■過去の旅

18:しもべ妖精談議


 ロンのナイスなアシストにより、ハリー達は、少なくともこの時代においては『反吐』の会員から逃れられると思われた。だが、ハーマイオニーの執念深さの前では、そうは問屋が卸さない。

 去り際、一人一人にはいと渡されたのは『S・P・E・W』の文字がきらめくバッジ。

「ひとまずは、これを身につけておいて。興味を持ってくれる人も出てくるかもしれないわ。まだ設立はしないけど、しもべ妖精の立場を認識してもらうという意味でも、こういう目印は必要だと思うの」

 小さいバッジだが、S・P・E・Wの文字は確かにキラリと存在感を放っている。ハーマイオニーを除く三人だけになると、ロンはかなり嫌そうな顔をした。

 宣言通り、ハーマイオニーは先陣を切って毎日バッジを身につけた。ハリエットはというと、やはり『反吐』というバッジは少々恥ずかしく、さり気なくバッジの存在を忘れた振りをするのだが、同室のハーマイオニーの目は欺けない。身支度を整え、部屋を出ようとすると、必ずといって良いほどハーマイオニーが待ったを掛け、ハリエットの胸元が寂しいのを見て取ると、微笑んで『忘れ物よ』とバッジを渡しに来るのだ。

「……ありがとう」

 そう返すしか、ないではないか。

 ハリーやロンは気楽なものだ。さっさと大広間に行き、ハーマイオニーに飾り気のない胸元を糾弾されれば、『忘れちゃった』なんてうそぶけば良いのだから。

 ただ、ハリエットはしもべ妖精の待遇改善には賛成だった。ドビーのこともあり、さすがに体罰を見過ごすことはできないからだ。厨房の妖精達の反応を見るに、たくさん働きたいという意志は確固たるものだが、誰だって、理不尽な暴力に晒されたくないに違いない。

 広報担当として、ハリエットは空いた時間に生徒達にしもべ妖精のことについて聞いて回り、そして同時に現状について説くということをしていた。スリザリン生はともかくとして、他寮生はほとんどが一般家庭なので、家にしもべ妖精がいるという生徒は少なかったが、彼らは給金も休日もなしに働いている、ということを伝えると、マグル生まれの生徒はとても興味深そうにしてくれた。魔法使いの家系に生まれた生徒は、『それがしもべ妖精の性質なんだから、気にすることないのに』とロンと同じことを言っていた。

 確かに、ハリエットもその意見には一理あるとは思った。だが、しもべ妖精の大多数の意見を鵜呑みにすれば、ドビーのような、働きながらも自由が欲しいという少数の妖精の夢が実現できなくなってしまうとも考えた。

 しもべ妖精の待遇について討論する場として、スラグ・クラブは最適だった。寮を問わずいろんな人が集まる場で、しかも一度で複数人から話を聞くことができるのだ。ハーマイオニーは、この時代の魔法界についての情報収集という当初の目的をすっかり忘れ、多くの人と話し合うことに躍起になっていた。

 そんな風になってしまったのは、何もハーマイオニーが盲目的だったからではない。そもそものスラグ・クラブで、彼女の決意を確固たるものにした出来事に遭遇したからだ。

 ハリエットは、パーティーが開始してしばらく、隣のハーマイオニーの身体がふるふる震えだしたことに気づいた。一体どうしたのかと彼女の視線の先を追えば――そこには、数人のしもべ妖精が。

 彼らは、キーキー言いながら客の膝下辺りで動き回っていた。食べ物を載せた重そうな銀の盆を頭の上で抱えているために、まるで小さなテーブルがひとりでに歩いているようだった。

「まさか――しもべ妖精達が、こんな時間まで働かされているなんて――!」

 怒りを堪えるように囁いたハーマイオニーに、ハリエットは嫌な予感がした。しかし彼女の暴走を止める間もなく、ハーマイオニーはキッと顔を上げ、ズンズンスラグホーンの方へと歩みを進めていく。

 九分九厘、この場で一番影響力のある彼に、しもべ妖精のあり方について討論する気に違いない。

 ハリエットは遠い目でそれを見送ると、何だかとても喉が渇いた気がして、バタービールに手を伸ばした。――と、同時に誰かの手もジョッキに伸びた所だったので、ハリエットはあっと声を上げた。

「ごめんなさい。どうぞ」
「いいや、君こそ。僕はこっちのカボチャジュースを飲むから」

 ハリエットの返事も待たずに、少年は隣のグラスに手を伸ばした。人好きのする笑みで微笑まれたので、ハリエットは有り難くバタービールを手に取った。

「ありがとうございます」
「いいよ。それ、おいしいよね。僕も好きなんだ。ホグズミードに行って初めて飲んだ時は驚いたなあ」
「私もです」

 懐かしさに目を細めながら、ハリエットは答えた。ハリエットも、初めてバタービールを飲んだのはホグズミードでだ。魅力的な味に感動したが、しかしその後すぐにシリウス・ブラックが両親を裏切ったのだと知ることになり、途端に苦い味に変わってしまったが。

「僕はダーク・クレスウェル。ダークと呼んでくれ」

 ダークはグラスをテーブルに戻し、右手を差しだした。ハリエットは慌ててその手を握る。

「ハリエット・ポッターです」
「君、三年に編入した子達の一人だろう?」
「私のこと知ってるんですか?」

 ハリエットは驚いて聞き返した。確かに編入生というのは珍しいらしいが、まさか顔まで覚えられていたとは――。

「そりゃあ有名だからね。それに、君はリリーにそっくりだし」
「ああ……」

 途端にハリエットは恥ずかしそうな顔になった。自意識過剰だったのだと気づいたのだ。ハリエットは、グリフィンドール寮監督生のリリー・エバンズに似た編入生であって、決してハリエット・ポッターが有名なのではない。

