■過去の旅
26:老けた少年
ニマニマとジェームズが機嫌良さそうなとき、大抵はリリーとたくさん話せたとか、素晴らしい悪戯を思いついたとか、そういう類いのものばかりだ。今回は後者だった。
例によって、ジェームズに連行されたハリーはワクワクしていた。今回は一体どんな悪戯が実施されるのかと。
だが、連れて行かれた先の空き教室には、まだ誰もいなかった。シリウスの姿すらもない。にもかかわらずジェームズは話を進めようとするので、ハリーは焦ってしまった。
「待って、他の皆は? 後から来るの?」
「来ないよ。今日はハリーと悪戯しようと思って」
ハリーを座らせると、ジェームズは壇上に立った。小さな教室にはたった二人きりだというのに、ジェームズはまるで演説のようにぐるりと見回した。
「ようやく出来上がったよ。ハリー、これが何か分かるかい?」
教卓においたのは、二つのガラス瓶。遠目なので全く分からない。かといって、近くで見たとしても、匂いを嗅いだとしてもハリーは分からないと思った。
ジェームズも答えを期待していた訳ではなかったのか、勿体ぶったように咳払いをした。
「縮み薬と老け薬さ。作るのは簡単なんだけど、何せ材料がなかなか集まらなくてね。この前のホグズミードでようやく全部手に入れることができたんだ」
「これを誰かの飲み物に入れるの?」
父さんにしては普通だ、とハリーは思った。ずっと近くで度肝を抜くような悪戯を目の当たりにしていただけに、何とも拍子抜けだ。
だが、そのハリーの反応は、ジェームズにとっては望み通りのものだったらしい。
「いいや。飲むのは僕達さ」
ニヤリと笑い、ジェームズは教卓を降りてハリーの肩を抱き込んだ。ハリーは目を白黒させる。
「僕達?」
「ああ。何せ、僕達は自他共に瓜二つだとの定評を戴いている……」
「ジェームズが縮み薬を飲んで、僕が老け薬を飲むってこと?」
「ご名答! 見るからに面白そうだと思わないかい? これを使って皆を騙すんだ!」
ジェームズには不思議な力があった。突拍子もない悪戯も、退屈な罰則も、ひとたびジェームズが楽しそうに開始を告げると、何だか全てがうまく行くように思えてくるのだから不思議だ。
「うん、やりたい。面白そうだ。決行はいつにするの?」
「もちろんこの後すぐだよ」
にこりと笑うジェームズは爽やかだ。ハリーは顔を引きつらせた。
「でも、いろいろと準備が……」
「悪戯は時を待ってくれないよ! 先にハリーがやるかい? 一番先に難易度の高いシリウスに仕掛けた方がいいと思うんだ。芋づる式にバレないように……。もしシリウスに気づかれたら、その後こちら側に抱き込めば良いわけだし」
「分かった」
こうなれば自棄だ。ハリーは差し出された小瓶を男らしくグイッと一息に飲んだ。飲み終わった後で、ポリジュース薬みたいに痛かったらどうしようと思ったが、身体が引っ張られるような感覚があるだけで、臆するほどの痛みではなかった。
「おお……」
珍しくジェームズが言葉もなくハリーを上から下まで観察している。しばらくして我に返ったのか、窓ガラスを鏡に変えてくれた。
「びっくりだな。僕達、本当に血繋がってないよね? 過去から来た僕だって言われても納得できる」
鏡面に映っているのは、上から下まで、まるでドッペルゲンガーのような青年二人だ。唯一違うのは瞳の色くらいだろう。
「そのままじゃ制服が小さいな。僕のを複製してるから、こっちを着て」
ジェームズは折り畳んだ制服を取り出した。なるほど、やはりこういうところは準備が良いらしい。もともと計画していたというのだから当たり前なのかもしれないが。ハリーは有り難く制服を借りた。
「目の色も変えるよ。さすがにこれじゃ、すぐに気づかれるかもしれないから」
目の前で光が迸り、ハリーはパチパチ瞬きをした。反射的に鏡を見れば、確かに瞳の色が見慣れたハシバミ色へと変化している。
