■過去の旅

16:獅子寮の英雄


 その日は朝から晴天で、絶好のクィディッチ日和だった。待ちに待ったグリフィンドール対レイブンクローの試合ということもあって、その日の談話室は賑やかだ。来る人来る人、クィディッチ選手とすれ違い様鼓舞の言葉を掛けていく。中でもジェームズは人気者だった。悪戯仕掛人というだけでなく、チェイサーとしての一番の得点王とも言えるからだ。

 談話室から大広間へと移動する短い時間も、グリフィンドール寮生は選手の護衛を欠かさない。最後の最後で選手に呪いをかけられ欠場なんてことになったら悔やんでも悔やみきれない。

 大広間につけば、グリフィンドールだけではなく、ハッフルパフからもちらほらジェームズは挨拶をされていく。仮にも同僚生だというのに、ハリエットが彼に声をかける隙は全くなかった。折角の初観戦だというのに、おちおち励ましの言葉もかけられないのかとしょんぼりしていたら、隣にドサッと誰かが腰掛けた。驚いて顔を上げれば、視界に映る精悍な横顔は。

「シリウス?」
「今のあいつの周りはやかましくて堪らない。少しここで休憩させてくれ」
「え、ええ……もちろん」

 ハリエットはもごもご返事をして前を向いた。

 正直に言えば、少し気まずかった。スネイプの一件があってから、ハリエットとシリウスはまともに言葉を交わしていない。別段避けているわけではないのだが、話す機会がなかったのだ。だからこそというのだろうか。時間が開くにつれ、どんな風に接していたかが分からなくなってしまった。

 その点、ジェームズとハリエットは普通だ。ハリエットはともかくとして、ジェームズは先の一件を何とも思っていないようで、いつもの調子で気軽に話しかけてくるのだ。スネイプのことでモヤモヤしていたとはいえ、避けられては堪らないので、ハリエットは少しホッとしていた。

 とはいえ、向こうから来られると緊張が高まるというもの。

 助けを求めるつもりで、シリウスとはまだ何のいざこざもないハーマイオニーを見てみれば、彼女は既にとっくの昔に朝食を終えていて、今は読書タイムとしゃれ込んでいる。何の助けも望めなさそうだった。

 親友に助けてもらうことは諦め、ハリエットはシリウスに向き直った。

「シリウスはクィディッチの選手は狙わないの?」
「俺か?」

 シリウスは意外そうに聞き返した。

「箒に乗るのは好きだけど、チームプレイは性に合わないんだ」
「でも、ビーターとか似合いそう。身体が大きいから」
「あー」

 シリウスは急にニヤリと笑った。

「他の奴らはともかく、ジェームズを守る騎士になるのはごめんだな」
「シリウスはジェームズの相棒って感じだものね」

 ハリエットの返しに、シリウスは虚を突かれたように黙った。何か言いたげにガシガシ頭を掻いている。

「どうかした?」
「いや……お前よくそういうこと面と向かって言えるな」
「な、何かまずいこと言っちゃった?」
「別にそういう訳じゃないけど」

 それきり、シリウスは黙ってしまった。困惑のあまり思わず親友を見れば、栗毛の彼女は意味ありげに笑うばかりだ。ハリエットはますます困ってオートミールをぐるぐるかき混ぜた。

 だからこそだろう。悪戯っぽい声と共にジェームズが参上したときは、彼が天からの助けに思えてならなかった。

「パッドフット、これから戦場へ赴く友人を余所に両手に花とは、とても良いご身分じゃないか」
「わざわざ気を利かせてやったのに何て言い草だ。目立ちたがりのお前には最高のステージだったろう?」
「僕を甘く見てもらっちゃあ困るな。僕が一番輝ける場所は空の上でなんだから!」