 ハリエットが気を悪くしたと思ったのか、気のよさそうなダークは、慌てて両手を振った。

「誤解しないで! リリーに似てるから覚えただけであって、君はそれだけで有名な訳じゃないよ。同じ寮の子に聞いたけど、君、授業でも良く手を上げるし、優等生だって言うじゃないか。現に、スラグ・クラブにも呼ばれてるんだし」

 ますますハリエットは苦い顔になる。それこそ、既に一度三年生を経験しているハリエットはズルをしているようなものなのに。

 ハリエットの表情を見て取り、ダークはあまりこの話題を続けるのが最適でないと気づいたようで、慌てて新たな話題を探した。

「そういえば、君達、しもべ妖精に興味があるの? 最近しもべ妖精について話を持ちかける子達がいるっていう意味でも有名だったんだけど」
「私達のことですね」

 ハリエットは少々恥ずかしそうに白状した。それとなく調査したつもりだが、まさか他寮で噂にまでなっているなんて。

「間違いないです。私達、ホグワーツに来て初めてしもべ妖精の存在を知って……ええと、そう、もう少し彼らにも自由があって良いんじゃないかって思うようになって」
「うん、僕もマグル生まれだから、しもべ妖精の存在には始め驚かされたな。魔法使いの中には、彼らにひどい扱いをする人もいるっていう話だし」

 友好的な態度に、ハリエットはすっかり警戒心を解いた。マグル生まれであれば、そもそもしもべ妖精すら見たことがない、知らないという生徒も多い中、存在を認知するだけでなく、彼らに好意的な見方をするダークのような人は珍しい。

「私の友達の意見では、しもべ妖精にも給料と休日を与えるべきだって言うんです。場合によっては自由も。しもべ妖精は、自分が働きたいと思った場所で働くべきだって」
「――しもべ妖精は働くことが生きがいなのに、それを外野があれこれ言うのは違うと思うな」

 不意に落ち着いた声が耳についた。ハリエットとダーク、二人が振り向いた先には、一人壁にもたれてグラスを傾ける少年の姿があった。

「盗み聞きをするつもりはなかったんだが」
「……バーティ」

 驚いたように問い返すダークに、少年は眉を顰めた。ハリエットはその時になって、彼が緑色のローブを着ていることに気づいた。

「クレスウェル、呼ぶならクラウチと呼んでくれ」
「ああ、すまない。クラウチと呼べば、どうしても君の父親のことが頭に浮かんで呼びづらくて」
「ホグワーツで父の名は聞きたくない」

 クラウチは素っ気なく応えた。彼は、ダークよりも年下に見えたが、どこか横柄だった。

「それで、クラウチ。君の意見が聞いてみたい。確かに僕らは外野ではあるけど、しもべ妖精の今の立場を思えば、外野から意見することも必要なんじゃないか?」
「確かにそれはそうだ。……彼女の言う『自由』がしもべ妖精の望みであるのなら」

 クラウチは一瞬ハリエットに視線を移した。何故だか、ハリエットは背中にひやりとしたものを感じた。

「僕の家にもしもべ妖精はいるが、あれは仕事がなくなることをむしろ恐れてる。服を受け取ること自体を恐れてるんだ――失礼。君達は、『服を受け取る』意味を知っていたかな?」
「知ってる」

 ダークはチラリとハリエットを見て答えた。ハリエットも頷く。

「だったら話は早いか。いや、君は本当にしもべ妖精と面と向かって話をしたことがあるのかと思ってね。一度でも話をしたことがあるのなら、しもべ妖精が自由になりたがっているなんて、そんな突拍子もないことが言える訳もない」
「でも――私、自由に働きたいって言うしもべ妖精に会ったことがあるわ」

 ハリエットは思わず反論した。

「そのしもべ妖精は、働くことは好きだって言ってたけど、魔法使いに虐げられることはひどく嫌がっていたわ。……本当に、可哀想なくらいいじめられてたの。しもべ妖精が自分で自分にお仕置きするのも、痛々しくて私は好きじゃない。そういう習慣は、しもべ妖精が主人に忠実過ぎるからこそ起こる行動だと思うの。忠誠があるのは良いことかもしれないけど――それが当たり前だって思うのは、とても怖いことだと思うわ」
「確かに、自らに仕置きしているのを見るのはあまり気持ちの良い光景ではないね」
「私、一人一人ときちんと話をすべきだと思うの。ドビー――ああ、えっと、自由が好きだって言うしもべ妖精も、私が会ったその子だけじゃなくて、他にもいるかも分からないわ。自由に憧れてる子もいるかもしれない。それなら、しもべ妖精達の大多数の意見に埋もれることなく、きちんと一人一人の意見を聞いて反映するべきだと思う」
「素晴らしいわ、ハリエット!」

 がっしり手を掴まれ、ハリエットは目を白黒させた。この手の主はハーマイオニー――彼女は、一体いつからここにいたのだろう?

「もしかしたら、私に流されて付き合ってくれてるだけなんじゃないかと思ってたけど……まさか、こんなにしっかりした意見を持っていたなんて! ありがとう! あなたの意見は、ちゃんとS・P・E・Wの活動に反映させるわ!」

 ハーマイオニーはにっこり笑ってバッジをキラリと光らせた。ハリエットは顔を引きつらせながら頷いた。

「スピュー……素敵なバッジだね」

 ハーマイオニーは、クラウチの皮肉な言葉も耳に入っていない様子だったが、ある意味で幸せなことだったのかもしれない。