■過去の旅

14:ハロウィーン


 ハロウィーンの朝は、寝室まで漂ってくる甘い香りが目覚まし代わりだった。無意識のうちにすんすん鼻を動かしながら身じろぎすれば、クスクスとハーマイオニーの笑う声がする。

「まるでウサギみたい。ハリエット、早く起きなきゃ朝食を食べ損ねるわ」
「もうそんな時間?」
「未来のあなただったらまだ余裕の時間だけど。でもこの時代のあなたにとっては結構ギリギリな時間よ」

 ハーマイオニーの言葉は分かりやすかった。ハリエットは速やかに身体を起こし、大人しく身支度を始めた。いつもは寝癖は手早く直すのみだが、父や母もいるこの時代において、手抜きはあり得ない。

 身支度を終えると、ハリエットとハーマイオニーは同時に寝室を出た。女子寮の狭い階段を降りていると、ばったりリリーと遭遇した。

「リリー、おはよう」
「おはよう、二人とも」
「今日はハロウィーンね。楽しみだわ」
「ええ、そうね――って、まっ――」

 珍しくリリーが慌てた声を出すが、その頃にはハリエットとハーマイオニーは階段を降りきっていた。すると、途端に目の前に影が差す。

「トリック・オア・トリート!」

 ハーマイオニーはポカンとジェームズを見た。至って大真面目な様子でハロウィーンの文句を口にされたことに困惑したのだろう。だが、それもそうだ。ハロウィーンは幼い子供の行事なのだから。

 だが、それを指摘するのも大人げないというもの。ハーマイオニーはローブのポケットをまさぐり、お菓子が入っていないことに気づくと、苦笑いを浮かべた。

「あ、待って。寝室にお菓子があるの。それを持ってくるから――」
「ちっちっち、ハーマイオニー、そんな反則はいけないね? 今すぐにお菓子をくれなきゃ悪戯だ」
「っ、ハーマイオニー!」

 何故だかリリーが焦ったような顔でジェームズとハーマイオニーの間に割って入る。手にはチョコレートを持っていた。

「ほら、これあげるわ! 私も一年生の頃ポッターにやられて、それからずっとハロウィンの日はお菓子を持ち歩いてるの。だから――」
「エバンズ、友達思いなのも良いけど、これも反則だね」

 ジェームズは腕を振ってリリーの行為を妨害した。ちゃっかりそのままリリーの手からお菓子をかっ攫っていく。

「これは没収だ。さあて、ハーマイオニー、君にはどんな悪戯をしてあげようか?」
「お、お手柔らかに頼むわ……」

 ハーマイオニーの顔は引きつっている。まだ一月と経っていないが、それだけでも悪戯仕掛人の強引さは十二分に良く理解しているのだろう。――すなわち、ここで何をどう言った所で、彼らからの悪戯を逃れる術はない。

 にこやかに杖を振るったジェームズの傍ら、みるみるハーマイオニーの姿が変化していった。ハリエットは驚きの声を上げる。

「ハーマイオニー、可愛い!」
「えっ?」
「いつものふわふわな髪もチャーミングだけど、こういうのもたまには良いかと思ってね」

 準備が良いジェームズは、サッとハーマイオニーに手鏡を渡した。鏡を覗き込んだハーマイオニーは目を見張った。鏡の中の自分は、いつものたっぷりとした縮れ毛が、憧れの滑らかな直毛に変わっていたからだ!

「さあ、お次はハリエットだね。トリック・オア・トリート?」
「あ……私も、持ってないわ……」

 ぎこちなくハリエットは笑った。彼女の返答も見越していたのか、ジェームズは驚いた様子もなくウインクした。

「じゃあ悪戯だね」

 ハーマイオニーとは反対に、ふわふわな癖っ毛になるのだろうか、と楽しみに目を瞑ったハリエットは、ハーマイオニーのあっという声で目を開けた。下を向いたハリエットの視界に飛び込んできたのは、黒。