「これで完璧だ」
ジェームズはサッと透明マントを被った。
「賭けでもするかい? 僕達、一体何人の人に気づかれると思う?」
「うーん、僕はシリウスとリーマスに気づかれると思う」
ネクタイを締めながらハリーは消極的に応えた。ジェームズとシリウスはいつも一緒にいるし、あんなにポンポンと面白い掛け合いはできない。シリウスには確実にバレるだろうし、リーマスも観察力が鋭そうなので気づかれそうな気がした。
「リーマスはともかく、シリウスはどうだろう……。ああ見えて実は何も考えてなかったりするし」
なかなかひどい言われようだ。ハリーは苦笑した。
「ジェームズの方は、確実にハーマイオニーには勘づかれると思う。できれば僕も会いたくないかな」
「ああ、ハーマイオニーはそうだろうね。僕も会いたいような会いたくないような……。ハリエットは? 双子なんだからすぐに気づきそうなものだけど」
「絶対に気づかないよ」
なぜか急に自信を持ってハリーが答えた。
「ジェームズの時はまだしも、僕がジェームズの姿で話しかけても、絶対に気づかないと思う」
「そんなものかなあ。まあ、僕達はまだ会って数ヶ月だからね」
――たぶん、そういう理由で気づかないのではない。
だが、ハリーは言葉にはしなかった。説明するとややこしくなるからだ。
着替えを終えると、二人は揃って教室を出た。時は夕刻。二人とももう食事は終えているが、まだ大広間で食事している人達もいるだろう。談話室には、どれくらい目的の人物達がいるのか。
そろそろと談話室へ向かうハリーだが、その道のりは決して簡単なものではなかった。
ジェームズは、本当に人気者らしかった。城内を歩いているだけでいろんな人から声をかけられるのだ。ひとえにハリーがパニックにならずに済んだのは、声をかけてやってくる知り合いの生徒に対し、ジェームズが相手の名前を耳元で囁いてくれたからだろう。
談話室までの道のりですら大層な疲労を与えられ、ハリーはげっそりしていた。だが、受難はまだまだ続く。むしろこれからが本題なのだから。
「ハリエットとハーマイオニーがいるよ」
ハリーが室内を見回す間もなく、耳元でジェームズが囁いた。
「話しかけに行きなよ」
「早速?」
「当たり前だろう? 魔法薬にも効力があるんだから!」
ハリーはまごついた。いざとなると、どう話しかけたものか迷いあぐねたからだ。
「ジェームズ、いつもなんて言って話しかけてる?」
「え? ……うーん、やあ、何してるの? とかかな」
「その後何話せば良い?」
「そこは考えてくれよ!」
ニヤニヤ笑うばかりで、ジェームズはちっとも役に立たない。ハリーは意を決して足を踏み出した。
「やあ、二人とも!」
若干高めの声でハリーは話しかけた。お腹の下辺りが落ち着かない気分だ。できるだけジェームズのテンションを意識して話す。
「何してるんだい? もう夕食は終わったの?」
「宿題よ。呪文学の。今日はたくさん課題が出されたから、夕食は早めにとったの」
ハリエットが生き生き答えた。何となくからかってみたくなって、ハリーはハリエットの隣に座った。
「どこか躓いてる? 僕が教えようか?」
「エッ!」
ハリエットは面白いくらい飛び上がった。
「ほ、本当に教えてくれるの……?」
「もちろんさ!」
まるでジェームズが自分に乗り移ったかのようだ。
「どこが分からないんだい?」
「あの――えっと――ここ」
恥じらいながらハリエットが指差したのは、『元気の出る呪文』のページだった。ハリーは思わず変な顔になってしまった。
元気の出る呪文は、三年度の期末試験でも出た項目だ。緊張してやり過ぎてしまい、ロンに笑いの発作を起こしてしまったハリーに対し、ハリエットはとっても上手くできたと得意げだったはずが――?
