■過去の旅

12:スラグ・クラブ


 ハーマイオニーはともかくとして、ハリエットはすっかり図書室の常連となった。リリーは今年OWL試験があり、そのために図書室で勉強することが多かったからだ。何も語らずとも、肩を並べて勉強するだけで心安らかになったし、時々息抜きだと言って、リリーに勉強を見てもらえることもある。ハリエットは幸せ一杯だった。

 時々スネイプもやって来るので、必然的にハーマイオニーも加えた四人で勉強することになった。スネイプはとっつきにくいし、彼の将来の陰険さを充分知っていたため、ハーマイオニーも始めこそおっかなびっくりスネイプと同じテーブルで勉強していたが、やがて、彼がただただ純粋に魔法薬学に秀で、そして独自の魔法薬の改良案を考えていると分かると、途端に熱を入れたように討論を始めた。スネイプも、ハリエットやハーマイオニーのことはあまり好いてはいないようだが、リリーの手前、邪険にできずにいるようだ。仕方なしにハーマイオニーの相手をしていた。

 ちらちらとそんな二人の様子を見ていたリリーは、やがて隣に座るハリエットにしか分からないような声量でクスクス笑いを零した。

「どうしたの?」

 思わずハリエットが問えば、リリーは至極優しそうな顔でハリエットの方を見る。

「ああ……セブったら、楽しそうにしてるなと思って」
「スネイプが?」
「ええ。ああ見えて彼、あなた達のこと気に入ってると思うのよね。そうじゃなくちゃ、ハーマイオニーとあんなに会話は続かないわ」
「うーん」

 ハリエットは唸りながらハーマイオニー達の方を見る。ハリエットからしてみると、会話というよりは、ハーマイオニーが持論を展開し、それにスネイプが時折相槌を打つくらいにしか見えなかった。

「でも、嫌われてないのなら嬉しいわ」
「あら、そんなこと絶対にないわ! 少し分かりにくいかもしれないけど、少なくともセブは嫌ってる人と一緒に勉強なんかしたりしないもの」
「うーん……」

 ハリエットはなおも首を傾げた。彼の未来での所業が、いまいち素直にリリーの言葉を信じさせてはくれないのだ。

「それよりも、私はリリーとスネイプのことが聞きたいわ。幼馴染みってことは、近所に住んでたの?」
「そうよ。私が魔女だってことを教えてくれたのもセブ。そう考えると、結構セブとも長い付き合いなのね」

 遠くを見る目で微笑むリリー。ハリエットは少しドギマギした。スネイプのリリーを見る目は優しく、リリーもまた、スネイプのことは大切に思っているらしい。――我らが父ジェームズ・ポッターに対する態度とは大違いだ。

「そ、その……リリーは……スネイプのことどう思ってるの?」

 ハリエットは、消え入るような小声で尋ねた。もちろん、その目は油断なくスネイプ達の方に向けられている。大丈夫、彼の注意は今こちらに向いていない。

「そうねえ。もうちょっと社交的になって欲しいとは思うけど。でも、最近ではあれがセブらしさだって思うようにしてるわ。セブが本当に大切にしたいって思う人には、セブの良い所を分かってもらえたら最高だと思うわ」

 そう言うリリーの表情は、まるで聖母のように優しく。

 ハリエットは、『そう言う意味じゃないわ』と言うことができなかった。

 ――そう、違うのだ。ハリエットは、恋愛的な意味で、リリーがスネイプのことをどう思っているのかを聞きたかっただけであって――。

 だってそうだろう。五年生にもなって、ジェームズに対するリリーの印象は最悪だ。それがどうまかり間違って結婚するに至ったのだろう。ハリエットは自分達の行く末が心配で堪らなかった。

 もちろん、勝手にこの時代の人間関係に首を突っ込むつもりは毛頭ない。だが、気になるものは気になる。

 ハリエットがそれ以上突っ込む前に、ハーマイオニーとスネイプの討論は終わった。スネイプはそのまま己の課題に手をつけようとしたようだったが、生憎と、ハリエットには気になるものがもう一つあった。