「エキゾチック! ハリエット、黒髪も素敵!」
「僕の見立ては間違ってなかったね。ほら、こうすると僕ら兄妹みたいだろう?」

 ハリエットの肩に腕を回し、ジェームズはニッと笑った。急に距離が近くなってハリエットは顔を真っ赤にして俯いた。リリーが険しい表情で二人を引き剥がす。

「ポッター! ハリエットに必要以上に近づかないでちょうだい!」
「ちょっとくらい良いじゃないか。エバンズ、もしかして嫉妬かい?」
「馬鹿なこと言わないで!」

 リリーはぷんぷん怒りながら、下級生の女子二名を己の背後に匿った。リリーの怒りが解けないので、悪戯仕掛人の唯一の理性でもあるリーマスが召喚された。

「まあまあエバンズ、今回は見逃してくれないかな。僕らも二人にホグワーツのハロウィーンを楽しんでもらいたくてやったんだ」
「だからって、いきなり魔法を掛けるなんて……」
「でも、僕らにしてはまだ良心的な悪戯だったろう? 本当のところ、君達には別の悪戯をしようと思ってたんだ。髪は女の子の命だからね。でも、あの二人がぜひともって言うから」

 リーマスが指を差した方には、ハリーとロンが座っていた。ハリーはなぜか燃えるような赤毛で、ロンはくるくるとした天然パーマになっていた。

「わあ、二人ともすごい変化ね。あれもあなた達が?」
「まあね。ハリーのグリーンの瞳を見たときから、一度彼を赤毛にしてみたくて堪らなかったんだ」

 照れたようにジェームズが咳払いをした。

「見てくれ。エバンズにそっくりじゃないか? いや、顔立ちはあんまり似てないけど、何て言うか……姉弟だって言われても疑われない」

 ロンが咳き込んだ。目が泳いでいる。

「そ、そうかな……。じゃあ、僕はどうしてパーマに?」
「決まってるじゃないか! 君のその柔らかそうな直毛は前から気になっていたんだ。たまには癖っ毛の気分を味わうと良いよ。もちろん、僕は自分の髪の毛は気に入っているけど、たまーに、本当にたまーに、朝起きたときにセットするのが面倒なんだよね」
「その割にはいつも嬉しそうに髪の毛をクシャクシャさせてるじゃないか」

 口角を上げてシリウスが茶々を入れる。

「人聞きの悪いこと言わないでくれるかな。セットしてるんだってば! それに、たまにだって言ってるだろう」
「まあ、つまりは全部ジェームズの独断と偏見で君達の悪戯が決定したってこと」

 苦笑いでリーマスがまとめた。そんなことだろうと思ったわ、とリリーが呆れたように肩をすくめた。

「でもまあ、確かにポッターにしてはまだ常識的な悪戯だったみたいね。あなた達のことだから、もっとえげつないことをするんじゃないかって心配してたけど」
「失敬な! 可愛い弟分達にそんなことするわけ無いじゃないか!」

 リリーに話しかけられたことにより、ジェームズのテンションが上がった。

「それに、四人はまだホグワーツに来て間もないからね。やり過ぎて魔法を嫌いになっても困る」
「そもそも悪戯しないっていう選択肢はないのね」
「当たり前じゃないか! 今日という日をどれだけ待ちわびたか――合法的に悪戯ができる日なんだから!」
「どこが合法よ! ホグワーツ内で、今日だけは多少は見過ごされるってだけよ!」

 ジェームズとリリーの口論はいつものことだが、ほとぼりが冷めるまでこの場にいれば確実に朝食を食べ損ねてしまう。

 五年生組は皆とっくの昔に朝食は食べたというので、ハリー達は慌てて談話室を抜け出した。階下から漂ってくる甘い匂いを辿れば、目を瞑ってでも大広間にたどり着けるだろう。

 大広間は、まばらではあるが、まだ生徒の姿はあった。ハリー達はホッとして人気の少ない端の方の席に腰掛ける。

「ハロウィーンの日は、どの時代もホグワーツは変わらないのね」

 いつもはどことなく暗い雰囲気が漂っているホグワーツが、今日はどこか浮き足立っている。出てくる料理だって、今日はハロウィーン仕様である。

「まさか、起きて早々ジェームズ達に悪戯を仕掛けられるとは思いも寄らなかったけど」

 ロンはちらちらハーマイオニーを見ながら言葉を返した。サラサラな髪の毛になったハーマイオニーのことが信じられないらしい。

 確かに、髪の毛の印象一つとっても、がらりと変わるものだ。ハーマイオニーは途端に知的な美少女に早変わりし――もちろんいつものフワフワ髪も可愛いが、普段彼女はあまり髪の手入れをしないのだ――ハリエットも黒髪が見慣れないせいか、浮世離れした雰囲気が出ている。ハリエットは、今までリリーに瓜二つだと未来でも過去でも言われてきたが、いざ黒髪になると、やはり親子であるために、ジェームズとも雰囲気が似通った。ハリーもまた然り。残念ながらロンは……髪が短いせいで、あまり印象は変わらなかったが。