「杖の振り方がよく分からなくて……」
しおらしく答えるハリエットは、とんだ確信犯だ。
――我が妹ながら、末恐ろしい惚けっぷりだ。
ハリーは噴き出してしまいそうになるのを堪え、咳払いした。
「んんっ、分かった。いいよ。ほら、見てて」
半年も前にやったきりの呪文だったため、正直ハリーは自信がなかったが、ハリエットが目をキラキラさせて『すごい』を連発したため、杞憂だった。ハリエットは、ハリーの杖の動きなど全く見ていない。父ジェームズが、隣で杖を振ってること自体が『すごい』ことなのだろう――。
「ジェームズ、今のは杖の振り方がおかしいわ」
ハーマイオニーの冷静な声に、ハリーはピシリと固まった。そう言えばすっかり忘れていたが、ここにはハーマイオニーがいた――。
「それじゃ、効果が出すぎて笑いが止まらなくなっちゃうわ」
「……アー、どうだったかな。久しぶりだったから間違えちゃったよ」
あはは、と空笑いするハリーに対し、ハーマイオニーは疑り深い顔だ。短い付き合いだが、首席の名に恥じないジェームズの才能振りはハーマイオニーも良く知っているのだ。ハリーはこれ以上つつかれる前に立ち上がった。
「ちょっと用事を思い出したよ。じゃ、またね――」
タイミングが良いのか悪いのか、丁度その時肖像画の穴からロン、シリウス、リーマス、ピーターの四人が入ってきた。ロンは真面目に課題をする女子二人にちょっかいを掛けた後、ジェームズを見上げた。
「ジェームズ、ハリー知らない? てっきり談話室に戻ってると思ったのに」
「教室に忘れ物したって言ってたよ。そのうち戻ってくるんじゃないかな」
背の高いロンと今は同じ目線なので、ハリーは不思議な気分だった。
「そういえば、今日のプロングズはやけに機嫌が良かったけど、良い悪戯を思いついたのか?」
「あっ、そうだった?」
何気ないシリウスの問いかけにハリーは慌てた。分かりやすすぎる父に一言もの申したいくらいだ。こっちはいつバレるか冷や冷やしているのに、まさか行動に移す前に父がボロを出していたとは。
「まあ楽しみにしておいてくれ。きっと君達も楽しめるから……」
「ふうん」
ジェームズらしい物言いを心掛けたが、どうやらシリウスの目は誤魔化せたらしく、それ以上追求はされなかった。
そのまま五人は示し合わせたように寝室へ向かった。談話室では複数の監督生がいるため――中でもリリーは、一番物怖じせずに悪戯仕掛人にもの申すことができる――おちおち悪戯の一つも計画できないのだ。
透明マントを被ったジェームズが部屋から締め出されないように、ハリーはわざわざ最後に入室した。そうして、それぞれのベッドに腰掛け、話すのは主に今度地下一階に仕掛ける盛大な悪戯計画。一人ずつターゲットにするのではなく、廊下を通ったもの皆に等しく何かを仕掛けたいというのがそもそものジェームズの主張だ。休みボケしている生徒の目を覚ましたいというのが理由だそうだが、本当のところは不確かだ。ハリーやロンも深くは考えずにこの計画に度々参加していた。
「フィルチは忍びの地図で何とかするとして、問題はあいつが最近飼い始めたミセス・ノリスをどうするかだよ。猫のくせに、あいつ性悪だからな。すぐに飼い主に告げ口する」
「金縛り術でもかける?」
ロンがもっともな意見を出した。全身金縛り術は動物にも効果がある。すばしっこい猫相手に難しいかもしれないが、ひとたび呪文を受ければ、しばらくはその場から動けないだろう。
継承者騒ぎが起こって以降、廊下でばったりミセス・ノリスに遭遇するたび、彼女を構おうとするハリエットの姿を思い出し、ハリーはぼんやり答えた。
「ミセス・ノリスに魔法をかけたって聞いたらハリエットが怒りそうだな。猫が好きだから」
「犬が好きなんじゃないのか?」
シリウスの言葉に、ハリーは首を傾げる。
