、ハリエットもよく分かっていた。

「――彼は監督生だからね。今頃エバンズと一緒に会議だよ」
「随分羨ましそうな声色だな。今からでも監督生を目指したらどうだ?」
「監督生になった僕は僕じゃないね。断言できる」

 軽快に笑い合うジェームズとシリウスに、ハリエットは胸を撫で下ろした。どうやら、この一連の行動は見咎められなかったようだ。

「でも、まさかリーマスが監督生に選ばれるなんて思ってもみなかったよ」
「そう? 僕は適任だと思ったけど」

 ジェームズの呟きにピーターが真面目な声で返した。シリウスは笑い声を上げる。

「悪戯仕掛人の一人だからな。マクゴナガルはリーマスが俺たちのストッパーになれればと思ったんだろうが」
「仲間が敵方に引き込まれたからって尻込みする僕らじゃない」
「むしろスパイにするだろうさ」

 ニシシと笑い合うジェームズとシリウスの息はピッタリだ。さすが魂の双子といった所か。おそらくハリーとハリエットですらその意気投合っぷりには負けるに違いない。――こっちはちゃんと本物の双子なのに。

「あなた達、リーマスをスパイにしてるの?」

 この一連の聞き捨てならない会話に、優等生ハーマイオニーは口を出さずにはいられなかった。

「信じられないわ。監督生は皆の模範となるべき人よ! 友達ならリーマスの立場を考えないと!」
「そんなこと言われたって……いいかい、ハーマイオニー。君は知らないんだ。どんなにリーマスの立ち回りが上手いか」
「要領が良いと言われる俺たちでさえ敵わない。一番策士なのは実はあいつだ」
「うん……確かに時々リーマスは怖くなる……」
「一番怒らせたら駄目なタイプだよ」
「そういうことを言ってるんじゃありません!」

 三者三様の態度を示す悪戯仕掛人に、ハーマイオニーは声を張り上げた。ジェームズは晴れやかな笑みで耳を押さえる。

「監督生が増えたみたいだ」
「違いない」
「ハーマイオニー、君は必ず監督生になるだろう。僕が保証してあげる」
「結構です」

 ツンとしてハーマイオニーは答えた。ハーマイオニーをからかえる人なんて珍しいどころではないので、ハリエットは目を白黒させた。

「つれないなあ。ま、これ以上ミス・監督生候補に絡まれないように、僕らは行くよ。彼女の前では次なる悪戯の計画すら相談できなさそうだからね」
「もう行くの?」
「折角の休日だからね。途中でリーマスを拾わないと」

 ひらりと手を振ってジェームズは立ち上がった。ハリーはなおも名残惜しげに彼を見つめたが、残念なことにジェームズもシリウスも誘ってくれなかった。ハリーはまたしてもため息をつく。

「この後、皆はどうするの?」

 三人が去った後、食後のティーに移っていたハーマイオニーが皆をぐるりと見回していった。

「聞かないでも分かる。君は図書室だろ?」
「もちろん。だって、私達の時と全く本のラインナップが違うんだもの! 私達の頃だったら規制がかかっていたようなものでも読めるのよ。堪能しない訳には行かないわ。ハリエットは?」
「あー、えー……私は遠慮しておくわ」

 控えめにハリエットは断った。本来ハリエットはあまり勉強が好きではない。人並みに勉強も努力もするが、折角の休日に勉強したいかと言われれば、それは否である。もちろん、リリーのためならば喜んで勉強するが。

「ここにファイアボルトがあればなあ……。父さん達と一緒にクィディッチができるのに」

 突然知り合いもいない過去に来た身で、やりたいことなど思い浮かばない。せめて箒があれば、気分転換にもなるだろうが。

「ファイアボルトは無理でも、箒は借りられるんじゃない? マダム・フーチに聞いてみようぜ」
「それだ!」

 ロンの提案に、急にハリーは目を輝かせた。その勢いのままハリエットを見る。

「ハリエットも行かない? 箒に乗ろうよ。父さん達も誘うつもりだし」
「私はいいかな……」

 ちょっと迷ったが、結局この提案にもハリエットは頷かなかった。ジェームズ達と遊ぶ、というのは魅力的だが、しかし自分の箒の腕前が露呈するのはどうにも頂けない。

 大広間の前で四人は別れた。目的地もないまま、ハリエットは一階の廊下をぶらぶら歩いた。知り合いのいない談話室は落ち着かないだろうし、かといって寝室に引きこもるのもつまらない。さてどうしたものかと何気なく窓の外へ視線を滑らせれば、湖の畔に見慣れたプラチナブロンドがあった。ハリエットは信じられないものを見る目で瞬きをし、ついでゆっくり口角を上げた。そして歩き出した先はもちろん。

