■過去の旅

19:見えない悪意


 ハリエットとハーマイオニーは、自分達が目立っているという自覚がなかった。編入生、マグル生まれ、優等生、スラグ・クラブのメンバー、おまけにS・P・E・W――。授業中よく手を上げて点を稼いだり、悪戯仕掛人とも仲が良いことも、有名に拍車を掛けていた。

 ある意味で、平和ぼけしていたという点も否めない。何せ、今はヴォルデモートが魔法界を台頭しつつある時代で、マグル生まれは誰よりも肩身が狭い。ダンブルドアの影響力があるホグワーツでさえ――。

「第二のハーマイオニー誕生だよ」

 ロンはこそこそハリーに囁いた。彼の視線の先にはハリエットがいる。つい先ほども、スラグホーンの問いにハーマイオニーと寸分違わぬスピードで手を上げ、十点の加点をもらったばかりだ。

「全く嘆かわしいよ。折角非日常を味わえるっていうのに、元の時代よりも勉強に励んでどうするのさ」
「聞こえてるわよ、ロン」

 ハリエットは澄ました顔で答えた。

「私だって最近気づいたの。授業で答えることの素晴らしさを……」

 微笑んでそう言えば、ロンは新種の魔法生物でも見るかのような目でハリエットを見てきた。全く心外だ。

「母さんに褒められたいだけでしょ?」

 ジト目でハリーまで参戦だ。だが、兄の言うことはほとんど真実だったので、否定はしなかった。誰だって、『勉強頑張ってるわね』と褒められればやる気にだってなる!

 ただ、悲しいことに、勉強を頑張れば頑張るほどジェームズは遠ざかり、ジェームズと話をすればリリーが離れるのだから、塩梅が難しい所だ。どうすれば父と母が仲良くなってくれるか、ハリエットは最近そればかりを考えている。

「二人の言うことなんて気にしちゃ駄目よ。私達のことよりも、自分達は悪戯ばっかりして寮の点数を減らしてることを自覚して欲しいくらいだわ」

 ツンとしてハーマイオニーは鍋にかけていた火を止める。ハリーとロンは、突然耳が聞こえなくなったかのように教科書と睨めっこを始めた。

「沸騰しないうちに雛菊の根を入れないと、縮み薬の効果が薄れるわよ」

 聴力が戻ったのか、二人は慌てて雛菊の根を鍋に放り込んだ。ハリエットとハーマイオニーはクスクス笑う。

「私たちの方は、これで完成ね」
「ハーマイオニーはやっぱり手際が良いわね! おかげで一番に出来上がったわ!」
「ハリエットの材料を切るのが上手だったからよ」

 互いを褒めちぎりながら、魔法薬を瓶に詰めた。コルクの栓をすれば完成だ。

「私が提出してくるわ」
「ありがとう」

 『ちょっと僕らの手伝ってくれない?』とロンからヘルプを受け取っているハーマイオニーの代わりに、ハリエットは立ち上がった。スラグホーンはまだ教室内を見回っているので、目指すは教卓の方だ。

 今日は、前から三列目の席を取っていた。教卓へはそれほど距離はない。だからこそ、ハリエットは一瞬何が起こったのかよく分からなかった。普通に踏み出した足が、まるで落とし穴に嵌まったかのように空を切ったのだ。となれば、身体を支えるものが何もなく、ハリエットは為す術もなくべしゃりと顔から地面に倒れ込んだ。

「大丈夫!?」

 クスクス笑う声と、ハーマイオニーの焦った声。ハリエットは痛む鼻を押さえながら起き上がった。

「え、ええ……あっ! でも縮み薬が!」

 折角の出来だったが、縮み薬の入ったガラス瓶は、見るも無惨に割れていた。

「ごめんね、ハーマイオニー……」
「大丈夫よ、まだ鍋に魔法薬は残ってるんだし」
「まるでネビルみたいな失敗じゃないか」

 呆れたようにロンに言われるが、ハリエットはいまいち納得がいかなかった。いくら自分の運動神経が悪かったとしても、何もない所で転んだりはしない。それに、地面に穴が開いたような不思議な感覚を、ハリエットはちゃんと覚えていた。

 この時の違和感の正体は、それから早くも一週間のうちに大いに思い知らされることになる。どこからかクソ爆弾が飛んできたり、落とし穴に嵌められたり。蜂刺しの呪いに当たって腕を折り曲げられないほどパンパンに膨れてしまったときには、ハリエットは思わず泣いてしまった。あまりの激痛と、悪意の籠もった嫌がらせに涙腺が緩んでしまったのだ。

 廊下に散らばってしまった羽根ペンやらインク瓶を、ハリエットは片手で集めた。中には図書室で借りた本もあったが、運の悪いことに、表紙にインクが染みを作っている。後で綺麗にしないとマダム・ピンスに図書室立ち入り禁止を言い渡されるかもしれない。

 未だなおギリギリと続く激痛に惨めな気分でいると、誰かの驚いた声が耳に飛び込んできた。

「大丈夫!? 一体誰がこんなことを……」

 慌てたように駆け寄ってきたのはピーターだった。ハリーやジェームズでないことにホッとしたが、かといって彼に見られて嬉しいという訳ではない。むしろ、ハリエットはちょっと泣いてしまっているのだ。ハリエットは慌ててサッと涙を拭いた。