 シリウスの後ろからウインナーを摘まむと、ジェームズはひょいと口に放り込んだ。

「ほらほら、早く行かないと特等席は取られちゃうよ。僕の勇姿は一番良い席で見てもらわないと」
「一番見てもらいたいのはエバンズにだろ」

 どちらが言うでもなくシリウスは立ち上がった。いつの間にか彼は朝食を終えていたようだ。

「じゃあね、ハリエット、ハーマイオニー。僕の活躍を楽しみにしてて」
「――っ、ジェームズ!」

 あまりにも早い退場に、ハリエットは慌てて立ち上がった。勢い余って、危うく椅子が後ろに倒れそうになったが、すんでの所でシリウスがガードする。

「あの……その……今日の試合、頑張ってね」

 それだけしか言えなかった。だが、ハリエットの精一杯の鼓舞に、ジェームズはパッと輝くような笑みを返した。

「ありがとう! 行ってくるよ!」

 大広間を出るまでの短い距離でも、複数の生徒から声をかけられるジェームズは、さながらヒーローのようだ。

 何だか自分の方が元気を分けてもらったような気がしてニマニマ微笑んでいれば、ハーマイオニーの呆れた顔と目が合った。途端に恥ずかしくなって、ハリエットは縮こまるようにして椅子に座り直す。

「ジェームズはあなたのお父さんなんだから、堂々と話しかければ良いのに」
「――でもっ、ここでのお父さんは人気者よ!? 私なんかが話しかけて、もし面倒くさいって思われたら……」

 もう、生きていけないわ……。

 まるでこの世の終わりだと言わんばかりに闇を背負うハリエット。もごもごと言い訳を並べ立てるハリエットに、ハーマイオニーはパタンと本を閉じた。

「でも、シリウスとは仲直りできたみたいで良かったじゃない」
「仲直りできてたと思う? 私、また変なこと言っちゃったのか、黙り込んじゃったし……」
「ああ、それは気にしないで良いと思うわ。……シリウスにもあんな時期があったのね」

 目を細め、まるで母親のような貫禄で言うハーマイオニーに、ハリエットは首を傾げた。

「あんな時期って?」
「お年頃ってことよ」

 ハリエットの困惑はますます深まるばかりだ。お年頃――つまりは思春期ということだろうか? だが、大人のシリウスと既に対面していたハリエットにとっては、どうにもその言葉とシリウスとを繋げることができない。

 うんうん唸っていると、ハリーとロンが大広間に駆け込んで来た。

「まだ朝ご飯食べてたの? 早く行かないと試合始まっちゃうよ!」
「僕達、朝早くに競技場に行ってきて良い席取ってきたから、早く行こう!」
「〜〜っ! さすがハリーだわ!」

 感激の余りハリエットはきつくハリーを抱き締めた。朝から姿が見えないと思っていたが、まさかこんなファインプレーを決めるとは!

「僕も早起きしたんだけど」

 ため息交じりに付け加えたロンには、ハーマイオニーが哀れみの視線を送っていた。

「じゃあ二人はまだ何も食べてないの? トーストを包む?」
「そうしてくれると有り難いよ」

 簡単なランチボックスを用意すれば、もう準備は万端だ。ハリー達は勇み足で競技場へとやって来た。

 いつの時代もクィディッチは人気競技で、まだ始まりの時間には早いはずだが、観客席は半分ほど埋まっている。得意げな顔のロンに案内されたのは、グリフィンドール席の、なんと最前列だ!

「ありがとう、ありがとう二人とも! 最高だわ!」
「ハリエットがこんなにはしゃぐ所、僕初めて見たかもしれない」
「正直、ハリーの初試合の時ですらこんなんじゃなかったよな」

 顔を突き合わせ、ボソボソ言う男子二名に、ハリエットは割って入った。

「だって、あの時はフレッドやジョージが脅すんだもの。骨折くらいなら可愛いものだとか、審判が行方不明になったこともあるとか……」
「ジェームズならそんな心配はいらないって?」
「だって、五年生なのよ。それに、安心感があるって言うか……」

 だが、この時のハリエットの言葉は、嬉しいことに真実だった。やがて始まったレイブンクローとの試合だったが、ジェームズは一度もブラッジャーに当たることなく、勇猛果敢に次々とゴールを決めたのだ。

 ロンの言う通り、ハリエットは、ハリーの時以上に興奮していた。だが、それはそうだろう。一年生の時は暴れる箒、二年生の時は狂ったブラッジャー、そして三年生の時はおびただしい数の吸魂鬼等々、おちおちゆっくり試合も見ていられなかったのだから。その点、ジェームズの試合は安定感があった。チェイサーはシーカーほどビーターに狙われないし、ゴールする度グリフィンドールに向かって――おそらくリリーだろう――得意げな顔を披露する余裕まであるのだから。