「犬も好きだと思うけど」
「猫でも犬でもどっちでも良いよ」
自分からして見ればどうでも良いことに言及する二人に痺れを切らし、ロンがぶつくさ言った。
「動物に魔法をかけるのが嫌だって話だろう?」
正しく話の筋道を見抜いたリーマスが援護した。
「ミセス・ノリスに手を出したらフィルチはカンカンになって怒りそうだ。何か別の足止めの方がいいと思う」
「誘い出してどこかに閉じ込めるのが良いよ。それなら危害を加えたことにはならないし」
一旦はピーターの意見が採用された。続いて悪戯の具体的な策が練られていく。主に真剣に話すのはシリウス、リーマス、ピーターの三人で、ハリーとロンは置いてけぼり状態だ。悪戯の話を聞くのは楽しいが、ワクワクするような悪戯のアイデアや、妨害対策、いざというときの逃げ道など、それら全ては、一応は真面目に学生生活を送っていた二人にとっては縁遠いもので、全く想像もつかなかったのだ。
ハリーが聞き役に徹していると、話が煮詰まった所でシリウスが口を開いた。
「プロングズ、今日はやけに大人しいじゃないか。意見を全然出してない。調子が悪いのか?」
「そんなことないよ!」
ハリーは慌てて頭を振った。まさか、こんな何でもない所でバレるなんてことがあってはいけない! 急いで頭を回転させる。
「アー、えっと、ほら、クソ爆弾で袋小路に追い詰めるとかか……」
「普通だなあ」
何気なく言ったシリウスの言葉にハリーは落ち込む。悪戯仕掛人の血は自分には流れていないのかと。何となく否定された気分でもある。
だが、思いつかないものはどうしようもない。ハリーは腕を組んでうんうん唸ったが、全く以て良いアイデアが思い浮かばなかった。思い詰めてため息をつけば、不意にリーマスと視線がかち合う。まるで観察するかのようにじっと見つめられるので、ハリーは居心地悪くなってしまった。
「な――どうかしたかい、リーマス?」
「うーん」
やがてリーマスはにっこり笑った。どこか困ったような、仕方がないな、と副音声でもついてきそうな笑みだ。
「素敵な眼鏡だね」
言葉の意味が分からず、ハリーは黙ってリーマスを見つめ返した。そして数秒後、遅れて理解する。
「えっ!」
一瞬素に戻った時のジェームズの顔を、リーマスはきっと見逃さなかっただろう。慌てふためき、眼鏡に手を当てて、それでも素知らぬふりを突き通そうとするハリーに、リーマスは何も言わず笑みを深めた。
「これはまずい。一時撤退だ!」
耳元で囁かれた言葉に、ハリーも相違なかった。慌てて『ちょっとトイレ!』と叫んで寝室を出た。
そうして飛ぶように向かったのは、グリフィンドール塔のすぐ近くの空き教室。ハリーがバタンと扉を閉めると同時に、ジェームズも透明マントを脱いだ。目が合うと、何となく互いに苦笑いを浮かべる。
「すっかり忘れてたけど、眼鏡も替えるべきだったね、僕達」
「いや、たぶんだけど、鎌をかけたんじゃないかな。僕達が眼鏡のことまで気を回してないと思って」
ハリーは遠い目になった。まさかリーマスにあそこまでの観察眼があったとは……。まだあの場で問い詰められなくて良かったと思った。それとも、この悪戯が面白そうだと、ムーニーとしての少年心がくすぐられたのか。
「ハーマイオニーは大丈夫だったかな。怪しまれてはいたと思うけど」
「あれはハリーが悪かったよ。自信がないのに、ああも得意げに杖を振るなんて」
「できると思ったんだよ」
少なくとも半年前までは、とハリーは心の中で呟いた。そうしてグタッと椅子の背もたれに背中を預ける。
「生きた心地がしなかった。ホントに冷や冷やしたよ。いつバレるんだろうって」
「でも、ワクワクしたろう?」
悪戯っぽい目でジェームズが見る。ハリーはまだ静まる様子を見せない動悸を感じながら笑顔を返した。