「早く医務室に行かないと。立てる?」

 いつの間にか、ピーターはハリエットの私物を全て拾い集めてくれていた。ハリエットは俯きながら頷く。

「ありがとう……。でも一人で大丈夫」
「大丈夫じゃないよ! また……その、一人でいたら狙われるかもしれないし……。荷物は僕が持つよ」

 問答無用でピーターは前を歩き出した。どちらにせよハリエットも医務室に行かないといけないので、同行は避けられない。

 医務室につくと、マダム・ポンフリーにはひどく顰めっ面をされた。

「まあ――まあまあ! 一体その腕はどうしたんです!?」
「あ……これは魔法薬の調合に失敗して――」
「何の魔法薬です?」
「え――あ――縮み薬です」
「縮み薬? 縮み薬には、こんなに危険な成分は含まれてないはずですが」
「私、魔法薬は苦手で」

 ハリエットがへらっと笑うと、マダム・ポンフリーは不満そうにしながらもそれ以上の追求は諦めてくれた。過去でも未来でも、彼女は怪我の原因を深く詰問しないので、そういう所に救われた生徒は、何もハリエットだけではないはずだ。

 膨れ上がった腕の治療は、塗り薬を塗ることだった。未だなおヒリヒリする腕に、怖々と薬を塗っていれば、ピーターは落ち着かない様子でハリエットの真正面のベッドに腰掛けた。

「誰にやられたの? マクゴナガルに言わないと」
「大事にしたくないの」

 ハリエットはもごもご返答した。包帯を巻くのに手間取っていると、ピーターが手伝ってくれた。

「じゃあせめてジェームズに相談しよう。ジェームズやシリウスの影響力は大きいから、きっと力になってくれるよ」
「それも駄目」

 ハリエットは頭を振った。一番嫌な選択だと思った。

「二人には絶対に知られたくないの。ハリー達にも。誰にも言わないで」

 そう言ったきり、ハリエットは黙り込んだ。またも惨めな気持ちが浮上してきたからだ。それを察し、ピーターはひどく同情した顔になった。

「気にすることないよ。僕も昔はよくあったから」
「……ピーターも?」
「うん。悪戯仕掛人は目立つだろう? いろんな人に……特にスリザリンに悪戯を仕掛けるから、その分恨みも買ってて。ジェームズやシリウスは魔法の腕が群を抜いてるし、リーマスも監督生だしで、たぶん、三人は仕返しされたことはないと思う。でも僕は――あー、一人になったときに時々呪いが飛んでくることがあって」
「…………」
「やり返すのが一番良いよ。そうすれば向こうも躊躇するようになってくるし。まあ、僕の場合はジェームズ達の力をちょっと借りたってのもあるんだけど……あの二人は首席と次席だし、学年で敵う奴らはいないんだ」

 尊敬しているようにも、卑下しているようにも聞こえるピーターの声色にも気づかずに、ハリエットは俯いた。

「……私、分からないの。私達、そんなに目立ってる? 何も悪いことはしてないのに……ただ、やりたいようにやってるだけなのに」

 ここでは、生き残った男の子はいない。何が目立つ要素となっているのだろう。マグル生まれで、ちょっとだけ優等生で、スラグ・クラブのメンバーで、しもべ妖精の待遇改善を目指していて、悪戯仕掛人と仲が良くて。

 原因は、ハリエットにも心当たりはある。だが、その要素も元の時代であれば取るに足らないものだ。多少なりとも嫌味は言われるだろうが、個人の自由。それがどうして、ここまで悪意を向けられないといけないのだろう。

「魔法界に来たばかりでまだ分からないだろうけど……」

 ピーターは言葉を選びながらゆっくり答えた。

「考え方の違いだよ。スリザリン生とは相容れないと思った方がいい。僕達が大切に思うものと、スリザリン生が大切にしているものは全く違う。気にしないのが一番だよ」
「でも……」
「そうだ。ジェームズ達に知られるのが恥ずかしいなら、僕がやり返そうか? 僕、抜け道とか知ってるし、下の学年相手なら負けないよ」
「……ううん、大丈夫」

 躊躇いがちに、しかしきっぱり首を振ると、ピーターは少々気分を害したように『なら良いんだけど』と固い声で答えた。ハリエットは慌てて付け足した。

「私だって、やられっぱなしでいるつもりはないの。次からは何か対策を考えるつもりよ。ただ――ただ、こんなことをされる理由が分からなくて」
「……うん」

 考えるだけ無駄だよ、とすぐそこまで出かかった言葉をピーターは呑み込んだ。純血主義や闇の魔術といった類は、ハリエットにはまだ分からないだろう。

「また何かあれば相談に乗るよ。お大事に」
「ありがとう」

 徐にピーターが立ち上がる。ハリエットは不意に思い出して彼を呼び止めた。

「ピーター……もしハーマイオニーに会ったら、私が医務室にいることを伝えて欲しくて」
「それはいいけど……」
「あの――ハリーやロンには言わなくて大丈夫。もしハーマイオニーに会ったら、ちょっと風邪気味で、薬を飲んで寝てるってだってだけ伝えてくれる?」
「分かった」

 ピーターを見送ると、ハリエットは息をついて腕を見下ろした。

 見たところ、腫れは引いていたが、しかしズキズキする痛みは相変わらずハリエットの心をすり減らす。一眠りして、せめて次起きたときには痛みが引いてくれればいい、とハリエットはベッドの中に潜り込んだ。