 レイブンクローもよく健闘したが、ジェームズの活躍に加え、スニッチまでグリフィンドールのシーカーが掴んだため、軍配はグリフィンドールに上がった。

「やった、やったわ、ハリー!」
「僕はハリーじゃないよ」

 興奮したハリエットは隣の人の肩を叩いたが、いつの間にやらそこにはリーマスが腰掛けていた。当の本人ハリーは、競技場の手すりから身を乗り出してジェームズとハイタッチしている。

「リーマス! ジェームズの今日のプレイは素晴らしかったわね! いつもこんな感じなの?」
「そうだね。今日はいつになく気合いが入ってたみたいだけど」
「最高!」

 ハリエットはハーマイオニーを引っ張って、前の方に進んだ。ジェームズのハイタッチは順番待ちのようだ。

「お父さん――」

 言いかけて、ハリエットはパッと口を手で押さえた。やってしまった。だが、サッと見渡した限り、ハリエットの発言に訝しげに顔を顰めている者はいない。唯一ジトッとこちらを見ているハーマイオニーくらいだろう。

 ハーマイオニーに照れ笑いを返し、ハリエットは仕切り直しに更に身を乗り出した。

 クィディッチ用の真紅のローブはジェームズによく似合っていた。目が合ったジェームズと、笑い合ってハイタッチしたことは、とても素晴らしい思い出になった。


*****


 勝利の後はパーティーだ。談話室で打ち上げをするというので、早々に帰ろうとしていたハリーは、シリウスに声をかけられた。

「面白い所に連れて行ってやるよ」
「でも、今から打ち上げがあるんじゃ……」
「その打ち上げをもっとより良くするための場所さ」
「二人もおいでよ」

 身支度をしていたハリエット、ハーマイオニーまでリーマスに声をかけられ、二人は顔を見合わせた。

「私達も?」
「でもリーマス、ハリーとロンだけで人手は足りるんじゃない?」
「面白い場所は皆で共有しないとね」

 悪戯っぽく笑うリーマスに、合点がいったように頷くピーター。ハリエット達はますます困惑した。

 三人に連れて行かれたのは、地下一階の、何の変哲もない廊下だった。壁には果物の絵が掛かっていて、シリウスがその中の梨をくすぐるように触ると、みるみる梨がドアノブに変化した。

「わーっ、何これ!」
「知ってるのはホグワーツの生徒でも一握りじゃないか? 俺たちがこの場所のことを知ったのも、ニ年生の頃だしな」

 ドアの向こう側には、驚くべき光景が待っていた。大勢のドビー、ドビー、ドビー……。とにかく数え切れないほどのドビーが、慌ただしげに料理を作っている。呆気にとられたハリーは、思わず小声で『ドビー?』と囁き、ハーマイオニーに小突かれた。

「シリウス、ここは?」
「見ての通り厨房さ。さすがに、何もない所からわんさか料理が出てくるとは思ってないだろ? 俺たちの食事は全部ここで作られてる」

 近くの椅子にシリウスが腰掛ければ、飛ぶようにしもべ妖精が三人ほど駆けてきた。

「何かご用でいらっしゃいますか?」
「ああ。たくさんのご馳走を用意して欲しい。談話室で食べるんだ」
「承知しました!」

 妖精達は、どこからともなくバスケットを取り出し、次々に出来たての料理を詰めていった。

「屋敷しもべ妖精って言うんだ。無償だけど、よく働いてくれる。働くことが生きがいみたいなんだ」

 リーマスの言葉に、近くの妖精数名がうんうんと大きく頷いた。圧巻の光景にしばし言葉を失っていたハーマイオニーが、ようやく理性を取り戻した。

「こっ――こっ――こんなの、奴隷労働だわ!」
「えっ?」
「無償で働いてるですって? 朝から晩まで? ちゃんと休日は与えられているの? 年金は――有給休暇は!?」

 丁度すぐ側を通りかかった妖精一人を捕まえ、ハーマイオニーは矢継ぎ早に尋ねた。怯えた様子でしもべ妖精は首を振る。

「わ、私どもは、働かせて頂くだけで充分なんです……」
「なんてこと! 洗脳されてるんだわ!」
「は、ハーマイオニー?」

 引きつった顔でリーマスが声をかけるが、今のハーマイオニーの耳には届いていない。

「改革……そうだわ、改革しないと! こんなの駄目よ。しもべ妖精達は、自分の境遇がよく分かってないんだわ。どんなにひどい境遇なのか……これが当たり前だと思い込まされているのよ!」