「す、スネイプ?」

 未だに慣れない呼び方に四苦八苦しながらハリエットが話しかければ、スネイプはちらりと視線だけ上げた。

「邪魔してごめんなさい。突然なんだけど、ドラコ・マルフォイは知ってる?」
「マルフォイ? ……ああ、お前達と一緒に編入してきた奴か」
「そう。元気にしてる?」
「どうして気にする? 友達なのか?」

 スネイプは訝しげに尋ねた。ハリエットは困った顔になる。

「ええ、だけど、ちょっと喧嘩中というか……あの、元気でやってるのならいいんだけど」
「談話室ではあまり見かけないから分からないな。いつも一人でいる」
「……そう」

 途端にハリエットは浮かない顔になった。やっぱりドラコのことが心配だった。たった一人きりで過去の世界にいるだなんて、どれだけ心細いだろう。彼の側には、心置きなく話せる人物が誰一人としていないのだ。

「スリザリンに友達がいるの?」

 リリーは驚いたように尋ねた。

「あ……ええ、編入する前に少し知り合ったの。スリザリンには知ってる人がいないだろうから、少し心配で」

 ハリエットは思いきった顔でスネイプを見た。

「スネイプ、もし良かったら、少しだけドラコのことを気にかけてくれない? ちょっと声をかけるだけでも喜ぶと思うの。スリザリンには知り合いもいないし、心細いと思うから」
「気が向いたらな」
「セブ、そんな意地悪なこと言わないの。後輩の可愛い頼みじゃないの」

 リリーが口を挟めば、途端にスネイプは苦い顔になった。渋々彼が頷いたのを見て、ハリエットは笑いをかみ殺した。


*****


 ぜひともスラグ・クラブに来て欲しいというスラグホーンの言葉は、てっきり社交辞令だと思っていたが、事実ハリエット、ハーマイオニー共に招待状が来たことを鑑みるに、心からの本心だったらしい。

 そもそも、スラグ・クラブとは何なのか。

 リリーに尋ねようと思っていたら、談話室で先にシリウスに招待状を見られ、盛大に顔を顰められる。

「ああ、お前達もあいつのお眼鏡にかなったのか」
「スラグ・クラブって何なの? 折角スラグホーン先生からお誘い頂いたから、できれば行ってみたいんだけど」
「止めとけ止めとけ。行っても何も良いことないぞ」

 シリウスは大したことを教えてもくれず、ヒラヒラと手を振った。ハーマイオニーはそれに不満そうだ。

「だから、どういう所なの?」
「あいつが大好きな人脈作りのパーティーさ。社交界と変わらない。スラグホーンは、将来有望な生徒を自分のコレクションに加えたいだけなんだよ」
「その言い方じゃ、あなたも行ったことあるのね?」
「いいや。誘われはしたが、目の前で蹴ってやったね」
「……行ってもないのに批判してるの?」
「行かなくても分かるからだ。あいつが声をかけるのは優秀な生徒ばかり。――いや、それに親が有名人の奴にも声をかけてたな。とにかく、口を開けば自分が誰と知り合いだとか、君の親はどうだとか、うんざりしてくるような奴だよ。さすがスリザリンの寮監だ」

 珍しくぐちぐち不満を零すシリウスは、相当不満が溜まっていたらしい。

 でも、とハリエットは首を傾げる。

「スリザリンの寮監でも、マグル生まれの私達のことは嫌ってないようだったわ。ハーマイオニーのことも手放しで褒めてたし」
「ああ、そこは唯一まだマシな所かな。血で人を差別しないから。……まあ、お気に入りの生徒には全くの関心を寄せない時点で差別はしてるが」
「スラグホーン先生は悪い人じゃないよ」

 黙って話を聞いていたリーマスが、やれやれといった様子で苦笑した。

「ただ、優秀な生徒にちょっと興味を持ち過ぎるだけで」
「ものは良いようだな」

 シリウスは呆れたように呟く。リーマスは肩をすくめ、再び読書に戻る。

 ハリエットは、困ってハーマイオニーと顔を見合わせた。どちらにせよ、シリウスはあまりスラグ・クラブに良い印象は抱いてないようだ。ハリエットとしても、どうしても行きたいという訳ではない。ただちょっと、折角誘われているのに断るのは悪い気がするだけであって。