「父さん達と何かあったの?」

 不意にハリーがハリエットを見た。ハリエットはドキリとして、へらりと笑みを浮かべた。

「……分かる?」
「そりゃあ、ちょっとぎこちなかったから」
「エッ、そうなの?」

 初耳だとぐりんとロンの顔がハリエットに向けられる。

「でも、ジェームズ達は普通に見えたけど」
「ハリエットの様子がおかしかったんだよ」
「私が一方的にモヤモヤしてるだけなの」

 ハリエットは、スネイプの身に起こった出来事を話した。客観的に話したつもりだが、ついスネイプの方に肩入れしたようになったのは不可抗力だ。だが、それでも味方してくれると思っていたハリーが困惑の表情なのは、ハリエットをひどく動揺させた。

「どう思う? 二人は悪戯だって言い切ったのよ?」
「僕にはそんなに大したことには思えないけど」

 ロンが一番に返答した。

「スネイプの性格を考えてみろよ。スネイプが前に何かしたに違いないよ」
「でも、二対一だったのよ」
「そりゃあ、ジェームズ達の言う通りスネイプには友達がいなかったんだろう。そういう構図になるのは仕方ないよ」
「僕も、その場面だけで判断するのはどうかと思う」

 言い辛そうにハリーが言い、ハリエットは愕然とした。まさかハリーと意見が異なるとは思わなかったのだ。

「僕達には、過去にジェームズとスネイプの間に何があったかは、分かり得ないんだし」
「それに、スネイプはハリーやグリフィンドールに理不尽なことばかりしてきたんだぜ。それを思えば、ジェームズ達の悪戯なんて、それこそ可愛いものだよ」
「それは……」

 確かに、未来のスネイプの行動を思えばハリエットもうまく反論できない。スネイプはスネイプで、あまりにもスリザリン以外の生徒に厳しく理不尽な態度だったからだ。

 だが、その行動すらも、学生の頃ジェームズやシリウスに散々な目に遭わされ、その恨み辛みが巡り巡ってグリフィンドールに向けられた、というのであれば分かる。――未来のグリフィンドール寮生からしてみればお門違いというものだが、元凶がハリエットの父と後見人であるというだけで、ハリエットにもその責任の一端があるように思えて仕方ない。

「ハーマイオニーはどう思う?」

 すっかり元気をなくしたハリエットは、弱々しく最後の一人に声をかけた。ハーマイオニーは難しい顔でカボチャスープをくるくるかき回した。

「度を超した悪戯だと思うわ。何はともあれ、同級生に魔法は使っちゃいけないし、二対一なんて言語道断よ。でも、二人の言う通り、今回の一件だけであの二人を悪者だと決めつけるのも早いと思うわ。スネイプが今回みたいなことをあの二人にしたのかもしれないし。……まあ、図書室で一緒に勉強してるときのスネイプが、自分から誰かに突っかかっていくような人には見えないってのもあるから悩みものだけど。でも、未来のスネイプのこともあるし……」

 ハーマイオニーはブツブツ言いながら黙り込んでしまった。ある意味で、ハーマイオニーの意見が一番ハリエットの頭を冷やした。

 そうだ。あまりにも衝撃的な場面で一方的に決めつけてしまったが、ハリエットはこれまでのあの三人の間にあった出来事を知らない。もしかしたら、逆にスネイプがジェームズをいじめたこともあったかもしれないのだ。……あんまりそんな想像はできないが。

「そうね……。私も、ちょっと周りが見えてなかったかもしれないわ」

 ハリエットはそう締めくくり、ひとまずこの問題は保留にすることにした。ホグワーツで暮らすうちに、もっと様々なことが分かってくるかもしれない。

 ただ、いずれにせよ、父親と後見人が嬉々として誰かをいじめるような光景は、今後も見たくない、と思った。