 ぶつぶつ言いながらハーマイオニーは考え込む。リーマスのヘルプの視線を、ロンは肩をすくめて受け流した。

「ハーマイオニー、いつもこんな感じなんだ。あんまり気にしないで」
「うん……なら良いんだけど」

 詰問とも呼べるハーマイオニーの、しもべ妖精達に対する質問を聞いているうちに、ご馳走の準備は整ったようだ。溢れるほどの食料、飲み物を抱え、談話室まで戻った。

 談話室には、既に着替えて戻ってきた選手達もいた。彼らだけでなく、寮の生徒にもご馳走の存在は喜ばれた。――どうやら、こういったパーティーの際は、シリウス達がご馳走を用意するのが常のようだ。

 グリフィンドール寮、今日のヒーローはもちろんジェームズだった。そのせいで、ろくにおめでとうを言うことができないほど彼は人に囲まれていたが、ハリエットはそれで構わなかった。それどころか、むしろにこにこ上機嫌でジェームズを遠くから眺めた。そうして、近くに誰かが座れば、今日のクィディッチについて熱く語り合った。ここが良かったとか、格好良かったとか、あそこは冷や冷やしたとか。

 ハリーやロン、ハーマイオニー、シリウス、リーマス、ピーター、いろんな人と話しただろう。それでもハリエットの興奮は一向に冷めない。

 隣にリリーが座ってくれたときは、より一層熱を込めてジェームズの素晴らしさについて語った。プレーが素晴らしかったというのももちろんあるが、それ以上に今回の試合でジェームズのことを見直して欲しいというあわよくばの思いもあった。だが、それが少々行き過ぎてしまったのだろう。気がついたときには、リリーは信じられないものを見る目でハリエットを見ていた。

「ハリエット……まさかとは思うけど、ポッターのこと好きなの?」
「えっ!!」

 ポカンと口を開けてハリエットは固まった。リリーは今、何を言った……?

「やっぱりそうなの? そりゃあ、人の好みはそれぞれだわ? でも私、あなたが心配でならない……」
「違う、違うわ!」

 頭を振って否定するが、なおもリリーは疑り深い目だ。

「本当に違うの! そりゃあ、えっと、ジェームズは格好良いと思うけど……クィディッチも上手だし、面白いし……でも、好きっていう訳じゃなくて」

 ますます頬を赤らめていくハリエットを見てリリーは悟った。本気なのだと。

 ハリエットは一生懸命『好きではなく憧れなのだ』と説明したつもりだったが、去り際、リリーに『あなたにはもっといい人がいると思うけど……』と残していったので、どうやら誤解を解くことはできなかったようだ。

「どうして助けてくれなかったの……」

 ハリエットは恨みがましい目でハーマイオニーににじり寄った。

「いいじゃない。これでいい隠れ蓑になったわ。出会って数ヶ月も経ってないのに、あなた達のジェームズとリリーへの懐きようは尋常じゃないもの。それこそ、『好き』なんだって言われないと納得できないくらいには」
「でも、お母さんが、私のこと応援するって言ったらどうしよう。お父さんとお母さんが結ばれないかも……」
「気にしすぎよ。なるようになるわ。リリーが遠慮したって、ジェームズが諦めるように見える?」
「見えない……」

 なら大丈夫よ、と笑って、ハーマイオニーはハリエットの隣に移動した。ハリエットは何だか嫌な予感がした。

「ねえ、もう散々クィディッチについて話はしたでしょう? 今度は私の話に付き合ってくれない? しもべ妖精のこれからについて、考えをまとめたいの」
「しもべ妖精? アー……でも、私、もう少し皆とクィディッチの話がしたくて……」
「あら、今日はあなたのジェームズ談議を山ほどと聞かされたのよ。少しくらい私の話を聞いてくれたっていいはずだわ!」

 ハリエットの顔は引きつった。やたらと今日はにこにこ話を聞いてくれると思っていたが、まさかそんな計画だったとは……。

 ハリエットはようやく自分の置かれた状況を理解したが、時既に遅し。ハーマイオニーによる『しもべ妖精の待遇改善について』の幕は上がったばかりだった。