「あら、あなた達もスラグ・クラブに誘われたの?」

 涼やかな声に、ハリエットの顔は一気に華やいだ。招待状を握りしめ、にこにことリリーを見つめる。

「あなた達もって、もしかしてリリーも?」
「ええ。スラグホーン先生にはいつもお世話になってるわ。とても興味深い文献を貸していただくこともあるし」
「そうなの!?」

 リリーの返しで、ハーマイオニーは、親友がスラグ・クラブの参加を即決するだろうことを悟った。自分もまたリリーの言葉に強く惹かれていることは否めないが。

 敏感にその気配を感じ取ったシリウスは、なおも少女達を説得しようと口を開き掛けたが、それよりも先にハリーとロンが談話室に降りてきて出鼻を挫かれる。ハリーの手にも件の招待状があったからだ。

「ハリーも招待状を受け取ったのね」
「本当に全く分からないんだ。何かの間違いだと思うよ。だって僕、ハーマイオニーみたいに賢い訳じゃないし」

 もごもごと言い訳するハリーは、本当に心から戸惑っているようだった。それに、ロンのことを気にしてもいた。四人の中で唯一スラグホーンからの招待状をもらってないからだ。

「僕は行かないよ。皆と遊んだ方が楽しいし」
「それでこそハリーだ!」

 シリウスはクシャッと笑ってハリーの肩を叩いた。スラグホーンの招待を蹴った同志の存在が嬉しいのだろう。

「私は行くわ。いろんな人と知り合いになることは悪いことじゃないだろうし、たくさん情報を集められそうだもの」
「私も行く」

 ハリエットはすっかりご機嫌で答えた。リーマスの言う通りスラグホーンは悪い先生には見えなかったし、リリーも行くのであればどこへだってついて行くつもりだった。

 とはいえ、いざその数日後、スラグホーンの研究室を訪れれば、早々に参加したことを後悔する羽目になった。やれ君のご両親は誰々だの、ご親戚には誰がいるだの、君は何々において優秀だの、スラグホーンは終始誰かを褒める言葉しか口にしていなかった。

 生徒のみならず、著名人も参加しているようだったが、ハーマイオニーのように『あの人は今の魔法大臣の弟よ!』と興奮するほど博識ではなかったし、リリーのように寮の垣根なく人脈を広げていくほど社交的でもなかった。そもそも、自分がここに呼ばれたのだって、パーティーの一番始めに『ほうら! やはりミス・エバンズと君はそっくりだった! 親戚と言っても過言ではない! 君達は本当に血の繋がりはないのかね?』とハリエットを紹介したことで目的は明白だ。

 あまり気が乗らなかったので、続々と現れる参加者で研究室が狭くなってきた所で、ハリエットは早々にバルコニーに出て外の空気を吸っていた。

 緊張と共に気が高ぶっていた身体には、外のひんやりした空気は丁度いいくらいだった。眼下に広がる校庭は特に見栄えのするものではなかったが、遠くの方で暴れ柳がひとりでに動いているのを見るのは、良い暇つぶしにもなった。

 彼らの姿を見たのは、そんな時だった。月の光に丁度校庭が照らされたとき、ハリエットは確かに見たのだ。人目を忍ぶようにして校庭を横切る牡鹿と黒犬の姿を。

 そういえば、今日は満月だった。

 瞬きをしているうちに、闇に紛れて彼らの姿は見えなくなってしまった。だが、しばらくして相変わらず激しく動いている暴れ柳が、まるで凍らされたかのようにピタリと動きを止めたのが見えた。

 ハリエットは、その一部始終を複雑な思いで見つめていた。

 リーマスにとって、自分のために親友がアニメーガスになって満月の夜傍にいてくれるというのは、この上ない喜びだろう。アニメーガスが、四人の絆をより強固にしたとも言える。しかし、シリウスが冤罪を着せられたのはピーターのアニメーガスが一端を担っており、また彼がアズカバンで生き延び、脱獄できたのもアニメーガスのおかげである。

 学生の頃の絆が、まさかこんなに複雑な縁を持つことになるなど、誰が想像しただろうか。

 だが、未来が分かっていたとして、ハリエットには何もできない。何をしてもいけない。それがもどかしくて堪らない。

 ぼんやりとした表情でハリエットが物思いに浸る間、視線の先の暴れ柳は、再び自由を取り戻していた。