「ドラコ」

 秋も深まり、風が冷たくなってきたこの時期、湖にほとんど人影はない。そのため、ハリエットが後ろから声をかければ、ドラコは面白いくらいに肩を跳ねさせた。

「ドラコも外で本を読んだりするのね」
「気分転換だ。他にやることもないし」

 驚いたのを悟られたくないのか、ドラコは平然として答える。

「ハリーとロンは、箒に乗りに行ったわ」
「……ポッターと一緒に箒に乗れと?」
「別にそういう意味じゃないけど……」

 そういうつもりで言った訳ではない。だが、言われてみれば、それも悪くはないとハリエットはふと思った。知り合いは自分達五人しかいないのだ。なら、昔の確執など忘れて少しくらい互いに歩み寄っても悪くはない。――本当にそうなる望みは限りなく薄いが。

「ハリー達とが嫌なら、私と一緒に乗る?」

 ふと気づけばハリエットはそう口にしていた。ハリーに誘われたときは気が乗らず断ってしまったが、不思議とドラコと一緒なら楽しそうだと思ったのだ。自分でもよく分からない感情の変化だ。気まぐれとも言うのかもしれない。

「僕達はスリザリンとグリフィンドールだ」

 本を閉じ、ドラコは急に低い声で言った。

「そんなの、今更じゃない」
「時代が違う」
「――ハーマイオニーも言ってたわ」

 ようやくドラコが何を言いたいのかが分かってきた。だが、それでもハリエットはいまいち危機感が湧かない。スリザリンと敵対しない方が良いというのは分かる。だが、仲良くなるのなら良いのではないか。それも、ドラコは知り合いだ。

「スリザリンとグリフィンドールが一緒にいれば悪目立ちだ」
「そんなに? 同じホグワーツ生じゃない」
「君は全然分かってない」

 眉を顰め、ドラコは口を開いたが、しかし逡巡した後、結局は閉口した。

「もう読み終わったし、僕はもう行く」
「図書室に行くの?」
「ああ」

 背を向けられ、ハリエットは何となく拒絶されたように感じた。彼を追うこともできず、その背中を見送るほかなかった。

 代わりに、彼と入れ違いのようにやって来たのはピーターだ。ハリエットは反射的に身構えたが、彼はドラコの方が気になるようで、興味深げにチラチラ振り返っている。

「あの子ってスリザリンだよね? 大丈夫? 何か言われた?」
「ううん。友達なの」
「友達……」

 ピーターは目を丸くして呟いた。

「……エバンズみたいだ」
「えっ?」
「ああ、いや。エバンズも、グリフィンドールなのに、スリザリンに友達がいるから……」
「スネイプのこと?」
「うん。でも、マグル生まれなのに、どうして彼と友達になったの?」
「あ……ええっと」

 ハリエットは一瞬のうちに思考を回転させた。ピーターであれば凝った嘘でなくても素直に信じてくれるだろうが、それでも綻びを出してはいけない。

「入学用品を買いに行ったときに仲良くなったの。あ、でも、一方的に私が友達だって思ってるだけかもしれないけど」

 あまりにも意外そうに言われるので、ハリエットは次第に自信がなくなって小さく付け足した。さっきだって、久しぶりに話したのに、話しかけてこないで欲しいという雰囲気を感じた。

「そんなことないと思うけど……」

 ピーターは曖昧に笑って励ました。気まずい言い方をしてしまったとハリエットは慌てた。

「それよりも、こんな所までどうしたの? ジェームズ達と待ち合わせ?」
「ああ、いや。窓から君の姿が見えたから……」

 ピーターはもごもご言った。

「あの……ハリエット」
「どうかした?」
「ごめんね。君の……お父さんとお母さんのこと」
「な……何が?」

 一気に鼓動が早くなる。ピーターの口から両親のことが出てくるなんて――。

「僕、この前不躾なことを言っちゃって……。悪気はなかったんだ。本当にごめん」
「あ……」

 ようやくハリエットも何のことだか合点がいった。両親の写真を持ってないかと問われたときのことだ。ハリエットは慌てて両手を振る。

「気にしないで。知らなかったんだもの。それに、ちょっと驚いただけで、全然怒ってないわ」
「本当にごめん……。後でハリーにも謝りたいんだけど、なかなかその機会がなくて」
「ああ……」

 ハリエットは困った顔で言い淀む。ピーターが両親の話題を挙げれば、今のハリーにとっては火に油のような予感がした。無理に話しかければ、余計に二人の関係が拗れてしまうだけだろう。

「ハリーには私から言っておくわ。むしろ、私の方こそごめんなさい。気に病ませちゃって」
「ううん、そんなこと」

 落ち着いた沈黙の降りる二人の間を、肌寒い風が通り抜けた。ハリエットはぶるりと身体を震わせる。思っていた以上にこの場に長居していたようだ。

「私、そろそろ談話室に戻るわ。ピーターはどうするの?」
「僕も戻るよ」

 ハリエットが歩き出せば、ピーターもまた数歩後ろを歩き出す。隣を歩けば良いのに、とハリエットが振り返ろうとしたとき、急に全身から力が抜けるような感覚があった。

 糸が切れたように倒れるハリエットが地面にぶつかるその直前、すんでの所で抱き留めたのはピーターだった。

「ハリエット、ごめんね……」

 霞んでいく意識の中、ハリエットはピーターが小さく呟くのを耳にした。